19.見えない道
さて、九月になり、お姉ちゃんが目標としていた音楽コンクールの声楽部門が始まった。
声楽部門はヴァイオリン部門とは異なり、三次予選はなく、二次予選の次が本選である。一次予選は自由曲一曲のみだが、二次予選は自由曲一曲の他に、三曲の課題曲を提出しないといけない。予選当日にこの三曲の課題曲の中から抽選で一曲選ばれ、歌うことになる。つまり、二次予選は三曲の課題曲を歌えるように準備しておかないといけないのだ。
一次予選。お姉ちゃんは問題なく通過し、その一週間後に二次予選に出場する。多くのライバルたちがいるその二次予選も、お姉ちゃんは見事に通過を果たした。
本選はこの二次予選の一か月後の十月に行われる。
これから話す内容は、お姉ちゃんの本選が控えた時の出来事である。
リビングで歌番組を見ていると、風呂上がりのお姉ちゃんにこんなことを訊かれた。
「あなたは将来のこと考えているの?」
そんなお姉ちゃんをわたしは何故突然そんなことを訊くのだろうと言わんばかりの顔で見上げた。
「大学へ進学するかとか?」
「進学もそうだけど、具体的に何になりたいというか、将来の夢というか」
突然将来について訊ねられ、「うーん」と唸りながら考えてみた。考えてみたけど、そもそもわたしはまだ高校一年生だ。
「それを考えるの、まだ早くない?」
肩にタオルを乗せてわたしの隣に腰掛けると、真剣な顔で首を左右に振った。
「将来について考えるのは、早いに越したことないわよ」
「そういうお姉ちゃんは、どうするつもりなの? 当然、音楽関係に進むんだよね」
「そうね。ヴァイオリンのソリストになれればいいけど、お母さんのようにオーケストラ楽員になれればと思ってるわね」
「それは高一の時にはそう思ってたの?」
わたしのその質問に、お姉ちゃんはさぞ当たり前のようにうなずいた。
「音楽の道に進もうと思った中三の時には、もうそんなイメージはあったわ」
「中学の時から」
未だに将来のイメージが沸いていないわたしって遅い方なの? そう思うと何だか不安になってきた。これは周りの意見を聞いてみないことには、心の安寧が保てない。
まず、電話で渚さんに訊いてみたら、
「小百合ちゃん、心配しないで。わたしも遅い方だから」
と、何だか逆に不安になる言葉が返ってきた。
「遅かったけど、美術館の学芸員になろうかなとは思っているよ」
「学芸員?」
「美術館の案内や資料の研究とか企画とかする仕事かな。もともと絵を見るのが好きだったからね」
「しっかりと将来を決めているんだね」
次に樺菜さんに相談したら、
「わたしは機械をいじりたいから、中学の時から工学系大学に行こうと思ってたな」
そう言った。
確かに、樺菜さんと知り合った時から機械いじりをしているかパソコンをいじっているイメージがあるから、その流れで大学もそっち系なんだね。
日曜日に中学卒業以来の神坂さんとカラオケに行った。
一通り歌って二人してドリンクで喉を潤すタイミングで、「ちょっと相談に乗ってほしいんだけど」と前置きをして、神坂さんに将来について考えているかと質問してみたら、「うーん」と悩み始めてしまった。
「まだ何も考えてないなぁ、わたし」
「やっぱり、それが普通だよね」
と同学年に同類がいることに安心した。それでも、神坂さんならどんな道がいいのか考えてみた。たしか高校でも吹奏楽部に入っているし、音楽の道に進むのはいいんじゃないかと思い、そう訊いてみると、
「吹奏楽は好きだけど、わたしぐらいの腕前じゃ音楽の道へ進むのは無理に決まってるよ」
と、諦めたような残念そうな顔でそう言った。
「そういう小百合ちゃんは何かなりたいものってあるの?」
「それが、なりたいものとかってないんだよね」
頭の後ろに腕を回し、ソファーの背もたれに深々ともたれ掛かってぼんやりと天井を見上げた。
「小百合ちゃんは楽器扱うのが上手だから、そっちの方へ進めばいいよ」
「でもね、熱が入らないのよね」
「実力があるのに、勿体ないね。それにしても、どうして突然将来のことを気にするようになったの?」
体を起こしてテーブルのドリンクに手を伸ばす。
「お姉ちゃんに将来について訊ねられたの」
「で、何て答えたの?」
「だから、答えられなかったんだよ。自分の将来なんて想像できないよ」
「わたしは小百合ちゃんが演奏している未来は、容易に想像できるんだけどね」
周囲がわたしに期待する将来とわたしが辿る未来が、必ずしも一緒なのかというと、違うと思うんだよね。
わたしって、本当に何になりたいんだろう。
最終章になります。