10話 会談後
男爵の館を出ると、ナリアが待っていた。
「……あまり、うまくいかなかったようね」
ナリアは、オレの顔を見ただけで察したらしい。
「……あぁ」
短く答えると、ナリアはふっと微笑み、明るい声を返してきた。
「ヴィスカが、食事を準備してくれてるわ。行きましょ」
落ちた気持ちを引き上げるような声だった。
オレたちはそのまま、ヴィスカとナリアの家へと向かった。
扉を開けると、ヴィスカがキッチンで何かを仕上げており、その横にはサジの姿もあった。
サジはオレを見て眉をひそめると、やや緊迫した声で問いかけてくる。
「カズー、どういうことだ。どうしてお前が……領主様に会いに行くんだ?」
オレは息を整え、一歩前に出る。
「……わかった。正直に話そう」
ヴィスカも手を止め、こちらを見る。
オレは二人に向き直って話し始めた。自分が城塞都市の子爵であること、そして今日――男爵との会談がどういう結末を迎えたのか。
そして、言葉を結ぶ。
「……という訳で、会談は失敗した」
しばらくの沈黙のあと、サジがぎこちない声で口を開いた。
「しし……子爵様、マーブル島の……領主様なのか?」
「サジ、今まで通りでいい。カズーって呼んでくれ。あぁ、公爵様から正式に任命されている。マーブル島の海賊も、島の皆と一緒に討伐した」
すると、サジの表情が一気に崩れ、歓喜が顔に広がった。
「カズー!ありがとう!オレや他の島民も、あいつらに奴隷にされたんだ!」
オレはアイテムボックスから、冒険者証を取り出してサジに手渡す。
「見てくれ。オレは冒険者でもあり、魔法使いでもあるし、子爵でもある」
――だが、そのとき、思い出した。
(……子爵の身分証。あれは、男爵に渡したままだ。今のオレには、身分を証明する手段がない)
小さくため息をつくと、ヴィスカがふわっと場の空気を変えるように声をかけてきた。
「おしゃべりはそのくらいにして。さ、食べましょ。料理が冷めちゃうよ」
そして、ヴィスカがテーブルに並べてくれた料理に、みんなが自然と手を伸ばしていく。
美味しい香りと、あたたかな湯気が、沈んだ心をゆっくりと包んでいくようだった。
◆ ◆ ◆
食事のあと、ナリアとオレはいつものようにオレの家に行き、寝床で横になる。
そして、夜の帳が降りる中で、互いのぬくもりを確かめ合う。
***
ナリアはオレの胸に手を置き、静かに寄り添っている。
その穏やかな時間の中で、オレはぽつりと口を開いた。
「……ナリア、ごめん。せっかく男爵に会う機会を作ってくれたのに、うまくいかなかった」
ナリアは優しく、オレの髪を撫でる。
「いいのよ、気にしないで。また次があるわ。それより……あの、奴隷の首輪。あれ、本当に奴隷の首を吹き飛ばすの。気をつけてね」
思い出す。怒りにまかせて、男爵の息子――イザリオに詰め寄ったとき、あの首輪で脅されたことを。
「……あぁ。この首輪がなければ、アイツなんかに……!イザリオはナリアを自分の妾にすると⋯。首輪さえなければ倒してやったのに!」
ナリアがオレを見つめながら、言う。
「無茶は止めて。私なんかよりもカズーは自分が正しいと思うことをして。あなたは、奴隷じゃないのだから……本当は貴族だものね」
オレは前の世界の記憶を掘り起こし、心の底から言葉を吐き出す。
「ナリア……“奴隷”なんてものは、本来あるべきじゃない。すべての人は平等で、貴族だろうと、奴隷だろうと――同じ人間だ。差別すべきじゃないんだ」
ナリアは少し驚いたように、ポカンと口を開けてオレを見る。
「……」
オレは言葉を続けた。
「奴隷という制度は、間違ってる。奴隷にされて、幸せな人間なんていない。王様だろうが、誰だろうが、
同じ人間が、他人を奴隷として扱うことは間違っているんだ」
ナリアはオレの髪をそっと撫でながら、微笑む。
「すごいわね、カズー。難しいことはよくわからないけど……でも、みんなが幸せになれるなら、それが一番だと思うわ」
オレは考える。
(この世界では、奴隷が「当たり前」なんだ。だから、人々は奴隷のいない世界を想像すらできない)
「……ナリア。君は、サジをどう思う?奴隷か?」
ナリアは少し考えてから、ゆっくりと答えた。
「サジは……私の友達の、ヴィスカの彼氏よ」
「そうだ。サジは“ヴィスカの彼氏”という人間だ。奴隷なんかじゃない。誰かの所有物じゃないんだ」
ナリアはしばらく黙って、そして小さく頷く。
「わかったわ、カズー。この世界から、奴隷がいなくなるといいわね」
「……あぁ」
オレはそう答えながら、心の奥底で思っていた。
(……前の世界では、オレは“自分”という存在を持って生きていたんだろうか?)
言われたことを、そのまま、疑いもせずにやっていた日々。
(上司の顔色ばかり伺って、何も考えずに命令に従って……まるで、奴隷のように会社という檻の中にいた)
そしてオレは学ぶ。
〈オレは会社の奴隷であった〉
と言うことを。




