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ハーデンベルギア~運命的な出会い~ 1

リハビリ作です。よろしくお願いいたします。

ブックマーク、☆評価、いいね、感想などいただけると嬉しいです。

 その村にたどり着いた時には、日が沈みかかっていた。

「なんとか間に合った……」

 思わず安堵の息をつく。

 昼過ぎには着けるはずが、植物観察に時間を取られて日没間際になってしまった。

 熱中すると時間を忘れてしまうのは、こどもの頃からの悪い癖だ。

 自覚はあるのに、いまだに直せずにいる。

 それでも、初めて見る植物を素通りすることは、やっぱりできなかった。

 この旅を始めてから何度目になるかわからない反省をしながら、身なりを整える。

 マントに付いた草と土を払い、腰の剣がさりげなく見えるよう位置をずらした。

 ぼさぼさの短髪、地味な顔立ち、革鎧でごまかせるほど平坦な胸のおかげで、見た目で女だとばれたことは一度もないが、舐められない為の用心は必要だ。

 よし、と小さくうなずいて、ゆっくり歩いて門に近づく。

 街道脇の村は木の柵に囲まれていたが、木製の簡素な門は開いたままで、門番もいなかった。

 門を入ってすぐ左手に宿屋兼酒場の看板を出した二階建ての木造の建物があり、その奥に十軒ほどの木造の平屋が見えた。

 村と呼ぶには微妙な規模なのは、元が街道を作る際の休憩所の一つだったかららしい。

 気合を入れ直して、宿屋兼酒場に向かう。

 半開きだった扉をゆっくりと引いて入ると、すぐ右側に壁と並行に作られたカウンターがあり、左側に四人掛けのテーブルがいくつか置かれていた。

 壁の何ヶ所かに取りつけられたランプが照らす店内は、意外と明るい。

 客は半分ぐらい入っていて、宿泊客と地元の者が半々ぐらいのようだった。

 値踏みするような不躾な視線は、最初は苦手だったものの、旅を続けるうちに慣れた。

 変に反応しなければ、向こうから手を出してくることはない。

「いらっしゃい」

 カウンターの中にいた店主らしき中年の男が、やる気のない口調で声を投げてくる。

 店内を軽く見回したが他に店員はいないようだから、ゆったりと足を進めてカウンターに近づいた。

 おちついたテンポで、低めの声で、堅苦しくない口調で。

 女だとばれてもいいから、舐められないように。

 内心で繰り返してから、店主に微笑みかける。

「こんばんは。今夜泊りたいんだけど、ひとり部屋空いてますか」

 酒を素焼きのコップに注いでいた店主はじろりと私を見る。

「うちには一人部屋なんてねえよ。二人部屋なら銀貨三枚先払い、飯代は別だ」

「食事はいくらですか」

「夜が銅貨五枚、朝が銅貨三枚。こっちも先払いだ」

「じゃあ夜と朝の食事つきでお願いします」

 カウンターに銀貨四枚を置くと、店主は無造作に掴んで壁際にある蔓篭に入れ、そこから摘まみだした銅貨二枚をカウンターに置いた。

「飯は今食うのか」

「はい」

「座んな」

「はい。

 あ、すみません、先にトイレ使わせてください」

「奥のドア出て左の突き当りから外に出て、奥だ」

「ありがとう」

 愛想が悪いが、酒場ならこれでも丁寧な方だろう。

 お釣りをポケットに入れ、教えられた場所でさっさと済ませて戻ってくる。

 人前でトイレの場所を聞くことも、穴を掘っただけのトイレも、もう慣れたものだ。

 カウンターの席に座ると、すぐに食事が出てきた。

 大きめに切られた肉と野菜がごろごろ入ったシチューの木の深皿、私の拳より一回り大きい黒パンが一つ、それに水が入った木のコップが目の前に並べられる。

「シチューとパンはおかわり一回まで。どっちも銅貨一枚だ」

「ありがとう。おかわりは、食べてから考えます」

 食前の祈りを簡単に済ませて、まずは固い黒パンを一つ分細かくちぎってシチューにひたした。

 それから、深皿に最初から入っていた木のスプーンでそっとシチューをすくって口に運ぶ。

 味付けは塩だけのようだが、よく煮込まれた野菜も肉も口の中でほろりととろけて、美味しかった。

 昨日の宿の、何が入っていたのかよくわからなかったどろどろのシチューとは、比べ物にならない。

 なのに値段は半額ほどということは、昨日はやはりぼったくられたのだろう。

 女だとはばれてなかったようだから、十代半ばの少年に見えるせいだろうか。

 考えながらも柔らかくなったパンとシチューを交互に食べ、最後はパンで深皿を拭うようにして食べ終えると、満腹になった。

「ごちそうさま。おかわりはいいです」

 深皿の横に銀貨を一枚置いてから声をかけると、店主が黙ったまま食器を回収していく。

 最後に残った銀貨を見て、店主が眉をひそめた。

 訝しげな視線を、まっすぐに見返す。

「迷い森の奥に行きたいんで、確実に連れて行ってくれる案内人を紹介してもらえませんか」

 迷い森の中は磁石がきかないうえに巨木が多くて薄暗く、しかも凶暴な獣が多い。

 領主の命令で森の中央を貫く街道を作った際は、多数の犠牲者が出たらしい。

 街道を外れて奥に踏みいったら、戻ってこられないと言われている。

 だが、迷い森にしかない貴重な植物は薬効が高いから、それ目当ての商人が後を絶たず、彼らを目当てに森の入口の村には【案内人】と呼ばれる剣士や傭兵がいるのだと、国を出る前に聞いていた。

 店主は銀貨を取って再び蔓篭に入れると、しばらく間を置いてから言う。

「金はあんのか」

「一応は」

「なら、細かいことは直接交渉しな。

 エッジの旦那、客だ」

 店主の視線を追うと、カウンターの一番奥の席にいた人がこちらを見た。

 ゆったりしたマントを着てフードを頭から深くかぶってうつむいているから顔はわからないが、男のようだ。

 隙のない動きで椅子を降りて近づいてきて、立ち上がった私の三歩手前で止まる。

 マントの下には、胸を鋼板(こうはん)で覆った革鎧と、使い込まれた長剣が見えている。

 剣士としては一般的な姿だ。

 背は私よりも頭一つ分ほど高いものの、細身だから威圧感はない。

 なのに、全身にまとう鋭い雰囲気に押されて、こくりと息を吞む。

 (エッジ)という名にふさわしい、ぴりりとしたものが感じられた。

「迷い森の奥に案内を頼みたいんだとよ」

 店主の言葉に、エッジと呼ばれた目の前の人がわずかに顔を上げると、無精髭に覆われた口元が見えた。

 歩き方や体つきは若いように見えたが、『旦那』と呼ばれていたし、髭は白っぽいから、それなりの年齢だろうか。

「何しに行くんだ」

 感情のこもらない低い声の問いは、愛想はないが話をする意思は感じられて、内心ほっとする。

 流れの傭兵や兵士崩れは気性の荒い者が多く、話が通じないこともあるが、少なくともこの人は問答無用で切りつけてくるようなタイプではなさそうだ。

 それでも油断はしないようひそかに身構えながら、正直に答える。

「迷い森の奥に住んでいる、アンという女性に用事があるんです」

「……あいつの客か」

「アンさんをご存知なんですか?」

「多少はな。だがあいつは人嫌いだから、行っても会えるとは限らねえぞ」

「アンさんの知り合いの方から、紹介状をいただいてます」

「……目的はアンに会うことなんだな?」

「はい」

「なら、ここと迷い森のアンの家までの往復の道案内兼護衛、必要なもんはそっち持ちで、金貨二十枚だ」

「二十枚、ですか」

 預かっている金貨は合計五十枚だから、払えない額ではないが、なるべく出費は抑えたい。

 とはいえそこが目的地なのだから、確実にたどりつける案内人が必要だ。

「おいおい。いくら迷い森でも、道案内で金貨二十枚はぼったくりだろう。

 俺なら十枚でやってやるぜ」

 考え込んでいると、横手から声がかかった。

 そちらを見ると、傭兵風の中年の男がすぐ横のテーブルから立ち上がって近づいてくる。

 身長はエッジさんと同じぐらいだが、身体の厚みは倍ぐらいある。

 大振りの戦斧(せんぷ)を背中にさしていた。

「俺は長年ここの街道を通って、隣国へ行き来してるからな。

 街道は隅から隅まで知りつくしてるぜ」

 自慢げに言う男に、エッジさんは淡々と返す。

「こいつの目的地は、街道から外れた森の奥深くだ。

 街道から外れれば、目印もなく磁石もきかねえ。

 森の奥には、街道沿いには出ねえ凶暴な獣がうろついてる。

 それでも無事に行って帰ってこれる自信あんのか?」

 冷ややかな声に男が言葉に詰まる。

 今の言葉は、裏返せばエッジさんには無事に行って帰ってこれる自信があるということなのだろう。

 それなら、金貨二十枚は妥当な値段だ。

「エッジさん。

 あなたに、お願いしたいです」

 まっすぐに見つめて言うと、見えていた口元が少しだけ柔らかくなった気がした。

「……ああ」

「……ッチ。後悔すんなよ」

 捨て台詞を残してテーブルに戻っていく男を無視して、軽く礼をした。

「私はコディといいます。よろしくお願いします」


☆☆☆☆☆☆☆


 エッジさんもこの宿に泊まっていたから、私の部屋に来てもらって話をすることにした。

「あ、結構きれい」

 店主に渡された鍵でドアを開けて、一緒に渡されたランプを掲げて部屋を見回すと、思わず声がもれた。

 窓はなく、簡素な木製のベッドが左右の壁際に置かれ、その間の小さな木のテーブルの上に水差しと、ベッドの足下に荷物を入れる為の大きな蔓篭がそれぞれあるだけだが、きちんと掃除がされているし、ベッドに掛けられた毛布も厚手のものだった。

「あ、すみません、入ってください」

 背後にエッジさんがいたことを思い出し、あわてて振り向いてドアを押さえて言うと、エッジさんは黙ったまま軽く顎を動かして中を示す。

「なんですか?」

「……先に入れ」

「あ、はい」

 意味はわからないものの、言われた通り中に入り、ランプをベッドの間のテーブルに置く。

 ゆっくり入ってきたエッジさんは、閉めたドアにもたれるようにして立った。

「えっと、椅子がないので、ベッドに座ってください」

「ここでいい。おまえは座れ」

「え、でも、……わかりました」

 有無を言わせない視線の圧力をフードの下から感じて、おとなしく右側のベッドの端に腰掛ける。

 背中のリュックをおろして横に置いて、エッジさんに身体を向けた。

「えっと、まず何から相談しましょうか。あ、『必要なものはそっち持ち』って言われましたけど、何が必要なんですか?」

「……………………」

 しばらく黙っていたエッジさんは、感情のこもらない声で言った。

「相談の前に、アンについて知ってることを話せ」

「え? ……えーっと。なぜでしょう」

 アンさんは、貴族の間ではひそやかな有名人だが、そのせいで嫌な目にあって、数年前から迷い森の奥に隠棲しているそうだ。

 エッジさんがアンさんと知り合いだとしても、どれぐらい事情を知っているのかはわからない。

 なのに、私から言ってしまってもいいのだろうか。

 だけど、エッジさんも同じように思ったから、私に話せと言っているのかもしれない。

 だとしたら、全部話した方がいいのか、いやでも。

「……おい」

「はいっ、申し訳ありませんっ!」

 低い声の呼びかけに含まれた呆れを感じ取って、反射的に立ち上がり、びしっと背筋を伸ばして敬礼する。

「…………」

 エッジさんは、なぜかかすかなため息をついてから淡々と言った。

「おまえ、女で、オールドランドの近衛騎士で、白百合騎士団で、貴族だろ」

「!?」

 問いかけ、ではなく、確かめる言葉に驚く。

 部屋に入ってからは声を作るのを忘れていたから、女だとばれるのは仕方ないにしても、それ以外はなぜわかったのだろう。

「……あ、もしかしてどこかで会ったことありますか?」

 エッジさんの顔はまだ見せてもらってないし、こんな独特の雰囲気のある人は忘れようがないと思うが、昔から人の顔をおぼえるのは苦手だから、断言はできない。

「会ったことはねえが、女なのは、声でわかった。

 オールドランドの近衛騎士なのは、敬礼の仕方でわかった。

 白百合騎士団なのは、マントの留め具の紋章でわかった。

 貴族なのは、オールドランドは貴族しか近衛騎士になれねえからだ」

「なるほど……」

 簡潔な説明に、思わず感心の息が漏れた。

 よほど間抜けな顔をしていたのか、フードから覗く口元がわずかに緩む。

「……座れ」

「あ、はい」

 言われるままに座り直してから、胸に手を当てて謝罪の礼をする。

「えっと、隠してたわけではないですが、言ってなくてすみません。

 でも、よく御存じでしたね。

 近衛騎士の敬礼はともかく、白百合騎士団の紋章なんて、国内でもあまり知られてないのに」  

 確かにこの留め具には、白百合騎士団の紋章が入っている。

 服も剣も私物でそろえたが、この留め具は使いやすくて気に入っていたのと、いざという時の身分証も兼ねていたから、つい付けてきてしまった。

 だが、国王陛下専属の金獅子騎士団ならともかく、王女殿下専属の白百合騎士団はたいして有名じゃないから、国内でも一度も指摘されなかった。

 それを、他国の、しかも辺境の、そのうえ平民らしき人に、一目でばれるとは思わなかった。

「白百合騎士団のおまえがアンに会いに行くのは、主命(しゅめい)か?」

「あ、は」

 はい、とうなずきかけて、思い出す。

 この任務を命じられた時に、『くれぐれも内密に』と言われたのだ。

 命令は絶対だが、危険な場所への案内を頼むのだから、正直に言った方がいいだろうか。

 悩んでいると、エッジさんは小さく息をつく。

「……よくそれでここまで無事にたどり着けたな」

 半ば呆れたように言われて、さっきの反応では認めたのと同じだと気づく。

「すみません……」

「……おまえ、近衛騎士になってどれぐらいだ」

「まだ三ヶ月ですが、騎士として勤めたのは二ヶ月ほどで、一ヶ月はここまで旅してきました」

 密命だからなるべく目立たないようにと言われ、徒歩での旅になったから、王都に戻る頃には、騎士の期間より旅人の期間の方が長くなりそうだ。

 規律だらけの騎士よりは旅人の方が気楽でいいし、図鑑でしか知らなかった様々な植物を見られたから、文句はないが。

「じゃあ、十八か」

「はい」

 近衛騎士の入団試験は十七歳で受け、一年の見習い期間を経て十八歳で正式入団となる。

 そんなことまで知っているということは、実はエッジさんも我が国の騎士だったのだろうか。

「話を戻すぞ。

 おまえは、アンが【歌う魔法者(まほうしゃ)】だと知っていて、会いに行くのか」

「……はい」

 魔法を使える人、通称魔法者は、今の時代には数が少ない。

 かつて迫害された歴史もあり、誰にでも話せることではないが、エッジさんが知っているなら、これ以上ごまかす必要はないだろう。

「会いに行く理由が、アンを(あるじ)のところに連れていくってのなら、止めておけ。

 あいつは森を出る気はねえし、権力者を嫌ってるから、行くだけ無駄だ」

「あ、いえ、招待したいわけじゃないんです」

「なら、あいつが作る【歌う石】目当てか」

「はい」

「……【歌う石】を作るには、魔法を使う必要がある。

 つまり、おまえの真名(まな)をアンに教えなけりゃならねえ。

 それを承知の上か?」

「え」

 目を見開くと、エッジさんの気配が変わった。

 酒場で初めて対面した時と同じ、ぴりっとした冷たいものが空気に混じる。

「知らされないまま、命じられたのか」

 低い声には、明確に怒りが感じられた。

 殺気にも似たそれに、身体が震える。

「……すまねえ」

「ぇ、あ、いえ……」

 私の様子に気づいたのか、エッジさんはすぐに気配を抑えてくれた。

 知らず止めていた息を大きく吐いて、深呼吸する。

「……真名を伝える必要があるとは、知りませんでした。

 でも、主から直接命じられたわけじゃないんです。

 詳しい事情は言えませんが、先輩から、主の無聊(ぶりょう)を慰める為に入手しろと命じられたんです」

「命じられたのは、おまえだけか」

「いえ、本当は直接命じられた先輩が二人いたんです。

 そのうちの一人が私の指導役で、私は雑用係みたいな感じで付いてくるよう言われたんですが、お二人は平民としての旅に耐えられなくて、三日目で脱落してしまって、結局私だけでここまで……。

 ……もしかして、先輩達は、真名を伝えないといけないと知ってたんでしょうか」

「だろうな。面倒なことはおまえに押しつけて、手柄は横取りするつもりなんだろう」

「あー……」

 王女殿下専属の白百合騎士団には女性騎士しかおらず、騎士としての訓練を受けてはいても、本質は貴族の令嬢だ。

 普段の遠出はすべて馬車だから、自分で荷物を背負って歩くことなどできないと、荷物持ちとして私が呼ばれたのだ。

 だが、身軽になっても歩き続けることはできず、三日目で『足が痛くてもう歩けない』と言い出した。

 指導役の先輩が『私達はこの宿で待ってるから、あなただけで行ってきてちょうだい』と言った時の、どこか嫌なものが含まれた笑みは、田舎者のおまえは歩けるだろうという意味だと思ったのだが、そんな裏もあったのか。

「単なる騎士ならともかく、貴族であり近衛騎士でもあるおまえが、魔法者に真名を知られることの危険性は、わかるか」

「……はい。

 真名で命じられたら、魔法者の命令に逆らえないってことは、知ってます。

 でも、アンさんの魔法は歌に関するものだそうですから、危険はないでしょう。

 それに、私は、騎士ですから」

 たとえ真名で命じられなくても、命令を拒否することはできない。

 旅立つ前に教えられていたとしても、結局ここに来ることになっただろう。

「……………………そうか」

 ぽつりと言ったエッジさんは、顔が見えないままなのに、なぜか寂しそうに見えた。


 仕切り直すような間を置いて、エッジさんが言う。 

「騎士に成りたてとはいえ、詐欺にも追剝にもやられずに、オールドランドの王都からここまで一人で来れたってことは、それなりに腕は立つのか」

「いえ、まだまだです。

 アトリー団長には怒られてばかりで……」

「……アトリー?」

 エッジさんの声がわずかに鋭くなる。

「あいつが、団長なのか」

「はい。

 アトリー団長をご存じなんですか?」

「…………昔、ちょっとな」

 どこか懐かしむような、せつない声だった。

「アトリーにしごかれてんなら多少は使えそうだが、野生の獣を相手にしたことはあるか?」

「いえ、ありません」

「だろうな。

 ……実戦じゃあ一瞬の油断が命とりだ。

 おまえだけじゃなく俺の命もかかってる。

 旅の間は、すべて俺が指示を出す。

 それが嫌なら、他の案内人を探せ」

「いえ、エッジさんの指示に従います。

 よろしくお願いします」

 もうばれているから気にせずに、立ち上がって騎士の礼をする。

「……おまえ、近衛騎士には向いてねえな」

「そうですか?」

「王族を護る近衛騎士ってのは、ある意味国の権力の象徴だ。

 国中から選ばれたエリートが、そんな簡単に流れの剣士なんかに頭下げんな」

 どこか自嘲めいた言葉に苦笑する。

「私は家柄と、父のゴリ押しで入れただけです。

 性格的には向いてないと、自分でも思います。

 でも、世話になる人に頭を下げるのは、騎士でも当然のことだと思います」

「…………」

 エッジさんはしばらく黙っていたが、やがてどこか柔らかい声で言った。

「あいつが気に入るわけだな」

「え?」

「……なんでもねえ。

 ここからアンの家までは片道二日ってとこだが、往復で六日分は食料を用意した方がいいだろう。

 この宿は案内人向けの物資の販売もしてるから、後で店主に頼んでおく。

 前金として、金貨一枚よこせ」

「あ、はい」

 あわててリュックを漁り、奥底に隠してあった革袋から金貨を一枚出して、エッジさんに渡す。

「出発は、明日でいいか」

「はい」


 細かい相談が終わると、一呼吸おいてから、エッジさんはマントのフードを取った。

 (とし)は、三十代半ばぐらいだろうか。

 少し長めの髪と瞳は淡い灰色で、黒髪黒目の者がほとんどのこのあたりでは珍しい。

 色合いが薄いのと表情がないせいで、人を寄せつけない雰囲気があった。

「……見てわかるように、俺の外見は、このあたりじゃあ目立つ。

 昔色々あって敵が多いこともあって、人目があるところでは常にフードをかぶってる。

 もし俺について誰かに何か聞かれても、知らないと答えろ」

「……はい」

「それと、なるべく俺の名を呼ぶな」

「……わかりました」

 とまどったが、理由を問いかけはしなかった。

 店主の態度からすると、お尋ね者というわけではないだろうし、必要なこと以外ほとんど話さない人がわざわざ言うぐらいだから、そうするべき理由があるのだろう。

 そもそも、流れの剣士や傭兵は定住したくない、あるいはできない事情で放浪している人がほとんどだから、表面的な付き合いだけにして個人的な事情には踏み込まない方がいいと、旅の途中で知り合った商人さんが教えてくれた。

 嫌だと思うことを事前に伝えてもらえるだけありがたい。

「夜が明けたらすぐ出るから、今夜は早めに寝ろ。

 俺が出たら、すぐ鍵を掛けておけ。

 おまえが女で、大金を持ってることは、酒場にいた奴全員にばれてると思っとけ。

 誰か来ても、鍵を掛けたまま対応しろよ」

「わかりました」

 顔を見せて、私を気遣う言葉をくれたことで、近寄りがたい雰囲気が少し薄れた気がした。

 これなら、旅の間うまくやっていけそうだ。

「ん。じゃあな」

「はい。おやすみなさい」

 小さくうなずいたエッジさんは、再びフードをかぶると部屋を出ていった。

 言われた通りしっかりと鍵を掛けると、置いてあった水差しの水でタオルを濡らして身体を拭き、下着を替える。

 万が一のことを考えて、服は着たままで、剣は枕元に立てかけておく。

 ランプの灯りを弱くしてベッドに入り、毛布をかぶる。

 目を閉じるとすぐ眠りに落ちた。

魔法や真名については、3話目で詳しく出てきます。


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