ハーデンベルギア~運命的な出会い~ 3
「珍しいと思ったら、お連れさんがいたのね」
柔らかな笑みを向けられて、あわてて姿勢を正し、騎士の礼をする。
「はじめまして。私は」
「話は後にしましょう。
傷の手当てが先よ」
「あ……はい。すみません」
「こっちへどうぞ」
小屋の横手に案内されると、大きな丸太を半分に割って切り口を磨いたテーブルと切り株の椅子が置いてあった。
小屋の中に入ったアンさんは、蔓で編んだ小さな籠を手に戻ってくる。
「エッジ。手当てしてあげて」
「ああ」
受け取ったエッジさんが、中に入っていた薬草などを使って手当てしてくれる。
熟練の騎士並みの手際の良さだった。
「ありがとうございます」
「ああ」
終わった頃にアンさんがお茶を持ってきてくれた。
香草のいい香りがした。
丸太テーブルに向かい合って座って、半分ほど飲んだ頃、アンさんが言った。
「さて、では話を聞きましょうか。
ぼったくるエッジに案内を頼むぐらいなんだから、それなりの内容なんでしょう?」
「いえ、妥当な金額だと思いますし、まだ前金しか受け取ってもらえてないので、ぼったくりじゃないです」
「あら」
エッジさんの名誉の為にはっきり言うと、なぜかアンさんは面白そうに笑い、隣のエッジさんは苦い表情になった。
「……そんな話はいいから、さっさと用件を言え」
「あ、はい」
うなずいて荷物の中から紹介状を取り出し、アンさんに差し出す。
「私は、オールドランド国白百合衛騎士団の一員で、コディと申します。
オールドランド国のダーシー侯爵の紹介状をいただいてまいりました」
アンさんは紹介状の封を開けてゆっくりと読み、私を見る。
「あなたは、この紹介状の中身を知っているのかしら」
「はい。
王女殿下の為に、【聞くと楽しくなる歌を歌う石】を作ってほしいんです」
アンさんのまなざしが深くなる。
「私は魔法者で、【歌う石】を作るには魔法が必要なの。
魔法がどういうものなのか、あなたは知っているのかしら」
「ある程度は」
「じゃあ、あなたが知ってることを説明してみて」
「えっと……」
家庭教師から一通り教えられたものの、ぼんやりとした理解だから、改めて言葉にするのは難しい。
まして相手は当事者だから、うかつなことは言えない。
言葉を選びながら、ゆっくりと言う。
「魔法とは、神様が人間に与えてくださった力です。
その力を持つ者を魔法能力保有家系者、通称を魔法者といいます。
初期の人間は全員が魔法を使えたらしいですが、今ではわずかな家系に伝えられているのみです。
魔法は必ず一家系に一種類ですが、その内容は様々で、真名がわかれば命を奪うこともできる魔法もあるそうです。
そのせいか、数百年前の暗黒時代には魔法者狩りが行われ、一時は絶滅したかと思われましたが、ひそかに生き延びていた人達がいました。
やがて、魔法の危険性より有用性の方が知れ渡るようになりました。
有名なのは、戦乱時代に活躍した小国の将軍の【味方と認識した相手全員に声を届けられる】魔法で、将軍はその魔法を使って常に勝ち続け、ついに大国の覇王になりました。
それと、教会が魔法者を保護するきっかけになった聖女の【寿命以外のすべての病気を治す】魔法です。
死病と呼ばれた当時は治療不可能な病気でも治せたことから、各国の王族や権力者がこぞって聖女を頼り、教会の権威が一気に強まりました。
それ以来、権力者は魔法者を迫害するのではなく、保護してその能力を活かしてもらうようになりました。
ただ、いまだに魔法者を国民として認めなかったり、見つけ次第殺すという過激な方針の国もあるせいか、国や教会に保護されている人達以外で、自分が魔法者だと公表している人はほとんどいません。
私が知っているのは、アンさんだけです」
アンさんは、歌姫として活躍し、多くの支援者を得てから魔法者だと公表して、【歌う石】の販売もするようになった。
ただ、あまりにも人気が出すぎて、専属になってくれと言う勧誘を断るのに疲れたから、引退してここに移り住んだらしい。
「そうね。私も私以外で魔法者だと公表している人に会ったことはないわ」
静かに言って、アンさんは感心したような表情で私を見る。
「魔法のこと、意外とよく知ってるわね。
ここらの村人だと、お伽話程度に思っていて、今も魔法者がいると知らない人の方が多いのに。
ここに来る前に調べてきたの?」
「あ、はい。
でもだいたいは家庭教師から教えられたことです」
「へえ、貴族は色々なことを学ぶとは聞いていたけど、魔法についてまで教わるのね。
じゃあ、魔法を使う具体的な方法は知ってるかしら」
「はい。
魔法者と依頼者が真名を呼び合い、魔法を施行するのだと聞いています。
魔法を使うのは魔法者だけど、魔法をかけられ恩恵を受けるのは依頼者の方で、魔法者自身には効果が及ばないことから、教会は【魔法は神の慈悲だ。助け合って生きるのが神が望まれる正しい姿なのだ】と説いています」
「そうね、そういう建前で魔法者を保護してるわね」
「え?」
建前、という言い方の冷たさにドキリとしたが、アンさんはにこりと微笑む。
「ごめんなさい、気にしないで。
じゃあ、真名についてはどうかしら」
「あ、はい。
真名は、神が授けてくれるものであり、本人しかわからないものです。
我が国では、国の正式な書類でも署名は愛称で記入することが認められ、国王の前ですら名乗らないでよいと法律で定められているほど、大切なものです。
愛称は、赤子を親が初めて抱いた時、自然に伝わるそうですが、自分で付けた愛称を名乗る人もいます」
私の真名はコーデリア、愛称はコーディだ。
『あなたを初めて抱きしめて、コーディという名前が心に浮かんだ時、とても幸せな気持ちになったのよ』と、母が何度も話してくれた。
だけど私は、ズボンを履いて草原や森を走り回って植物観察をするのが好きな活発なこどもだったから、女の子っぽい響きが気に入らず、コディと名乗っている。
「ただ、魔法を使うには真名を伝えなくてはいけないことが、かつて魔法者が危険視され迫害される原因の一端になったのだろうと、私の家庭教師は言っていました」
「そうでしょうね。
そんなに大事な真名を、私に知られてもかまわないの?」
「はい。かまいません」
アンさんは真名を悪用するような人には思えないし、そもそも私に拒否権はないのだ。
「あなたは騎士だから、これは命令であって、あなた自身の望みじゃないんでしょう?
真名に関することだから、命令であっても拒否できるはずよ?」
気遣うように言われたことに、内心驚く。
拒否できたのだろうか。
いや、それを確かめに戻るには遠すぎるし、建前上は拒否できたとしても実質は無理だろう。
「……確かに命令なんですが、私自身も、王女殿下に【歌う石】を差し上げたいと思うんです。
だから、お願いします」
アンさんはじっと私を見つめていたが、やがてふわりと笑った。
「わかったわ。引き受けましょう」
「ありがとうございます!」
「ただし、【歌う石】を作るには、いくつかの準備と条件が必要なの。
最短でも五日はかかるし、準備を手伝ってもらうことになるけど、かまわないかしら」
「作っていただけるなら何日でも待ちますし、なんでもします」
そう答えてから、はっと思い出し、黙って私達の話を聞いていたエッジさんを見る。
「……あの、そんなにお待たせするわけにはいきませんよね」
道案内兼護衛という依頼とはいえ、そんなに長い間待たせるのは申し訳ない。
自力ではとうていたどり着けない場所だったが、帰りなら、アンさんに方向を教えてもらえばなんとかなる、だろうか。
「…………」
エッジさんはちらりと私を見てから、アンさんに視線を向ける。
「どうせ、俺にも手伝わせるつもりなんだろ」
アンさんはにこりと笑ってうなずく。
「ええ、もちろん」
「だから、かまわねえ」
「……エッジさん」
エッジさんは、最初から私の用事の内容を察していたのだろう。
アンさんと親しくしているなら、【歌う石】の作成に日数がかかることも知っていたのだろう。
だから依頼を受ける時に往復の道案内兼護衛だと、言ってくれたのだろう。
本当に、優しい人だ。
「ありがとうございます」
【歌う石】ができるまでの間、アンさんの小屋に泊めてもらえることになった。
物が雑然と置かれた居間の隅を片付けて、木箱を並べ毛布を敷いた即席のベッドを二つ作る。
「本当にエッジと同じ部屋でいいの?
あなた、女の子よね?」
アンさんに心配そうに聞かれて、笑ってうなずく。
「はい。でも、休憩所でも一緒に寝ましたし、平気です」
この小屋には、台所がある居間とアンさんの寝室しかないと、さっき教えてもらった。
女同士とはいえ、今日初めて会った人よりは、数日を共にしたエッジさんの方が安心できる。
「そう……エッジ、あなたも平気なの?」
アンさんが今度はエッジさんに聞いて、エッジさんは苦笑する。
「ああ。第一他に部屋ねえだろうが」
「それはそうだけど」
意味がわからなくてきょとんとして見ていると、二人して私を見て、なぜか笑う。
「わかったわ」
「ああ」
夕食をアンさんが作ってくれて、一緒に食べ、片付けを私がする。
その後、エッジさんはアンさんに呼ばれてアンさんの寝室に行き、私は先にベッドに横になった。
急ごしらえとはいえ、やはり休憩所の石の床で眠るよりは楽だ。
目を閉じるとすぐに眠りに落ちた。
☆☆☆☆☆☆☆
目覚めると、エッジさんは隣でよく眠っていた。
起こさないようそっと起き上がり、軽く伸びをする。
外に出ると、ちょうど夜明けだった。
裏口の方から木桶を手にしたアンさんがやって来る。
「おはよう。早いのね」
「おはようございます」
「ちょうどよかったわ。
水汲みお願いしていいかしら」
「もちろんです」
近くにある小川の場所を教えてもらい、木桶を借りて汲みにいく。
戻ってきて台所の水甕に勢いよく注ぐと、視界の隅でエッジさんががばりと起き上がったのが見えた。
「あ、おはようございます。
すみません、起こしちゃいましたか」
「…………いや」
なぜかまじまじと私を見ていたエッジさんは、かすかに首を横に振る。
だがすぐに起き上がって、横に置いてあった剣を腰に着けると、私に近づいてきた。
「貸せ」
「え」
「傷が塞がるまでは、腕に負担を掛けるな」
「……あ」
怪我を気遣ってくれたのだと気づいて、じんわりと胸の奥があたたかくなる。
「ありがとうございます」
とはいえ、じっとしているのは性に合わないから、外に出てアンさんを探す。
アンさんは、裏の畑で野菜を収穫していた。
「あら、もう終わったの?」
「いえ、エッジさんが代わってくれました」
「え? ああ、そうだったわね。
怪我をしてるのに、水運びはつらかったわよね、ごめんなさい」
「あ、いえ、あれぐらいの怪我は、訓練中でもしょっちゅうでしたから、気にしないでください。
あの、何か他に手伝えることありませんか?」
「じゃあ、朝食を作るの手伝ってもらえるかしら」
「はい」
台所からまな板と包丁を持ってきて、丸太テーブルに置く。
アンさんが洗ってきた野菜を適当に刻んでいると、感心したように手元をのぞきこまれる。
「上手ね。
近衛騎士の食事は当番制なの?」
「いえ、私は数年前まで騎士になるつもりはなくて、普通に暮らしてたので、一通りのことは自分でできます」
「そういえば、昨日マントや服の繕いをしてたわね」
「裁縫はわりと好きです。
布から形を作っていくのが面白くて」
母が教えてくれた【女らしい習いごと】の中で、唯一好きなのが裁縫だ。
植物観察に走りまわって、しょっちゅう服を破いては自分で修繕していたから、ばあやにも褒められるほど上手になった。
アンさんはしばらく考える表情をしてから言う。
「じゃあ、後で縫い物頼んでもいいかしら。
私はどうも苦手なの」
「かまいませんよ」
朝食の準備ができた頃に、エッジさんがやってくる。
「水汲みついでに水場を見て回ったが、問題なかった」
「そう、ありがとう。
じゃあ食べましょう」
主にアンさんと私が話しながら朝食を食べ、食事の片付けを終えると、アンさんから布の塊を渡された。
「居間の窓のカーテンを作ってほしいの。
今使ってるのは古くなって色が褪せちゃってきたから」
「わかりました。
形は今のと同じでいいですか?」
「同じでいいわ。
あ、でも、二枚に分けてくれるかしら」
「じゃあ今のを半分のサイズで作りますね」
同じ形でいいなら、型紙もいらないから、楽でいい。
縫い方も、上と下の端をそれぞれ端を折り返してまっすぐ縫うだけだから簡単だ。
埃が立つから外の丸太テーブルに持っていって、寸法通りに裁断し、折り目をつけて仮縫いをする。
久しぶりだから楽しい。
作業をしていると、エッジさんがやってきた。
「何やってんだ」
「カーテン作ってます」
手を動かしながら答えると、エッジさんは半ば呆れたような感心したような表情になる。
「おまえ、繕いだけじゃなくてそんなことまでできんのか」
「簡単ですよ」
「俺には無理だな」
苦笑して隣に座って、軽く欠伸をする。
「……悪い、ここで寝ていいか」
「あ、はい。
かまいませんが、お邪魔でしたらどきましょうか?」
「いや、いい……」
エッジさんは机に上半身を伏せるようにして、左腕の上に頭を乗せる。
どんな時でも利き腕はいつでも使えるようにしているのはさすがだ。
「昨夜は遅かったんですか?」
エッジさんが戻ってくる前に寝てしまったが、そんなに遅くまでアンさんと話しこんでいたのだろうか。
「……アンに、ヒカリツキヨバナを取りにいかされたんだ」
「え」
ヒカリツキヨバナは、夜の月の出ている間だけしか咲かない花だ。
花びらから月色といわれる染料を作れるが、咲いている間に摘まないと使えない。
しかも、日に当たらないうちに煮詰めて染料にしないといけない。
ということは、ほとんど寝ていないのだ。
「言ってくれたら、私も手伝いましたよ」
「……ちょっと足元やばいとこに生えてるし、染料を作るのも手順が面倒だから、慣れてねえおまえじゃ危ねえからな……」
エッジさんは目を閉じたまま言って、深く息をつく。
すぐに寝息に代わった。
「…………」
半分に切った布の片方をそっとその背にかける。
「おやすみなさい」
なるべく音をたてないように、静かに作業する。
太陽が中天にかかる頃、アンさんが大きなお盆を手にやってきた。
「お昼にしましょ」
「あ、はい」
隣のエッジさんを見ると、既に身体を起こして軽く伸びをしていた。
「順調みたいね。
ほんとに上手だわ」
「裁縫は慣れですから。
アンさんも、慣れたらこれぐらいすぐできますよ」
「私には無理よ。手先が不器用なの」
再び私とアンさんで会話をしながら昼食を終えると、エッジさんが立ち上がる。
「……昼寝してくる」
「あ、はい。ごゆっくりどうぞ」
「ん……」
小屋に向かうエッジさんを見送って、アンさんは私を振り向く。
「ねえ。さっきエッジはここで寝てたの?」
「はい。昨夜あまり寝てないみたいで」
答えると、アンさんはなぜか複雑そうな表情で笑った。
「……私、エッジの寝顔まだ見たことないわ」
「え?」
「うちに泊まることがあっても、私が近づくと起きてしまうから。
さっきだってそうだったでしょ?」
「そう、ですね?」
よくわからないままうなずくと、アンさんは今度は苦笑する。
「あなたは、エッジとは長いつきあいなの?」
「いえ、四日前に会ったばかりです。
迷い森の手前の村の酒場で、ここへの道案内をしてくれる人を紹介してほしいと店主に頼んだら、エッジさんを紹介されたんです」
「……四日前……」
アンさんはしばらく考えこんでいたが、ゆっくりと言う。
「……昨日エッジがあなたと同じ部屋でいいと言った時、心配だったの。
エッジは他人の気配に敏感だから、眠れないんじゃないかと思って」
「はあ……」
昨夜の会話は、そういう意味だったのか。
長いつきあいらしいアンさんでも寝顔を見たことがなかったのなら、心配するのは当然かもしれない。
アンさんはくすりと笑う。
「でも今ならなんだか、わかる気がするわ。
あなたの気配は、とても穏やかであたたかいわね」
昨日の朝、エッジさんにも同じようなことを言われた。
私自身には、自分の『気配』がどういうものなのかよくわからないが、他人の気配に敏感だというエッジさんが私の隣で眠ってくれるというのは、なんだか嬉しかった。
「……ありがとうございます」
☆☆☆☆☆☆☆
アンさんに言われるままに、追加のカーテン作りや薬草摘みや屋根の修理や干し肉作りや家具の移動などをする。
力仕事は、ほとんどをエッジさんがやってくれた。
合間には、アンさんの庭に植えられている植物について教えてもらった。
今まで見たことがないものがたくさんあって、スケッチしまくった。
特に気に入ったのが、ハーデンベルギアだ。
紫は見たことがあったが、白のものは初めて見た。
紫のものより白の方が可憐で好きだ。
「そういえば、これ、エッジが見つけてきてくれた花ね」
「そうなんですか?」
「ええ。私は白い花が好きだから、ここでも育ちそうな白い花を頼んだら、どこかから見つけてきてくれたの。
花言葉は、知らなかったみたいだけど」
アンさんは、ふふっといたずらっぽく笑う。
ハーデンベルギアの花言葉は、【運命的な出会い】だ。
エッジさんがそれを知らずにアンさんに渡したことを、面白がっているようだ。
植物について聞いているうちに、だんだんアンさんとも仲良くなった。
エッジさんが保存食の干肉作りの為に狩りに出かけている時に、エッジさんとの思い出話や、魔法についての内緒の話も色々と聞かせてくれた。
アンさんは、見た目はとても女性らしい人だが、性格はさっぱりしていたから、話しやすい。
出会って数日なのに、数年来の友達のように仲良くなれた。
六日目の朝、朝食の席でアンさんが言った。
「今日は一日いい天気のようだわ。
準備もできたし、昼食の後に、魔法を使うわね」
「はい。お願いします」
昼食の後しばらくして、アンさんに呼ばれて外に行く。
エッジさんは、魔法の邪魔になるからと言って小屋の中にいた。
丸太テーブルを挟んで、アンさんと向かい合って立つ。
机の上には石のような陶器のような、不思議な物が乗っていた。
私の親指ほどの幅の平たい丸い形で、月色をしている。
エッジさんが摘んだヒカリツキヨバナの染料は、この為だったようだ。
「あなたが私の真名を呼んで、私があなたの真名を呼ぶと、魔法が発動するの。
私の真名は、アンジェリーナ・エリオットよ。
あなたの真名を教えてもらえるかしら」
「コーデリア・トレヴァーです」
「わかったわ。
では、始めましょう」
「はい」
ゆっくりと深呼吸して、丁寧に音をつむぐ。
「アンジェリーナ・エリオット」
「コーデリア・トレヴァー。
私とあなたの間に力を発動する」
アンさんが凛とした声で言うと、その額にぽうっと不思議な光が浮かんだ。
銀と青が混じりあったような、きれいな色だ。
知識では知っていたが、魔法の光を実際に見るのは初めてだった。
アンさんが石を手に取ると、石も魔法の光に包まれる。
その色に見とれていると、アンさんが歌い出した。
高く澄んだ声が風に乗って流れていく。
依頼通り、なんだか気分が軽くなるような、柔らかな響きの歌だ。
やがて歌が終わると、アンさんの額の光も、石を包んでいた光も消えた。
小さく息をついたアンさんは石をじっくりと見て、にこりと笑った。
「いい出来よ。はい」
さしだされた石を、両手で受け取る。
「ありがとうございます」
石の表面には、魔法を使う前にはなかった不思議な模様が刻まれていた。
「それをなぞると【歌う】のよ。
やってみて」
「はい」
指先でそっと模様をなぞると、石から歌が聞こえてくる。
先ほどのアンさんの歌とまったく同じだった。
「すごいですね」
「ありがとう」
ふわりと笑ってアンさんは椅子に座る。
「ふう。やっぱり少し疲れるわね」
「魔法を使うと、疲れるものなんですか?」
「そうね。普段は使わない力だから。
お茶淹れてもらえるかしら。あなた達の分もね。
棚の二番目の段の右端の、赤い蓋の瓶に入ってる香草を使って」
「あ、はい」
すっかり使い方をおぼえた台所で、手早く香草茶を淹れる。
エッジさんは、いつの間にか出かけたようでいなかった。
二人分のお茶を外の机に運ぶ。
「どうぞ」
「ありがとう」
ゆっくりと飲んだアンさんは微笑む。
「私はね、歌うことが好きなの。
歌う為に生まれてきたと断言できるぐらい。
人に聞かせたいのでも誉められたいのでもなく、ただ歌いたいの。
だからここで暮らしているの。
自分が歌いたい時に歌いたい歌だけを歌えるように」
この六日間で何度かアンさんの歌を聞いたが、確かに料理中だったり庭で香草を摘んでいる時だったり、さまざまだった。
「たまに誰かに聞いてほしい気になるけど、そういう時は、森に向かって歌うの。
森の獣達が聴衆なのよ。
彼らは私の歌を気にいってくれてるの。
だから、私の家には近づかないのよ」
「そうだったんですか」
確かにここに来てから、一度も野生の獣を見ていない。
周囲が開けていて身を隠すものがないから近づけないのかと思っていたが、そんな理由があったのか。
「本当は、侯爵の手紙があっても国王の頼みでも、歌いたくない時は歌わないわ。
でも今回は、エッジが連れてきた相手だし、それにあなたを気に入ったから、特別よ」
その笑顔はひどくあたたかくて、エッジさんへの想いが透けて見えた。
「エッジさんと、仲がいいんですね」
「そうね。
……私とエッジは、心の中に同じ闇を抱えているから。
誰かが私に示す優しさや愛情の光は、私にはまぶしすぎて、私の中の闇を乱して、苦しくなってしまう。
だから、私は独りでいたいの。
……でも、あなただけは別みたい」
「え?」
きょとんとすると、アンさんはくすりと笑う。
「あなたの光は、とても穏やかで、あたたかいわ。
私の中の闇を、乱すことなく優しく照らしてくれるの。
だから、エッジもあなたの隣で眠れるんだと思うわ」