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わたしと憧れのお姉ちゃん  作者: 小林弘二
16/22

16.夜の女王 第1話

 その翌年、いよいよわたしはお姉ちゃんと同じ高校に入学し、お姉ちゃんは高校三年生になった。


 ヴァイオリンで一位になったお姉ちゃんは、この年のコンクールでは声楽部門にチャレンジをすることにした。


 お姉ちゃんの歌声はどうなのかというと、学校の合唱ではそのソプラノボイスは郡を抜いて目立っている。


 もともとオペラアリアを聴くのが好きなお姉ちゃんは、大抵のオペラアリアを聴いていて、中でもお気に入りの曲は歌っているほどである。


 そんなお姉ちゃんが音楽教室をヴァイオリンから声楽へと変更した年の話である。



 学校帰り、駅のホームで電車を待っていると仕事帰りのサラリーマンだろうか、二人の男性がこんな会話をしているのが聞こえてきた。


「先輩が、噂の夜の女王を見たそうだよ」

「ついに見たのか?」

「そう。残業帰りの先輩が駅前を通った時に、すごい声量の歌声が聞こえたから近寄ってみたら、ヴァイオリンを伴奏にして若い女性が歌っていたそうなんだよ」

「それにしても、何で夜の女王なんて名前なんだ?」

「なんでも、夜の女王ってオペラか何かを歌ったから、そう名前をつけられたらしい」

「それにしても、いつから見かけるようになったんだろうな」

「もう二週間前からその話が上がっているよな」


 そこまで話していたところで、待っていたホームに電車がやってきた。話はそこで途切れ、わたしはその到着した電車に乗り込んだ。


 そのサラリーマンの会話はただ何となく聞いていただけで、この場限りのこれっきりの会話だと思ったが、その会話を聞いた数日後に友達とマックで談笑していたら、後ろの席の二〇代の女性二人が「夜の女王」と言う言葉を口にして、つい耳をそばだててしまった。


「昨日、ついに夜の女王を見たんだけど、すごい上手だったの」

「美里って確か音大の声楽科の出だったよね。その美里が聴いて上手だったの?」

「あの子、きっとどこかのコンクールに入賞している子だよ」

「若いの?」

「二十歳? もしかしたらもっと若いかもしれない。わたしが聴いたのはプッチーニのオペラ『つばめ』のアリア『ドレッタの夢』だったんだけど、高音と声量が凄いの」

「その人、一人だったの?」

「ヴァイオリンで伴奏をしている男の人とペアだったの。歌が終わった時点で駅員さんが声をかけようとしたら、すごい勢いで逃げちゃったのよ」

「逃げ足早いんだ」

「夜の女王の名の他に、韋駄天の異名もあるらしいよ」


 その話を背後から聞いて、ついクスッと笑ってしまった。夜の女王の他に韋駄天だって。いったいどんな人なのよ。



 家のリビングでお姉ちゃんに「最近、夜の女王が出没しているみたいよ」って話題を出したら、飲んでいた紅茶を吹き掛けていた。


「ちょっと、お姉ちゃん」


 ティーカップを片手にむせているお姉ちゃんを心配して、むせこむたびに揺れているティーカップを受け取った。ついでに一口頂く。


「よ、夜の女王?」


 一度咳払いをした後、わたしからティーカップを受け取りそう訊く。


「なんでも、アリアの夜の女王を歌った事から、そう名付けられたみたいだよ」

「そう」

「夜に現れるみたいだから、良いネーミングだよね」

「そうかしら?」


 そう言って、再び落ち着いた様子で紅茶を飲み始めた。


「あと、韋駄天という異名もあるみたい」


 そう言った途端、「うぐ」とくぐもった声が聞こえ隣を振り返ってみると、お姉ちゃんはティーカップを片手に口元を押さえていた。そのティーカップを持つ左手がプルプル震えている。

 わたしはそのティーカップを両手で持ち、テーブルのソーサーに置いた。


「韋駄天って、なに?」


 どういうことと言わんばかりの顔をして聞いてくるお姉ちゃんに、わたしはそのままの答えを口にした。


「逃げ足が速いんだって」

「ちょっと迷惑かけて後ろめたい所あるから、逃げたくなるよね」


 お姉ちゃんはそう言うとスクっと立ち上がり、「そろそろ部屋に行くね」とぼんやりした様子でリビングを出ていった。


 そんなお姉ちゃんの後ろ姿を見送り、紅茶の残ったティーカップがテーブルに置きっぱなしになっているのを見た。そのティーカップを手に取り、残った紅茶をお姉ちゃんの代わりに飲み干した。


「片付けずに部屋に行くなんて、珍しい」


 夜の女王。

 韋駄天。

 オペラアリア。

 足が速い人。


 まさか、噂の夜の女王って、お姉ちゃんじゃないよね?


 目立つことが嫌いなお姉ちゃんが、そんな事するわけないよね。でも、前に駅前でピアノを弾いていたという前例もあるし。もしそうなら、なぜ何度も歌う必要が?


 夜の女王がお姉ちゃんだったら、ペアになってヴァイオリンを弾いていた人は誰? お姉ちゃんの知り合いでヴァイオリンを扱える人っていたっけ? あのバイト先の誰かが弾けるとか?


 様々な疑問が浮かび上がってくるが、その疑問にはお姉ちゃんが夜の女王であることが前提である。


 まさかと思うけど、お姉ちゃんのバイト先に行って確認してみようかな。


今回短くてすみません。

今回から夜の女王編です。

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