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8・正義(と悲劇のヒロインと……)

 目の前を、幾匹いくひきはえが飛ぶ。


 陥落寸前の城の中で、王女はひとり、その時を待っていた。


 攻め込んできたのは隣国だ。そうして軍を率いるのは、隣国の若き第一王子だ。

 王子は右半身は凛々しく、まさに「絵に描いた王子様」のように美しく――左半身は生まれつき、赤黒いあざに覆われているらしい。


 この国の王女はそれを知っていた。その第一王子が狙っているのは自分だと、もうとうの昔に知っていた。


 王女の体は震えている。その汗ばんだ両手には、紅玉ルビーのような宝石が、血のように山のに落ちていく夕陽にひどく輝いている。その宝石は赤いハートの形をしている。


 この国には不思議な現象が昔から起きていた。

 神のいたずらか、悪魔の気まぐれか、今では誰も知る者はない。ただ事実として、この国でじょが生まれる時には、必ずハート型の赤い宝石をその手に握って生まれてくる。


 一説にはそのハートが大きければ大きいほど、持ち主は誰にも愛される子に育つという。そうしてこの国の女子は、自分が誰かの妻になる時、そのハート型の宝石を「愛のあかし」として夫になる人にさし出すのだ。


 王女の手の中で汗を受けて濡れ濡れと輝く大きなハートは、もうじき隣国の王子のものになる。左半身に焼けただれたようなアザのある、第一王子のものになる。


 震えに震えて汗みずくの王女の耳に、怒号と悲鳴が遠く聞こえた。遠いとはいえ、悲鳴と怒号は確かに城の中から聞こえてくる。


 ああ、もうじきだ。


 わくわくわくわく足ががたつく王女の細い指のあいだ、すべり落ちそうに汗に濡れたざくのような宝石が、狂気のように輝いている。


 王女は知っていた。隣国の第一王子のことを、三年前から知っていた。


 その晩もふかふかのベットで眠りについて、夢の中で王子を見た時、王女は思わず悲鳴を上げた。すると王子はほんの一瞬泣き出しそうな表情かおになり、それから困ったように眉をひそめて微笑わらってみせた。


「怖がらなくとも良い。

 そなたは覚えておらぬだろうが、我とそなたは今日の昼間に出逢っているのだ。

 と言っても、城下町でお忍びで、屋台のリンゴあめを美味しそうにほおっていたそなたの姿に、我が勝手に一目惚れしただけだがな」


 昼間の秘密を言い当てられて、王女は思わず頬を染めた。その頬に白い右手で慈しむようにそっと触れ、王子は事情を打ち明けた。


「実は我は、隣国の第一王子でな。

 と言っても第二、第三の王子はもういない。幼い頃に我と同じようなアザが全身に浮き出して、そのアザが熱を持って、とうに亡くなってしまったのだ。


 このアザは、実は神の呪いでな……なに、神と言ってもワガママ放題のきゅうしんだ。その神がな、昔我ら隣国を建国した王に惚れてな、ふしだらにも言い寄ったのだ。


 しかし王にはもう最愛の妻がいる。王がすげなく断ると、神は理不尽に激怒して、王に呪いをかけたのだ。


『お前が美しすぎるのがいけないのだ。お前のために心乱されて泣く女が、もうこれ以上現れないよう、お前の半身に赤黒いアザを浮かせてやろう。そうしてお前の子孫にも、呪いを受け継がせてやろう。


 良いか、今後子々孫々、お前の血筋に子は一人しかのこらない。その下に産まれた子は必ず、全身をアザに覆われて、アザがたぎるような熱を持って死に至るのだ!』」


 王女はほとんど無意識に、頬に触れる王子の白い手の甲に、小さな自分の手を重ねた。王子はひどく驚いて、それからひどくおずおずと、アザの浮いた左の手のひらを上に重ねた。


 王女の手の甲に、松かさのような感触が触れた。

 けれども、心地悪くはなかった。ごつごつした感触が、男らしくて頼もしかった。


「……そうして産まれた子孫というのが、この我だと言う訳だ。その呪いの代わりと言ってはなんだが、我にはいくつか常人の持たぬ能力ちからがあってな……その一つが、こうして想い人の夢の中に入り込める能力なのだ。


 いきなり夢の中に入り込んですまないが……そなたさえ良ければ、これから、毎晩、こうして逢っても構わぬだろうか……?」


 王女の心は、もう決まっていた。


 この目の前の第一王子が、呪いをしょった男性が、大胆なくせに妙に及び腰なアンバランスな可愛らしさが、何だか妙に愛しくなって、だから答えは決まっていた。


 黙って微笑ってうなずく王女に、王子の方が感極まって涙をこぼした。

 その涙の美しさが、またいっそう王女の心を甘く溶かした。二人が夢の中で恋仲になるのに、さほど時間はかからなかった。


 だが、現実は夢より非情だった。


 出逢いから三年が経ち、王女は十五歳になった。この国では女子は十五になれば、立派な大人と見なされる。


 だから正々堂々、真正面から「王女を妻にいただきたい」と申し出た隣国の第一王子を、この国の王は罵倒した。


「お前のような者に娘はやれん」と言い、本来王族が口にするのもはばかられるような雑言ぞうごんで口汚く罵った上、アザのある左の顔をあしにまでした。


 王女の意見は聞かれなかった。「ああ、自分はやはり、父上と母上の可愛いだけの人形なのだ」と、王女はこの時、改めて心底思い知った。


――その晩である。隣国がこの国に侵攻を開始したのは。


 だから、王女は待っている。


 王子のさしむけた監視である、幾匹も乱れ飛ぶハエに囲まれ、武者震いしながら待っている。汗みずくに濡れて輝くハート型の宝石も、生まれて今まで一度もないくらい、紅色べにいろに妖しく光を放っている。


 王も、女王も、死んだと聞いた。


 それでいい。それでもいい。もう王女の中の「正義」は、愛しくてたまらない、あの第一王子だけなのだ。


 やがて王女のいる居室の扉が開け放たれ、目の前に一人の男が現れた。


「絵に描いた王子様」のような右半身、赤黒く焼け爛れたようなもう半身。生臭い鮮血に濡れた王子は、あの日のように眉をひそめて、泣き出しそうに微笑ってみせた。


 王女の目から、熱い雫があふれこぼれた。

 王女は全身を震わせて、汗みずくの指でしがみつくように抱きしめていたハート型の宝石を、黙って王子に手渡した。


 互いの触れた手と手とが、夢でそうした時よりも、ずっと熱くて愛おしかった。


* * *


 その後、王女は隣国の王子の妻となり、一生「飼い殺し」で暮らしたという。王子は一人のめかけも持たず、一生のあいだアザも消えずに暮らしたという。


 子供は一人。これも左半身にアザのある王子が一人……。


「両親を殺され、一生を飼い殺しの可哀そうな女王だった」と、後の世の教科書には記してある。


 ただ、彼女の……いいや、彼らの本当の胸の内は、本当は幸せだったかなんて、教科書の型通りの言葉の羅列では分からない。


 唯一それを知っているだろうハート型の宝石は、今でも大きな博物館の奥の奥、ひっそりと分厚いガラスケース越し、赤い光を放っている。……

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