第十一話【始まりの日】(二)
DSI本部は慌ただしい空気に包まれていた。今回のロスト事件で負傷した職員たちは連携病院へと運ばれ、軽傷の者たちは現場に残って保育士や園児たちのケアにあたっている。
そんな中、誠司は少女と共にDSIの救護室へと連れてこられて傷の手当てを受けていた。
「……君は、これをどこで手に入れたんだい?」
DSI本部長の飛渡章吾は穏やかな顔で、少女の小さな手に握られた透明な石を指差した。
白崎明日香と名乗った少女は、その問いに即座に答えることはなく、うつむいたまま沈黙を保つ。
ロストによって傷つけられた彼女の腕には、救護室の職員によって丁寧に包帯が巻かれていたが、その隙間から赤い血がじわりと滲み出ており、見ているだけで痛々しかった。
誠司が章吾の少し後ろから様子を窺っていると、明日香がようやく小さく口を開いた。
「……分かりません。生まれた時から持っていたと、父が言ってました」
「そうか。それじゃあ今まで、この石を弓に変えたことはあるかい?」
章吾の問いかけに、明日香は小さく首を横に振る。石を包み込むように握っていた手に、ぎゅっと力が込められた。
「……父からお守りとして受け取った日から、いつも持ち歩いてましたが、弓になったのは今回が初めてです」
「そうか……その、お父さんに連絡は取れるかい?」
その言葉に明日香の表情が一瞬曇る。しかし彼女は首を横に振り、静かに答えた。
「それはできません。父は、二年前に亡くなりました」
「……! そうか、それはすまなかった。それじゃあお母さんは?」
「母は……いますけど……」
歯切れの悪い返答に章吾の眉がひそめられる。再び口を閉ざした明日香と目線を合わせるように、章吾は身を乗り出した。
「明日香ちゃん。君にはセイバーとしての素質があると私は見ている」
章吾の声は穏やかだが、その言葉には確信が込められていた。
「ここにいる私の息子の誠司と同じように、君はその特別な石を武器に変え、ロストという怪物になってしまった人々を救う力を持っている」
章吾は明日香の手を両手で優しく包み込む。水晶の石がキラリと光を放った。
「もちろん親御さんの許可が必要だが、私は君にセイバーになってもらいたい。誠司と共に、ロストたちを救う手伝いをしてほしい」
明日香は沈黙したままうつむいている。石を握りしめた両手がわずかに震えていた。
いきなりこんなことを言われても、年端もいかない少女がすぐに答えられるはずがない。章吾もそれは理解しているため、明日香の返答を急ぐことはしなかった。
「無理強いはしない。親御さんと相談してよく話し合ってから決めると——」
「分かりました」
章吾の言葉を遮るように、明日香が口を挟んだ。ゆっくりと顔を上げ、章吾と、その後ろにいる誠司を真っ直ぐに見つめる。
「その、セイバーというのをやってもいいです。その代わり、お願いがあるのですが……」
章吾は驚いて明日香から手を離し、彼女を見詰めた。明日香の瞳は迷いがなく、まっすぐだった。
「怪物を、ロストを助けた時に報酬をもらうことはできますか?」
「……え?」
その言葉に誠司は鳩が豆鉄砲を食らったような顔になる。一方、章吾は一瞬目を見開いたが、すぐに明日香へ向き直った。
「それは、どうしてだい?」
「その……ロストを助けるのは、かなり危険なことなんですよね。危険なことをするなら、相応の対価が必要だと思ったので」
明日香は包帯が巻かれた腕にもう片方の手を添える。今後セイバーになるとしたら、これ以上の怪我をするかもしれない。彼女はそのことを案じているようだった。
明日香の提案は至極もっともだった。章吾は納得して彼女を見つめる。
「分かった。君はまだ子どもだから多くは出せないが、報酬を支払うと約束しよう。お母さんにも連絡して——」
「それは大丈夫です」
再び章吾の言葉を明日香が遮った。疑問符を浮かべる章吾を気にせず、明日香は続ける。
「母には連絡しなくていいです。多分これから仕事で、電話も繋がらないですし……」
そう言うと明日香はうつむき、ぽつりとつぶやいた。
「あの人は、母ではなくて、女ですから」
その冷たい言葉に誠司はもちろん、章吾も何も言えなかった。
同時に誠司は明日香の言動に微かな違和感を覚えていた。ロスト救出の際に報酬を求めるのは理解できるが、今回の事件で身を挺して自分を庇った時の明日香は、あまりにも自己犠牲的だったように思える。
上手く言葉にできないが、明日香の言っていることとやっていることが噛み合わないような気がするのだ。
(こいつの考えてること、よく分からないな……)
誠司は明日香に対して複雑な眼差しを向けた。
 




