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わたしと憧れのお姉ちゃん  作者: 小林弘二
12/22

12.ヴァイオリン教室の特別講師

 ある日の夜、ヴァイオリン教室から帰ってきたお姉ちゃんがちょっと興奮した様子で話しかけてきた。


「石原泰樹って方、知ってる?」

「石原泰樹?」


 はて、どこかで聞いたことある名前だ。


「ヴァイオリニストで、二一歳なのにコンサートマスターなのよ」

「へえ。お母さんと同じコンサートマスターなんだ。凄いね」


 コンサートマスターとは、オーケストラにおいて指揮者の次に偉い役職で、大抵ヴァイオリンの首席奏者が務めている。


 このオーケストラにおいて二番目に偉い人が二一歳という若さなのは驚きだ。


「その方がね、そこの教室の出の方で特別講師としてきてくれたの」


 その言葉に「へー」としか声が出なかった。だって、別に興味ないもん。わたしだってヴァイオリンは弾けるよ。でも、それだけでお姉ちゃんほどの熱はない。有名なのか知らないけど、実力のあるヴァイオリニストが来たところで、興味なんて沸かないのである。


「とても背が高くてね、パガニーニの『うつろな心』を弾いてくれたんだけど、ピアノ向きの長

い指で弦を弾くピッツィカートは本当に見事でうっとりするほどなの」


 お姉ちゃんの口から男性をここまで褒める言葉なんて聞いたことがないだけに、こちらとしては何だか気分が良くなかった。


「うっとりするほどカッコ良かったの?」

「カッコ良かったからうっとりしてたんじゃなくて、あっ、もちろんカッコ悪いわけじゃなくて……」


 などと何やらしどろもどろになっている。


 うん、先ほどの言葉は訂正しよう。何だか気分が良くないんじゃなくて、わたしは明らかに気分が良くない。

 お姉ちゃんの恋路を邪魔するつもりは毛頭ない。邪魔するつもりはないけど、それには条件がある。


「誰を好きになろうと構わないけど、わたしが認める人じゃないとダメだからね」


 そう言うと、お姉ちゃんは慌てた様子で両手をバタバタと左右に振った。


「そんなんじゃないって」


 それからしばらくして、テレビにその彼が映った。悔しいけど確かにカッコ良い。どうもテレビに出演しているのは、彼がいる弦楽四重奏のグループがコンサートを開くそうで、その宣伝をしていた。


 その彼をテレビで見たせいだろうか、街なかを歩いていると彼を見かけるようになった。あの彼はまさかお姉ちゃんに気があるのだろうか。お姉ちゃんと四つ違う大学生でしょ。未成年に手を出すなら容赦しないよ。


 それから数日して、お姉ちゃんが怪訝な顔をしてレッスンから帰ってきた。そんなお姉ちゃんにどうしたのか訊いてみると、


「何だか、誰かに付けられているような気がして、何か気味が悪いの」


 そう言った。どうもヴァイオリン教室から付けられている気がして、途中から駅まで走ったそうだ。


 それを聞いて、わたしの脳裏にあの彼が浮かんだ。まさか、教室で知り合った才能のあるお姉ちゃんに興味を持ち、教室から出てくるのを待って付けてきたのではないだろうか。


 そう思ったら、お姉ちゃんが心配でならなかった。


「わたし、お姉ちゃんを守るから!」

「えっ、えぇ?」


 突然の言葉に、お姉ちゃんは目を丸くして驚いた。


 でも、守ると言っても、わたしには守る術がない。襲ってきたら殴りつければ良いのかな?


 そのことを樺菜さんに相談すると、


「なら、適任者を紹介してやるよ。あいつは喧嘩が強いからな」


 そう言ってわたしに樺菜さんの家に毎日のように出入りしている一人である、東のぼるさんを紹介してくれた。この彼は二三歳の好青年でなかなかのイケメンさんだ。中肉中背の姿格好をしているが、服の下は結構な筋肉をしているそうだ。


 彼は喧嘩が強いというか格闘マニアらしく、わたしのパンチ力を確認すると、


「小百合はパンチ力がないから、合気の流れを組んだ方がいいな」


 と言って、合気の体術を駆使して相手を組み伏せる戦い方を教えてくれた。


 教えられたのは力の弱い女性に適した体術で、試しに組んでみたら、腕を掴まれるとクイッと腕を絡め取られて、いつの間に床に組み伏せられているのだ。


 樺菜さんの部屋で、床に置きっぱなしになっている機械類を壁へ押しやりスペースを作ると、東さんと二人でバタンバタンと投げ合っている。そんなことを数日続けていたら、こちらに背中を向けてパソコンをいじっていた樺菜さんが「うるさいな」と乱暴に頭を掻いた。


「百合が万が一襲われても、あの脚力で逃げれば誰も追いつけないだろ。心配することじゃない」


 それを聞いて「それもそうか」と納得していると、東さんにひょいと投げられた。


 ある日曜日、友達と街なかを歩いているとあの彼が歩いているのを見た。注意深く見てみると、何と女性を連れて歩いていた。


 あれって彼女? 彼女いるのにお姉ちゃんに色目使っているっていうの? それなら許さない。


 もう、彼のことを考えていたらモヤモヤムカムカして、その日の夕方、友達と分かれて家路に向かっていると、あの彼がいた。


 もう、何なのよ! わたしの行く先々、同じ場所に現れて!


 わたしはその彼に向かってツカツカと歩み寄り、自分の顔と同じ高さにあるその彼の顔面に向かって握りこぶしを叩きつけてやった。


「いったーい!」


 悲鳴を上げたのは悔しいかなわたしの方で、痛む右手を押さえて上下に振った。


 笑みを見せ続けている彼を涙目で睨みつけて、言ってやった。


「お姉ちゃんは絶対に渡さないから!」


 そう言って今度は爪を立てた両手で、彼の顔をビリビリと引き裂いてやった。


 地面でボロキレになっている彼を見下ろし、「良い気味」と見下ろしていると、離れたところでそれを見ていたおばさんが、変質者を見るような表情をしているのに気づいて、わたしは逃げるようにその場から離れた。


 その日の夜、テレビを見ているとあの彼が出ているライブ映像が流れていた。涼しい顔をしている彼の他に、昼に彼と一緒に歩いていた女性も映っていて、それ以外にも二人の男性も映っている。どうも近々行われる弦楽四重奏グループのコンサートの生宣伝をしているようだ。


 あの時見かけた女性は彼女じゃなくて、グループ仲間だったのか。


 その時、玄関から音が聞こえ、お姉ちゃんの声が聞こえた。


「ねぇ、帰り道にある、石原さんのコンサートのポスターがビリビリに引き裂かれて落ちてたのよ。酷いと思わない」

「へえ。そうなんだ」


 適当に返事をして、自分が犯人であることをしらばっくれてやった。


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