第十一話【始まりの日】(一)
今から約四年ほど前、夏が終わり徐々に涼しくなってきて秋が近づいてきてる頃だった。
太陽が傾き始めた午後四時過ぎ、都内のとある保育園にロストが現れたと連絡が入った。
「大丈夫だ誠司くん、私たちが全力でサポートするから」
「はい、分かりました」
誠司と呼ばれた少年は少し緊張気味に頷いた。
自分にセイバーの素質があると分かって一年が過ぎていた。しかしロストの発生率は限りなくゼロに近いため、救出任務はこれが二回目である。
飛渡家に引き取られて章吾たちと過ごし始め、落ち着いた頃から空いた時間にギアの使い方などを訓練していたので、昔より動けるようにはなっている。
とはいっても実戦経験はほとんどない。以前の任務も現地対策班がロストを捕縛してくれて、ニードルを撃ちやすいように固定してくれたのでそこまで難しくはなかった。
今回のロストは素早く、まだ捕縛もされていないようで、救出の難易度が高いと上の大人は判断しているようだ。どうしても難しい場合は別の地域のセイバーからの応援が来るようにはしているが、あいにく別のロストと対峙しているようで、こちらには来れないと連絡が入った。
「大丈夫、俺はできる」
ロストを救出できるのはこのギアだけだ。つまり自分しかいない。誠司は黒く冷たい無機質な銃をしっかりと握りながら現場へ急いだ。
入り口では警察官が規制線を貼って警戒態勢に入っている。それをくぐり中に入ると、園庭の隅にバリアが貼られていて、中には取り残された園児と保育士が肩を寄せ合って集まっているのが見えた。
建物の壁には毛むくじゃらの狼のようなロストがよじ登っている。それに向かってDSI現地対策班の職員が麻酔銃を撃っているが、当たりは悪いようである。
だが一般人が外にいないのなら気にせず動ける。これは経験値の低い誠司にとってかなり大きい。
誠司は園庭の中央まで走り、ロストめがけて銃を放った。弾丸は建物の壁に吸い込まれていき、ロストはこちらをじっと見ている。誠司はその威圧感に身震いしたが、すぐに銃を構え直した。
その時だった。
「沙夜!!」
門の入り口から高い声がして、誠司が一瞬振り返ると、赤いランドセルを背負った二つ結びの少女が園児たちがいるバリアめがけて走ってきた。入り口は部外者が入らないよう規制が貼られていたはずなのに、どこから入ってきたのだろうか。
誠司の疑問をよそに少女は他には目もくれず、園児たちを囲んでいるバリアめがけて走り続ける。ロストはその無防備な少女に向かって飛びかかろうとした。
「やべえっ!」
誠司が無我夢中で銃を向け引き金を引くと、光の弾丸がロストめがけて飛んでいく。パアンと弾けた衝撃がロストに襲いかかり、そのまま地面に落ちた。
その衝撃で少女は転倒し、身体を起こした時にようやくロストの存在が目に入ったのか目を見開いた。
「早く逃げろ!」
誠司が少女に向けて叫ぶと同時に職員が飛び出し、少女を抱えてバリアの近くまで避難する。職員に嗜められながらも少女はバリアを叩きながら、一人の園児の名前を叫んでいるようだ。
銃弾を受けたロストは、一瞬よろめいたものの素早く体勢を立て直すと、バリアに向かって猛然と突進してきた。
「危ない!」
バリアの中の園児と保育士達が悲鳴をあげた。
現地対策班の職員たちは咄嗟に判断し、使い捨ての電気ネットを展開してロストの侵入を阻止しようと試みる。
その時、誠司が再びロストに向けて引き金を引いた。銃声が響く中、ロストはくるりと後ろを振り返ると、誠司に狙いを定めたのか園庭の中央へと戻っていった。
とりあえず少女の安全は確保されたようだ。誠司は少し安堵して気を取り直し、ロストに向かってもう一発放とうとした。
突然、ロストが天を仰ぐようにして咆哮した。それは人間の耳には到底耐えられない、まさに悪魔の雄叫びだった。
次の瞬間、ロストを中心とした強烈な衝撃波が四方八方に炸裂する。空気が震え、地面が揺れ、周囲のあらゆるものが波打った。
「なっ……!」
誠司は反射的に両手で耳を押さえたが、その激烈な音圧に耐えきれず膝から崩れ落ちる。現地対策班の職員たちも例外ではなく、まるで見えない巨大な手に押し倒されるように次々と地面に倒れ込んだ。
園庭に立っているのは、もはやロストただ一体のみ。辺りには呻き声と、まだ耳の奥で響き続ける不気味な残響だけが残されていた。
誠司が顔を上げるとロストがこちらを睨むように見ている。ロストの赤い瞳が誠司を捉え、次の瞬間、ロストは地面を蹴って誠司めがけて猛然と突進してくる。
(くそ……動けねぇ……っ!)
先程の衝撃波の影響で誠司は逃げる間もなかった。両腕で顔を覆い、身を縮めて衝撃に備える。ロストの重い足音が迫り、その殺気が肌を刺すように感じられた。
ロストが大きく跳躍し、鋭い牙を剥き出しにして誠司に襲いかかった。だが、予想していた激痛は訪れない。
恐る恐る腕の隙間から覗き込むと、目の前に先程の少女がいて、誠司を庇うような体勢で腕を前に出してロストに噛みつかれていた。
「っ…………!」
ロストの牙が少女の細い腕に食い込み、鮮血が地面に滴り落ちる。表情は見えないものの少女の身体が小刻みに震え、痛みに耐えるような苦痛の声が漏れたのが聞こえた。
誠司は咄嗟に身体を鞭打って起き上がり、ロストを少女から引き剥がそうと銃を向け引き金を引く。光の弾丸は少女のすぐ横を通りロストの顔面に直撃し、その衝撃で少女の腕から牙を離して後退した。
少女は噛まれた腕を抑えながらその場に倒れこんだ。
「ばか! お前何やってんだよ!?」
誠司はロストのダメージが抜けてない身体をどうにか動かしながら少女に駆け寄り思わず怒鳴るが、少女はそれに答えることなく腕の痛みで顔を歪ませたままだった。
誠司がさっきまで少女が居たバリアのある場所に目を向けると、少女を保護した職員が倒れたまま苦しそうにこちらをじっと見ていた。
おそらく先程のロストの攻撃から身体を張って少女を庇ったのだろう。バリアの外にいたにも関わらず少女の身体は衝撃波による傷は付いていなかった。他の職員もロストの衝撃波をモロに食らったのが原因なのか動けないようだ。
「……けて、くれたから…………」
不意に少女が呟いた。誠司が少女を見下ろすと、そのか細い声とは裏腹に鋭い目と目が合った。
「さやを……たすけ、て……くれた、から……」
そう言いながら少女はよろよろと身体を起こし誠司の前に立つ。
さや、というのは、あそこのバリアの中にいる園児の一人の名前だろうか。だとしても、それだけの理由でこの少女はロストという怪物から身を呈して庇ったというのか。初対面の、赤の他人である誠司を。
信じられない。普通なら、正体不明の怪物に立ち向かうなど不可能だろう。大の大人でさえ恐怖に足がすくんでしまうというのに、自分と同年代の少女にそんなことができるわけがない。
(こいつ、ロストが怖くないのか……?)
誠司は目の前の少女のあまりにも突飛な言動に驚愕し目が離せなかった。
ロストに噛まれた腕の傷は止まっておらず、傷口から血が流れ続け地面に赤い染みを広げている。当然痛みは感じているようで、額からは脂汗が滲み出ている。しかし少女はそれを気にすることなく、顔を撃たれて悶えているロストを真っ直ぐ見た。
「今度は……私があなたの……盾になるよ……」
少女はふらふらと安定しないながらも片手を広げ、鋭い眼光でロストをじっと見据える。
誠司と違って少女は武器はおろか防具も何一つ付けていない。あまりにも無謀で危険すぎる行為だ。今すぐ避難させなければならないのに、誠司も職員の大人も誰も動けなかった。
ロストが体制を整え少女を赤い瞳で捉えた瞬間、再び少女めがけて突進してくる。
しかしロストの牙が少女に襲いかかろうとした刹那、眩い光が少女から放たれた。
その眩しさに誠司は思わず目をつぶり顔を背ける。光が徐々に収まってきたのを感じとり、ゆっくりと目を開けると、少女の手には一本の弓が握られていた。
その白い弓が僅かに光を放っており、まるで神聖な天使が持っているような神々しさがあった。
少女は明らかに混乱していたが、ロストが自身に向かってきているのを確認すると咄嗟に弓の弦を引く。光の矢が浮かび上がり弦を離すと、矢は突進してくるロストに向かって飛んでいく。
そしてそれが心臓部分に突き刺さると、ロストは苦しそうな雄叫びを上げ地面に転がり悶え始めた。
そして黒いモヤがロストを覆い、しばらくしてそれが晴れるとぼろぼろになった一人の女性がその場に倒れていた。
少女はどさりと膝から崩れ落ち、倒れないように片手を地面に付けた。
「な……に、これ……?」
はあはあと荒い呼吸をしながら目の前のロストだった女性と自分の持っている弓を交互に見ながら、少女は呆然としている。
「あいつ……俺と同じなのか……?」
誠司も少女のことを呆然と見つめることしかできなかった。
しばらくして救急車が到着し女性が運ばれていき、少女も誠司と共に保護された。
女性が自分の子どもを保育園に入れることができず、採用が決まった仕事を諦めざるを得なくなり絶望していたということを知ったのは、その少し後のことだった。
昔書いてた時はこの話からスタートしてました。
当時の文はクリエイターサイトが閉鎖された為電子の海に消えてしまいましたが、あまりにも幼稚な文だったから逆に消えて良かったかもです。
当時は明日香視点だったので、誠司視点に書き換えるのはちょっと難しかったです。




