邪法剣
「きええぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!」
怪鳥のごとき叫びが、山中に轟いた。ここは、伊豫松山のお城より遠く離れた久谷村。山に囲まれしこの地には、かつての戦国の世にては数々の城が築かれていたのであった。
無論、泰平の世なる今現在にてはそのすべては廃城となっていた。一國一城の掟に従って破棄されたか、或いはそれ以前の戦によって陥落したのである。──兵どもが夢の跡。そのような昔を偲ぶ心持ちにさせるような城跡がひとつ、尉の城──それが、ここである。
高さ126丈(約383米)の山に築かれたこの城跡にて響く、この奇怪なる叫びは何か? それは、忍者らの口より発せられたものであった。
「きえぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!」
「ひょおぉぉぉぉあぁぁぁ!」
「つえぇぇぇぇぇぇぇぇあ!」
さてこの者らは何をしておるのかと云うと、修行の最中であった。彼らは皆その手に木刀を握り、地と水平に束ねたる丸太に向けて、振り下ろしの一撃を何度も何度もくり返して打ち込んでいるのであった。奇怪なる叫びは、その気合いの声であった。
「きえぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!」
「あよぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!」
「いやあぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
これらの者の構えは、ここらでは眼にせぬものである。八双の構えにも似ているが、腕を曲げて自然体と構える八双とは異なり、腕を伸ばし上げて最上段に刀を構えておる。腰は深く落とされておる。片膝が地につくかつかぬかと云うほどまでに。──これは、『蜻蛉の構え』と云い、ここ松山のご城下にて広く使われておる直新陰流のものでは断じてなく、薩摩剣法『薬丸自顕流』のものであった。
この薩摩より外に於いては門外不出たる剣法を、なぜ遠く離れた伊豫國の忍者らが用いておるかを申すと、それは今現在この修行を取り仕切っておる『頭領』石崎和右衛門がかつて若い頃、行けば帰れぬ薩摩飛脚の任務より見事生きて戻った際、ついでに盗んできたものであった。
──伊豫忍軍が頂点に立つ『頭領』石崎和右衛門。花組忍法を用い、変幻自在の変装術を駆使したる生きながらにして伝説となりつつあったこの忍者は、しかしながらその風貌からは、とてもそのような武勇の数々を行ってきた者とは、とても見えぬものであった。
まず、背丈がない。無論、ちいさな田中次左衛門や忽那七郎よりは背は高いが、しかしながら武中八九郎や祝六郎と云った長身の者と比べると、大きく見劣りするものであった。
しかしながら、そのみじかい手足は太く、丸太のごとき見た目と強靭さを誇っていた。丸太のようなのは手足のみに非ず。その胴体もまた、樹齢1000年に迫る巨木のごとく、丸まると膨れた太きものであった。
この巨大な鞠のごとき身体に、草履のように大きな顔がついている。どこか蒙古人めいたその顔につくふたつの眼は、隈に縁取られていた。肌の色が白いぶん、不健康な印象を受ける。
さてこの鞠のようなお方は、宿敵長州忍軍が放った刺客によって先日不意討ちを受けて負傷ししばらくの間伏せていたものの、しかしそのお生命はさしたる打撃を受けなんだものとみえて、今ここにこうして御自ら後進の指導にあたっておる次第であった。
「次の字い! どうしたどうした! もうへたばったか!?」
その身に似合わぬ甲高い声にて、和右衛門は次左衛門に向けて檄を飛ばす。
「な……なんのこれしき……拙者はまだへたばらぬでござる……きえぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!」
次左衛門はそのように云うと、奇声を上げてより一層丸太を打ち据えるのであった。
「三の字い!──四の字か? まあどちらでもよいわい! 気合が足らんぞ! もっと気を据えてかからんかあ!」
三四郎に向けて和右衛門がそのように云うと、
「お、おおおおおーーっ!」
と、声を張り上げて三四郎は丸太に向かう。しかしながらこの御仁、どうも大声を出すは苦手なものとみえ、その声は他の者の声の陰に隠れてしまうのであった。
「おりゃあ五の字い! 腰が浮いておるぞお!」
五郎兵衛の横にて、まるで力士の土俵入りがごとくに腰を落とし、和右衛門は云うのであった。
「わりゃあ! わしの本気を見せちゃるわい!」
五郎兵衛、その声に奮起し、猛烈な一撃を何度も丸太の束に向けて放つ。
「七の字い! まだ休むには早いぞ! 立てえーーい!」
疲れ故にその場にへたり込んでいた七郎に向けて和右衛門が叫ぶと、
「は、はいいっ! 申し訳ござりませぬ!」
と、七郎は跳ね起きてふたたび丸太へと向かう。
「六の字い! 種子島で打つヤツがあるかあ! 木刀じゃあ! 木刀を使わんかあ!」
ご自慢の雷火銃にて丸太を打ち据えていた六郎は、
「──ついいつもの癖が出た……」
と、ひと言答えると、雷火銃を放り投げ、木刀を拾って打ち込みを再開するのであった。
「お千代お! うぬは女子故に非力なれど、そのぶん他の者よりも一層努力せい! 敵は老若男女問わず容赦なく襲いかかってくるぞお!」
ひと度修行となれば、父も娘も男も女も変わりはない。お千代もそれをわかっておるがため、
「はっ! 申し訳ありませぬ頭領!──つっきえあぁぁぁぁぁ!」
と、今は父娘の関係を忘れて修行に励むのであった。
──さて和右衛門は、八九郎にはなにも云わなかった。これは先日の一件──愛娘たるお千代の下帯を覗きに至った八九郎の悪行故に愛想を尽かしていた──と、云うようなことでは断じてなかった。ひと度お役目とあらば、そのような私情を挟むようなことはせぬ。それが忍者の掟である。──そして和右衛門は、そのような掟に従って生きていた。
では、何故声をかけなかったか?──それは和右衛門が横よりとやかく云う必要が、なかったからであった。
もとより、八九郎は剣の道に生きたる者。そこに流派の違いこそあれど、同じ剣術。この根底より理念の異なる剣法を、八九郎はすでに己のものとしていたのであった。その飲み込みの早さには、和右衛門も大いに感服するものがあった。
「ようし、止めいっ!」
和右衛門の号令により、一同は休憩に入る。鍛え上げられた忍者らも、この修行はよほど堪えたものとみえ、皆が皆その場にて座りしゃがみ寝転んで、呼吸も荒くそれぞれの身を休めていた。
そのような一同がようやく呼吸も落ち着け、ふたたび気力を取り戻したるを見たしばらく後のこと。和右衛門は腰に差したる刀に手をかけて立ち上がり、
「ようし! それでは次は抜き打ちの修行じゃあ!」
と、皆に声をかけて云うのであった。
抜き打ちとは申せ、和右衛門は別に予告なしの試し合いを行うつもりではない。『抜き打ち』とは、読んで字のごとく鞘より剣を抜いての打ち払いのことである。──つまりは、抜刀術の一種である。刀を鞘に納めた状態からの斬撃一閃。奇襲攻撃のひとつであるが、同時に突如として敵に襲われた際に打ち払う、防御手段のひとつでもあった。
一同、横一列となって立ち並び、手をだらりと下げて自然体となって構える。
──にわかに静寂の時訪れる。そしてそれはやがて、
「ずええぇぇぇい!」
との、大合唱によって破られた。これまたものすごい声圧。このやかましさ故に、城内及びご城下周辺の者からの苦情が奉行所へと相次いだがため、彼らはご城下より遠く離れた草深き久谷村の廃城跡にて、この薩摩剣法の修行に励んでいたと云う次第であった。
一同、鞘に刀を納めると、またしても斬撃を放つ。
「つえぇぇぇぇい!」
自然体より左手にて刀を摑むや、親指にて鯉口を切るや右手にて柄を摑み、抜くや左手にて鞘を廻して右上方への斬り上げを放つ。この折、右足を大きく踏み込んで姿勢を低く取り、体をちいさくしつつ大きく身を乗り出す。
“抜・即・斬”! 二ノ太刀要らずと謳われた一撃必殺の斬撃こそ、この薬丸自顕流の心得である。──そしてこれは、忍者の戦法と合致していた。故にかつての和右衛門は、これをその生命に代えてもここ松山のご城下へと持ち帰らんと誓い──そして持ち帰ったと云う次第であった。
忍者らの修行は続く。
「ずええぇぇぇい!」
「つえぇぇぇぇい!」
「きえぇぇぇぇぇ!」
「ずええぇぇぇや!」
「たあん! たあん!」
──なにやら奇妙な音が聞こえた。
「こらあ六の字い! 短筒を抜くヤツがあるかあ! 抜くのは刀じゃあ!」
そのように叫ぶ和右衛門の視線の先には、帯に差したる二丁拳銃を抜き撃ちたる祝六郎の姿があった。
「──ああ……相済まぬ……ついいつもの癖が……」
自作の雷火式短筒をふたたび帯へと差し、六郎もまた刀を抜き打つ。普段は銃器ばかりいじっている六郎であったが、剣の腕もそれなりにはあるようであった。
さてこのような神速の抜き打ち、さぞや剣の心得のあるどころか、自ら道場を開くことも可能なほどの剣の腕の持ち主たる八九郎──八九郎先生と呼ぶべきか?──は、どれほどの技の冴えをみせるものか。和右衛門の見たところでは──
「ありゃあ」
なんとも残念そうな声が、和右衛門の口より上がる。見れば、八九郎の斬撃は鈍く遅いことこの上なく、剣先はぶれてまるで力が足らぬ。
「くえぇぇぇぇやあぁぁぁ!」
気合いの声は立派であるが、まるで斬撃がついていっておらぬ。何故に、このようなことになったか?──それはひとえに、八九郎の利き腕にあった。
八九郎は左利きである。しかしながら、刀と云うものは皆一様に左腰に差し、或いは佩くものである。これは剣術──及びさむらいの世界のみにとどまらず、世の理が皆すべて多数を占める右利きの者前提としてつくられておるからであった。いかに利き腕が左であるとて、刀を右に差すことは許されぬ。もしそのようなことをされれば、いらぬ混乱を招くからである。
例えば、道を歩いておって刀の鞘などぶつければ、下手をすれば刃傷沙汰となる。“さむらいの魂たる刀にものを打ち当てるとは、許せん” との精神である。『鞘当て』の言葉は、ここより来ている。
故に八九郎も、左腰に刀を差していた。しかし利き腕ならぬ右腕にての抜き打ちは、やはり慣れぬもの。いつもながらの左剣には、遠く及ばぬものとなっていたのであった。
「こりゃあ八の字い! お前やぁいつからみぎっちょになりよった!?」
和右衛門の云う “みぎっちょ” とは、右利きのことを指して云う俗語である。対する左利きは、“ぎっちょ” と云う。
「むう、頭。しかし右でのうては、抜き打てぬ」
八九郎は、そのように答えた。なるほど彼の云う通り、いつもながらの左逆手抜きにては、どうしても順手に持ち替える一瞬の間が生じ、斬りあげるには向かぬ。──無論、それでも並みの者の右抜き打ちに引けを取らぬものであったが──八九郎はそれでは満足ゆかぬのであった。
「左抜きはどないなっとんねや?」
和右衛門はそのように云うが、刀は刃を上にして差す関係上、八九郎の抜き方にてはどうしても左にての斬り上げがうまくゆかぬのである。
故に八九郎は、已む無く右手にての抜き打ちを行っていたのであったが、やはり利き腕でなくては、どうもうまくゆかぬ。
「ぬううう……」
八九郎はそのようにうなりながらも、左にての抜き打ちをはじめた。だがこれも、いつもながらの逆手居合にて放つ順手斬り下ろしには遠く及ばぬ、なんとも評し難いものであった。
さて八九郎がそのように悪戦苦闘しておる中も、時は刻々とすぎてゆく。やがて陽は傾いて、終了の時刻となってしまった。
「ようし、そこまでいっ! 本日の修行はこれにて終了っ!」
和右衛門はそのように号令をかけ、終了を命じるのであった。
帰り支度をはじめる一同に向けて、和右衛門は云う。
「ときに、次の字。刀と鉄砲では、どちらが強いかのう?」
この問いに、六郎の眼が和右衛門のほうを向く。相変わらず表情のない眼であったが、なにやらその瞳には彼なりのなにかが湛えられておるような眼であった。
「拙者にはわかり申さぬ。戦場にては何が強く何が弱いと決まっておるわけにはござらぬ故。──じゃが、拙者は短筒を相手とするは厄介かと思うておるにござる」
次左衛門は、そのように答えた。次いで和右衛門は、
「ほうけ。ほたら八の字。うぬはどう思うよ?」
と、八九郎に向けて訊く。
「わしは、剣の道に生きる故に、刀の強きを信じるわい。じゃが、そこなる次左衛門の云うことも……もっともじゃ。種子島は厄介じゃ。こちらの届かぬところより弾を撃ち込んで来よる。近間ならばなんとかなろうが……遠間ならばどうか」
八九郎はそのように答えた。和右衛門は次にお千代に訊くが、お千代の答えは鉄砲とのこと。余の者もまた同様。──そして最後に問われしは、『金忍』祝六郎であった。
「──頭は、何が云いたいのか?」
六郎の答えは、そのようなものであった。
「何が云いたいか……明日までに考えておいてくれるかのう?」
和右衛門はそのように答えたが、
「──“忍びの道は生きる道” と、常日頃より頭は云うがしかし、明日まで生命あるかは誰にもわからぬ。今すぐに。──俺は今すぐに答えが欲しい」
と、六郎は云う。いつの間にやら編笠をかぶり、顔には襟巻布を巻いておる。──これは六郎の戦闘体勢であった。
それを見ると和右衛門はにこやかな笑みを浮かべ、
「ようし、よしよし。──ならば今すぐこの場にて答えを出すぞ六の字い!──わしにその短筒を撃ち込んで参れい!」
と、云ったものであったから、一同は色めき立った。娘たるお千代などは、
「父上! 何を申されるか! 相手は鉄砲を扱わせれば伊豫忍軍はおろか藩士を含めても右に出る者はないほどの腕なりますぞ! そのような真似はお止めくださいませ! 鉄砲弾は危のうございます! 刀とはわけが違います! 当たれば死ぬのですよ!」
と、忍びの道も忘れ、娘として父に意見を述べて止めにかかる。しかしながら和右衛門は、
「何を云うか! わしの忍法を忘れおったか? わしには刀も槍も拳足も通じぬ! 矢でも鉄砲でも大筒でも加農砲でも持って参れい!」
と、云うのであった。
──事実、和右衛門には刀も槍も拳足も通じぬ。それは彼の身体を包む肉にあった。この分厚い肉の前にはいかなる打撃斬撃銃撃も、その攻撃そのものを包まれ緩衝され、一切の手傷を負わせること叶わぬのであった。
「──では……参る……」
六郎は、両の手をだらりと下げた。和右衛門もそれを受ける。両者の距離は6間(約10米)──これほどの遠間にては、和右衛門の不利は必定であった。
長い間があった。和右衛門も六郎もなかなか動かなかった。陽の傾きは次第に増してゆく。このまま辺りが闇に落ちれば、六郎が逆に不利となる。薄暮時の射撃はこれでなかなか難しい。故に六郎はそれまでに片をつける必要があった。
だが六郎は動かぬ。──臆したか? 余の者がそのように思った、その時であった。
六郎の手が動いた。両手にて銃把を握り、帯より引き抜いた次の瞬間には、すでに引鉄を引ける状態にまで持っていった。この間、1秒にも満たぬ。米國西部の射手にも、おそらくは引けを取らぬ速さであろう。
「ぱあん」と、乾いた炸裂音がした。たまらず、お千代は眼を背けた。他の者も眼こそ背けなかったものの、誰もが六郎の勝ちを信じて疑わなかった。
だが、六郎の指が引鉄を引くほんのわずか前──銃口より弾丸が放たれる前にはすでに、六郎の首は打たれていた。和右衛門は六郎の手が動いたのを見るや、何らの予備動作も見せず全力にて突進したのであった。初速がすでに最高速──『忍び足』の忍法の極まった姿である。
そして、六郎が銃口を和右衛門に向けたその瞬間には、和右衛門は右手を抜き放っていた。その手に握られしは、帯に差していた扇子であった。「ぱあん」と云う炸裂音は、和右衛門がすれ違い様に扇子にて六郎の首を打ちたたいた音であったのだ。
「──くう……俺の……負けだ……」
短筒をふたたび帯へと差した六郎は、打たれた首をさすりながらそのように云った。銃口からは硝煙が上がっておらぬ。──六郎の完敗であった。
だが、その表情は晴れやかであった。負けは負けと、素直に認める男なのである。
和右衛門は六郎のほうへと振り返ると、そのまま皆を見渡して云う。
「うぬら見たか? これが忍法『霞斬り』じゃ」
忍法『霞斬り』──それは、すれ違い様に抜き打ちをもってして相手を斬る技である。本来ならば急所を狙う技であるが、これを薬丸自顕流の強烈な斬撃をもってして放つのであるから、全身これすなわち急所と化す。どこを斬ろうと、相手を兜ごと両断する威力を有するこの抜き払いが当たればまず即死は免れぬ──
しかしながら和右衛門の狙いは、『霞斬り』の忍法の強さを皆に見せつけることではなかった。彼が云いたいのは、別なること。
「もともと、これは紀州忍者の技でのう。相手の不意を突き急所を狙い一撃にて沈める技じゃった。──なるほどそれだけでも確かに強力な技じゃが、鎧を相手としては些か不利。じゃが、本日皆に教えたる薬丸自顕流。この二ノ太刀要らずの斬撃をもってすれば、鎧も兜も関係ないわい。──まったく違うふたつの技を組み合わせ、新たなる進化を遂げたと云うことじゃあ」
和右衛門は八九郎のほうを向き、
「ええか? 八の字い……うぬはどうも型にこだわるところがある。うぬは先ほど、抜き払いの型にばかりこだわって、“抜・即・斬” の心を忘れとった──ええんやで型なんぞ。抜いて即斬り捨てることができさえすれば。そのためには斬りかたなんぞ、どうでもよいわい」
と、云うと、自らの刀を左逆手にて握り、
「うぬが左逆手抜き──見事な技じゃとわしは思うておる。確かにうぬは右手にての抜き払いはヘタクソじゃあ…….じゃが、わしにはうぬのように、左逆手にてあのように疾く抜くことはできん」
と、云うのであった。
「頭……」
と、八九郎が口を開くにかぶせ、和右衛門は、
「ええか八の字。ひとつの型にこだわるんやのうて、いろんなもんを混ぜるんや。うぬが身につけたる新陰流、うぬが学んだ忍法、わしが学んだ自顕流、そしてうぬが自慢の左逆手──いろいろ試してみい!──そしてその先にある、うぬだけの忍法……それを求め、日々精進せい」
と、云うや、その巨大な鞠のごとき身体に似合わぬ高速にて、突如として走り去ってしまうのであった。
──さて、このような並外れた腕を持ち、柔軟なる脳髄よりくり出される変幻自在の策を用い、しかも斬撃も打撃も通じぬ術を身につけたる生きながらにして伝説の存在となりつつある石崎和右衛門は、何故に先日、長州忍軍が送りし刺客前原燐慶に敗れ手傷を負ったのか?
油断故のことか? 否。いかなる打撃斬撃の通じぬ和右衛門を奇襲にて葬るは不可能なこと。
では術が敗れたか? 否。和右衛門の術は身体そのものに依るところが大きく、術やぶり云々の話をするは些か正しくない。
では、何故か? それはまったくの偶然──と、云うよりは、相手との『相性』にあった。
前原燐慶の得意とするは、無手にての組討ち。戦法としては、田中次左衛門のそれに近いものがあったが、彼と違いほとんど当て身の類は用いず、寝技投げ技に特化した忍者であった。
燐慶は、和右衛門の隙をついて左横より組みつき、そのまま高々と持ち上げるに至った。53貫(約200瓩)にも及ぶ和右衛門の巨体を持ち上げたのであるから、かなりの力であった。
さてしかしながら、受け技に特化したる伊豫忍者。その頭領たる和右衛門が、何故に投げ技の一発にて沈んだか。その理由のひとつは燐慶の技にあった。燐慶が用いたるは、『螺旋飯綱落とし』──ほぼ真横より組みついて持ち上げたる後にその頂点近くにて自らの身体を相手もろともに旋回させ、ひねりながら投げ落とす技であった。これが、和右衛門の運命を変えた。
さてもうひとつの理由。それは燐慶が細身であったこと。ひねりを加えたるその瞬間、53貫もの和右衛門の体重が、燐慶の左足一本にかかったのである。その重い重い体重をまともに受け、燐慶の左足がぐらついて滑りをみせたのであった。
これは両者にとって予想外。思わぬ動きにさすがの和右衛門も受け身を取り損ね、側頭部より顳顬の部分にかけてを地面に痛打するに至った。ここは急所がひとつ。そこに自らの重い体重がかかれば、いかに和右衛門とは云えど無事では済まなかったのであった。
しかしながら、燐慶もただでは済まぬ。和右衛門を打ち倒したるも、とどめを刺すだけの体力はすでに失われていた。なにしろ同体となって、しかも思わぬ動きにて倒れたのであったから、技の威力の半分ほどは自らへと還ってきたが故のことであった。
生きながらにして伝説となった石崎和右衛門。しかしながら、彼もまたれっきとした人の子。斬られず突かれず打たれずの肉体も、決して不死身の肉体ではなかったのである。
和右衛門には時間が残されていなかった。故に彼はある決意を固める。
その決意とは──
次回、忍法血風録!「椅子取り遊戯」
──わしはこれより、わしの跡を継ぐ者を決める──