1・魔術師(と牝ヒョウの女の子)
ただ今、幸せでふわふわしてます。
実は今作、ある意味『日本で一番読んでいただきたい方』に読んでいただけました!(↑『自分がタロットにハマるきっかけとなった一冊』をご執筆なされた占いの先生!)
ふわふわしたまま新作をアップします! 作風が全然ふわふわしてないのはご愛嬌(苦笑)
あたしのことが分からないの?
信じられないわ、本当にほんとに分からない?
見た目はけっこう変わったけれど、何だかちょっと幻滅だわ。あたしたちの愛って、そんなものだったのかしら?
ほら見て、ぱっと見は普通の女の子にも見えるでしょうけど、この頭についた獣の耳を見て!
この脚も見てよ、よーく見て! 明らかに人間のものじゃないでしょう?
それにヒョウ柄のスカートの下から覗くしっぽも見てよ! ねえ、これでもまだ分からない?
ねえ、移動動物園の園長の、可愛い一人息子さん! あなたには「恋人」がいたでしょう? 一座の花形の若い牝ヒョウを、あなたは愛していたでしょう?
あなたは毎晩、檻越しに口移しでミルクをくれて、「おやすみ、ぼくの可愛い牝ヒョウよ」って、おやすみのキスをくれたでしょう?
――ええ、そうよ。あたしがあの牝ヒョウなの!
あのね、あたし昨晩男に「夜這い」をかけられたの。
あなたがいつもみたいに、あたしにおやすみのキスをくれて、自分のベットに戻った後よ。なんだか急に目の前がぐるぐるとして、空間が歪んだと思ったら、檻越しに息のかかるほど近く、若い男が現れたの。
あたし本当にびっくりして、思わずグルグル唸ったわ。そうしたらその男は苦笑してお手上げのポーズをして、
「君に害を与える気はない」
って、子供みたいな顔して、にこにこ笑ったの。
あたし何だか拍子抜けして、唸るのを止めてしまったわ。そしたらその男、黒と赤のリバーシブルの大きなマントをひるがえして、自慢げにこう持ちかけたの。
「いやいや、昼間この移動動物園で君を見たけど、思わず魅入られてしまったよ!
君の毛並み、瞳の気高さ、檻の中にいても失われぬその崇高さ! ぼくはあんまり感心したんで、君に何かプレゼントしたくなってねえ。
君さあ、何か願いはないかい?
『大国の女王になりたい』とか『世界をこの手に』とか、そういう無茶な注文じゃなきゃ、たいていの願いは叶えられるよ。これでも魔術師のはしくれだからね!」
あたし嬉しくなっちゃって、魔術師が言い終わらないうちにこう叫んだわ。
「じゃあね、あたしを女の子にして! 可愛いかわいい、人間の女の子にしてよ!」
あたしびっくりしたわ、だってあたしののどから出たのはヒョウ仲間の言葉じゃなくて、それこそ人間の女の子みたいな声だったんだもの!
けれど、魔術師はあたしの言葉を聞いたとたん、何だかしぶい顔をしたわ。くせなのかしら、神経質なしぐさでシルクハットに手をやって、
「そいつはどうかな?」
と答えたの。あたしちょっとむっとしちゃって、魔術師にこう文句を言ったわ。
「何なの? たいがいのことは出来るみたいに言っといて、いたいけな牝ヒョウの願い一つも叶えられないの? 魔術師さん」
「うーん、お願いの動機によるねえ。
美しい牝ヒョウさん、君はどうして人間の女の子になりたいの?」
「なぜって、あたしには恋人がいるからよ! 人間の男の子の恋人よ! だからあたし、人間の女の子の姿になって、恋人に釣り合う生き物になりたいの!」
魔術師はますますしぶい顔になって、二三回大きく首をかしげたわ。
「うーん、止めといた方が良いと思うな……。でも、ま、君が望んだことだから……」
魔術師は細い眉根をぎゅうっと寄せて、それでもすっと手を伸ばして、あたしのおでこに触ったわ。そうしたらもう次の瞬間、あたしはこんな「人間の女の子」みたいな姿になってたの!
それから少し話した後、魔術師は来た時と同じように、空間を歪めて去っていったわ。だからジュゼッペ、あたしの可愛い恋人さん! あたしたち、今夜から本当にほんとうの恋人同士になれるのよ!
* * *
ジュゼッペと呼ばれた青年は、一つ大きく息をついた。
それからさもうっとうしそうに、二三度ぺっぺっと手を振った。牝ヒョウの化した女の子とまともに目すら合わせずに、園長の息子は吐き出すように言い捨てた。
「出て行け」
「…………え?」
「出て行けと言ったんだ。
いいかマルティナ、僕の好きなのは気高い牝ヒョウだ。美しい瞳の中にきりきりと噛みつくような険のある、白く綺麗な牙のある、凶暴性を内に秘めた生き物なんだ。今のお前みたいなただのか弱い女の子、僕は欠片も好みじゃない!」
こんな罵声を浴びせられ、マルティナはしばらく言葉を失っていた。それから深く息を吐き、かすれる声でつぶやいた。
「――分かったわ。
ジュゼッペ、あなたあたしが好きなんじゃない。人間のくせして獣に欲情する、ただの変態だったのね」
「何とでも言え。とにかく今の君は僕にとって、少しも魅力的じゃない。だから早くどこにだって行っちまえ!」
「……あたしね、あなたに言ってなかったことがあるの。
魔術師はたった一つだけ、あたしにも魔術が使えるようにしてくれたのよ。
『最初の願いが間違いだったと分かったら、この魔術を使うと良いよ』って」
言いざまマルティナはジュゼッペに飛びかかり、押し倒した。倒れた瞬間、ジュゼッペの姿はぱっと消え、次の瞬間そこにいたのは、小鳥と小さな鳥かごだった。
赤い羽根のカナリアと、それを閉じこめる鳥かごだった。
呆然とした様子のカナリアに、マルティナはじりじりとにじり寄る。白い小さな手の中に、いつの間にか鳥かごの可愛い鍵を握っている。
「魔術師さん、先を読む手はさすがだわ。やっぱり魔術師さんの思った通りになったもの。
そうしてジュゼッペ、あたしもう一つ、あなたに言ってなかったことがある。
あたしは結局牝ヒョウだから、本当はずっと前から、あなたが食べたくてたまらなかった……」
小鳥がパニックになって悲鳴のように鳴き出した。しかしこれも魔術師のしかけた魔術によるのか、この夜中、他の誰も起きては来ない。
「本当に良かった、あたしにもこの魔術が使えて……。
だってあなたがその姿なら、こんなか弱い女の子の姿でも、簡単にその頭、嚙み砕けるもの……!」
他の誰もが寝静まった夜の底、小鳥の断末魔と、小さな骨を嚙み砕く音がぼりぼり聞こえ、後は怖いほど静かになった。……
* * *
「だからね、ヒョウの耳としっぽをつけて、獣みたいな脚の女の子を見かけても、うかつに近づかないのが吉よ。
なんせ彼女、今じゃあきっと立派な牙代わりのナイフなんかを隠し持って、人の血を求めて夜をさまよっているだろうから……」
宿屋の白いベットの上、寝間着姿の若い男が泣きながらがくがく震えている。
「ちょっとした夜話」を語り終えた女の子は、にっこり男に微笑いかけた。
ヒョウの耳に細長いしっぽ、すらりと美しい獣の足。
微笑むくちびるのあいだに白く、愛らしい一対の牙が覗いた。……