表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
18/107

神野正史著「移民で読み解く世界史」ー14- 現代 イギリス・フランス・ドイツ

【書名・タイトル名】「移民で読み解く世界史」


【著者・作者】神野正史


【発行元・サイト】イースト・プレス


【参考URL】



本文



第5章 そして、現代ヘ・・・

 現在、リアルタイムで移民問題に悶絶する国々



●移民によって生れた英・仏・独は、移民によって悶絶し、亡びに向かう



☆イギリス


3000年前 ブリテン島に人類が入植

紀元前2600年頃 ケルト人の楽園となる

4世紀 ゲルマン民族の大移動

5世紀 アングロサクソンの移民

⇒アングロサクソンに押され、ケルト人は移動する

 北=スコットランド人 

 西=ウェールズ人

 南=ブルターニュ人

 北の海の向こう=アイルランド人

⇒民族紛争の要因



★「イギリスの民族紛争」

 Search Labs | AI による概要

 イギリスにおける民族紛争の代表例として、北アイルランド問題(北アイ

 ルランド紛争)が挙げられます。

 これは、北アイルランドの帰属をめぐるイギリスとアイルランドの領土問

 題、地域紛争を指します。

 この紛争は、プロテスタント系ユニオニストとカトリック系ナショナリス

 トの間で激しい対立を生み出し、多数の死者を出しました。

 北アイルランド問題は、イギリスが抱える最も深刻な民族紛争の一つです。

 この紛争は、宗教的な対立、差別問題、領土問題が複雑に絡み合い、長年

 にわたって激しい暴力衝突を招きました。

 幸い、1990年代後半以降、和平プロセスが進み、紛争は終結に向かっ

 ていますが、その影響は今も残っています。



☆フランス


~紀元前1千年紀=ケルト人

紀元前1千年紀=ローマの侵攻=ラテン化

紀元後4世紀=ゲルマン民族の侵攻=ゲルマン化

紀元後5世紀=またケルト人の侵攻


移民と混血によってできた国


1830年 アルジェリア侵攻=黒人の移民



★「アルジェリア フランスの植民地支配」

 https://www.y-history.net/appendix/wh1402-027.html

 1830年、フランス復古王政のシャルル10世はアルジェリア出兵を強

 行、占領した。

 シャルル10世は王政に対する民衆の不満をそらすために海外派兵を実行

 し人気を得ようとした。

 アルジェリアは地中海を挟んだフランスの対岸に位置し、多くのフランス

 人が入植者として移住し、現地のアラブ人やベルベル人を低賃金で雇って

 大農園などを経営し、コロンといわれたその子孫たちは富裕層を形成した。

 首都アルジェの中心部はフランス人居住区でパリ風の高級店舗が並び、郊

 外には「カスバ」といわれる貧民窟が広がるという格差が大きくなってい

 った。


第1次第2次世界大戦後

⇒少子化、深刻な労働力不足

⇒移民の受け入れ


後先を考えない近視眼的な政策は国や民族を亡ぼす

「移民政策」は手を出してはいけない政策


 ◎移民の法則⑮

「移民の受け入れ政策は、”禁断の果実”。一見おいしそうに見えても甘いのはほんの一瞬、すぐに苦みに変わり、解毒剤のない猛毒となって全身に回る」


⇒移民政策の結果、永久に解決できない塗炭の苦しみにあえぐこととなる

⇒移民たちは移民だけの共同体を作りたがる

⇒排斥運動や犯罪などが頻発し、テロや紛争の原因にもなる



☆ドイツ


紀元前2000年頃、北欧に入植

紀元前8世紀ごろ、ライン川畔に移住

12世紀、プロイセン地方に拡大


このころのドイツ地方は「神聖ローマ帝国」(第1帝国)

帝国の衰退期でドイツ地方は分裂状態

⇒民族の宿願・・・天下統一

⇒ビスマルクが成し遂げる(第2帝国)

⇒第1次大戦に敗戦、ポーランドの割譲

⇒A・ヒトラーの登場、帝国を創立(第3帝国)

⇒第1次大戦の敗退、国内は混乱状態

⇒国内をまとめるためにホロコーストを起こし、国民の目をそらす

⇒戦前はヒトラーによる「極端な排他的民族主義」

 戦後は「極端な多文化主義」

⇒極端に走ると苦しむことになる

⇒政治に「理想論」「極論」を持ち込めば、必ず破綻する

⇒移民の衣食住はドイツの血税、移民側は当然のことととらえる

⇒移民の排斥運動の勃発、移民側によるテロ、テロに対する報復



★「ドイツ 第一帝国」

 Search Labs | AI による概要

 ドイツ第一帝国は、一般的に神聖ローマ帝国を指します。

 これは、962年から1806年まで存在した、ヨーロッパの神聖ローマ

 帝国のことです。

 一方、1871年にビスマルクによって統一されたドイツ帝国は、第二帝

 国と呼ばれます。

 ナチス国家は、第三帝国です.

 詳細:

 神聖ローマ帝国 (962-1806):

 ドイツの歴史において、初めて帝制を採った国家です。初代皇帝はオット

 ー1世で、ローマ皇帝を称していました.

 ドイツ帝国 (1871-1918):

 ビスマルクの「鉄血政策」によって、プロイセンを中心にドイツが統一さ

 れ、成立しました。

 初代皇帝はヴィルヘルム1世です.

 ナチス国家 (1933-1945):

 ヒトラーの独裁体制のもと、第三帝国を称しました.

 まとめ:

 「ドイツ第一帝国」は、通常、神聖ローマ帝国を指します.

 ビスマルクによって統一されたドイツ帝国は「第二帝国」と呼ばれます.

 ヒトラーのナチス国家は「第三帝国」と呼ばれます.



趣味は読書、競馬、阪神タイガース。

他のサイトでは競馬や社会学、阪神タイガースに関するブログもやっています。

良ければそちらも覗いてください。

検索は「長坂総研」「競馬原論」でお願いします。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ