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忍法血風録  作者: 瑞鶴寺鉄心斎
忍者武中八九郎
9/19

銃の手入れは暴発のおそれがあるので充分に警戒してこれに当たれ

松山藩より大洲藩へと向かうには、幾らかの道がある。


ひとつは、加藤家が旧領松前藩を抜け、双海の海沿いを行き、肱川に当たるとそこを遡上する道。


もうひとつは、山沿いを行く道。──と云ってもこれにもふた通りの道があり、先ほど述べた双海に近い中山を抜ける道と、次左衛門の生家のある久万村方面から向かう道が存在していた。


忍者らは、そのいづれをも用いた。その理由は、派遣された忍者らの面々にある。


此度の任務に赴く者──それらはいづれも組頭。腕の立つ、そして顔の利く者どもである。


『火忍』田中次左衛門。

『風忍』山地三四郎。

『雷忍』鵜久森五郎兵衛。

『金忍』祝六郎。

『水忍』忽那七郎。

『土忍』武中八九郎。

『花忍』お千代。


これら組頭どもが雁首揃えて道を行くは、いかにも無用心の極み。「すわ何事か」と、藩中の者にいらぬ警戒心を抱かせかねず──また、それが外部に漏れては一大事。何のために忍者を用いたのか、わからぬこととなる。


此度の任務は、秘密裏に行わねばならぬのである。他国の者どころか、自国の者にも気取られてはならぬのである。


故に忍者は散った。7名を幾らかの隊に分け、それぞれが別の道を用いて大洲藩へと向かったのである。



海沿いを行くは、『水忍』忽那七郎。水の忍法を用いる彼にとって水場こそが主戦場。万一にも敵忍者に襲われようとも、水まみれの海ならばひと安心というわけである。これに、『雷忍』鵜久森五郎兵衛と『風忍』山地三四郎とが加わった。



同じような理由で、久万村超えを行くは『火忍』田中次左衛門となった。幼少期をここで暮らした彼にとっては、云わば庭先のようなもの。故郷には彼の兄もいるとあっては、まず心配はいらぬであろうというわけであった。


彼につき従うは、『花忍』お千代。頭領の娘である彼女自ら、次左衛門に同行するを望んでのことであった。



「いやはやまったく! つまらぬのう!」


中山の山中に、やかましい声が響き渡った。──その声の主は、『土忍』武中八九郎であった。


「な〜〜にが、“田中様、お供しとうございます” じゃあ! お千代殿はまるでわかっとらん! あの豆チビ、人畜無害な(ツラ)をして、その実、羊の皮をかぶった狼じゃ!“男は狼なのじゃ気をつけなされい” と、昔から云うであろうに! 嗚呼嘆かわしきかな、嘆かわしきかな! あのような人面獣心の禽獣めに、お千代殿の貞操が今まさにこのまたたく瞬間にも奪われんとしておられようとはのう!」


その言葉からは、此度の組分けへの不満がありありと見てとれた。


「つえぇあいっ! くそう! なぁ〜〜にが羊の皮をかぶった狼じゃあ! かぶるのは一物(イチモツ)の皮だけにしとれい!」


お下劣極まる不満の言葉を大音声にて口にする八九郎に対し、同行する『金忍』祝六郎はずっと──押し黙ったままにあった。


「やい六郎! おぬしもそうは思わぬか?」


と、八九郎が訊いてやっと、口を開く始末。


しかしそれさえも、


「──ああ」


と云った、じつに気のない返事のみにとどまった。


「嗚呼嘆かわしきかな、嘆かわしきかな! お千代殿の眼は節穴であった! (めくら)じゃド(めくら)じゃ!」


「──ああ」


(かしら)も同じド(めくら)じゃ! 娘が誤った道に進もうというを止めもせぬ! 娘を溺愛するは構わぬがしかしそれがために眼が見えぬようになってはいかぬ!」


「──ああ」


「ええいまったくどやつもこやつも、つまらぬ!──つまらぬのう、つまらぬのう! 大洲藩もつまらぬのう!」


そこで、六郎がこれまでと変わったことを口にする。


「──いや、俺はつまらぬとは思わん。むしろ、楽しみで仕方がない……」


「んああっ?」


思わず、八九郎は振り向き、


「なにが楽しみじゃと云うか? こんな山ばかりの森深き中の藩じゃぞ?」


と、訊くに至る。


すると六郎は、


「──大洲藩には、鉄砲隊がいる。その腕前たるや、飛ぶ鳥を難なく落としてみせるとか。──ふふふ……これが楽しみの他に何だと云うのだ? ふ……ふふふ……」


などと含み笑いなどしつつ、愛用の雷火銃を愛おしそうに撫でるのであった。




中山経由の道を行けば、途中に宿場町たる内子が存在する。八九郎と六郎のふたりは、そこに宿をとった。


忍者が他国に入った場合、まず逗留する宿を決めてそこに居着き、情報収集と言葉の習得を兼ねて女を買うが定石であるが、しかしここは勝手知ったる隣藩。しかも友好関係にあるが故に、その必要はなかった。


だいいち、八九郎と六郎とは同室であるが故、女を買うもくそもない。無論、男を買う趣味もない。八九郎も六郎も、衆道や稚児趣味に対する理解も造詣も──ほんのちいさなひと欠片(かけら)ほどもなかったのである。


「ええい風呂じゃ風呂じゃ! 熱い湯だけがわしを癒してくれるわい!」


そのように云い捨てて湯に漬かりにいった八九郎のほうを向くこともなく、六郎は愛銃の手入れに向かうのであった。


(三式弾……零式弾……葡萄弾……曳光弾……徹甲弾……三連装……)


弾丸や取替部品などを包み紙より取り出しては埃をとって磨き、油を噴いては拭き、また紙に包む。じつに地味で地道な気の滅入りそうな作業にて、また時間がかかる。──六郎がそれら手入れを終えた頃には、すでに八九郎が湯より上がって戻って来た始末。


「ああ〜〜よい湯じゃったわい」


湯気を上げつつ感想を述べる八九郎に向けて、


「──そうか。ならば俺も入ろう」


と、立ち上がりつつ六郎は答えるのであった。



風呂は露天風呂にて、温泉を用いていた。伊豫國は温泉場であり、大抵の街には温泉が存在しているのである。


この時代、公衆浴場にては男湯女湯の区別はない。庶民のみならず、武家である町方同心とて嫁とともに湯に漬かるはめずらしいことでもなく、ごくありふれた光景であった。


故に六郎のまわりにも、湯に漬かる女どもが多くいた。──漏れ聞こえてくる言葉からは、おそらくは八九郎のことであろう悪口がみられた。


(──素人衆か……)


八九郎は玄人娘には好かれるが、どうしたことか素人娘には嫌われる。──故に六郎は、そのように推察したのである。


「──それにしてもさっきのとは違って、あの若衆はいい男じゃないの」


おそらくは六郎のことと思われる言葉を耳にして、


(──よせ……俺に関わるな……)


と、六郎は心の中にてつぶやくに至る。


彼が愛するは、女ではない。心の中にあるは銃のことのみ。


己とともに生き、育ってきたは銃。


銃の道に生きるに、女は邪魔だとすら考えていた。


そのような彼の心が通じたか、それはわからぬが、女どもは六郎に声をかけるようなことはせず、ただ世間話に興じるのみであった。──とりとめもない話。やれ大工の誰やらは仕事中に酒を飲んでいただの、染物屋の何某の家の猫が仔を産んだだの、浮世絵刷り師の誰々は蕎麦屋の娘に御執心だのと云った、そういうものであった。


本来ならば、六郎にとってどうでもよい話。


だがそれらどうでもよい話の中に、気になるものがあった。


「──あの、どこやらの娘さん。この前小窪村に行ったきり戻って来ないんですって」


「嫌ぁね。あそこ最近物騒でしてよ。──なんでも一揆だなんだとか」


「それって本当? 今年は豊作だって話じゃないの。なんで一揆になるのよ?」


「知りませんよ私ゃ。私ゃ百姓でもなきゃ知り合いもいませんからね」


──どうも、ひと筋繩ではいかぬところがあるらしい。まあ若い娘らの話には尾鰭や背鰭、油鰭までが付き物であるが故に、まるごと鵜呑みにするわけにはいかぬが、しかしそれでも、無碍に聞き捨てるは早計とも云える。



女どもが湯より上がった後は、たいした話というものは漏れ聞こえてこぬがため、六郎もまた湯より上がり、部屋へと戻るに至る。


「八、やはり小窪村は怪しいぞ」


帰って来るなり、六郎はそう八九郎に向けて声をかけたが、


「ぐご〜〜……ふご〜〜……」


と、すでに八九郎は高寝の高鼾。──これでは話もなにもあったものではない。


「──ふふ……」


と、ひと笑いを浮かべたる後に、六郎もまた眠りにつくのであった。




明けて、次の朝。宿を出て幾らも経たぬ間に、八九郎と六郎は大洲の城下町へと入った。


「お? さすがに七郎めは早いのう。もう着いておったか」


八九郎が七郎の姿に気づくと同時に、向こうもまたこちらへと気づいたようで、七郎と五郎兵衛とが歩み寄って来るに至る。


「八九郎、それに六郎。無事であられたか」


小気味よい声にて訊く七郎に向け、


「──そちらこそ、無事だったか?」


と、六郎が訊き返す。


「それがしは、無事でござります。ここなる五郎兵衛も。──ただ三四郎めが、軽い怪我を負うてござります」


──その言葉に、八九郎と六郎の顔色が変わる。


「なんじゃと!? 三四郎めが!?」


「──山地ほどの……者が……?」


ふたりが驚くのも無理もないこと。『風忍』山地三四郎は、伊豫忍軍一の手練。忍法の腕前だけで云うならば、間違いなく頭領と並ぶ。


「まあ、しゃあないわ。不意を突かれたんじゃけんな。──それでもまあ、軽い傷じゃ。(ツバ)でもつけときゃあ、2秒で治るわい」


五郎兵衛が、そのように云う。


「五郎、誰にやられた?」


六郎が訊く。


「敵じゃあ」


そのようなことは、云われずともわかっている。


阿呆(アホ)垂レ鱗魚人(うろこさかなびと)! それはわかっとるわい! 敵は何者じゃと訊いとるんじゃ!」


六郎に代わり、怒ったように八九郎は云うが、


「ほならはじめからそう訊かんかい木偶(デク)独活(ウド)ゥァ!」


と、五郎兵衛も退かぬ。


しかしこれでは話が前に向いて進まぬが故に、


「敵は何者かはわかりませぬ。──しかしそれがしの見立てでは、すくなくとも長州忍軍ではないように見えまする」


と、七郎が答えた。


「──長州では……ない……?」


七郎の言葉は、六郎を驚かせた。──予想の範囲外であったからである。


「ああ。あれは忍者の動きやなかったわ。どう見ても素人(シロート)やったわ」


五郎兵衛がそう云うと、


「なんじゃあ? おぬしら素人にやられたんかい! ぬははは! 素人相手に遅れをとる忍者がいようとはのう!」


などと、即座に八九郎が揶揄(からか)いに来る。まこと、油断も隙もみせられぬ。


「おどりゃあ、阿呆(アホ)けや。素人やけん遅れを取ったんやがな。──相手が忍者やさむらいやったら、三四の阿呆も怪我なんざせなんだわい。素人やけん、動きがよう読めなんだんやが」


まこと、五郎兵衛の云う通り。素人という者は時として定石より逸脱をみせる。──手慣れた者は無意識のうちに定石に沿った動きをするがため、これがうまくかち合った場合、不覚を取るのである。


「──しかし、わからんな」


「種子島ァ、おどれも阿呆かい。ええか? 素人の動きっちうもんはのう……」


五郎兵衛の言葉を遮り、


「いや、五郎。俺が云いたいのはそういうことではなく……何故素人衆がうぬらを襲ったかのことだ」


と、六郎が云うと、


「それは、それがしにもわかりませぬ」


と、七郎。


「わしにもわからんわ。あんなへなちょこの危なっかしいに襲われたんははじめてや……まあ、そんな(モン)やったから阿呆三四(アホサンシ)も勝手が違ったんやろな」


くり返しになるが、敵が素人丸出しの弱者であったが故に、手練の山地三四郎は不覚をとったと云う次第であった。


しかしこれは通常あり得ぬこと。敵がこれを狙って素人刺客を派遣したとは到底思えぬ。云わばたまたま──偶然の産物にすぎぬ。たまたま素人丸出しの危なっかしい動きが、偶然に山地三四郎に手傷を負わせた──それだけのことであった。


(──狙ってやったわけではないな……いや、そもそも狙ってできるようなことではない……)


そのように、六郎が考えた時。


「おお! 六郎!──七郎に五郎兵衛、そして八九郎もおったか!」


と、よく通る声にて呼びかける者があった。──間違えようもないこの声は、


「──来おったか、一寸法師」


八九郎の言の通り、身の丈150(センチ)もない男、田中次左衛門であった。


「──次左。千代めはどうした?」


六郎がそう訊けば、


「お千代殿は、三四郎めのところに向かってござる」


と、次左衛門。


「はやいのう」


八九郎の言葉には含みがあった。──次左衛門が三四郎を襲ったのではないか? とのことである。


しかしそれにすばやく気づいた七郎は、


「戯け者。ノロマのうぬらと違い、次左衛門殿は昨晩にはここへ着いておられたわ」


と、云うのであった。


「遅れたのは朝から飲んでいた八のせいだ。俺のせいじゃない」


と、六郎。


「やかましい! これが飲めずにおれるか!」


そのように云う八九郎の横で、五郎兵衛もまた水代わりに酒を飲んでおるのであるから、もはや救いようがない。


「まあともかく、全員が無事にここへ着くことができたでござる。──三四郎の手当てが済めば、城へ向かうでござる」


次左衛門の言葉に、一同皆うなづくのであった。

大洲藩に入った忍者らは、事の次第をより細かに聞くべく、城へと向かう。


大河を堀とした天然の要塞たる大洲城。そこに待つ殿の口より語られる真実とは?


次回、忍法血風録!「民を救うは殿の努め」

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