第七話【波間の静けさ】(二)
誠司に手伝って貰うと残っていた片付けがあっという間に終わり、三人は飛渡家へと向かう。誠司がドアを開けると章吾が出迎えてくれて、そのままダイニングルームに案内された。
「いらっしゃい! もうすぐ出来るから座って待っててね」
「あ、私手伝います」
「いいのよ明日香ちゃんは座ってて。誠司、そこの棚から白い取り皿取ってくれる?」
「はーい、母さんこれ?」
「そうそれ。テーブルに並べといて」
志保の指示に従い誠司がテキパキと食器やカトラリーを並べていく。食器が一通り並び終わった頃に、志保がちょうど今出来上がった料理をテーブルに置いた。
「なんか今日、いつもより手が込んでない?」
「そりゃあ明日香ちゃんと沙夜ちゃんが来るんですもの。母さんだって張り切っちゃうわよ」
志保の言葉に誠司は笑いながら席に着いた。
鶏つくねの照り焼き、にんじんと小松菜の胡麻和え、具だくさんのけんちん汁、かぼちゃの煮物、白ごはんと家庭的な料理が並んでいて食欲をそそられる。全員が席に着いた所でいただきますと両手を合わせ、夕飯を食べ始めた。
明日香も遠慮がちに箸を持ち、お茶碗を手に取る。
「明日香、皿貸して」
誠司が明日香の取り皿に照り焼きをよそう。 明日香はそれにお礼を言いながら鶏つくねを一つ取って口に運ぶと、甘辛い照り焼きの味が口いっぱいに広がった。
「……美味しいです」
明日香の素直な感想に、志保は笑顔になる。
「それは良かったわ! 沢山あるからいっぱい食べてね」
「お姉ちゃん、このかぼちゃも美味しいよ」
沙夜が口いっぱいに頬張りながら小鉢を見せてきて、明日香はくすりと笑う。
それを見て誠司と章吾も安心したように笑みを浮かべた。
人と一緒に食べるご飯は美味しい。明日香は改めてそれを実感した。
同時刻、少し築年数が経ったアパートのドアを少女が開ける。真っ暗な部屋の電気を点けるとテーブルの上には一枚のメモが置いてあった。
少女は無言でメモを見ると冷蔵庫を開け、中から冷えたコンビニ弁当を取り出してテーブルに向かい、蓋を開けて食べ始めた。
『おいおいせめて温めてからにしろよ、無頓着過ぎねえか』
少女はその声に気付いていないのか、黙々とコンビニ弁当に箸を伸ばす。声の主はその光景に呆れつつもただ見ているだけだった。
『まあ、それを感じる心は俺が持ってるんだし、仕方ねえかあ』
おどけたような声を出したその口元は怪しく、三日月のような弧を描いた。
* * *
夏の日差しが容赦なく照りつける昼下がり、肌を刺すような暑さが空気を重く包んでいる。
明日香は手で仰ぎながら夕飯の買い出しのためスーパーに向かっていると、一人の少女が狭い路地に入っていくのを見かけた。
(あれは確か、沙夜のお友達の……)
その後ろ姿が、先日沙夜のクラスに転校してきたという少女に似ているような気がして、明日香は立ち止まった。
今日沙夜はクラブ活動があるから遅くなると言っていたはずだ。なのであの子も同じようにクラブ活動をしているなら、今ここにいるのは違和感がある。
もしかしたら転校したばかりでどこにも入っていない可能性もあったが、それでも明日香は気になった。
「こんな人気のない場所で、一人で何を……」
気付かれない距離を保ちながら、明日香は少女の後をつけていった。
昼間だがそこは静かで、平たい空き地は工事中なのか、無人のショベルカーが作業を中断して止まっている。
その工事現場の仮囲いとグリーンフェンスに挟まれたさらに狭い路地に入っていく少女の後を追おうとして、不意にどこからか冷気が漂ってくるのを感じた。
夏の暑さを和らげるような冷気で、どこから来るのかと辺りを見回したその時、強い眠気が明日香を襲った。
「え……なに、これ…………」
同時に身体が急に重くなり、明日香は地面に膝を着く。眠気で頭が徐々に重くなり身体を支えることが出来ず、明日香はそのまま倒れ込み、そのまま意識を失った。
倒れた明日香を、二つの影が見下ろす。
「……ねた?」
「たぶんねた」
「ここはかんけいしゃいがいたちりいきんしだもんねー」
耳のついたニット帽から出来る影が、倒れた明日香を見下ろすように映し出された。
「何をしてるんです、こんな所で」
二つの影が声のする方へ顔を向けると、白いローブを着た少女が無表情で立っていた。
「えっとねー、ふしんしゃがきたから、ルークのいきでねむらせたの」
「そうそう、ここからさきはきちゃだめだから」
二つの影、少年と少女はケラケラと笑っているが何故か感情が読み取れない。ニット帽から覗く青と桃色の髪の毛がゆらゆらと揺れていた。
少女が二人の間から倒れた明日香を見ると、少しだけ目を丸くする。
「これ、例の器じゃないですか。何故ここに」
「わかんないけどー、ディオのマスターをおいかけてきちゃったみたい」
「おねえさんはまだきちゃだめなんでしょ? だからぼくとめてあげたの。えらいでしょ」
二人のマイペースな答えに少女は眉を顰めた。
「全く、あの人は……自分のマスターから目を離すなとあれほど言ったのに」
「ねーねー、それよりこれどーすればいいの?」
「リリカ、このままほっとけばいい?」
リリカと呼ばれた少女ははあとため息を付くと、明日香の顔を見下ろす。
「そうですね。あの御方の大事な器ですから、このまま放っておくのは良くないですね。私が適当な場所に移動させておきます。ルーク、リゼット。あなた達二人はマスターの所に行きなさい」
「はーい」
「わかったー」
少年と少女、ルークとリゼットと呼ばれた二つの影はそう言うと、少女が入っていった狭い路地の中に入っていく。
「……まあ、どこか人目が付く所で良いでしょう」
リリカはそう言うと木で出来た自身の身長くらいある杖を取り出し、地面を突く。
明日香の周りに魔法陣が浮かび上がり、そのまま明日香は姿を消した。
* * *
明日香が重いまぶたをゆっくり開くと、白い天井とカーテンが見える。徐々に意識がはっきりとしてきて辺りを見回すと、心配そうな顔をした沙夜と癒月の顔が明日香の目に映った。
「お姉ちゃん起きた? 沙夜のこと分かる?」
「明日香ちゃん大丈夫?」
明日香がゆっくりと身体を起こすのを癒月が支える。明日香は頭を軽く押さえながら状況を理解しようとした。
「ここは……?」
「DSIの救護室。明日香ちゃん、道端で倒れてたんだよ。たまたま通りかかった人が救急車を呼んでくれたの。それで飛渡さんが連絡を受けて、こっちに運ぶように手配してくれて……」
「そうだったんだ……ごめん、心配かけて」
明日香がそう言った時、警報とアラームが室内に鳴り響く。ロストが出たとすぐに理解した明日香は表情を変え、ベッドから飛び起きると救護室のドアに向かった。
「あ、お姉ちゃん待って、急に起きたら危ないよ」
そのまま救護室を飛び出してブリーフィングルームに向かう明日香を、沙夜と癒月が急いで後を追った。
息を切らせてブリーフィングルームに駆け込んだ明日香を、誠司と章吾が出迎える。
二人の心配そうな声を聞きながら明日香は軽く謝罪をすると、モニターに目を奪われた。
モニターに映し出されたのは、東京二十三区の全体図。そこに七つの赤い光が点滅している。
「何これ、どういうこと……?」
モニターを凝視したまま動かない明日香に、誠司が眉間に皺を寄せて答える。
「ロストが現れたんだ。……七体、同時に」
その答えに明日香は息を呑んだ。
七体のロストが同時出現——DSI設立以来、誰も経験したことのない異常事態だった。