第四話【子どもたちの戦場】(一)
重たい意識がゆっくりと浮上する。
明日香がゆっくりと重いまぶたを開けると、見知らぬ白い天井に、薄い桃色のカーテンが見えた。
どうやら保健室のような場所の様である。身体は先程のロストとの戦いのダメージが残ってるのか、上手く動かす事が出来ない。
「あ、気が付いた?」
不意に聞き覚えのある声が聞こえ、ゆっくりと顔を動かすと、癒月が心配そうな目でこちらを見ていた。
「ゆづ、き……?」
「あ、まだ動かない方が良いよ。二階から落ちたんだから」
身体を起こそうとした明日香の肩に癒月は優しく手を置いた。ちょっと待っててと一言だけ言って、癒月は室内から出ていく。
しばらくして再びドアが開き、癒月と共に夏歩が入ってきた。
「明日香……目が覚めて良かった」
夏歩は明日香の無事を確かめて、安堵の息を漏らした。
「夏歩さん……あの、誠司は……?」
一緒にいたはずの誠司の姿が見当たらない事に、明日香は不安を覚えた。
夏歩は隣のベッドがある方へ視線を向ける。
「……まだ眠ってるわ。誠司もロストの攻撃で、建物に叩きつけられたの。貴女達が持ってる石の加護があったから、それで致命傷は避けられたみたいだけど……」
夏歩は布団を少し捲り、明日香の左腕を手に取る。
「痛みはどう?」
「……少し痛いですけど、我慢出来なくは無いです」
「てことは骨折はしてないようね。変な腫れも無いし……コアのおかげでしょうね」
夏歩は明日香の手首のバンドにハマってるコアの水晶にそっと手を触れた。
明日香と誠司が持つこの石はコアと呼ばれ、二人はこれをそれぞれの武器に変えてロストと対峙する。
このコアから変化したギアで無ければロストは救えない。故にロストとの戦いは、明日香と誠司が中心になって行っているのだ。
不意にドアの向こうの廊下が騒がしくなる。何人もの大人が駆け寄ってくる足音と、怒鳴り合うような声が耳に届いた。
「対外連携室のお偉いさんが来たようね。大丈夫、気にしなくていいわ」
「……もしかして、ロストの救出が出来なかったからですか?」
「飛渡本部長が相手してくれてるから大丈夫。明日香達が気にする必要ない」
夏歩が苦虫を噛み潰したような顔でドアを見る。
「……こんな戦いにあなた達子どもを前線に出すことだって、本当は……許されることじゃないのに」
夏歩はそう言って顔を歪ませて目を伏せる。
子どもは大人が守るべき対象だというのに、自分達大人が子どもに守られている。その矛盾が夏歩を苦しめていた。
「だからあなた達の負担は出来るだけ取り除くのが私達大人の役目よ。コアをギアに変えることが出来るようになったら、またロストと戦わなくちゃならないから、それまでゆっくり休んで」
「……沙夜は、どうしてますか?」
「沙夜ちゃんも本部で保護されてるから安心しなさい」
明日香の頬に貼られた湿布に手を這わせながら、夏歩は微笑む。そして癒月に視線を向けた。
「癒月ちゃん、二人のことお願いして良いかしら? 私はまだやる事があるから」
「はい、任せて下さい」
癒月の返事を聞き、夏歩は保健室から出ていく。
癒月が明日香の布団を掛け直し、明日香は再び眠りについた。
* * *
夜の静けさが、校舎を包み込んでいた。
意識が浮かび上がり、まぶたがわずかに開く。
耳を澄ませても物音はなく、自分の心音だけがやけに大きく響いていた。
ゆっくりと明日香は身体を起こす。少し休んだからだろうか、先程目が覚めた時よりも身体は動かしやすく、重い鉛が外れたように軽かった。
向かいのソファでは、癒月が静かに寝息を立てていた。
柔らかな呼吸のリズムが、室内の静けさに溶け込んでいる。
明日香と誠司のそばで気を張っていたのだろう。今は声をかけても起きそうにないくらい深い眠りについていた。
ふと隣のベッドを見ると、そこに誠司はいなかった。軽く整えられたシーツだけが、ついさっきまでそこにいたことを物語っていた。
こんな夜中にどこに行ったのだろう。明日香は不安になり、保健室のドアを開けた。
夜の学校は、昼間とはまるで別の顔を見せていた。
灯りの落ちた廊下に足音が響く。硬い床に靴底が触れるたび、音が空気に反響して、自分の存在だけが浮き上がるようだった。
歩を進めていくと、前方に瓦礫の山が現れた。壁の一部が崩れ落ち、天井の骨組みが剥き出しになっている。
そこは──夕方、誠司と共にロストと対峙した場所だった。破壊の痕が、生々しくそこに残っている。
中庭の中心に、ロストがいた。
複数のロープでがんじがらめに縛られ、身をよじるようにしてはいるが、もはや力は入っていない。だがロープが外れたらまた暴れるだろう。
そして、その少し離れた位置に誠司の姿があった。
かろうじて崩壊を免れた手すりにもたれ、肘をつきながら、ロストをただじっと見つめている。言葉もなく、表情も読み取れない。
足音に気付いたのか、誠司が明日香に気付き、少しだけ笑みを浮かべた。
「さっき目が覚めたんだ。そしたら寝付けなくなって、ちょっと夜風に当たってた」
「そっか……。体調は大丈夫? コンクリートに叩きつけられたって聞いたけど……」
「地面を転がりながらだから衝撃は分散されたんだ。コアのおかげで打撲だけで済んだよ」
誠司は再びロストに視線を向ける。
「……今の状態ならニードルを破壊出来るのに、俺のコア、全然反応しないんだ。コアが銃になれば、あのロストを今すぐ救ってやれるのに」
「私のも、全然反応しない。こんな事初めてだよ」
明日香は左腕のバンドに嵌った自身のコア、水晶を見る。いつもの輝きを失い、沈黙しているようだった。
研究開発班の職員が言うには、体力が戻れば再び使えるようになるという。つまり、今の二人にはまだロストを救出する事が出来ない。
「父さんが話してたけど、万が一朝になっても俺達がギアを出せなかった時用に、埼玉支部のセイバーが応援に来てくれるらしい」
「それって……あの一人で埼玉の都心を担当してるっていう、凄腕のセイバーさん?」
「うん。今回のロストは、俺達じゃ荷が重いだろうと上の大人が判断したらしい。今はDSIの転送ゲートがエラー起こしてて、交通網も混乱してるから来れないんだと」
「そっか……ごめん、私の到着が遅かったばかりに」
「いや、明日香は悪くない。ここ俺の学校だから、たまたま俺がすぐ近くにいて対応が早かっただけだ」
誠司はロストに目を向けたまま話し出す。
「あいつ、屋上から急に現れたんだ。どうやって登ったかとかは知らないけど、学校中すごい騒ぎだった。今夏歩達が必死にダミーニュース拡散してるって」
「記憶改ざんも、大変そうだね」
「そこは研究開発班が何とかするって言ってた。俺達の仕事は、ゆっくり身体を休める事だと念を押されたよ」
「そっか……」
「……早く、あいつを救ってやらないとな」
誠司が静かに呟く。
それは、ロストを必ず助けるという使命感に満ちた声だった。
「そうだね。そろそろ戻ろうか。もし癒月が目を覚ましたら、心配するかもしれないし」
「ああ、そうだな」
二人はゆっくりと保健室に戻る。
夜の静けさは、まだ終わる気配を見せなかった。




