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十数年前の冒険記

作者: 高野 藤

初投稿ですよろしくお願いします。


たぶん決してまじめなお話ではございませんので、肩の力を抜きつつ楽にごらんください。

 扉はまるで壁のよう。両の手に力をこめ押すがびくともしない。

 それは扉、外出者を縛ってはいないはず。扉には必ず取っ手がついていてひねれば開く。鍵という例外はあろうが、少なくともこれに鍵はかかっていない。私はそこに目をつけた。

 背をのばしできうる限りの高さを保ちつつ、腕を肩よりさらに上へ。指の先が取っ手上部をわずかに上回るのを感じたらそのまま力を込める。右へ、下へと。

 空間を真っ二つにする光の線が現れ、込める力はそのままに扉を押し込むと光は無限の空へ姿を変えた。

「いってきます!」力強く後ろに告げ私は一歩を踏み出した。



 冒険は幾度か経験してきた。だが、幾度かの冒険には必ず従者が付きまとってきた。

 いわく、私が危険にあわないように。私が危険な場所に踏み入らないように。扉の外は本で読む魔物の住処よりおそろしいと。

 経験なくして成長なし。あらんかぎりの力で私は母をにらみつけ、訴えた。わずかに視線をそらす母に効果はあったのか、わからない。

 結果、私の願望は受け入れられ現在にいたることが、私の勝利を意味している。



 扉をくぐる私の心はいまにも口から飛び出してきそう。そして嬉々として踊りだすのだ。最高潮の興奮が体を駆け巡る。口うるさく警鐘を繰り返す従者もいない。

 このとき私はまだ知らなかった。自由は解放ではなく束縛だということ。

 おろかな私は失念していた。一歩を踏み出すところからすでに冒険なのだ。

 気づいたのは目ではなく鼻。鼻腔を抜けていく空気に含まれていた。いつまでたっても慣れることはないだろう、人以外の動物が放つ独特の獣臭。どこからともなく流れてくるわけはない。左手にそりたつ壁のむこう、不可視の領域に匂いの原因がいるはずだ。

 人の認識は七割が目、視覚からの情報だという。他人を区別するにも外見が多くの比重をしめている。そして見えないものを判別しようとするときは、経験からイメージを作り出す。イメージは実物に即していることのほうが少なく、材料とする経験が古いほど、あるいは幼いほどそこに主観をはさんでしまう。

 頭にうかぶのは山ほどもある巨大な黒い塊。でっぷりと厚い皮に覆われた口は耳元まで裂け、いやらしい紅色を覗かせている。ところどころ黄ばんだ鋭い牙の間から、ねばり気を帯びた唾液がしたたり落ちる。両の瞳は獲物を探すように泳いで、一度視線を合わせようものなら激しい剣幕で私を責めたてる。

 冷たい汗が背中をなぞっていく。興奮が支配していた体を恐怖が一気に塗り替える。外出をして数分しかたっていないのに、十歩と歩いていないのに。母のやさしい笑顔が脳裏をかすめるたび泣きたくなった。


 いつまで佇んでいるつもりなの。ここは外、私は一人。ここで助けを求めてしまえば元の木阿弥ではないか。勝手に震える両足をねじ伏せ、目尻の涙を拭い捨てる。

 角を曲がればそこは、獣待ち構える修羅の門。


「大丈夫。この子は鎖に繋がれてるから絶対に噛み付いたりしないわ」勇敢な母はいつもやさしかった。導かれて間違いを犯したことは一度もない。母のいうことを守っているだけで私は安息を得られたのだ。

 いつからだろう。やさしさで包んでくれる母を疎ましく思うようになったのは。

 いつからだったろう。母の思いを素直に受け止められなくなったのは。

 妄想の世界に投じていた私の意識は、けたたましい咆哮によってまたたくまに呼び戻される。

 背に負う荷物を、その紐をしっかりと握り締め一歩を踏み出す。

 二歩、三歩。額にうかぶ汗を拭い罵声のような怒号に体をこわばらせながら。ふいになにも見えなくなった。見えないのは自分で目を閉じたのだと気づくまでしばらくかかった。先程とはちがう心臓の跳ねかたに胸が痛くなる。

 獣の気配が後ろにきた瞬間、震えていた私の足は脱兎のそれに様変わりしていた。



 数分で何年の寿命を使ったかわからない。とにかく私は最悪の敵に打ち勝ったのだ、これを成長といわずしてなんというのか。

 震えるほどの恐怖から打って変わり、晴天の青空を写したかのように晴ればれとしている。青々とした木々が立ち並ぶ石畳みを踏みしめ一路目的地へと足を進める。

 そしてたどり着いたのは、クモの巣のように張り巡らされた扇状の道々だった。晴れ時々曇り。


 細い道、広い道、曲がりくねった道、坂道、階段。個々が様々な顔をして人々を導いている。

 住人ならば迷わず進めるだろう。しかし私はここに住んでまだ日が浅い。土地勘というものが皆無なのだ。いくどか通ったことはあるものの、どんなときでも道を指し示す者がついていたために自分で覚える必要がなかった。「絶対に迷わないようにしなきゃだめよ」と重々注意を受けていたはずなのに、哀れ半ば放心状態でうかれていた私の右耳から左耳へと抜けていったようだ。注意を受けていた前後の記憶がとても曖昧。

 思い出そうとやっきになるが、もやのかかる記憶はそう簡単に答えを出しはしない。あせる私の前を鉄の塊が右へ左へとせわしなく走り回る。無機物にまで馬鹿にされたような気にさせる。なんとかならないものだろうか。このまま泣き寝入りすれば私の自由はまたおあずけだ。

 そのとき、建物の前にぽつねんと立っている人影が目に留まった。

 常日頃からいわれていたのだ。困ったときは尋ねなさいと。いままさに困っているのだ、渡りに船とはこういうことか。


 世界には秩序がある。世界には法が整備され、人の外れた道をただしく導く指導者がたつ。それは末端までいきとどいており、たとえばいま私が抱える問題ですら解決してくれるだろう。

 目にする人物は威風堂々、やましき心を断罪するかのような青き衣を身にまとう。卑しさなどなくとも一瞬体がこわばるが、いまはそんなことを気にしている場合ではない。

 ひとりでオドオドしている私に気づいていたのか、そばに駆け寄るころにはひざを曲げ目線を合わせてくれた。この青き賢人は私のような迷い人に慣れているようだ。必死に懇願する私の頭をなでてくれる。ごつごつと、それでいてとても温かい。おもわず目に涙が溜まる。賢人は笑顔をうかべ私が泣き止むまで待っていてくれた。

 賢人が一本の道を指し示す。うまく回らない口で必死に感謝をのべ、私はまっすぐそちらへ歩いていく。

 私もいつか、青き賢人のように強くやさしくなれるのだろうか。



 はてしなく長い道のりのように感じられた。実際の難所はわずかだったが、体感では四季をすべてめぐったあとのようだ。顔からふきでるものはすべて出し切った、もう怖いものはなにもない。

 まっすぐ目的地へ向かえばいいのだ。

 意を決して歩き出した私の目の端にちらりと、映ってはいけないものが映った。


 内と外を隔てる透明な壁のむこう、誘うような笑顔を向けているあの子。決して語りはしないが離れもしない、私の大好きなお友達。そのお仲間であろう、赤い長髪が印象的で煌びやかな衣装をまとったかわいらしい女の子に目が釘付けになる。壁越しに目が合う。くりくりとした宝石の目がますます魅力を帯びていく。いつしか私は自然とよだれをたらしていた。はしたない笑顔が中の人に丸見えだったろう。それほどまでにかわいいあの子は私を、私の目を奪ってはなさない。

 がちゃり、と突然に音がたった。はっと我に返った私はよだれを拭いそちらへ顔を向ける。柔和な笑みをたたえた初老の紳士がそこにいた。悪意をまったく感じない温かい笑み。

 彼はこの店の主。母に連れられたびたび訪れていたのでおたがい面識はあった。物欲が強くあれやこれと複数個選んでは母に小突かれる私を見て、まるで自分の子のようだといってくれたこともある。刻まれるしわは年相応。弱者を気遣い女性をたてる姿は、まさに紳士を絵に描いたような人だ。なぜ彼が結婚していないのか、私はひそかにこの問題が解ける日を楽しみにしていたりもする。

「今日はひとりかい?」気さくに話しかけてくる。人がいい店主のことだ、きっとあの子が気に入った様子の私にあの子を触れさせてくれるだろう。モフモフもふもふと。だが、そんなことをしていてはいつまでたっても目的がはたせない。最悪母がこの店まで迎えにきてしまうだろう。


 それじゃあだめだ。私は一人で出歩ける権利が欲しい。時期尚早といわれても、いまの私は決して揺るがない。


 扉まで数歩というところで、私は足を止めた。疑問符が浮かんできそうな表情の店主に事の次第を説明する。

「そうかい、そりゃあ悪いことをしたね。今度は早苗(さなえ )さんと一緒にきておくれな」店主は別段引きとめもせず私を見送ってくれた。

 もしかしたら店主は母のことが好きで結婚をあきらめたのかもしれない。今度母に聞いてみよう。

 下世話な妄想を広げながら、玩具専門店「ファンタジー前田(まえだ)」を後にした。……もしかしなくても彼はネーミングセンスが悪いのかもしれない。



 香ばしく食欲をそそる出店や、いろとりどりの洋服を並べた店、景気良く回る赤青ストライプなど様々。そのどれもがここら一帯に住んでいる人々の重要な施設だ。

 そのうちひとつを見定め、私は跳ねる荷物も気にせず駆けていく。

 目の前に広がるのは、いまだ絵の中でしか知らない海という場所から取れた、じっくり見れば意外と怖い生物たち。水の中で息をするという人間では到底できない生態を持つこの生物たちは、煮たり焼いたり揚げたり、時には生のまま私たちの食卓にならぶ。とてもおいしい。

 おもに青い色で統一された魚の箱を見ていると、日差しが急に弱くなった。顔を上げる私の前には太陽ではなく、仁王立ちした男性の顔があった。

 しばらく見詰め合う。ボクシングなら審判に「ファイッ!」といわれそうなくらいだった。ふと思い出したのが、筋骨隆々の彼が姿に似合わず引っ込み思案だということだ。店先に立っていてもほとんど声を聞くことはなく、店の奥のほうから彼の父親であろう怒号が飛んでくるのをしばしば目撃している。今日は不在なのだろう、声は聞こえない。

 いくつか目星をつけた魚を指差し、私は告げた。

「さんまをみっちゅください!」……ここで噛んでしまったのはしばらくのあいだ私の心に突き刺さっていたが、その話はまた別。

 選んだ秋刀魚を見繕ってくれた魚屋さん。

「今日はひとりでえらいね。これ、サービスで鰯もいれとくよ。……よかったら食べて」

「ありがとおさかなやさん」



 こうして私の“はじめてのおつかい”は終わった。

 後日テレビで全国のお茶の間に私の醜態が晒されることになる。

 十年後にそのときの映像を見て悶絶し転がりまわることになるのだ……。

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