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わたしと憧れのお姉ちゃん  作者: 小林弘二
2/22

2.姉妹の小学時代 後編

 勉強、運動に続いて、音楽に関してもお姉ちゃんは小学生にして逸話が残っている。


 その逸話を話す前に、わたしたちの家庭環境についてお話しておく。

 父は二〇〇メートルの元日本記録保持者で、現在は大学の陸上のコーチをしている。わたし達が幼少の頃から、走りのコツなどを教えてくれたおかげで、お姉ちゃんは当然だけど、わたしもそれなりに良い走りをすることができる。


 母はオーケストラ奏者でコンサートマスターと言われる立場の人である。ヴァイオリンの首席奏者で、観客席から見ると一番左手前でヴァイオリンを奏でているのがそうである。


 母がオーケストラ奏者ということもあり、家にはヴァイオリンだけではなく、ピアノは当然あるし、趣味で集めたコントラバスやフルート、クラリネット、ホルン、トランペットにサックスと様々な楽器が存在する。当然、家には防音加工された部屋があり、鳴らし放題吹き放題である。


 そんな家庭環境で育ったものだから、わたしたちは幼少の頃から楽器と親しいので楽器を扱うのはお手の物である。ただ、わたしの場合がとりあえず奏でる程度に対し、お姉ちゃんは「とりあえず」の粋を超えて「極め」に来ているのである。


 楽器だけでなく、歌に関しても面白いエピソードがあるので、楽器に関してのエピソードの前にこの話をしようと思う。


 お姉ちゃんは古いレコードを聴くのが好きだ。


 お母さんの部屋を漁って古いレコードを持ってきては、自室のプレイヤーにかけて聴いている。聴いているだけで物足りない時は、防音室に籠もって歌っている。


 学校の遠足でバスで遠出した際、揺られるバスの中でカラオケ大会をするのが定番なのだが、そこでお姉ちゃんはどういうわけか「リンゴの唄」を歌った。


 その時の担任が定年間際の女の先生で、お姉ちゃんのその歌を聴いて泣いてしまったのである。この曲について中学校になってから知ったのだが、この「リンゴの唄」は戦後と復興の象徴の歌らしく、この曲が流れるとその当時のことを思い出す人が多いそうである。


「百合ちゃん、泣けてきちゃうからその歌はやめて」


 泣きながらそう言う先生を見て、お姉ちゃんはこの曲を歌うのは封印しようと決めたらしいけど、その後に同じような「青い山脈」を歌う辺り、小学生が歌うには大分センスがおかしいと思う。


 お姉ちゃん、わたしからのアドバイスだけど、お母さんの部屋にあるレコードを漁るのはやめて、音楽番組を観るようにした方が良いと思うよ。


 楽器に関してのエピソードがある。

 小学校では音楽会というクラスで合唱と合奏を披露する日がある。


 お姉ちゃんが六年生の時、クラス合奏で「アフリカン・シンフォニー」のピアノ伴奏をした他に、特別枠としてソロで「剣の舞」をヴァイオリンで演奏したのだ。


 自分の実力を試したいからと先生に掛け合ったそうで、それは注目されることが苦手なお姉ちゃんにしては珍しいことである。


 テンポ、リズム、抑揚の表現は小学生レベルではなく、そのコンクールレベルの演奏に周りの生徒たちはぽかんと口を開け唖然とし、参観した保護者たちはそれはもう凄い拍手で評価を表していた。


 お姉ちゃんが音楽を本格的に学びたいと思い始めたのは、恐らくこの音楽会での披露がきっかけだったのだとわたしは思う。


 お姉ちゃんの凄さが分かったところで、わたしはどうなのかというこの流れは、正直悪意があると思う。勉強、運動とお姉ちゃんの話題で上げてから、わたしの話題で叩き落とす今までの流れを見れば、音楽も同じように落とすのは目に見えていると思う。ただ運動と同様、思いのほかお姉ちゃんに食いついていくのである。


 飽きっぽい性格から分かる通り、楽器を極めることはしないが、大抵の楽器は普通に奏でる程度までは扱える。広く浅くだ。


 ピアノもそれほど上手ではないが弾けるものだから、音楽会ではピアノ伴奏をしたし、五年生の時の音楽会でミュージカルを披露した時には主役を務めた。


 お姉ちゃんが六年の時にヴァイオリンのソロ演奏をしたのに対抗して、わたしは楽器の中で唯一得意と言って良いピアノの演奏を披露した。ショパンの「幻想即興曲」だ。五分間のその一曲を覚えるのに一年近くかかった。半分意地で覚えた。それはお姉ちゃんのようになりたいと思う意思がそうさせたのだろうと思う。


 その甲斐もあって、音楽会で披露した時にはあの時のお姉ちゃんのように拍手で包まれ、やりきった感はあったがそれ以上のものを得ることはなかった。


 そう、お姉ちゃんのように音楽を本格的に学びたいと思う気持ちは。


 わたしは何でもできるお姉ちゃんのようになりたかったのではなく、憧れのお姉ちゃんが輝いている姿をただ見ていたかったのだと、六年生ながら感じたのだった。


 ただ、ピアノがそれなりに弾けることで得をしたこともある。好きなゲーム曲を弾くことができたことだ。


 小学校では各教室に足踏みオルガンが教卓代わりに置いてあり、生徒たちは思い思いに弾けるのである。マリオやゼルダ、ドラクエにグラディウスなどのゲーム曲を耳コピしては昼休みに披露するものだから、クラスの男子には受けが良かった。今思うと、その情熱をクラシックを覚えることに注げば、もっと万人受けの良い曲が弾けるようになったのではないのかと思う。


 ここまでお姉ちゃんに比べ以下に劣っているかという話をしていたが、唯一お姉ちゃんより勝っているものがある。


 コミュニケーション能力、略してコミュ力である。

 お姉ちゃんは話すのがそれほど好きではない。勉強に運動に音楽にと学ぶことに重点を置いた結果、友達付き合いを疎かにしていたのだ。


 その点、わたしはたった十五分の休み時間に友達と校庭へ繰り出し遊具で遊び、学校帰りでは友達と街へ行ったり家に遊びに行ったりと大忙し。


 この差がわたしとお姉ちゃんの間に、性格の大きな違いを生み出したのである。


 お姉ちゃんは誰にでも優しく思いやりのある素敵な女性ではあるが、必要以上の言葉は喋らず、余り自己主張しない性格なのに対し、わたしは口を開けば気が済むまで喋り続けるタイプである。そして男女隔てなく仲が良く、学級委員長を自ら務めるほど自己主張の強い性格だ。


 この性格の差が男女関係を含めて、わたしたち二人が向かう青春のベクトルは全く別の方へ向くのである。


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