3回目なので、もういいよね。
拙作【やっと終わる】のヒロイン・ダリアータと似たような設定で、でも違う設定。似ているところがあるかもね、くらいの。ダリアータの幸せな結末は、こんな風だった……かもしれない。そんな話です。
*ダリアータは出て来ません。
大きく溜め息をついた。
「3回目だわ」
ポツリと零したのは、ファラン侯爵家長女・ジュネーヴェラ。目を覚まして周囲を見れば、王都にあるファラン侯爵家の自室。という事は、全寮制の王立パルペン学院入学前なのは確かだ。貴族の令息・令嬢は誰であっても、15歳から18歳までこの学院に通う事が義務付けられている。
ベッドから起き上がりクローゼットを確認すれば、パルペンの制服が無い。という事は学院入学前1ヶ月以上は確実。あの制服は入学1ヶ月前にジュネーヴェラの元に届いたのだから。それから姿見の前に立つと入学直前の自分の姿に思えた。
「今は……14歳かしらね」
さて。どうしようか、と考えあぐねる。カーテン越しに漏れた太陽の光具合に朝なのだろう。となると、彼女が起こしに来てくれるはず。ギリギリまで私の専属侍女を務めてくれていたハンナが。
先程まで寝ていたベッドに腰かけた時カサリと音がした。首を捻ったジュネーヴェラは掛け布団をめくり上げる。そこには黄ばんだ封筒が5通あった。
「まさか、また私と一緒に来たの?」
ジュネーヴェラは目を丸くして急いで手に取る。2通はもう古過ぎて脆くなりかけた封筒。後の3通はそれよりもやや新しい封筒。けれど、どれも同じ人物からのジュネーヴェラ宛の手紙。その封筒は何度も何度も読み返したジュネーヴェラのあまり長くない人生の最期まで共に出来た唯一の拠り所だった。
その封筒をそっと胸に押しやってジュネーヴェラは決めた。
そこへノックが聞こえて来て扉が開かれた。ノックの音が聞こえた時点で咄嗟に枕の下に手紙を隠したジュネーヴェラは、入って来たハンナに目を向けた。
「まぁお嬢様。もう目を覚まされていらっしゃいましたか。おはようございます」
「おはよう、ハンナ」
「やはり緊張されていますか?」
「……えっ?」
「昨夜、旦那様から腹違いの妹君の事を耳にされましたものね。緊張されて当たり前でございます。妹君がいらっしゃるのは、1週間後ですが、いきなりのお話ですものね」
……ジュネーヴェラは納得した。
成る程、先ず間違いなく14歳だ。何故ならジュネーヴェラの14歳の誕生日に何を血迷ったのか、昔手を出したメイドとそのメイドに生ませた娘を引き取ると言ったからだ。……アホだろう、あの父は。どこの世界に娘の誕生日にそんな生々しい話をプレゼント代わりにするのだろう。
それは1度目のジュネーヴェラ・ファランの誕生日にぶち撒けられた醜聞だった。
もちろん、あの父が娘がどう思うか、などと繊細な感情を考えるわけがない。
本妻が政略結婚で結ばれた相手で愛を感じなかったとしても、その本妻が信頼関係を築こうとしたのを気付かずに捨てるような男だ。跡取りと嫁出し要員を生んだ本妻に見向きもせずに、メイドを囲って普段は其方に足を向けていた父を父と思えるわけがない。
本妻である母は父をいつも待っていて、いつか見向きをしてもらえると思ったまま、儚くなった。そんな母の気持ちを省みず、息子と娘であるジュネーヴェラにも親子らしい感情など与えなかった人だ。
そして本妻が他界し一応服喪の期間が過ぎて直ぐにメイドと娘を連れて来ると、娘の誕生日に発言した時点でどれだけ娘であるジュネーヴェラを蔑ろにしているか分かるだろう。
ジュネーヴェラの兄が父を諫める発言をしても、息子のくせに生意気な、と思って一蹴したようなバカ父にジュネーヴェラは何も期待する気はなかった。
そして、急がなくてはならない事も気付いていた。あの人が、兄が領地へ行ってしまい、居なくなるのはメイドだった義母と異母妹を父が連れて来て直ぐだったから。
ハンナに着替えさせてもらい、朝食を摂ったジュネーヴェラは、ハンナに兄の事を尋ねた。パルペン学院も卒業している兄は、跡取りとして仕事を覚え始めていたから共に食事が出来ない事も多々あった。
「本日は午前中は家で仕事を、午後から出かけると聞いておりますが」
「では、お兄様に至急お話がありますので、午後のお出かけ後でもお時間を下さい、と聞いておいてもらえるかしら」
「かしこまりました」
ハンナに託すと自室に戻ったジュネーヴェラは、枕の下に隠していた手紙をそっと取り出した。
そこへノックの音が聞こえてハンナだと思い、入室許可を出したジュネーヴェラは、兄であることに驚いた。
「お兄様⁉︎」
「ジュネ、なんで驚く? 俺に話があるのだろう? それも急ぎだ、と」
だから急いで来たのだ、と笑う兄にジュネーヴェラも笑って、後から来たハンナにお茶の準備を頼んでからソファーに兄を促した。
「お兄様、お忙しい中、お呼び立てして」
「いいよ。ジュネのためだ。昨夜のバカ父の話に戸惑っているのか? 大丈夫か?」
ぶっきらぼうだが、優しい兄の心遣いにジュネーヴェラは笑う。やはり兄は何度繰り返しても兄なのだ、と。ハンナがタイミング良くお茶を持って来たのでそれを受け取ったジュネーヴェラは、ハンナさえも下がらせた。
「なんだ? 余程のことか?」
ジュネーヴェラには既に婚約者がいる。
いくら血の繋がった妹とはいえ、婚約者がいる女性と二人っきりで、扉も堅く閉じているのはあまり良くないのに。
「はい」
ジュネーヴェラの緊張した面持ちに、兄・コールマンは首を傾げた。そんな兄を見ながらジュネーヴェラは机に置いていた手紙を5通、コールマンに差し出した。
「随分古そうな手紙だな。読んでいいのか?」
コールマンはジュネーヴェラに尋ねる。ジュネーヴェラが頷いたので慎重にこれから読んで欲しい、と言われた手紙を開封する。その筆跡にどこか見覚えがありながら。
『愛しい妹・ジュネーヴェラへ』
その書き出しにコールマンは息を呑む。どこか見覚えがある、どころか、それはたしかにコールマンの筆跡だった。手紙とジュネーヴェラを交互に見るが、読むように促すジュネーヴェラに何も問えず、先を読む。
そこには。
『無実のお前を救えずに済まなかった』とか『修道院はどのような状況か』とか『ダット公爵家と父と義母とグヴィルとマーゴットは許さない。必ず破滅させる』とか、恐ろしい事が書いてある。その最後には『お前を愛する唯一人の家族・コールマンより』と締め括られて。
読み終えたコールマンを見て、次の手紙を示すジュネーヴェラにつられコールマンは次の手紙を読む。
『ダット公爵とグヴィルの件は、既に聞き及んでいるだろう。公爵は醜聞で家に傷を付けるより、嫡男であるグヴィルを廃嫡して領地に幽閉する事を選んだ。父と義母は、俺がファラン侯爵家の当主に就くと同時に領地へ引っ込んでもらった。マーゴットはグヴィルと別れさせて30歳年上の伯爵の後妻へと送り出した。それでも俺の気持ちは晴れない。ジュネが修道院に送られてからずっと』
他の3通も、似たような内容だった。
「……これ、は、なんだ?」
呆然とする声のコールマン。
「信じられないかもしれませんが……」
ジュネーヴェラの声に釣られるようにコールマンが其方を見る。
「私は、ジュネーヴェラ・ファランの人生を既に2回過ごしています」
「………………は?」
「本当です。頭がおかしくなったわけでは有りませんわ。何故私は2度もジュネーヴェラの人生を歩んで……いえ、繰り返しているのか、私にも分かりません。ですが、確かに繰り返しています。……お兄様のこの手紙が何故か一緒に届くのも、私には分かりかねますが……聞いて頂けます?」
コールマンは深呼吸の後、真っ直ぐにジュネーヴェラを見て頷いた。
「最初からあの子が来るまでの日々は変わらないので省きますわね。1度目の人生は、あの子……異母妹であるマーゴットがファラン家に来て、3年目で変わりました。マーゴットは私の3歳下。来年15歳で私はパルペン学院に入学します。そして18歳の卒業時にマーゴットが入学。そこで、マーゴットは彼……私の婚約者であるダット公爵家嫡男であるグヴィル様に出会います。ここまではいいですか?」
「ああ」
「グヴィル様とマーゴットは運命のように、私の紹介ではなく、入学式の日にどういうわけかお互いに視線が合って一目惚れする……そうですわ。1度目の時、そんな事すら知らない私は、グヴィル様を将来の伴侶として努力していました」
「今もそうだな」
「ですが、グヴィル様の私に対する態度はご存知でしょう?」
「明らかに政略的な婚約者としての義務感丸出しだな。最低限の礼儀で誕生日プレゼントや、行事での贈り物はあるが、お前が何かにつけて贈り物をしていても、お礼の手紙くらいしか書いて来ないな」
「ええ。それに、月に一度の婚約者としての交流ですら、ほんの少しだけしか居ないからお分かりですわね。来て、お茶の一杯で帰ってしまわれますもの。私はそれでも結婚すれば仲良くなれる、と信じておりました。ところが学院でマーゴットと出会ったグヴィル様は、それはそれはマーゴットの側を離れませんでしたの。最初は私の異母妹と知らなかったのに、知るや否や将来の義理の妹と仲を深めるのは当然だ、と対外的にも私にも宣言して私には近寄らないのにマーゴットとは毎日毎日一緒でしたわ」
「…………なんだそれは」
「恋、ですわね。誰が見ても明らかになる程グヴィル様はマーゴットを愛していて、マーゴットも当然のように受け入れて愛していました。私、悔しかったですわ。私なりに頑張って来たのに、グヴィル様と釣り合えるように努力して来たのに、一目惚れとかでグヴィル様を奪われ。そしてグヴィル様はますます私から遠ざかりますの。だから私、マーゴットに近寄らないで、と話して。でも愛し合う2人の邪魔をしないで、とマーゴットに詰られて。私は嫉妬からマーゴットを苛めるようになりました」
「ジュネが?」
「ええ。と言っても、せいぜいメイドの子のくせに、とか、愛人の娘のくせに生意気な、くらいでしたけど。私がそんな事を言って無視するのが有名になりまして、影であの子の存在が疎ましい他の女生徒達が、教科書を破くとか仲間外れにするとか態とお茶会に招かないとか。そういう事を始めたの。そうしてそれは全て嫉妬した私の指図だ、と思い込んだグヴィル様が、私を殴りつけて糾弾し、婚約破棄を申し付けました。彼は公爵家の嫡男ですからこの件が父に直ぐに伝えられ私は学院を卒業前に退学。修道院送りになりました」
一気に説明したジュネーヴェラは、話を呑み込むコールマンをジッと見る。
「質問だが。あの父だ。マーゴットを可愛がって、お前の事は一切信じていなかっただろう」
「そうですわ」
「義母は?」
「自分のお腹を痛めた娘とそうでない私のどちらを取ると思います?」
「……成る程な。それじゃ、俺は?」
「お兄様は、マーゴットと義母がこのファラン家に来て直ぐに領地へ向かわれますわね?」
「そうだな。後継として暫く領地内を見るよう、あの父から言われていて」
「学院の長期休みに領地から戻って来るくらいでしたから、長期休みに入る前……マーゴットとグヴィル様が出会ってたった3ヶ月で全てが終わるなんて思わなかったと思いますわ。お兄様が知るのは、私が修道院送りになった事を聞かされて」
「何故だ⁉︎ 俺は跡取りで、ジュネの兄だぞ⁉︎」
「だから、ですわ。お兄様が先に知れば、止めようとしますもの。グヴィル様は私よりお兄様と関わる事が多いので、お兄様の邪魔を予測してましたの。それは父も一緒。だからお兄様に知られる前に全てを終わらせた」
「それで、この手紙、か?」
「呑み込みの早いお兄様で助かりますわ。黄ばみが進んでいる2通は1度目にもらった手紙です。私の心の支えでした。お兄様は、真相を探るため領地から出て、王都のこの屋敷とダット公爵家へ乗り込みました。父はお兄様が何を言っても、もう終わった事、と全部暴露したようで。私の代わりにマーゴットとグヴィル様の婚約も決めてしまっていて。ダット公爵とグヴィル様もお認めになった。お兄様が1人で何を言っても……と思われたのでしょうね」
「俺は無力だ。と」
「そう思われていたのでしょう。でも、手紙に有りますように、お兄様がグヴィル様と父と義母とマーゴットを破滅させて下さいました。お兄様は学院時代、第二王子殿下とご学友で、卒業後もその友人関係が継続されていた。あの父とダット公爵家はそれを知らなかったので、お兄様は第二王子殿下に話をされました。第二王子殿下が双方の意見を聞く、と城に父と義母とマーゴット。それからダット公爵とグヴィル様を呼び出され、一件について話を聞かれました」
「それで?」
「これは私も修道院入りしていますので、修道院長から聞いた話ですが。確かに嫉妬による異母妹を苛めた私は悪いが、せいぜい嫌味程度。教科書を破る、とか、お茶会に招かない、とか、別の者の仕業だと直ぐに調べれば分かる事を調べもせず、婚約者を蔑ろにして挙句に破棄を申し付けて修道院送りとは何事だ! と激怒されて、父と義母は領地から出るな、と厳命。マーゴットは30歳上の伯爵へ後妻に。ダット公爵はその場でグヴィル様を廃嫡後幽閉と処分が決まりました。ダット公爵は知らなかった、と言い張りまして確かにダット公爵が知っていて加担していた証拠が出なかったため、グヴィル様を幽閉するだけで終わりましたけど。そして……私もマーゴットを苛めた罰として引き続き修道院で反省するように、と」
「それがこの内容か」
「はい。それで終わり、では有りませんでしたが」
「…………何?」
「お兄様がファラン家の当主になって、慌ただしく過ごしていらっしゃった隙に逆恨みされた父と義母により、義母の実家であるとある商会ーーこれが裏で悪どいことをしていたのですーーが、私がいた修道院にお兄様からのプレゼントだ、と偽っておそらく毒薬入りの菓子を寄越しました。私はそれを食べて意識を失いました。多分死んだのだと思います。次に目覚めた時は、マーゴットと義母がやって来る前日でしたの」
「それが、この3通の手紙、か?」
「はい。2度目のジュネーヴェラの時にお兄様から頂いたものですわ」
コールマンは大きく溜め息をついた。
「少し、考えさせて欲しい」
コールマンに頷いたジュネーヴェラは、すっかり冷めてしまったもののお茶を飲んでコールマンを待っていた。
「……1度目の手紙と2度目の手紙が、今あるという事は、今が、3度目か?」
どれくらい時間が経ったのか、私は敢えて時計を見ていないので分かりませんが、お兄様が掠れた声で聞いて参りました。
「はい」
「2度目はどんな人生だった?」
「気付いた時は、義母とマーゴットが来る前日でした。今朝と同じく起きたら1度目のお兄様の手紙がベッドに有りましたの。それのおかげで夢では無かったと知った私は、今度は義母とマーゴットと仲良くしようと思いましたわ。その時にはお兄様はもう領地に旅立たれた後でしたが、義母からは睨まれ、マーゴットからは不気味だと詰られ。父も機嫌取りか、と嘲笑う日々でした。2度目の人生もお兄様だけが私の味方でした。グヴィル様との関係も改善しようと努力して、それまでよりも手紙を出したりプレゼントをしたり。偶には出掛けませんか? と誘ってもみました。結果は淑女から誘うなどはしたない、と叱る手紙が返って来るだけでした」
「……好きだったのか?」
「……はい。1度目の人生でマーゴットにグヴィル様を奪われた時に気づきました。私、グヴィル様をお慕いしてましたの。ですから2度目の人生で、はっきりと申し上げましたわ。マーゴットに奪われる前に。お慕いしてます。好きです、と」
「それで?」
「政略結婚の相手を俺が好きになるわけがないだろう。お前が俺をどう思おうと勝手だが俺は恋愛がしたい。それはお前じゃない。何故なら美しくも可愛くもない顔立ち。綺麗とはお世辞にも言えない燃え尽きた灰ピッタリの灰色の髪と目のお前では、俺には釣り合わん、と」
「あの男っ!」
コールマンはカッとなる。ジュネーヴェラは、顔立ちは地味かもしれないがコールマンから見れば可愛い。きちんと着飾れば。亡き母もそうだった。だからその血を引いているジュネーヴェラは可愛いと思っている。きちんと着飾ったジュネーヴェラを、まともに見ないくせに何を言っているのだろう。ただ灰色の髪と目はファラン侯爵……つまり父譲りで、それをジュネーヴェラがコンプレックスに思っていた事を知っていた。
だが、その髪と目に似合うドレスを着れば本当は美しい娘だ。あのバカの目が節穴なだけだ。そう、コールマンは思う。
婚約者のグヴィルは太陽を思わせる真っ赤な髪に青空を思わせる青い目。先先代の時には王家の美姫と言われていた王女が降嫁していて、その血を引いていて美しい。少し線が細いところが中性的な男性と言われているが、外見は美しい。
自分でそれを理解しているからこその発言だろう。
「それでも1度目の人生では、貼り付けた微笑みしか浮かべない私なんか可愛げが無い、と責めたグヴィル様を思い出しまして、いつも笑顔を浮かべて精一杯可愛く見えるように努力しました。でも、結局マーゴットには負けましたわ。だってあの子、あの義母の娘ですもの。父が可愛いから、と手を出した元メイドと同じ可愛い顔立ちに柔らかな金色の髪と若葉を思わせる緑の目ですもの。グヴィル様が惹かれるのも仕方ないのかもしれないですわ」
「それで、また、苛めたのか?」
「いいえ。今度は意地悪を言わないし、苛めている女生徒達から救いだしました。もちろん、その間もグヴィル様は婚約者である私には近寄らず、マーゴットと愛を深め合っていましたわね。だから余計にマーゴットを苛めていない、と証明するために庇ってましたわ。でも」
「でも?」
「タイミングが良過ぎたから、苛めを影で示唆して、タイミングを見て助けていたのだろう、と穿った見方をされて。やっぱり3ヶ月で婚約破棄に修道院送りですわ。その時に言われたのは、1度目の人生では貼り付けた微笑みと言われていたから、精一杯浮かべていた笑顔をヘラヘラ笑って淑女らしい微笑みも浮かべられず、影で苛めるような悪辣な性格なことを可愛くもないくせに可愛く見せようとして隠していたつもりか、と詰られました」
「……つまり、ジュネがどう努力しても、振り向いてもらえなかったのだな」
「はい。挙句、俺と釣り合わん外見で俺が好きだ、とは身の程知らずだ、と」
ジュネーヴェラの淡々とした話に、コールマンは怒りが増幅していく。今、目の前にグヴィルが居たら間違いなく半殺しの目に遭わせていただろう。
婚約者が好きで何が悪いというのか。
そもそも婚約者が居る身で、他の女にうつつを抜かす時点で、グヴィルが不貞を働いているというのに。その自覚はまるでないのか。
「その後はどうした」
「婚約破棄を一方的に申し付けられ、父とダット公爵は了承。マーゴットが新たな婚約者になり、私は修道院送り。ですわ」
「またか。そして俺には後から知らされたのだな?」
「はい。お兄様は、やはり第二王子殿下にご相談されて、お二人で調べて下さいました。もちろん私がマーゴットを苛めていた証拠なんて一つも有りませんでした。それどころか、1度目の人生とは違い私がグヴィル様をお慕いしていたのを、2度目の人生で友人達が証言して下さって。それなのに、婚約者を蔑ろにして不貞を働いていた。……グヴィル様が悪い、との評価だったそうですわ。グヴィル様は懸命に私の嫉妬だ。だから苛めがあったと訴えたそうですが。その証拠も無い上、私を嘲笑って蔑ろにしていた証言が、何人もの友人から出て来たためにグヴィル様は黙るしかなかったそうです」
「それも修道院長の話か?」
「はい。お兄様からの3通の手紙にも書いて有りますように、ダット公爵は監督不行届きで、公爵家から子爵家へ降格され、グヴィル様は廃嫡され幽閉。我が家はお兄様が降格を希望されて、男爵家に。そして父と義母とマーゴットは、罪の無い私を貶めたとして牢送り。それが2度目の人生でした」
「俺は男爵家当主か?」
「はい。そして、私は逆恨みをした、今度はグヴィル様経由で修道院から出て、お兄様の元へ身を寄せようと迎えに来てくれたハンナと共におそらく殺されました」
「…………なんだ、と?」
「正確には、我が家の護衛でハンナの恋人でもあったビンスとハンナと私の3人まとめて。ハンナとビンスは1度目でも修道院送りになるギリギリまで、私の側に居てくれましたが。2度目でも同じで。だからこそ、修道院から出てこられる事になった私を、2人で迎えに来てくれた。それがアダとなりました。……殺される直前に、わざわざ野盗に見せかけた人殺しが、グヴィル様から依頼された、と仰いました。ビンスとハンナだけは逃したかったのですが。10人も居る相手と根っからのお嬢様である私を含めた3人では……。ハンナが私を庇い、殺され、ビンスがそれに気取られて殺され、私も直ぐに刺されました。そこで意識を失って、今朝目を覚ましましたの」
「……そうか。聞きたい事がある。マーゴットはパルペン学院に入学するまでに、我が家でグヴィルに会わなかったのか?」
「義母もマーゴットも侯爵夫人・侯爵令嬢として教育を受けていたため、会えなかったことが一つ。そしてグヴィル様が我が家に滞在する時間が短過ぎる事がもう一つの理由ですわ」
「成る程な。何とか侯爵令嬢としての教育を成り立たせて、学院へ入れたかったのか」
「ええ。ご納得いただけました?」
「ああ」
「では。……お兄様は、突拍子も無い事を聞いたと思われていますでしょう。でも。全て本当ですわ。そして3度目を迎えた今、私はお兄様に願いがあるのです」
長い長い話の最後だがようやくジュネーヴェラはコールマンに、呼び立てた内密の話の本題に入った。
「それは?」
「私、王立パルペン学院を3年で卒業します。2度目の人生の時に友人から聞きましたの。2年連続で学年首位になると、特権で3年目に1年早く卒業出来るシステムがある、と。そのシステムを受ける試験に合格すれば、必然的に3年目と4年目の必修科目を3年目の1年間で習得出来る、とか。それも首位をキープしていられたら、1年早く卒業出来る、と。
それだけ優秀な者は女性でも城勤めが出来るそうです。お兄様は現在、ファラン侯爵家の跡取りとして、これから領地で暫く勉強の日々でしょう? 私もそうしますわ。お兄様は1度目の人生では、侯爵家の当主である傍ら、第二王子殿下の側近の1人でもありました。私はそんなお兄様の側にいて、お兄様をお支えしたいのです」
「……それは俺も嬉しいが、それだと1年早く卒業しても、ジュネはこの侯爵家に居ることになる。それは俺としても避けたい」
「それは……」
「だが、そうだな。ジュネは要するに最終学年で婚約破棄の後、修道院送りを避けたいのだろう?」
「はい。修道院の生活は嫌いでは無かった。でも冤罪を着せられた……と思いながらの生活は辛かったのです。挙げ句、殺されてしまいましたので」
「そうだな。……俺には理解してやれないかもしれないが、辛かっただろう」
「ですから、それを避けるためにも3年で卒業し、同時に私ではなくマーゴットを婚約者に変更するよう、あの父に申し上げて、父と義母とマーゴットとグヴィル様との関わりを断ち切りたいのです! 父なら何の疑いもなく私とグヴィル様の婚約は無しにしますわ。元々、私たちの政略は、我が家とダット公爵家のもの。つまり、私個人では無くていいのですから。だったらグヴィル様とマーゴットが婚約すれば良いのですわ!」
ジュネーヴェラの強い口調に余程辛い人生だったのだろう、とコールマンは頷く。しかし、と気になる事が一つあった。
「グヴィルはいいのか? 諦められるのか?」
「はい。……ね、お兄様。私との婚約を解消する前から、マーゴットに夢中になって私を蔑ろにして、その上で冤罪を着せて破棄を宣言して、修道院送りにするような男性を、愛し続けるのは、私には無理でした。2回もそんな目に遭ったので、3回目はもういいか、と。そんな私は冷たい女でしょうか」
「……いいや。そんな事はない。寧ろ、まだ好きだと言われたなら、ジュネの目を全力で覚まさねばならん、と思っていた」
「まぁお兄様ったら」
クスクスと笑い声を上げたジュネーヴェラを見て、この笑顔を守るためならば、とコールマンは動く事に決めた。
「では、お前は学院に入学するまでの1年間で、首席入学を目指して勉強しろ」
「首席入学、ですか?」
コールマンの指示に首を傾げるジュネーヴェラ。
「首席入学を果たし、卒業まで首位をキープしておくと、卒業時に国王陛下から褒美を問われる」
「まぁそうなのですか⁉︎」
「知っているのは、実際に首席入学で常に首位をキープし、卒業した人間だけだから、相当少ない。後は宰相と、王子・王子の側近くらいだ。俺も側近に内定しているから知っている。もっと早く知っていたら首席入学も首位キープも頑張ったが。まぁ知らなかったから仕方ない」
「国王陛下による褒美とは?」
何を願ってもいいのか? とジュネーヴェラはコールマンを見る。コールマンは笑った。
「なんでも構わないからな。その時、お前は婚約解消とファラン侯爵家を出る事を願え」
「ですが、それでは、お兄様を支えられませんわ!」
「大丈夫だ。ファラン侯爵家との縁を切り、俺の側近になればいい。それならずっと俺の側に居られる」
「……それは、素敵ですわ。あの父の手駒にはならず、でもお兄様の側に居られるなんて!」
「侯爵家の仕事は最初のうちは、携われないだろう。だが、ジュネの望み通り、異母妹がグヴィルと結婚したら、父と義母を領地に追いやる。そうすればお前を俺の側近として、ファラン侯爵家へ戻せる」
「……そんなに簡単に行くでしょうか?」
コールマンの計画に穴がありそうで怖いジュネーヴェラは、不安になる。
「侯爵家の仕事は無理だとしても、第二王子殿下の側近である俺の側近は大丈夫だ。そっちでは間違いなく俺の側に居られる。俺は第二王子殿下の側近用の部屋を城から与えられている。この家と縁を切り次第、そっちへ住めばいい。俺も領地と王都を行ったり来たりする。その際王都は城で生活する。ハンナとビンスも一緒に連れて行け」
「お兄様……」
「嫌か?」
「ありがとう、ございます」
「礼を言うのはまだ早い。お前が首席入学を果たし、常に首位にいて首席で卒業出来ねば意味がない。頑張るのだろう?」
「はいっ!」
元気良く返事をする妹を見たコールマンは、絶対に若くして死なせやしない、と心に固く決意して午後からの出かけ先……第二王子殿下に人払いを頼んで、あるお願いをしておいた。
***
それから4年間。ジュネーヴェラは14歳からの1年間で猛烈に勉強をし(その間、婚約者としてグヴィルに誠実に対応した。グヴィルに付け入る隙を与えないため、というコールマンの計画だった)王立パルペン学院に首席で入学を果たし、1年目も2年目も首位をキープし、3年目には、念願の特権で1年早く卒業出来るシステムを利用するか尋ねられ……それを利用する試験に当然合格して、3年目と4年目の必修科目を全て修め、当然のように首席で1年早く卒業した。
何しろジュネーヴェラを修道院送りにした事に怒ったコールマンが正しく、だからそれ相応の報いを受けて当然なのにそれを逆恨みしたバカ達に2回も殺されている。
だから最終学年まで残ってあの2人を出会わせないように考えて行動して婚約破棄を回避するよりも確実なのはこっちだったので、ジュネーヴェラは、こっちを選んだ。元々1度目の人生も2度目の人生も、ジュネーヴェラは学年で5位以内に入っていたのだから、簡単確実だし文字通り死にたくなかったのだから頑張れた。
もちろんこの時点でもジュネーヴェラは、きちんと婚約者としてグヴィルに誠実に振る舞っていた。何の疑問も持たれないように。夜会もデビューしてエスコートを受けてファーストダンスまでは義務として務めるグヴィルが、その後何処かに行ってしまい、1人きりになったとしても。(コールマンが居ればコールマンが相手をしていたが)
そんな中で、ジュネーヴェラが卒業したと入れ替わりにマーゴットが入学。当たり前のように、やはりマーゴットとグヴィルは相思相愛の仲になったが……。
それに対してグヴィルに憧れていた女生徒達が陰口を叩いたものの、概ね批判は出なかった。……当然である。既にグヴィルの婚約者がマーゴットに変更された、と国王陛下が認めたからだ。
だが、何故かそれを知らなかったのはグヴィルとマーゴット本人だった。ダット公爵(グヴィル父)も、ファラン侯爵(マーゴット父)も、国王陛下からグヴィルが卒業するまでは変更を2人に話さないよう、厳命したからだった。
理由を尋ねたダット公爵とファラン侯爵は、それまで婚約者だったジュネーヴェラの気持ちを慮る必要がある(ジュネーヴェラと婚約解消して直ぐにマーゴットと婚約し直すというのは、憚られるだろうとの事)。
更に、ジュネーヴェラは首席で入学し、そのまま首席で卒業した才女だから、常に成績が真ん中だったグヴィルとは釣り合わなかった事が学院内で噂されている。そんな噂をグヴィルとマーゴットが耳にしたら、それだけ釣り合わなかったから、ジュネーヴェラが婚約解消を申し立てた等と思ってしまうかもしれない。それではグヴィルが哀れだ、と国王陛下の言葉だった。
これは、暗にダット公爵にお前の息子とジュネーヴェラじゃ頭の出来が釣り合っていないよね、と言っているようなものだ。ダット公爵は恥をかかされた、と内心でグヴィルを恨む。だが、続く国王陛下の発言に背筋が凍った。
なんでも国王陛下の使いで学院に出向いた者が聞いた噂では、ジュネーヴェラなんて平凡な顔立ちで燃やし尽くされた灰そのものの髪と目をした女など私に相応しくない、相応しいのはマーゴットだよ、と言っていたのを聞いた、とか。
ジュネーヴェラと婚約している……と思っているのに、堂々と婚約者を貶すお前の息子って人の上に立つ資格があるのか? というご下問に、ダット公爵は冷や汗をかきながら息子がそんな事を言うなんてあり得ない。ただの噂だ、と否定した。
そんなダット公爵をジッと見た後、国王陛下は視線を移し……ファラン侯爵には見た目が地味だとしても優秀な姉と、見た目が良くても中身の伴わない妹では、どちらがダット公爵家には有利だろう。と国王陛下が投げかける。ファラン侯爵は、背中に滝のように汗を掻きながら、ま、マーゴットも当然優秀だ、と言うしかなかった。所詮は噂だ、と。
それを本当にするために、ファラン侯爵は帰宅後、学院に勉強に励むよう手紙を出す事になるが、それを気にするようなマーゴットでは無かった。それはそうだ。女の子は勉強が出来なくてもいい、可愛くしていればいい、というのがファラン侯爵である父と母の意見だったのだから。今更ながらに頑張るように、と言われても無理だろう。
そんなわけでグヴィルとマーゴットは、親の心子知らずで、恋愛に邁進した結果やはりジュネーヴェラと婚約破棄して、修道院へ送り込む事を考えた。それは2人が出会って3ヶ月目の事だった。グヴィルもマーゴットももちろん知らないが、1度目も2度目もジュネーヴェラを男女兼用サロンに呼び出して、周囲の耳目がある中で、ジュネーヴェラに冤罪をかけていた。そして、3度目もやはりサロンに呼び出して耳目を集めて婚約破棄をしようと思っていたのだが……。
待てど暮らせど呼び出したはずのジュネーヴェラは現れない。どういう事だ、と憤慨する2人に呆れた周囲がジュネーヴェラなら去年、一足先に卒業している事を教えていた。元婚約者と異母妹なのに、何故知らないのか周囲は不思議だった。
肩透かしを喰らった気分の2人は取り敢えずその場は引き下がったが、後日、ジュネーヴェラが首席入学・首席卒業などと優秀なわけがない。きっと不正をしたのだ、とジュネーヴェラが居ないのにも関わらず言い出した。
学院の誰も聞き入れないので、その年の長期休みにグヴィルはダット公爵に、マーゴットはファラン侯爵に訴えたが、逆に証拠も無いのに変な疑いをかけるな! と叱られ、自分達の成績について叱られる始末だった。
結局、パッとしないままグヴィルは卒業し、そこでようやく自分の婚約者がジュネーヴェラからマーゴットに変更されていた事を教えられた。
愛するマーゴットが婚約者である事に機嫌を良くしたグヴィルは、しかし、そこからもパッとしない人生を歩み始めていた。何しろ成績が真ん中くらいでは、いくら公爵家の嫡男とはいえ、第一王子を筆頭に4人の王子達の側近などなれるわけがない。せいぜい城勤めでも下っ端官僚の地位だ。公爵家嫡男の自分が下っ端官僚など……とは思いながらも、貴族の嫡男は一度は必ず城勤めを経験させられる。不満な気持ちを鬱屈させる日々の始まりだった。
一方でマーゴットはグヴィルが卒業してしまうと、当たり障りの無い人間関係しか築けておらず、友人が居ない事に気付いた。ずっとグヴィルにべったりと貼り付いていた事の弊害だった。これはマズイ、と慌てて何人かの女生徒達と会話を始めたが何を話しているのか分からない事ばかりだった。
それはそうなのだ。学院は貴族の令息・令嬢が必ず入学する事を決められているが、伯爵以上の上位貴族と子爵以下の下位貴族ではクラスがまず違う。マーゴットは侯爵令嬢なので、当然上位貴族のクラスだが、上位貴族の令息・令嬢達は自領だけでなく国そのものの発展を考えねばならない。故に令嬢とはいえ、自領と共に国の事も勉強済みだ。その上で発展させるためにどうしたらいいのか考えているから、会話もそういったものになる。
これが私的に親しい間柄なら、マーゴットにも解るドレスや装飾品や化粧品等の流行話や、美味しいお菓子やお茶の話でも盛り上がれるだろう。或いは夜会ならば、寧ろドレス等の流行の話題を中心に、貴族同士の噂を聞いて、人脈作りに精を出す。その人脈や情報によって夫の役に立つのだから。
だが、ここは学院。
基本的には学ぶための場。
それならば知識という武器を増やすべきなのだから、必然的に女生徒とはいえ、領地や国の話になるのが当然だった。
つまり、真面目に勉強するフリをしていただけのマーゴットでは、会話についていけないのも至極当たり前だった。
そうして訪れた王家主催の夜会にて、グヴィルとマーゴットは日頃の鬱憤を晴らすように、互いの色を纏ったドレスや装飾品で自分達を飾り立て、イチャイチャとしながら王城へ向かっていた。
「そういえば、あの女、俺と婚約を取り止めたから相手がいないだろう。今夜は欠席か?」
「それがね、グヴィル。あの女、ずっと家に居ないみたい。会わないのよね。まぁあんな平凡な人に会わなくて済むわけだから良いけど、本当に会わないのよ?」
「なんだ、ファラン侯爵は家から追い出したのかな? 俺との婚約がダメになって金食い虫が、みたいな」
「あ、そうかも! お父様とお母様は先に行ってるの。向こうで落ち合いましょうだって」
「分かったよ。マーゴットとこうしてキス出来るんだから2人っきりもいいよな」
「ヤダ、グヴィルったら」
そんな会話をしつつ、王城に到着し、自分達が到着した事を城の侍従が知らせる。2人は特に注目される事もなくファラン侯爵夫妻の元へ行って歓談していると、歓声が聞こえて来た。そちらを見れば、第一王子殿下とその側近達が会場入りしたらしい。続いて第二王子殿下とその側近達だ。そこでグヴィルとマーゴットは目を丸くした。
第二王子殿下の側近の1人が、マーゴットの兄であり、ファラン侯爵家の嫡男・コールマン。そのコールマンにエスコートされているのは、グヴィルとマーゴットが嘲笑っていた灰色の髪と目をしている女性ーージュネーヴェラだった。
正直なところ、グヴィルは唖然とした。
自分の髪の色である赤いドレス姿の金色の髪に緑の目をしたマーゴットより、深い紅色のドレスを纏ったジュネーヴェラの方が明らかに美しかったからだ。
そのドレスに似合う金色ベースの首飾りの中央に輝くダイヤモンド。その首飾りと対をなす小ぶりなダイヤモンドのイヤリング。そのイヤリングに引かれて顔を見れば、ダイヤモンドに負けず劣らずの輝きを放つ目と一瞬かち合った気が、した。
ーーあんなに美しい女、だったか?
口に出さなくて良かっただろう。隣から不機嫌な声が聞こえていたから、ジュネーヴェラを褒めていたら、マーゴットの機嫌取りに忙しくなるところだった。
「お父様! なんであの女があんな高いドレスや装飾品を身につけていられるの⁉︎ アレが似合うのは私だわ! あんなの買ってあげたの⁉︎」
「違う」
「はぁ⁉︎ お父様じゃないなら誰があんなの買うって言うの⁉︎ お母様! 悔しい!」
「本当よ、あなた! あんな小娘に買う物じゃないわ! マーゴットの方が似合うのに!」
「だから、ワシが買ったので無い! あれはおそらく、コールマンだ」
「お兄様⁉︎ そんな。お兄様ってばそんなお金持ちなの⁉︎」
そんな声が聞こえたわけでもないだろうが、ジュネーヴェラとコールマンは仲睦まじそうに囁き合うように会話を交わしている。先程からグヴィルの目は時々ジュネーヴェラに奪われていて、そこで兄に微笑みかけているその笑顔に見惚れた。
ーーあの、笑顔っ! あれは、あの笑顔は、親しい者だけに向ける笑顔だったのか!
婚約者として過ごしていた頃、普段は視線を向ける事すら嫌で視界から外していたが、ふとした拍子に視線が合えばあんな笑顔を見せた。それがいやに不快で、直ぐに逸らしていたが、それを兄に向けている。
つまりそれは、ジュネーヴェラが心を許せる相手に向ける微笑みなのだ、と理解した。
ーー俺に媚びていたわけじゃなく? 普段の微笑みも貼り付けていたわけじゃなく? 俺を歓待していた、のか?
だが、もう尋ねる事も出来ない立ち位置にグヴィルは居た。あんなに男の目を引く女だとは思っていなかった、とグヴィルは嘆息する。それを隠していたジュネーヴェラに苛立っていた。
やがて国王陛下が挨拶をする。その時に、10年ぶりに王立パルペン学院を首席で入学し首位をキープしたまま、首席で卒業したジュネーヴェラの話題になった。
その瞬間、全ての参加者の視線がジュネーヴェラに集まったが臆する事もなく優雅にお辞儀をしてみせて、美しく見えるように微笑みを浮かべた。そのジュネーヴェラはとても美しく、グヴィルは惚けた。
「グヴィル様。ファーストダンスを踊って下さるのでしょう?」
マーゴットに言われて慌てて笑みを浮かべたグヴィルは、マーゴットをダンスに誘う。視界の端でジュネーヴェラはコールマンと踊り出した。ファーストダンスがコールマンだった事に、グヴィルは酷く安堵していた。だがその安堵も長くは続かなかった。
3曲続けてグヴィルとマーゴットが踊る間に、ジュネーヴェラは第二王子殿下とコールマンでは無い側近と踊ったからだ。
第一王子には婚約者がいるが、第二王子には婚約者が居ない。そのため、第二王子が踊るのは、これまで妹である王女達か既婚の王族の女性だけだった。つまり、第二王子が未婚の王族以外の女性と踊るのは、ジュネーヴェラが初めてだった。
これには、グヴィルだけでなく参加者の貴族達の多くが騒めいた。まさか、第二王子殿下のお相手か、という声も聞こえてくる。だが釣り合いは取れているのだ。侯爵家の令嬢であり、学院を首席で入学し卒業。加えて地味だと思っていたが中々どうして美しいではないか、と。寧ろグヴィルの方が似合わなかったのではないか、と、若い女性達にはそこまで言われていた。
この反応に内心で喜んでいたのが、コールマン。コールマンが第二王子殿下に頼んだのが、この夜会でジュネーヴェラと一度踊る事だった。ジュネーヴェラを城の侍女達に美しく着飾ってもらえば、美しい事もコールマンは解っていた。結果はコレだ。
ずっと地味だ、と、平凡だ、と、美しくない、と蔑んでいた相手が、美しい女性だったと知る。寧ろ自分の方が似合わなかったのだ、と言われてしまう。それも美しいと思って選んだ異母妹より更に美しい、と理解するーー。これで、十分憂さ晴らしは出来た。今頃ジュネーヴェラの美しさを理解しても後の祭りだ。
コールマンは、ようやくジュネーヴェラの敵を討った気持ちになれた。ジュネーヴェラが14歳。自分が19歳の時からおよそ5年近く。最高の舞台で、仕返ししてやった。
たった一度だから第二王子殿下とダンスをしても、別に後から何とでも言い訳は立つ。そのために他の男ともジュネーヴェラを踊らせた。全てはこのために。
胸がすく思いだった。
蔑んで来たジュネーヴェラに対する見る目が変わっても、二度と近寄らせはしない。
そして。
二度とジュネーヴェラを早死にさせないためにーー。
第二王子殿下の側近として、また婚約者候補かもしれない女性として、安易に殺害など企てはしないだろう。
これで晴れてジュネーヴェラは、父と義母と異母妹とグヴィルに殺される恐怖から逃れられるはず。コールマンは滅多に崩さない表情を崩してたった1人の家族である妹へ微笑みかける。奇しくも、同じタイミングで、同じ表情をしたジュネーヴェラがたった1人の家族である兄と視線を絡ませた。
色々とやっと終わるにご意見・ご感想・ご指摘をありがとうございました。
構成とか、オチとか、いきなりそれは無いだろう的なご指摘に、確かに、と納得しています。そのうち改訂版的な形で直したいと思います。後日譚的な話があれば、それも書ければ良いとは思います。
なにぶんあれ以降の事は何も本当に思い浮かばないため、気分転換にダリアータみたいに婚約者に蔑ろにされていた女性が、婚約者との縁を切って幸せになるってこんな感じかな、と考えていたら出来上がった作品です。
そのうち、グヴィル視点でこの後の話でも書けたらいいなぁとは思ってます。後悔先に立たずって言うのに、後悔ばかり垂れ流す男の心情……。やっぱりやめておくか。そんなん読みたくないな、私。
でも、不思議なくらい、ジュネーヴェラの今後は何故か書ける気がしますので、コッソリグヴィル視点で投稿しているかもしれませんが、お気になさらず。悪しからず。
それではお読み頂きまして、ありがとうございました。