神野正史著「移民で読み解く世界史」ー6- 騎馬民族モンゴル
【書名・タイトル名】「移民で読み解く世界史」
【著者・作者】神野正史
【発行元・サイト】イースト・プレス
【参考URL】
本文
第2章 騎馬民族の猛威
騎馬民族が現れたことにより世界史は新しい段階に入った
●気候の温暖化が本格化したことがユーラシアの東で武帝を、西でカエサルを生んだ
匈奴族=モンゴル高原で生まれた騎馬民族
「騎馬」を武器として中国に侵攻を繰り返す
⇒温暖化の影響
冒頓単于によるモンゴル高原の統一
★参考「冒頓単于」
https://www.y-history.net/appendix/wh0401-018.html
前3世紀末から前2世紀初頭の匈奴帝国最盛期の単于。
父の頭曼単于を殺して単于の位につき、秦に奪われた地を回復し、月氏を
討って西方に敗走させ、広大な帝国を完成させた。
モンゴル草原の中央に本営を置き、それより東を左、西を右として、左賢
王・右賢王などを置いて分治させ、騎馬と騎射にすぐれた30万以上の騎
兵兵力を有していた。
侵攻された中国の王朝・漢王朝は匈奴族を迎え撃つ戦いを行う
⇒白登山の戦いにて漢軍が敗退
⇒初めて戎に属国扱いされた
中央アジアを激震させる大民族移動の発端となった
⇒漢からの資金をもとに西欧に攻め込む
⇒その影響は次から次へと民族移動を起こさせ、民族を混乱させることになる
⇒バクトリア王国を亡ぼす結果となる
⇒中央アジアから北インド地方にクシャーナ朝が大帝国を築く
⇒クシャーナ朝は仏教を保護し、大乗仏教(念仏・偶像崇拝・修正済度)を生んだ
⇒仏教の大衆化、世界宗教へと拡大
★参考「白登山の戦い」Wiki
紀元前202年に劉邦が中原を統一して漢を建てた(高帝)。
統一の翌紀元前201年に高帝は韓王信を太原郡の故地に封じ、晋陽(現
在の太原市)を守らせたが、同年に冒頓率いる匈奴の軍が万里の長城を越
えて馬邑に攻め込んだ。
迎撃に向かった韓王信を包囲し、韓王信を降伏させた。
これに怒った高帝は親征して晋陽を攻め落としたが、弱兵を表に出して誘
引するという匈奴の策略に引っかかって、さらに追撃してしまい、平城
(現在の山西省大同市)近くの白登山(中国語版)(現在の大同市雲州区)
で匈奴の大軍に包囲された。
高帝は陳平からの献策を受けて、この危機を何とか脱出した。
この戦いにより匈奴の強さを知った高帝は紀元前198年に劉敬を匈奴に
派遣して和約を結んだ。
①漢と匈奴は兄弟となる。
②漢の公主を匈奴単于の閼氏とする。
③毎年、漢から匈奴へ贈り物をする。
などの条項が取り決められた。
この和約後に何度か匈奴が漢の領土に侵攻し、再び和睦するということが
繰り返された。
この状況が動くのはおおよそ60年後の武帝の代になる。
★参考「バクトリア王国」
https://www.y-history.net/appendix/wh0101-121.html
中央アジア、現在のアフガニスタン北部のアムダリア川上流域をバクトリ
ア地方という。
アケメネス朝ペルシアの領土であったが、前3世紀、アレクサンドロスが
征服し、バクトリア王国を建設、ギリシア人を入植させた。
ヘレニズム諸国の一つとしてのバクトリア王国のもとでギリシア文明とイ
ラン文明の融合が進み、インドからの仏教も受け入れた。
前139年にスキタイ系遊牧民トハラ人によって滅ぼされ、その後バクト
リアにはイラン系大月氏国の支配が及んだ。
★参考「クシャーナ朝」
https://www.y-history.net/appendix/wh0201-051.html
古代インド(近代前)の紀元1世紀中頃、中央アジアから北インドにかけて
支配を及ぼしたイラン系の国家。
東西交易の大動脈を抑えて繁栄した。
2~3世紀ごろの統治者カニシカ王は、前3世紀のマウリヤ朝のアショー
カ王と並んで仏教の保護にあたった王として知られている。
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