幽霊式膝枕
幽霊と同居してから約一週間が過ぎただろうか。美緒は俺が会社から帰ってきたら、毎度のごとく甘やかそうとした。俺としては、毎日のごとく部長に叱られていたので、傷をすぐに癒してくれるのはとても嬉しかったのだが、
「俺は、何か美緒に出来ることはないのだろうか」
俺は一方的に甘やかさせている。その事実にだんだんと罪悪感を募らせていた。もちろん、美緒にとって一番の幸福は俺を甘やかす事なのかもしれない。しかし、そんな美緒に何かお礼をしたいのも事実だ。それに、
「どうしてそこまで甘やかす事にこだわるのだろう」
「何余計なことを考えているのですか?さっさとあたしに甘やかされなさい!」
「余計って、美緒はそれでもいいのかよ」
俺は会社に帰った後、すぐに部屋に入るや美緒にお礼がしたいと言ったのだが、この調子ではまた一方的に甘やかされて終わりだ。しかし、
「まあ、確かに俊介さんが不思議に思うのも無理はないですね。俊介さんは、私にとってどれほど恩人なのかを」
「恩人?俺は美緒を助けた覚えはない」
俺は一週間前に初めて美緒に合った。しかし、その一週間で美緒を助けた記憶はなかった。
「まあ、信じてもらえないでしょうね。俊介さんに助けてもらったのは数年前の話なのですから。もっと言えば俊介さんが知るはずのないことなのですから」
「知るはずのないこと?どういうことだ?詳しく聞かせてくれ」
一瞬の間美緒が黙った。そして、再び口を開いた。
「いいですよ。ですが絶対に笑わないでくださいね」
「笑うものか」
※ ※ ※
あたしは子供の時から両親に甘やかされて育ちました。愛情を大いに受けて私は育ちました。けれどあたしの性格はとても褒められたものではありませんでした。
素行があまりよくなかった私に対して両親はどれほど苦労したか、それは今でもわかりません。次第に反抗期に突入したあたしは特に母と衝突する日が次第に増えていきました。
そして、大学生になるとすぐにあたしは家を出ました。あたしは勉強の成績は良かったので東京の私立大学に受かることができて、初めて上京しました。逃げるように家を出たのですが、それでも両親はあたしを応援してくれました。当時のあたしは、そのありがたさを実感していないようでしたけどね。
「そして、この家に引っ越してきたということか」
ええ、そうですよ。この家の大家さんはいつもツンツンしていましたが優しい人でしたよ。
「俺にはいつも脅しにかかるおばさんにしか見えていないのだが」
まあまあ、そう言わずに。だからこそ久しぶりに大家さんを見たとき少しびっくりしてしまいましたけどね。
話を戻しますけど、こうしてあたしはこの家に引っ越してきたわけです。最初は初めての一人暮らしで苦労しました。けれど、徐々に慣れて、友達もできて、順風満帆の生活を送っていました。
「……………」
しかし、終わりは突然終わるものです。俊介さんも知っているでしょう。今から十一年前の悲劇を。
「……………」
あたしが大学三年生の時、夜遅くまでアルバイトをやっていて、それこそ初めて話した時の俊介さんくらいに疲弊した体で帰宅しました。玄関のかぎを開け、ドアを開けると、懐中電灯の光があたしの顔を照らしました。すぐに、あたしの部屋に空き巣に遭っていることに気付きました。
私はすぐさま悲鳴を上げました。しかし、それがあたしの最後の声になりました。空き巣犯は動転して、ナイフを取り出し、あたしの左胸を刺しました。激痛とともに意識を失う直前に大家さんの怒号が聞こえました。
気付けば、あたしは幽霊となっていました。
あたしは、幽霊になりたてのとき、どれほど空き巣犯を恨んだことでしょう。どれほど呪ったでしょう。そして、万引き犯を呪おうとして部屋の脱出を試みましたが、できませんでした。そう、あたしは地縛霊だったのです。
あたしは恨みと孤独のつらさで日に日に悪霊になりかかっていました。しかし、六年前、事故物件だと知りながら俊介さんはこの家に引っ越してきました。
当時の俊介さんはキラキラに輝いていました。暖かいものがあたしにも伝わってきて、気付けば勝手に涙が零れていました。孤独の寂しさが埋められた気がして、その時ほどうれしかったのは久しぶりだったと思います。そして、あたしは悪霊にならずに済んだのです。
「なるほど、美緒が俺に助けられたという理由はよくわかった」
そして、今俊介さんが考えているように、何かお礼がしたいと思って、何ができるかひたすらに考えました。そして、あたしは俊介さんの精神が弱くなっていることに気が付きました。
「俺が今の会社に入社した時の話か」
おそらくそうでしょうね。その姿を見て、以前の俊介さんのようなキラキラに輝いていた状態にしたいと思いました。そして、出来そうなことをあたしなりに考えた結果、俊介さんを甘やかしたいと思うようになったのでした。
※ ※ ※
つまり、今のお礼をしたいこの気持ちと何一つ変わらないわけであった。俺は美緒を救い、美緒は俺を救った。
「あたしが俊介さんを甘やかしたい理由はお分かりになりましたか?」
「ああ、お互いがお互いを助けていたということがな」
「信じてくれて嬉しいです。ですが、あたしがやりたいことがまだ残っています。これをやらずに昇天するのは御免ですよ」
「何がやりたいんだ?」
「膝枕です!」
どや顔でそう言い放つ美緒が可笑しくて、笑ってしまう。まさか、今すぐに甘やかしたかった理由が膝枕をやりたかっただなんて。
それがばれたのか、一瞬恥ずかしそうな顔をした美緒だったが、すぐにまた笑顔になって、笑った。ひとしきり笑った後、
「いいけど、膝枕できるのか?」
「直接は出来ませんけど、可能ですよ」
直接できないのに、どうやるのだろうか。気になってしょうがなかった。
「では、枕を取ってきてください」
俺は言われた通り枕を取ってきた。
「では、下に置いてください。そうそう、そこで大丈夫ですよ」
美緒は立ち上がって、俺の横までやってきた。そして、再び座った。綺麗な正座だった。ただし、正座した場所が枕の位置と全く同じだった。彼女の足は透けて、枕を貫通していた。
「では、枕を頭にして仰向けになってください」
言われた通り枕を頭にして、仰向けになった。ポスっという音とともに枕がへこむ。しかし、枕に暖かいものを感じた。
「さすがに脚全体を実体化できるほどの力は残っていないのですが、枕を媒体にすれば可能なんですよ」
笑顔で美緒がこちらを見てくる。そして、俺はだんだん恥ずかしくなってきた。
顔が赤くなっていく。そんな俺の姿を見て、
「にひひ~、俊介さんったら、可愛いんだから~」
「うるせー、お前は俺の彼女かっ!」
「少なくとも、この一週間は同居した間柄じゃないですか」
「……………」
さらに恥ずかしくなり、黙ってしまう。すると、美緒は俺の頭を撫でてきた。
「いいですか、俊介さんはいまキラキラを取り戻そうとしています。そして、あたしも今胸が暖かいもので埋め尽くされています。俊介さんはこれから会社で大活躍し、あたしは昇天するでしょうね」
「…消えちゃうのか?」
「消えちゃうって人聞き悪いですね。この後は、俊介さんの心の中に生き続けますよ。だから、こう考えれば良いじゃないですか。チョーかわいいお姉さんが心の中でお守りとして生き続けている、と」
「確かに、チョーかわいいお姉さんのお守りは良いな。大事にしなきゃな」
「ひぃえぇ!?ちょっと、そこは、「自画自賛が過ぎる!」でしょう!」
一瞬赤面したかのような表情を見せ、可愛い悲鳴を上げる。いつも余裕ぶっている顔をしているから、こんな一面もあったことが可笑しくて、思わず笑ってしまった。
「わ、笑わないでくださいよ!まったく、俊介さんもいうようになりましたネ…」
「まあ、悪かったって。でも、これからもよろしくな!天から俺の活躍を眼に焼き付けとけ」
「もちろんです!」
美緒は今日一番の笑顔をみせた。その笑顔はとてもかわいかった。
今、お互いはキラキラ輝いていた。そう俺には見えた。