橋爪大二郎×大澤真幸対談 「ふしぎなキリスト教」 講談社現代新書 第一部 ー6- 偶像崇拝の禁止
【書名・タイトル名】「ふしぎなキリスト教」
【著者・作者】橋爪大二郎×大澤真幸対談
【発行元・サイト】講談社現代新書
【参考URL】
本文
第1部 一神教を理解する
アブラハムの子孫以外には預言者が現れない
⇒ユダヤ民族が神の選ばれた証拠
多神教
⇒人間中心の神
一神教
⇒神中心ー人間(預言者)との対話
⇒不可解出ることをそのまま受け入れることが神との正しい関係
一神教のGodは本当に超越的な神、全知全能の神であることを受け入れるかどうか
⇒この世界のすべての出来事の背後に唯一の原因がある
⇒すべての原因は神である
Godには意思があり、言葉がある
⇒世界は言葉によってつくられた
⇒ユダヤ民族を意思を持って選んだ
⇒言葉でもって預言者と対話した
Godとの不断のコミュにケーションが大事
⇒「祈り」
⇒一神教独特のもの
⇒人生の理不尽な出来事はすべて試練であると考える
⇒それに対し、どう考え、どう行動するか、すべて見ている
⇒「アーメン」=その通り、異議なし、という意味
ヨブ記
対話が可能であることが信仰
原因がないのに悪い出来事が起こるのが試練
サタンというのは「反対者」「妨害者」という意味で、神への信仰を検証する存在
ヨブの運命はユダヤ民族そのもの
創世記の説明
この世界が不完全なのは、楽園ではないから。
そして人間に与えられた罰だから。
不完全な世界を神様の意志に反しないように正しく生きていくのが人間の務め。
神様と常に対話すること
世の中が自分にとって厳しく不合理に見えるほど対話は重要
これが試練という意味
試練とは、現在を将来の理想的な状態
過渡期なプロセスだと受け止め、言葉で認識し、理性で理解し、それを引き受けて生きるということ
信仰はそういう態度を示す
信仰とは、不合理なことをあくまで合理的に、自分に都合の悪いことを、Godとの関係によって解釈していくという決意
なぜ偶像を崇拝してはいけないのか
偶像は、間違った神様
神とは、存在の中の存在、最も強烈に存在するもの、普通の存在者を超えて存在するもの
古代にいろいろな宗教が出そろった→ユダヤ教、キリスト教、イスラーム教、仏教、儒教
⇒自然崇拝の多神教と対立、神々の否定
環境変化による民族移動、民族移動による民族存続の危機、大国・帝国の発生、変化の中で社会、共同体が崩壊していく危機があり、そこからいろいろな宗教が発生した
ヤハウェは宇宙の外に存在している
ヤハウェは神々を創るはずはない
神々を作ったのは、人間
人間が作ったものを拝むから、偶像崇拝になる
人間のつくった神々を放逐
⇒一神教、仏教、儒教=信仰する人間の数から世界標準
世界は一度壊れた(大洪水)
⇒再建された(ノアの一族)
⇒再建したのは宗教
⇒文明を作った
偶像がいけないのは、偶像を作ったのが人間(原罪のある)だから
出エジプトのころまで、ヤハウェには姿がなかった
バビロンの捕囚以降、戦争神から格上げされ、天地を創造した全知全能の神になった
対話をする必要性から人間の似姿になった
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