表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
97/108

関真輿編著「地理と地形で読み解く世界史の疑問55」 宝島新書 第3章 ー6- 日英同盟・日露戦争

【書名・タイトル名】「地理と地形で読み解く世界史の疑問55」


【著者・作者】関真輿編著


【発行元・サイト】宝島新書


【参考URL】



本文



第3章 帝国主義と世界大戦、そして戦後



世界史の流れ、ポイント


イギリスの覇権(1815~1914)

ナポレオン3世(1852~1870までフランスを統治)

クリミア戦争(1853~1856)⇒ロシアとオスマン帝国・英・仏の連合国の戦争

ドイツ帝国(1871)⇒ドイツの統一と大国化

アヘン戦争(1840~1842)と清朝⇒イギリスの植民地化

帝国主義と民族運動

日英同盟(1902~1923)⇒ロシアの南下政策の妨害

日露戦争(1904~1905)

第1次世界大戦(1914~1918)

ロシア革命(1917)

パリ講和会議(1919)・ヴェルサイユ条約(1919)

世界恐慌(1929)

ヒトラー(1933首相任命)とナチス

第2次世界大戦(1939~1945)



日英同盟

https://www.y-history.net/appendix/wh1402-089.html

1902年、イギリスと日本が締結した二国間同盟。

中国・韓国における権益を相互に認め、アジアにおけるロシアの膨張に備えることを共同の目的としした。

イギリスにとっては「光栄ある孤立」の外交姿勢を破棄したことを意味し、日本にとっては初の軍事同盟を締結してアジアでの優位を獲得することが狙いであった。

その後、3次にわたって改訂され日露戦争、第一次世界大戦で重要な役割を担ったが、国際協調外交の高まる中で開催されたワシントン会議の結果、1921年末に四ヵ国条約で破棄された。



★「日英同盟」

 Search Labs | AI による概要

 日英同盟にちえいどうめいとは、1902年(明治35年)に日本とイギリスの間で締結された

 軍事同盟です。

 ロシアの極東進出に対抗するため、両国は互いの権益を保護し、共同で対処することを約束しました。

 この同盟は、日露戦争や第一次世界大戦で重要な役割を果たしましたが、1921年のワシントン会

 議で四カ国条約が締結されたことにより、1923年に失効しました。

 日英同盟は、1902年1月30日に締結されました。

 この同盟は、日本とイギリスが極東におけるそれぞれの権益、特に清国と朝鮮半島における権益を相

 互に認め、保護することを目的としていました。

 また、一方の国が二国以上と戦争状態になった場合、他方の国は中立を保つが、二国以上と戦争状態

 になった場合は共同で対処することが定められていました。

 日英同盟の背景には、19世紀末から20世紀初頭にかけての国際情勢がありました。

 ロシアの南下政策、特に満州や朝鮮半島への進出は、日本とイギリス双方にとって脅威でした。

 日本は、ロシアの南下を阻止するためにイギリスとの同盟を必要とし、イギリスは、ロシアの南下を

 阻止することで、自国のインド支配を守る必要がありました。

 日英同盟は、日露戦争(1904-1905年)で重要な役割を果たしました。

 日本は、この同盟を背景に、ロシアとの戦争に臨み、勝利を収めました。

 また、第一次世界大戦(1914-1918年)では、日本はイギリス側で参戦し、ドイツの青島を占

 領するなど、同盟国として貢献しました。

 しかし、第一次世界大戦後、国際協調の機運が高まり、アメリカの提唱でワシントン会議が開催され

 ました。

 この会議で、日英同盟は四カ国条約に取って代わられることになり、1921年末に日英同盟の廃棄

 が決定、1923年8月に正式に失効しました。

 日英同盟は、20年近くにわたって日英両国の外交・安全保障政策に大きな影響を与え、極東におけ

 る国際関係を大きく変えることになりました。



日露戦争



★「日露戦争」

 Search Labs | AI による概要

 日露戦争は、1904年から1905年にかけて、日本とロシアの間で満州と朝鮮半島を巡って戦わ

 れた戦争です。

 日本は、ロシアの南下政策に対抗し、自国の安全保障と権益を守るために戦いました。

 この戦争は、日本が近代国家として初めて、大国ロシアに勝利したことで、世界に衝撃を与えました。

 日露戦争の背景:

 ロシアの南下政策:

 ロシアは、満州や朝鮮半島への進出を企て、日本の勢力圏に迫っていました。

 日本の危機感:

 日本は、ロシアの南下政策が、日本の安全保障と権益を脅かすと危機感を抱き、対抗策を講じる必要

 がありました。

 日英同盟:

 1902年に日本とイギリスは日英同盟を結び、ロシアに対抗する体制を整えました。

 戦争の経過:

 1904年2月、日本はロシアに宣戦布告し、日露戦争が始まりました。

 日本は、旅順攻撃、奉天会戦、日本海海戦などでロシア軍を破り、優位に立ちました。

 ロシアは、国内の革命や戦争の長期化により、講和を求めるようになりました。

 1905年9月、アメリカ大統領の仲介により、ポーツマス講和条約が締結され、戦争は終結しま

 した。

 戦争の結果:

 日本の勝利:

 日本は、ロシアに勝利し、国際的な地位を高めました。

 ポーツマス講和条約:

 日本は、ロシアから樺太の南半分、旅順・大連の租借権、南満州鉄道の利権などを獲得しました。

 賠償金問題:

 日本は、ロシアから賠償金を得ることができませんでした。

 日露戦争の影響:

 日本の国際的地位の向上:

 日本は、列強の一員として認められるようになりました。

 韓国併合:

 日本は、日露戦争の勝利を背景に、1910年に韓国を併合しました。

 ロシア革命:

 ロシアでは、日露戦争の敗北が、革命運動を加速させる一因となりました。

 日露戦争は、日本の近代国家としての発展を象徴する出来事であり、その後の日本の歴史に大きな影

 響を与えました。


趣味は読書、競馬、阪神タイガース。


他のサイトでは競馬や社会学、阪神タイガースに関するブログもやっています。


よければそちらも覗いてください。


検索は「長坂総研」「競馬原論」でお願いします。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ