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関真輿編著「地理と地形で読み解く世界史の疑問55」 宝島新書 第2章 ー2- 大航海時代

【書名・タイトル名】「地理と地形で読み解く世界史の疑問55」


【著者・作者】関真輿編著


【発行元・サイト】宝島新書


【参考URL】



本文



第2章 ヨーロッパの台頭と一体化する世界



世界史の流れ、ポイント


近世


●ルネサンス(14世紀~16世紀)⇒中世の世界は地中海、イタリア半島中心

●大航海時代(15世紀中から17世紀中)⇒オスマン帝国の発生により貿易が阻止される

●宗教改革(1517から1577)⇒教会に対する改革運動⇒宗教戦争、ウエストファリア条約(1648)

オランダ商業国家(16世紀)⇒1568年市民革命、1579年ユトレヒト同盟結成、ウエストファリア体制、ライン川河口と海に近接という領土から商業特化・無敵艦隊・東インド会社⇒覇権



●大航海時代

https://www.y-history.net/appendix/wh0901-001.html

15~17c、ヨーロッパ人によるインド航路や新大陸到達などによって、世界の一体化が進んだ時代。

ポルトガルとスペインが先鞭を付け、当時形成されつつあったヨーロッパの主権国家、オランダ、イギリス、フランスが続いて海外進出を進めた。

背景には香辛料貿易の利益の拡大を求める北イタリア商人の商業活動、同時期に展開されたルネサンスによる新たな知識・技術の獲得、宗教改革によって窮地に立たされたカトリック教会の布教願望などがあった。

このヨーロッパ勢力による大航海の展開はアフリカ、アジア、南北アメリカ新大陸への進出の始まりであり、それらの地域にも大きな変動をもたらし、中世から近代への移行期(現在の時代区分では「近世」と捉えられている)となった世界史的な動きであった。



★「大航海時代が始まった理由」

 Search Labs | AI による概要

 大航海時代が始まった主な理由は、ヨーロッパにおける香辛料需要の増加

 と、オスマン帝国の地中海東岸の制圧による中継貿易の阻害、そして航海

 技術の発展です。

 これにより、ヨーロッパ諸国は直接アジアから香辛料を仕入れるために、

 新たな航路開拓を試み、大航海時代が幕を開けました。

 詳細:

 香辛料需要の増加:

 ヨーロッパでは、香辛料は貴重で高価な商品であり、特に肉食文化の強い

 ヨーロッパでは、その需要が非常に高かったのです。

 しかし、従来のルートでは、オスマン帝国などのイスラム勢力が中継貿易

 で利益を得ており、ヨーロッパ諸国は高値で香辛料を購入せざるを得ませ

 んでした。

 オスマン帝国の拡大:

 オスマン帝国が地中海東岸を支配したことで、ヨーロッパとアジアを結ぶ

 陸上貿易路が遮断され、香辛料の供給が不安定になり、価格も高騰しまし

 た。

 これにより、ヨーロッパ諸国は直接アジアから香辛料を輸入する方法を模

 索するようになりました。

 航海技術の発展:

 当時のヨーロッパでは、羅針盤やアストロラーベなどの航海技術が発展し、

 より遠洋航海が可能になっていました。

 また、キャラック船やカラック船などの大型帆船も開発され、より多くの

 物資を積んで長距離航海をすることが可能になりました。

 宗教的な動機:

 キリスト教を世界に広めたいという宗教的な動機も、大航海時代を後押し

 しました。

 特に、ポルトガルとスペインは、イスラム教徒と戦って国を築いた歴史が

 あり、海外にキリスト教を広めることで、イスラム勢力に対抗しようとい

 う考えがありました。

 商業的な動機:

 香辛料以外にも、金や銀などの資源を求めて、また新たな市場を開拓する

 ために、ヨーロッパ諸国は海外進出を積極的に行いました。

 これらの理由が複合的に作用し、大航海時代が始まりました。

 ポルトガルとスペインが先導し、その後、オランダ、イギリス、フランス

 なども加わり、世界各地への進出が進みました。


★「オスマン帝国」

 Search Labs | AI による概要

 オスマン帝国は、1299年から1922年まで存在したイスラム教の大

 帝国で、トルコ系オスマン家によって建国されました。

 バルカン半島、西アジア、北アフリカ、黒海北岸、カフカス南部を支配し、

 16世紀のスレイマン1世治世下に最盛期を迎えました。

 その後、17世紀から衰退し、1922年のトルコ革命で滅亡しました。

 オスマン帝国の歴史は、大きく分けて前期と後期に分けられます。

 前期(建国から16世紀末):

 トルコ系ガージー(イスラム戦士)の連合国家から、スルタンによる専制

 支配へと移行しました。

 中央集権体制が確立され、隆盛期を迎えました。

 15世紀には東ローマ帝国を滅ぼし、コンスタンティノープルを首都とし

 ました。

 後期(17世紀から滅亡まで):

 17世紀から18世紀にかけて、在地勢力の伸長や西欧化改革、経済的植

 民地化が進みました。

 19世紀には、近代化改革の失敗や第一次世界大戦での敗北により、衰退

 が加速しました。

 1922年、トルコ革命によりオスマン帝国は滅亡し、トルコ共和国が建

 国されました。

 オスマン帝国は、イスラム世界の盟主として、またヨーロッパ・キリスト

 教世界に大きな脅威を与えた存在として、歴史に大きな足跡を残しました。

 以下は、オスマン帝国に関する追加情報です。

 公用語:オスマン・トルコ語

 宗教:イスラム教スンナ派

 最大版図:中東、北アフリカ、ヨーロッパに及ぶ広大な領域

 最盛期の象徴:スレイマン1世の治世

 衰退の要因:ヨーロッパ諸国の侵攻、アラブ諸民族の自立、近代化改革の失敗

 滅亡:第一次世界大戦での敗戦、トルコ革命


★「大航海時代の影響」

 Search Labs | AI による概要

 大航海時代の主な影響は、世界の一体化、商業革命、価格革命、そしてヨ

 ーロッパによる植民地支配の開始です。

 これらの影響は、世界経済や文化、社会構造に大きな変革をもたらしまし

 た。

 大航海時代の主な影響:

 世界の一体化:

 ポルトガルやスペインによる大西洋横断航海や、コロンブスによるアメリ

 カ大陸到達を契機に、ヨーロッパとアジア、南北アメリカの間の交易が活

 発化し、世界が初めて一つに結びつきました。

 商業革命:

 地中海貿易から大西洋貿易へと商業の中心が移り、ヨーロッパの商業活動

 が地球規模に拡大しました。

 これにより、新たな貿易ルートが開拓され、太平洋沿岸の都市が発展しま

 した。

 価格革命:

 アメリカ大陸から大量の銀がヨーロッパに流入し、物価が上昇しました。

 これが、ヨーロッパ社会に大きな経済的変動をもたらしました。

 植民地支配の開始:

 ヨーロッパ諸国は、アジア、アフリカ、アメリカ大陸に進出し、植民地を

 拡大しました。

 これにより、先住民の文化や社会構造が破壊され、奴隷貿易も盛んに行わ

 れました。

 文化交流と伝播:

 ヨーロッパの文化や技術が、アジアやアメリカに伝わる一方、アメリカ大

 陸の作物(トウモロコシ、ジャガイモなど)がヨーロッパに伝わり、食文

 化に大きな影響を与えました。

 鉄砲とキリスト教の伝来:

 日本では、ポルトガル人によって鉄砲(火縄銃)とキリスト教が伝えられ、

 戦国時代の社会に大きな影響を与えました。

 大航海時代は、ヨーロッパ中心の視点で見れば「発見」と「拡大」の時代

 でしたが、他の地域にとっては、植民地化や文化破壊、奴隷貿易など、負

 の側面も大きく、複雑な時代でした。



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