9・隠者(とインチキキャンディー屋)
はいはーい、寄ってらっしゃい見てらっしゃい!
ボクが本日商いまするは、このくるくるキャンディーだ!
おっと、そこのお坊ちゃん! 「何だい、そんなどこにでも売ってるようなキャンディーかよ」っておっしゃいましたね?
おやおや、そこのお嬢ちゃん! 「そうよ、しかもキャンディーひとつっきりを売ってるの?」と呆れ顔でおっしゃいますか!
そう見えるのはあなた方の間違いですよ、この赤と白のストライプうずまきキャンディーは、数えきれない魔法と知恵の詰まったアイテムなのです!
そう! 何を隠そう、このキャンディーはこのボクが魔法使いから奪ったもの! 「隠者」と名のる魔法使いから、まんまと奪いとったもの!
はい? 『信じないよ!!』ってお坊ちゃんたち、お嬢ちゃんたちハモリで大合唱ですね!
……それじゃあしょうがない、本当は秘密にしておきたいけど、真実を教えてさしあげましょう。
昔々の大昔から、人間界と異世界のはざまに生きている「隠者」がおりました。
彼女はもっと大昔には、一人の田舎娘でした。けれども幼いながらにとても賢く、早くから「いずれわたしは魔女になりたい」と熱く願っておりました。
彼女は人知れず、寝る目も寝ずにこっそり独学で勉強して、十二の歳には十分な術を身につけて、人間界を去りました。
立派な魔女になるべく、人間界を「引退」して、元いた世界と異世界のはざまに、立派なお屋敷を建てたのです。そうして独り、来る日も来る日も、魔法と秘術の研究に打ち込み続けたのです。
まもなく彼女は、この世にもあの世にも並ぶもののない、素晴らしい魔女になりました。
葉っぱ一枚から美味しいお菓子をこさえる魔法、とんぼやハエと会話する方法、見た目に全く歳をとらない魔法、不老長寿の妙薬の調合のしかたまで……。
彼女はとても満足でした。けれどもとても孤独でした。
人間界と異世界とのはざまに生きる魔法使い、彼女は独りぼっちだったのです。
本当にほんとうを言えば、彼女は淋しくてしかたがなかったのです。
けれど大昔から独りっきりでいたものですから、人間界に戻るのも怖いし、異世界の人外たちと交流するのもなお怖い。
彼女はいつかあきらめて、自分で自分を「隠者」と呼んで、独りで暮らしておりました。
けれども、彼女にはもう一つ悩みがありました。
それは自分の寿命のことです。見た目は十二歳の少女のまま、自分で調合した不老長寿の妙薬で、何百年も生きてはきたが、もうじき自分の寿命も尽きる。
そうしたら一体、自分の学んだ魔法や秘術はどうなるのか?
彼女はとても悩みました。そうして考えに考えて、ついに自分の「後継者」にありったけの知恵を譲ることにしたのです。
といっても彼女は独り、もちろん子供などおりません。彼女は魔法使いですから、後継者を「創る」ことにしたのです。
彼女は魔法の白い花をたくさん集め、その蜜と花粉で魔法陣を描きました。そうして左手に火のついたロウソクを持ち、陣の周りをゆっくりと回り始めました。
そうして百周回ったころ、彼女の向かいに小さな人影が現れました。人影は小人のように小さく、彼女の後を追うように、ゆっくりゆっくり陣の周りを回り出します。
小人の姿は、小さいながらも「隠者」の姿にそっくりです。
二股に分かれて逆立つ黒髪、赤と白のストライプの細身のドレス、左手に持った火のついたロウソク……。
そうして隠者と同じように、小さな背中にぐるぐるのうずまきキャンディーみたいな、赤と白のストライプの「かたつむりの殻」を背負っています。
何を隠そう、この殻の中身こそ「隠者の知恵」なのです。隠者は背中の大きな殻の中に、今まで学んだ魔法や秘術など、ありったけの知恵を貯めこんでいるのです。
そうしてぐるぐる回るうちに、小人のようだった「後継者」はどんどん大きくなっていきました。その代わりみたいに、隠者の体はどんどん小さくなっていきました。
おしまいに隠者の体は、芥子粒みたいに小さく小さくなりました。引きかえに後継者の体は、当たり前の少女くらいの大きさになりました。
後継者はどうして良いのか分からずに、ロウソクを手におろおろしています。そんな後継者を見上げて、隠者はにっこり笑って言いました。
「潰してよ。わたしを潰して。
もうあなたの殻の中には、わたしのありったけの知恵が全部移し替えられた。あなたがこれからは『隠者』になって、ますます研究を深めてゆくの。だからわたしはもう要らない。いらないから、ぷちんと潰して、終わりにしてよ……」
後継者は泣きながらいやいやをしましたが、芥子粒ほどの隠者はなおも笑って命じます。とうとうしまいに断りきれず、後継者は「先代の隠者」をヒールの足で潰しました。ぷつんと命の弾ける音が、いつまでも耳に残っていました。
* * *
そうして後継者は、また永い生を生きました。やがて後継者にも寿命が訪れ、後継者も先代と同じように、次代に「隠者」の称号を譲って逝きました。
それを繰り返しくり返し、隠者は次代へ次代へと、知恵を譲っていくのです……。
――さあて、ここでようやくボクの出番です!
実はこのボクも魔法使い! 風のうわさに隠者のことを聞きつけて、彼女の屋敷に押しかけて、彼女にケンカを売ったのです!
「お前がすごい魔法使い? 笑わせるない、お前なんか全然大したことないや!
それが証拠に、そんな重たい殻を四六時中しょってることでしか、知恵の保管が出来ないじゃないか!
……ケンカを売られて悔しいかい? ならお前、その背中の重たい殻をもっと小さくしてみろよ。そうだな……試しにそのぐるぐるの殻、同じ模様のくるくるキャンディーにしてみろよ!」
いやあ彼女は怒ったね! 白かった頬にリンゴみたいに血をのぼせ、背中の殻を一瞬でくるくるキャンディーに変えて、「この通りだ!」ってボクの目の前に突きつけたんだ。
こうなりゃこちらの思うがまま!
ボクはキャンディーをひったくって、「もらったよ! じゃあね!」って一言いい残して、そのまんま人間界に戻ったってワケ!
さあさあお坊ちゃんお嬢ちゃん方、信じたもんは丸儲け! これこそがその魔術や秘術の知恵の詰まった「隠者の殻」だ! 食べたら大魔法使いになれるよ!
さあさあ、モノは一点こっきり! 早い者勝ちだ!!
* * *
当然、この「路上の物売り」に対し、集まってきた子供たちは大ブーイング。
「嘘つき!」
「卑怯者!」
「じゃあお前が食べてみせろよ!!」
などなど罵声を浴びせられ、物売りの青年は眉根をひそめて笑ってみせた。
「ええ、本当に良いんですか? あなた方、欲がないですねえ……それでは……」
そうして青年は、たった一つの売り物のキャンディーを口に入れた。
ぱりん、と軽い音がして、マカロンみたいにあっけなく、青年の口で飴は綺麗な欠片に割れた。
そのとたん、青年はぐっと口を押えてうずくまる。
前かがみになったその細い背に嘘のように真っ白く大きな羽根が生え、青年は晴れた空に天使のように舞い上がった。
「あっははは! だから本当だって言ったでしょう?
それじゃあね、ヒトを信じられないお子ちゃま方!!」
からからと笑って言い放ち、羽根つきの青年はひらりひらりと大空をめぐって飛び去った。あとに残された子供たちは、あんぐりと口を開いていつまでも青空を見つめていた。……
* * *
「たっだいまー! いやいや今日も面白かったよ!」
「まったくもう……また子供たちからかって遊んできたの?」
ここは人間界と異世界のはざまにそびえるお屋敷。羽根をしまって愛妻にあいさつする青年を、妻は苦笑して出迎える。
妻の姿はまるっきり話の中の「隠者」そのもので、その背中にはやっぱり大きな殻を背負っている。
――そう。魔法使いが子供たちに話したのは、九割がた真実なのだ。
隠者は本当に存在した。彼女は本当に後継者に、何度も何度も代を譲って生きてきた。
けれど、話の中で決定的に違うのは。
「あなた、いくら腕の良い魔法使いだからって、あんまり調子に乗っちゃだめよ?
わたしとあなたの出逢いみたいに、どこかはざまに迷い込んで、そこでまた誰かを好きになってしまったら……」
「あれあれ? えらく信用ないなあ!
大丈夫だよ、ボクは君だから出逢ってすぐに惚れたんだよ? 大体ボクらの『愛の結晶』がそこにいるっていうのにさ! 浮気なんかするはずないだろ?」
青年は笑って部屋の真ん中にある、大きな丸い卵を撫でた。
――そう。昔にたまたま迷い込んできた魔法使いと、もう何代目か分からなくなった隠者とは、恋に落ちてしまったのだ。
そうして二人結ばれて、隠者の産み落とした卵は、もうじきこの世に生まれ落ちる。隠者はもう、魔法陣で後継者を創らなくとも良くなったのだ。
ただ、彼女にはやっぱり一つの懸念がある。
「この子、パパに似て優しい子になってくれればいいけれど、あんまりにもイタズラ好きなとこまで似ちゃうとねえ……」
今までよりずっと甘くて柔い心配事をする妻に、これも不老長寿の夫は、少年のようにはにかんだ。
そう、もう彼女は他に心配をしなくとも良い。
「生まれてくる子供も、自分のような目に遭わないか」など心配する必要もない。きっとこの子は成長して、人間界と異世界のはざまからも軽々飛び立ってくれるだろうから。
――今目の前にいる魔法使いが、彼女が厚く張り巡らした「孤独の殻」をあっさり破ってくれたように。
「両親の期待に応えるよ。任しといて!」と言いたげに、卵はうっすら淡い光を放っていた。