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淡くて苦いピンク  作者: 猫野耳子
17/21

17, 救世主

 じめじめした天気に、湿気でうねる髪。なんとも気分の上がらない梅雨の時期になった。昨日から降り続く雨は早朝から次第に強まり、風と共に駅のホームに吹き込んでくるようだ。さくらは、雨粒を浴びないようホームの中央に避難して電車を待っていた。髪は広がるし、化粧はヨレそうだし、買ったばかりのヒールが汚れる。さくらは、そんなどんよりした気分も忘れてしまうように、SNSの画面をスクロールして更新し続ける。


 通勤電車の混雑した電車内でも関係ないというように、その手は止まらず、スマホの画面を注視し続ける。毎日のように更新される飲み友達の近況をチェックしては、我先にといいねを押す。自分の投稿についたコメントには、すぐ返信を返す。そういう微妙な関係性が、友情の良し悪しを決めるような気がするからだ。


 SNSはコミュニケーションツールというだけでなく、情報源として何より重要だ。港区で今話題の店、誕生日ケーキのデコレーションが可愛い最新のお店、そういうのを、誰より先に仕入れてくる奴は重宝される。だから、日中働いているさくらは、こうして隙間時間に必死に情報を追う。


 そして、さくらは最近、もっと気軽に港区の飲み会に参加するようになった。それはホムパの時もあれば、会員制のバーだったり、こじゃれたクラブだったりする。基本的に女の子はお金を出さず、むしろタクシー代が渡されることが多い。でも、港区のサトルの家に帰るさくらはタクシーには乗らない。それで潤った分自分に投資して、着飾って、SNSに映える自分を研究して……。そんな楽しいキラキラライフを謳歌している。


 はっと気付けば職場の最寄り駅だった。もう、スマホから離れなければならない時間が近づいている……。みんなみたいに暇だったら……。ちゃんと正社員で働いているというのは、さくらのひとつのマウントだ。だが、中途半端に芸能生活を送る彼女たちは、なんやかんやハイスぺを捕まえて専業主婦にでもなるんだろうと思うと自分が虚しくなる。


 狭い電車に詰め込まれた人込みの中をかき分けて、電車を降りる。今にも雨が降りそうな曇天の中を、重い足取りで歩く。スタスタと軽快に歩く新入社員が、さくらを追い越していく。すれ違いざまに「おはようございます」と挨拶されたが、適当に会釈して返す。四月の入社当時は、まだ学生の空気感が抜けずほわほわしていた彼らだが、徐々に魚の死んだ目になって社会の荒波に流され始めた。だが、もはやそんなことにも興味は無い。


 会社に着くと、上着をかけてデスクに向かう。田中さんからメールが来ている。


『お昼ご飯を一緒に食べながら二人でミーティングしましょう』


 田中さんとミーティング……?さくらは、言わんとしていることが分かってしまったが、ここは素直に従うほかない。嫌だな……。直接言わずにメールで言われるところが余計に嫌な感じがした。


 お昼の時間になった。さくらはコンビニで買った弁当を持って、小さな会議室に向かう。田中さんは、にこやかな笑顔ですでに待ち構えていた。


「青山さん、最近お弁当作らなくなったのね」


 世間話から始めるようだが、やはりそうゆう方向の話だというのは分かった。田中さんはにこやかだが、少し寂しそうな目をしている。


「すみません、職場の皆さんには迷惑かけてないと思ってるんですけど。勤務態度悪いですか?」


 棒読みのセリフみたいに冷めたトーンで、雑に本題を振る。田中さんは少し驚いたような反応をして、言葉を慎重に選んだ。


「うーん……迷惑とかじゃないんだけど、みんな心配してるのよ。高橋さんと仲良くなって、青山さんもちょっと派手になったというか……」

「私だって、おしゃれしたくなったり、イメチェンしたくなったりしますよ。高橋さんが悪いみたいじゃないですか」

「いや……高橋さんを悪く言いたいわけじゃないのよ。でもね、出勤する時間も遅くなったし、あんなに積極的に働いてくれてた青山さんが急にモチベーション無くしちゃったみたいで、どうしたのかなって周りの人は思っちゃって」

「自分の仕事はちゃんとやってますよ。もっと雑用もやれってことですか?」

「今までの青山さんだったら、そんなことも言わなかったわ」


 田中さんは、今にもキレそうだ。二人だけの会議室に、きまずい緊張感が流れる。


「興味無いのかもしれないけど、今まで青山さんがしてくれてた朝の細かい仕事だって、馬淵さんがやってくれてるのよ……?」


 それがなんだ。仕事なんて、いくらでも代わりがいる。そんなものだ。別にさくらの仕事だったわけでもないし、雑用を進んでやる人が偉いなんて決まりもない。


「私の代わりなんて、いくらでもいますよ」


 さくらがあまりにも態度を変える様子が無いので、田中さんは諦めモードになった。


「とにかく、今まで私たちも青山さんに頼りすぎてたなって反省しているところなの。だから青山さんも、また前向きに仕事できるように、ちょっと意識を変えてもらえると嬉しいかな?そうゆうことで、今回はお開き。これは別に指導とかじゃなくて、個人的にちょっと話したかっただけだから……」


 それから、二人は無言で弁当を食べた。コンビニ弁当の冷たいご飯は、味がしなくて、粒どうしがごわごわくっついて食べにくかった。


 午後の仕事も適当に終え、定時で帰宅の準備を始める。田中さんは何か言いたげにこちらの様子を気にしていたが、無視した。


 帰りの電車の中で、サトルにメッセージを送った。今日の愚痴を言いたいのだ。


『今日先輩に怒られてウザかった』

『心配してるとか言って、私生活に干渉しないでほしいんだけど』

『まじ雑用やらせたいだけムカつく……!』


 すぐ返信は来ないだろうということは分かっている。が、気分のまま立て続けにメッセージを送信する。


『怒られちゃったのか。大丈夫?』


 めずらしく、すぐ返信が来た。


『大丈夫だけど、気分悪い。今日飲まない?』

『悪い、今日は終電ギリギリかな。土曜とか空いてない?』

『え、空いてるけど……』

『よかった。じゃ土曜どっか行こう』


 やったあ。昼間に二人で出かけようなんて珍しい。さくらは、サトルからの思わぬ誘いに気分が少し晴れた。

 やっぱりサトルはわたしの救世主だな……。土曜は何を着ていこう?ネイルは新しくしようかな。そんなことを考えながら、電車に揺られて最寄り駅に到着した。

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― 新着の感想 ―
[一言] さくらの変化が止まりませんね……(´・ω・`) サトルは何を考えているのでしょう。 さくらのことを大切にしてくれればと思いつつ、本心がわからないのでドキドキします。 続きも楽しみにしています…
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