1話 廻沢高嶺、初めての召喚
「さて、準備はいいかしら?高嶺先生」
手に持った書類に目を通しながら、短めのポニーテールを揺らしスーツ姿の女性は顔も上げずに声をかける。
「もうちょっと待ってくださいよ、明穂さん、ここを…こう描いてっと。よし、おっけーです」
眼鏡をかけた優しい雰囲気の青年が、地面に描いていた線を描き上げて立ち上がり、出来上がった魔法陣を満足げに見下ろす。
明穂と呼ばれた女性は、書類から目を上げて完成した魔法陣を目を細めて眺める。
「…いい出来ですね。あ、でもそこの図形、少しずれてますよ。あとここ、少し色が薄いですね。呪脂はケチらないほうがいいですよ。失敗例が増えるという話をよく聞きますし」
明穂はそっと指で修正箇所を指示してから視線を書類に戻す。
高嶺はそんな明穂を見て頭をポリポリと掻き
「それって通説だって先生が言ってましたよ?それに呪脂は高いもんでケチりたくなっちゃいません?」
そう言いつつ高嶺は刷毛を手に持ったバケツに突っ込み、腰を折って指摘された場所を直し始める。
明穂は書類の最後にサインを入れると、書類を挟んだバインダーごと近くのテーブルの上に放り投げてから、顔を上げて腕を組む。
「私は失敗したってかまわないんですよ?でも先生は困るでしょ?初めての召喚で失敗した新人召喚士。なんてレッテルは今後の活動に支障をきたすこと請け合いです。『網無くして淵にのぞむな』と言うでしょう?」
明穂は少し高嶺を見下ろすように顔を少し上げて指を立てて妙なことわざを使う。
その仕草を見て高嶺は少し笑い
「そんなマニアックなことわざ普通使いませんよ」
明穂は時々へんなことわざを使うのを好んでいるようだった。
「よし、今度こそできましたよ」
高嶺は勢いよく立ち上がり持っていた刷毛をバケツに放り込んで背伸びをする。
明穂はもう一度魔法陣を眺めて
「いい出来だと思います。いい獣人をお迎えできるといいですね。改めて今回の依頼人は3人、2人は年配者で介護目的、1人は接客業のスタッフ補充のためです。急ぎは介護の方ですね。男性でも女性でも可ですので失敗でない限りは1つの依頼は完了するはずです」
明穂の依頼内容確認に頷く高嶺。
少し緊張気味だった高嶺は目を瞑って空を仰ぐ。
そして大きく息を吸って2秒ほど止めてゆっくり息を吐く。
そして少し下がった眼鏡を上げてまじめな顔で明穂を見て
「では契約召喚を行いたいと思います。立ち合いの方よろしくお願いします。松野監査官」
明穂は少し微笑んで
「了解しました。廻沢先生。初の召喚、うまくいくことを願っていますわ」
明穂はそう言って数歩後ろに下がりサングラスを出してかける。
暗がりの室内に突然バン!!という音を立てて光が差し込む。
「おっと!!なんとか間に合ったようだ。今から本番のようだね!!」
大きな声を上げて一人の男が扉を開けて入ってきた。
その男を見て緊張気味だった高嶺は顔を緩めて笑い、明穂はすごく嫌そうな顔をして横を向き聞こえるように舌打ちをした。
「芝野くん。今日はこないのかと思ってたよ」
高嶺は入ってきた少し体格のふくよかな男に声をかける。
「ふふん。君の晴れ舞台にこの僕がこないわけがないだろう。それに君なら僕好みのケモナーを召喚してくれると信じているのだよ」
芝野と呼ばれた男はとてもよく響く声で高嶺に声をかける。
その声に少し苛立ちを覚えた明穂が
「芝野さん、今日は部外者立ち入り禁止とお伝えしたはずですが?」
鋭い声で叱責されたが芝野はヘラヘラ笑いながらこの部屋の奥まで歩いて行き、そこにあった椅子を引き寄せて背もたれ側を前にしてドスンと座り
「明穂くん、僕は高嶺くんの助手兼マネージャーだよ?部外者はひどい」
そういって意地の悪い笑みを浮かべた。
明穂はカッとなり芝野に向かって歩みだそうとしたとき
「明穂さん、彼は気にしないでいいです。彼の言う通り助手としてやってもらってますから」
高嶺は優しく明穂を止める。
そう止められると明穂は納得はいかなかったが目を瞑りゆっくり深呼吸をして芝野に背を向け
「わかりました。すいません、集中を切るような真似をしてしまって。作業を続けましょう」
明穂は首を垂れて謝罪をして静かにする。
高嶺は明穂にニコリと微笑み魔法陣の前に立ち目を閉じてゆっくりと深呼吸をする。
少しの静寂が続き
高嶺はゆっくり何かを握り込んだ右手を前に突き出す。
そしてゆっくりと静かに誰にも聞こえないようになにかを囁き始めた。
ボソボソと高嶺が声にならない囁きを続ける。
それはまるでただ吐息を吐いているだけにも聞こえた。
静かな空間の何もない魔法陣がゆっくりと光を放ち始める。
それはよく見なければ分からないほどの光で始まり徐々にその輝きが増していく。
魔法陣自体が光を集めているかのごとくゆっくりと確実に魔法陣は光っていく。
そして徐々に閉じられたこの空間に風が起こり始める。
ゆっくりと空気が動きそれは徐々に早くなる。
まるで光と共に空気が魔法陣に集められているように徐々に渦巻いていく。
すでに光で魔法陣は見えなくなり
風が周りの埃を巻き上げながら渦巻いている。
室内は台風の暴風圏になったように強い風が巻き上がる。
明穂も芝野もその状況にさして驚くでもなく、じっと高嶺と魔法陣を見据えていた。
激しい光の乱舞と小さな竜巻が室内を荒らさんばかりの状況の中、大きな落雷が落ちたようなズドン!!という音と共に部屋に鳴り響き、それを合図に光が一度収束し、まるで光の薄氷でつくられたような「SSR」の文字が浮かびあがり、パリンという音が聞こえそうな雰囲気で文字が砕ける。
徐々に収まりはじめた光と風の中心地に確かな人影が3人の目に映る。
成功した。高嶺は確信した。
胸の鼓動が高鳴る。初めて自らの手で獣人を召喚したのだった。あの朱い髪の獣人を見てから彼女に魅入られて召喚士を目指した。
あれから16年。高嶺はついに自らの夢をかなえたのだった。
ゆっくりと光は衰え、風がゆっくりと収まり始め巻き上げた埃が地に落ちて行き視界がクリアになっていく。
そんな光の中に白い耳がぴょこりと見える。
大きな狐の耳だった。
白い、いや光をキラキラと反射するそれは白銀。肩までの長さの白銀色の髪が風でふわふわと舞い光を振りまいていた。
そして白い、まるで陶磁を思わせるような透き通るような白い肌が・・・・
肌が見える。胸元、背中まできれいな白い肌が見え高嶺は目が見開かれる。綺麗な大理石の彫刻のようなたたずまい。
そしてふわっと埃を巻き上げて動いた綺麗なモフモフの尻尾。
それもまた白銀の綺麗な尻尾であった。
高嶺はその尻尾に目を奪われる。美しい毛並み。
輝かしいその白銀の先端がうっすらと金色に光っていた。
「綺麗だ・・・・」
そう呟いた高嶺の声でハッと我に返った明穂が
「うおっほん!!、男性諸君、今すぐ目を瞑って後ろを向きなさい!!」
そう大きな声で一喝した。
その声で高嶺は我に返り魔法陣の中心にいる人物をまじまじと見てから慌てて後ろを振り返り
「ご、ご、ごめんなさいっ!!!」
そうどもりながら謝った。
そんな高嶺のことは気にせずに明穂は素早く近くに置いたバインダーを手に取り
自分の後ろで鼻の下を伸ばす下品な男にバインダーを投げて撃墜する。
助平な男は顔面にバインダーを張り付けたまま椅子から転げ落ち後方へと倒れた。
魔法陣の真ん中にいたまるでガラス細工のように透き通る肌をした獣人は
・・・全裸だった。