関真輿編著「地理と地形で読み解く世界史の疑問55」 宝島新書 第1章 ー9- カノッサの屈辱、ビザンツ帝国
【書名・タイトル名】「地理と地形で読み解く世界史の疑問55」
【著者・作者】関真輿編著
【発行元・サイト】宝島新書
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本文
第1章 文明の起こりと帝国の誕生
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★「カノッサの屈辱」
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「カノッサの屈辱」とは、1077年にドイツ王ハインリヒ4世が、ロー
マ教皇グレゴリウス7世によって破門されたことに対し、カノッサ城で許
しを請うた事件を指します。
この事件は、教皇権が皇帝権よりも優位であることを象徴する出来事とし
て知られています。
今日では、「カノッサの屈辱」という言葉は、強制的に謝罪させられるこ
とのたとえとして使われることもあります。
詳細:
1077年1月、神聖ローマ皇帝ハインリヒ4世は、聖職叙任権を巡る対
立から、ローマ教皇グレゴリウス7世によって破門されました。
当時、ハインリヒ4世はドイツ諸侯との権力闘争を抱えており、破門は王
位を脅かす事態でした。
そこで、ハインリヒ4世は、イタリア北部カノッサの城に滞在していた教
皇を訪ね、雪の中を3日間裸足で立ち続け、謝罪と許しを懇願しました。
この事件は、教皇権が皇帝権よりも優位であることを世に知らしめる出来
事となり、ヨーロッパにおける教皇権の絶頂期を象徴する出来事として歴
史に刻まれました。
また、「カノッサの屈辱」という言葉は、今日では、強制的に謝罪させら
れることのたとえとして使われることがあります.
関連する出来事:
聖職叙任権闘争:
カノッサの屈辱は、聖職叙任権を巡る争い(聖職叙任権闘争)の中で起き
た出来事です。
グレゴリウス改革:
グレゴリウス7世は、教皇の権威を高めるための改革を推進しており、カ
ノッサの屈辱はその一環として行われました
★「ビザンツ帝国」
Search Labs | AI による概要
ビザンツ帝国は、ローマ帝国の東半分が、西ローマ帝国滅亡後に東ローマ
帝国として独立した国です。
395年に成立し、1453年にオスマン帝国に滅ぼされるまで、約11
00年間続きました。
ギリシャ文化とキリスト教文化を融合させた独自の文化を築き、中世ヨー
ロッパに大きな影響を与えました。
別名、東ローマ帝国とも呼ばれます。
ビザンツ帝国の特徴:
ローマ帝国の後継国家:
ローマ帝国の東半分を領土とし、その文化や制度を引き継ぎました.
首都コンスタンティノープル:
繁栄した文化都市であり、東西貿易の中継地として栄えました.
独自の文化:
ギリシャ文化とキリスト教文化を融合させ、ビザンツ美術や建築、神学な
ど独自の文化を形成しました.
長寿の帝国:
約1100年間存続し、中世ヨーロッパの歴史において重要な役割を果た
しました.
オスマン帝国による滅亡:
1453年にオスマン帝国によって滅ぼされ、ビザンツ帝国は終焉を迎え
ました.
ビザンツ帝国の歴史:
成立:
395年、ローマ帝国の東西分裂に伴い、東ローマ帝国として成立.
最盛期:
6世紀のユスティニアヌス帝時代に、旧ローマ帝国の領土を一部回復し、
最盛期を迎えました.
衰退:
11世紀以降、十字軍やセルジューク朝の侵攻により衰退し、領土を失い
ました.
滅亡:
1453年、オスマン帝国によってコンスタンティノープルが陥落し、滅
亡しました.
ビザンツ帝国の影響:
中世ヨーロッパ文化への影響:
ギリシャ文化、キリスト教文化をヨーロッパに伝え、中世ヨーロッパの文
化形成に大きな影響を与えました.
東欧・ロシアへの影響:
東欧やロシアの文化、宗教、政治体制に大きな影響を与え、正教会の中心
となりました.
法制度:
ローマ法大全の編纂は、後のヨーロッパ法制度に大きな影響を与えました.
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