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神野正史著「移民で読み解く世界史」ー11- 近世 14世紀寒冷化

【書名・タイトル名】「移民で読み解く世界史」


【著者・作者】神野正史


【発行元・サイト】イースト・プレス


【参考URL】



本文



第4章 近世の幕開け

 14世紀以降、中世的な要素が一斉に消えていったその背景には・・・



●14世紀に襲い掛かった最後の寒冷期が「中世」にとどめを刺し、「近世」を生んだ



モンゴル帝国から欧州に流れてきた人

戦闘民族遊牧民→欧州半島で狩猟民族に変化

・欲しいものがあれば武力で奪えばよい

・労働は奴隷を狩り、奴隷にやらせる


14世紀以降、寒冷化の始まり



★「14世紀の寒冷化」

 Search Labs | AI による概要

 14世紀は「小氷期(Little Ice Age)」と呼ばれる寒冷化が始まった時期

 です。

 14世紀は中世の温暖期(Medieval Warm Period)から小氷期への移行期

 で、寒冷化、天災、疫病流行、政治変動など、様々な問題が複合的に発生

 した時期でもあります。

 「14世紀の危機」:

 寒冷化や天災の頻発、疫病流行ペストなど、そしてそれらに伴う政治

 変動(モンゴル帝国の崩壊など)を複合的に捉えた概念です。

 小氷期と大航海時代:

 小氷期は、気候変動が歴史に大きな影響を与える一例として知られていま

 す。

 14世紀の寒冷化は、大航海時代の到来に影響を与えたとも言われていま

 す。

 補足:

 小氷期は、氷河が拡大し、農業が難しくなったなどの影響を与えました。



欧州

・封建制を基礎とした政治体制・社会体制・経済体制の崩壊

・教会権威の失墜


対してアジアでは

東アジア

明・清帝国の君臨

南アジア

ムガール帝国の君臨

西アジア

オスマン帝国の君臨

と安定していた

 「帝国の平和」



★「中世封建制の崩壊」

 Search Labs | AI による概要

 中世封建制の崩壊は、複数の要因によって進行しました。

 貨幣経済の発展、黒死病の流行、そして市民革命が主な要因として挙げら

 れます。

 これらの要因によって、封建的な土地所有と農奴制が崩れ、新たな社会構

 造が形成されました。

 中世封建制の崩壊要因:

 1. 貨幣経済の発展:

 12世紀頃から貨幣経済が普及し、農民が領主に貨幣地代を支払うように

 なり、領主の収入源も変化しました。

 これは、荘園制の機能や、領主と農民の関係を変化させ、封建制度の基盤

 を揺るがしました。

 2. 黒死病の流行:

 14世紀半ばに黒死病ペストが流行し、人口が大幅に減少しました。

 これにより、農民の不足が深刻化し、農民の立場が強まり、領主は労働力

 を確保するために農奴解放を迫られるようになりました。

 3. 市民革命:

 17世紀以降、市民革命が勃発し、封建的な権力構造に挑戦し、封建制の

 廃止を求める声が高まりました。

 これらの要因により、中世ヨーロッパの封建制は徐々に崩壊し、資本主義

 社会へと移行していきました。

 具体的な崩壊過程:

 農奴解放:

 黒死病の流行や貨幣経済の発展により、農民の立場が強まり、農奴解放が

 進みました。

 荘園制の崩壊:

 貨幣経済の発展により、領主は現金収入を求めるようになり、荘園制は機

 能しなくなりました。

 王権の伸張:

 封建制の崩壊とともに、王権は伸張し、中央集権的な国家が形成されまし

 た。

 市民階級の台頭:

 商業の発展により、市民階級が台頭し、封建制の廃止を求める声が高まり

 ました。

 中世封建制の崩壊は、単一の要因ではなく、複数の要因が複合的に作用し

 た結果として起こったと言えます。


★「明帝国」

 https://www.y-history.net/appendix/wh0801-004.html

 1368年、朱元璋が建国した漢民族の王朝。

 靖難の役で実権を握り、1402年に皇帝となった永楽帝の時代、都を南

 京から北京に遷し、紫禁城を造営し、全盛期となる。

 皇帝専制体制を作り上げ、経済も発展し、漢民族の文化が隆盛期を迎え、

 広大な朝貢世界を支配した。

 15世紀後半からモンゴル人の侵攻を受け、16世紀には北虜南倭に苦し

 み、次第に衰退。

 17世紀には北東から清の侵攻を受け、1644年に李自成の反乱によっ

 て滅亡する。


★「清帝国」

 https://www.y-history.net/appendix/wh0802-000.html

 17~20世紀初頭まで、女真(満州人)が中国を支配した征服王朝。

 17世紀後半の康煕帝、18世紀の雍正帝・乾隆帝の時代に最盛期となり、

 その領土を拡張し、現在の中国領の原型を作った。

 19世紀前半から欧米列強の侵入が顕著となり、1840年のイギリスと

 のアヘン戦争を境に半植民地化の道をたどる。

 また末期には太平天国の乱の大乱があり、国力を衰退させ、また19世紀

 後半からは資本主義列強の侵略を受け、たびたびの改革にも失敗して、1

 911年の辛亥革命で倒れ、中国最後の王朝となった。


★「ムガル帝国」

 Search Labs | AI による概要

 ムガル帝国は、1526年から1858年にかけて存在した、インド史上

 最大にして最後のイスラム王朝です。

 バーブルによって建国され、アクバル帝の時代に基礎が確立、アウラング

 ゼーブ帝の時代に最盛期を迎えました。

 その後、内乱や西欧勢力の進出により衰退し、インド大反乱をきっかけに

 イギリスに滅ぼされました。

 ムガル帝国の歴史的意義:

 ムガル帝国は、インドの歴史において重要な役割を果たしました。

 特に、アクバル帝の時代には、イスラム文化とヒンドゥー文化の融合が進

 み、インドの文化に大きな影響を与えました。

 また、ムガル帝国の衰退は、インドがイギリスの植民地化へと進むきっか

 けとなりました.


★「オスマン帝国」

 https://www.y-history.net/appendix/wh0803-009_1.html

 14~20世紀初頭まで存在したイスラム教スンナ派の大帝国。

 小アジアからバルカン半島、地中海にも進出、君主であるスルタンが教主

 カリフの地位を兼ねる体制をとり、イスラーム教世界の盟主として16世

 紀に全盛期を迎え、ヨーロッパ=キリスト教世界に大きな脅威を与えた。

 17世紀末からヨーロッパ諸国の侵攻、アラブ諸民族の自立などによって

 領土を縮小させ、次第に衰退してた。

 19世紀、近代化をめざす改革に失敗、第一次世界大戦でドイツと結んだ

 が敗れ、1922年に滅亡した。



ユーラシア草原から欧州半島にかけては貧しい土地柄

⇒寒冷期の人々の生活はかなり厳しい

⇒”中世社会へのアンチテーゼ”の発生

⇒ルネサンス

⇒絶対王政


資本主義の発生

⇒絶対王政の危機感

⇒「欲しいものは外から奪う」の精神

「シルクロードの発展」

・火薬

・活版印刷術

・羅針盤

の伝播・導入


モンゴル帝国の大運搬時代

⇒ヨーロッパの大航海時代


 ◎移民の法則⑩

「移民は移民先の国と民族と文化を破壊するが、移民(植民)側が武力において優越しているとき、破壊はさらに凄惨となる」



★「ルネサンス」

 Search Labs | AI による概要

 ルネサンスは、14~16世紀にかけてイタリアで始まり、西ヨーロッパ

 に広がった文化、芸術、思想の運動です。

 中世の教会中心の世界観から、人間中心の世界観へと移行するきっかけと

 なり、古典文化への関心が高まり、新しい芸術や学問が発展しました。

 ルネサンスは、単に文化運動としてだけでなく、ヨーロッパの歴史におい

 て中世から近代への転換期を象徴する重要な出来事として捉えられていま

 す。

 ルネサンスの広がり:

 ルネサンスは、イタリアで始まりましたが、やがて西ヨーロッパ各地に広

 がり、フランス、ドイツ、イギリス、ネーデルラントなどでも独自の文化

 や芸術が発展しました。

 ルネサンスは、ヨーロッパの歴史において、重要な転換期を象徴する出来

 事として、現在もその影響を強く残しています。


★「絶対王政」

 Search Labs | AI による概要

 絶対王政とは、16世紀から18世紀にかけてヨーロッパで盛んだった政

 治体制で、国王が絶対的な権力を持つことを指します。

 国王の権力は、教会や貴族からの制約を受けず、神から直接与えられたと

 主張する王権神授説に基づいています。

 絶対王政は、封建社会が解体し、近代国家が形成される過渡期に現れまし

 た。

 国王は、官僚制と常備軍を整備し、重商主義を推進することで、政治や宮

 廷の費用を賄い、権力を強化しました。

 絶対王政の代表的な例としては、フランスのルイ14世やイギリスのエリ

 ザベス1世などが挙げられます。

 絶対王政は、市民革命によって倒され、近代国家へと移行しました。

 絶対王政の限界:

 ・民衆の苦境:国王や貴族の富が集中し、民衆は貧困に苦しんだ。

 ・重商主義の限界:重商主義は、商業資本の独占的支配を強化し、産業の発

 展を阻害した。

 ・市民革命:絶対王政の圧政に対する不満が高まり、市民革命によって倒さ

 れた。


★「大航海時代」

 Search Labs | AI による概要

 大航海時代は、15世紀から17世紀にかけて、ヨーロッパ諸国が大規模

 な海路航海を始め、新大陸やアジアに到達し、植民地化を進めた時代を指

 します。

 特に、ポルトガルとスペインが先頭を走りました。


 https://www.y-history.net/appendix/wh0901-001.html

 15世紀~17世紀、ヨーロッパ人によるインド航路や新大陸到達などに

 よって、世界の一体化が進んだ時代。

 ポルトガルとスペインが先鞭を付け、当時形成されつつあったヨーロッパ

 の主権国家、オランダ、イギリス、フランスが続いて海外進出を進めた。

 背景には香辛料貿易の利益の拡大を求める北イタリア商人の商業活動、同

 時期に展開されたルネサンスによる新たな知識・技術の獲得、宗教改革に

 よって窮地に立たされたカトリック教会の布教願望などがあった。

 このヨーロッパ勢力による大航海の展開はアフリカ、アジア、南北アメリ

 カ新大陸への進出の始まりであり、それらの地域にも大きな変動をもたら

 し、中世から近代への移行期(現在の時代区分では「近世」と捉えられて

 いる)となった世界史的な動きであった。

趣味は読書、競馬、阪神タイガース。

他のサイトでは競馬や社会学、阪神タイガースに関するブログもやっています。

良ければそちらも覗いてください。

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