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忍法血風録  作者: 瑞鶴寺鉄心斎
忍者武中八九郎
4/19

二番町夕霧楼

忍者の修行は、とても厳しい。それは無論その激しさ苛烈さもそうなのであるが──何よりも地味なのである。とにかく地味なのである。


──もう一度云う。とにかく、地味なのである。


先ずは、受け技の訓練から。畳張りの部屋にて、自ら後ろへと倒れ込む。それを飽きるほどくり返したる後は、続けて前方向へと倒れ込む。とにかく倒れ込む。次いで左右横方向へと倒れ込み、お次は前方回転にて倒れ込む──この際、すべて頭部より落ちぬよう身体を丸め、肩口など比較的頑丈なる箇所にて地に倒れるが肝要である。同時に、手にて勢いよく地をたたき、その激突の衝撃をやわらげることも、忘れてはならぬ。


それが済むと、今度は刀や手裏剣などの重い装備一式を背負い、山を駆け上る。そこに樹が生えていようがいまいが、岩があろうが穴があろうが関係なく押し通る。そのような狂気の進軍を終えた後、頂上にて休憩を挟んだ後、今度は駆け下りてふたたび城へと戻る。


その後、またもや地味な修行がはじまる。ふたりで組をつくり──奇数人にてあぶれた際は、『頭領』や『組頭』、若しくは『忍頭』などの上役が相方を務め──組み合った状態にて腕を交互に押し引きし、片肩をぶつけ合うなどは、まこと地味の極致であると云える。


その他、座ったり立ったりを何度もくり返す、後方へと反って額を床につけ、そのままの勢いにて逆立ちし、後方へと転がる。その次はこの動きを逆に──すなわち前方倒立の後に前方回転を行う──など、そこにはまったく、華やかさと云うものは微塵もないのであった。


「ふん! こんな修行が何になろう! 莫迦莫迦しい、やってられるかっ!」


──と、真っ先に云って投げ出しそうな八九郎はどうしていたか? と、申せば、これがまた明日は嵐か大雨か。彼は文句ひとつ口より漏れ零すことなく、まじめに修行に取り組んでいるのであった。


これは、異なこと。彼の心中にいかなる変化が起こったか。


──ねじ曲がった性根を入れ替え、倫理的に生まれ変わったか?


否。八九郎はそのような者ではない。産まれ持った性質が簡単に変わってたまるか。その変化の根源は、もっと邪で俗的なものであった。


──では、『頭領』直々に迎え入れられたことを思い出し、忍者として立身出世の道を改めて選んだか?


否。先日の一件──『頭領』石崎和右衛門が娘、花忍お千代の下帯を覗き見た件の顚末は娘の口より父たる頭領の耳に入っており、今現在の時点に於いて八九郎の株はだだ下がりの大暴落を引き起こしていた。これは今しばらくのところ、浮上の見込みはなかったのである。


──しからば、その『花忍』お千代がごとく美しきくのいちが相方となっており、八九郎の邪なるやる気を引き起こしていたのか?


否。今現在彼の相方を務めるは、伊豫忍軍のうち1、2を争うむさ苦しき男、鵜久森(うぐもり)五郎兵衛(ごろべえ)であった。


五郎兵衛は、なんと申すか──巷の評価にては、醜男(ブおとこ)の部類に属する。平目(ヒラメ)のごとき顔面は、まるで両棲生物や魚類のそれを想起させるものであった。そこに、泥鰌(ドジョウ)(ヒゲ)など生えているものであったから、これはいよいよ、(なまず)かなにかの仲間にしか見えぬ。


そのような者を相手としては、こう云った若き男女の間に生まれがちな、甘き浪漫斯(ロマンス)など、生まれる余地は絶無。もし万一にふたりが衆道の趣味があったとしても、身の丈6尺、24貫の大男と、背丈低かれども西瓜(スイカ)のごとき胴廻りを誇るこの鱗魚人(うろこさかなびと)との間には、とてもそのような感情の生まれることはないであろう。


ならば、この八九郎の変わりようは何に起因するものか。その根源たるや、何か?


それは──


(ふん、今に見ておれい……)


そのように思う八九郎の視線の先にあるは、『忍頭』たる田中次左衛門の姿があった。彼はこの次左衛門と云う男を、斬りたいと心から願っているのであった。


だが、それにはまだ早い。ここ数日の間に八九郎を襲った数々の事件は、彼に己の力不足さをありありと見せつけ、思い知らせていた。



例えば先日のこと。仔を産むために犠牲となる男子(おのこ)を探し求めていた妖狐に襲われた後のこと。彼女の操りたる妖しき鬼火──狐火は、その本体たる妖狐の死したる後も、その場に留まり続けていた。


これは、『結界』と云う名の一種の擬似空間を発生させ、人を惑わし誘い込み捕らえ込む能力を有しているがため、打ち捨てておくはあまりに危険であるが故に、その場にいた忽那七郎とともに、八九郎はこれを始末するに至ったわけであったが──これがなかなか、うまくいかなかった。


なにしろこの狐火ときたら、刀で斬っても消えぬばかりか、逆に分裂して分かれ増える始末であった。斬れば斬るほど、かえって増える。原生生物(プラナリア)か何かか? この厄介を極める物体Xを前として、八九郎は打つ手がなかったのである。


しかし、それを見事解決してみせたが忽那七郎が忍法であった。彼はその手にまとわせた『雨細工』の水を用い、腕を振るい霧状に吹きつけたのである。みるみる、狐火は消えてゆく。始末に困るこの鬼火どもは皆すべて、その蒼白き炎を消され、そして己自身も消えていった次第であった。



その他にも、巨体を誇る己の身体を地面へと埋め込んだ次左衛門、動けぬ己の巨体を蹴りのただ一撃にてその地面より抜き動かしたお千代──これら3名の忍びの用いた怪しき術を眼の当たりにしては、さすがの八九郎も己の力量をわきまえるに至ったと云う次第であった。


──今の己の力では、とてもあの豆チビの首を取ることはできぬ。


八九郎はそのように悟ったのである。


そのため、かの忌々しき小男の首を取れるだけの力を身につけるべく──つまり変幻自在の忍法を身につけるため、今このようにしてまじめに、忍者としての修行に励んでいると云う次第であった。


なるほど、邪なる動機である。しかしながら動機などどうでもよいことである。──すくなくとも伊豫忍軍としては。ここにこうして八九郎がまじめに登城し、修行と云う務めを果たしてくれれば、これ以上彼に望むことは今のところ、なかったのであった。



「ようし、()めいっ!」


訓練のまとめ役たる『忍頭』次左衛門は、そのように号令をかけた。頭たるもの、ただやみくもに配下らを鍛えるため叱咤激励するだけではいかぬ。このように頃合いを見て、中断の号令をかけて休憩を取らせるも、大事な役目である。これができねば、とても頭は勤まらぬ。


「皆、よくぞ頑張っておる。拙者はそれをうれしく思うでござる」


そのように云い、皆を激励する次左衛門。皆、この頭の眼を見て話を聞いていた。


だが、ひとり八九郎のみは、


(今に見ておれい……)


などと、いつか斬る時を夢見ながら、若干顔を伏せて次左衛門を見ているのであった。


「──ときに、八九郎」


不意に名を呼ばれ、八九郎はほんのわずかうろたえた。──まさか、己の心の内を見透かされたか? そのように思った。


しかしながら次左衛門は、


「そなたは特によう頑張っておるのう。──見事じゃ。つい先日まで、まるで忍者としての修練を積んでいなかったそなたが、なかなかどうして、脱落することもなく他なる者についてきておる! さすがは、直新陰流の免許皆伝と云うたところか? うむ! まこと、石崎殿の眼に狂いはなかったものとみえる!」


と、よく通る声にて、八九郎の修練を褒めるのであった。


「──ん、あ、んん……いや、まあ……むむう……」


これはまったくの予想外。にわかに気勢を削がれ、返す言葉もたどたどしい。


「やはり、そなたは伸びる。──もしかすると、拙者を超えるやもしれぬ……いや、超えるものと、拙者は見ておるでござる。──その時を夢見て、日々精進なされい」


次左衛門はそのように云うと、皆に解散を命じた。──本日の修行は、これで終了であった。




「むうう……調子が狂うのう……なんじゃ? なんなのじゃあやつは!?」


町をうろつきながら、八九郎は不機嫌そうにつぶやく。──その原因は、修行が終わる前の次左衛門の言葉にあった。


斬るつもりであった。今日ではないいつか──しかしながら、そう遠くない未来に、必ずや。


そのように誓ったハズであった。忌々しき小男──己に衆人環視の中、道に埋め込まれると云う屈辱を与えた男。日陰者の忍者。世襲ならぬ、途中入隊組の男──


しかしながら、その後半は自らも同じであることに、八九郎は気づいていなかった。


同族嫌悪──と云う言葉で片付けるは、あまりに稚拙なことかもしれぬ。しかし、今現在の八九郎の立場は、次左衛門とほぼ同じもの。──側から見れば、まったくの同類にしか見えぬものとなっていたのであった。


「あっ! ()っさん! 八っさんじゃないの!」


そのように八九郎を呼ぶは、玄人衆がひとりであった。この女子(おなご)の名は、夕霧(ゆうぎり)──無論、源氏名であるが──と云い、八九郎お気に入りの娘であった。


「む? 夕霧殿か。いかがした? 今日は、店は休みであるか?」


八九郎がそのように訊くと、夕霧はうなづいた。──ならば、用はない。(まぐ)われぬとあらば。


「左様か。ならば、わしのような者と一緒にいても仕方あるまい。──では、さらば」


じつにあっさりとしたもので、八九郎はそのように云うとさっさと歩き出そうとした──が、夕霧は八九郎の袖を摑んで引き止める。


「ちょっと待ちなよ。うちはあなたに用があるのよ」


なんとも、強引なことである。こうなれば、つれなく振り払うことはもはや不可能である。──仕方なく、八九郎は用とやらを聞いてやることにした。



「──ほほう?『雇い人』が戻って来ぬとな?」


飯屋の一角にて、話を聞いた八九郎は、そのように答えた。『雇い人』とは、つまりは店の従業員のことである。


「そうなのよ。もう5日も帰ってこない。──まあ、数日くらい怠けることくらい誰にだってあるけどね、でも5日ともなれば……」


「大事件じゃのう。逃げたか……或いは」


「拐われたか」


夕霧は、その線で見ておるらしいとみえる。


「おぬしがそう見ておると云うことは、店の銭を盗んだとか云うことは、ないらしいのう」


夕霧はうなづいた。店の銭はおろか、消耗品ひとつ手つかずであったらしい。


「なるほど……これは怪しいのう」


──そのように云ったが、最後であった。その後はもはや夕霧の調子にまんまと乗せられてしまい、いつしか八九郎は、そのいなくなった雇い人を探すことを承諾させられていたのであった。



雇い人の名は、弥平と云った。一応、夕霧の雇い主──すなわち『楼主』──より人相書を渡されはしたものの、これがまあ──へたくそでへたくそで……もはや人間の顔と云うものではない。どう見ても、魚か、或いは両棲生物の(ツラ)にしか見えぬ代物(シロモノ)であった。


「かはっ! こんな人間がおるものか! こんなものを手がかりとしておっては、わしが骨になっても見つからぬわい!」


そのように云いながら、人相書を見つめつつ町を歩く八九郎。──いつしか彼はお城のすぐ南、番町にまで戻ってきていた。


番町──それは、黒い詰襟の学生服を金釦にて留めた、学帽を被り葉枝を咥え、高下駄にて闊歩する学生らのまとめ役。喧嘩も強く、頭も切れ──んん! それは、『番長』であったか。


番町とは、番号をつけて呼称される町のことであり、ここ松山のご城下にては、飲み屋街となっていた。それぞれお城から見て、一番町、二番町、三番町──今現在八九郎がいるのは、二番町であった。


飲み屋街故に、人通りも多いと見て、このような魚人面をしたものがおりはせまいかと、八九郎はここを訪れたのであった。


まあ、このような魚面人身なる者など、見つかりはすまい──八九郎はそのように、何らの期待もせずにいたのであったが──



いたのである。魚類の仲間のような、両棲生物のような(ツラ)をした、鱗魚人(うろこさかなびと)が。


「おっ? なんじゃい! 武中やないかい!」


しかしながら、それは八九郎の探しておった鱗魚人ではなかった。その者の名は弥平に非ず。その者は名を──鵜久森五郎兵衛と云った。ついぞ先刻まで、八九郎と組んで修行をしておった、同輩の忍者である。


「なんやなんや? 昨今心を入れ替えてまじめに修行に励んでおると思うておったが、やはり遊びの蟲は相も変わらず騒いでおるとみえるか? ん? いや、責めとるわけやないぜ? わしかて同じやさかいのう!」


五郎兵衛は、そのように云うと、八九郎の袖を摑み、


「どや! 武中の! わしが奢るけん、一緒に飲まんか? ん〜、わしはどうもひとりで飲むんは好きやないんや。誰ぞ飲んでくれそうなヤツがおらんかどうか探しよったんやが……ここにおったわ! むはは! こりゃあええ、こりゃあええ!」


などと云って、そこらの飲み屋まで八九郎を引っぱって行く。抗うことはできぬ。五郎兵衛もまたこのような小兵なるが、しかしながら体重では八九郎に迫る。かつ、あの忌々しき次左衛門と同じ、莫迦力の持ち主であったが故に。


(どうも今日は、袖をやたら摑まれる日じゃわい)


八九郎はそのように思いながら、されるがままに飲み屋へと入って行くのであった。



「なにやあ? わしに兄弟がおらんかやあ?──ふはあ! こらあ武中よう……われぇもしかせんでも、その弥平じゃあ云う魚人面の雇い人が、まさかわしの弟かなにかやあ云うつもりやあなかろのう?」


そのまさかである。このような魚人面の遺伝的因子を受け継いでおる家が、この十五万石のご城下に、鵜久森家の他にそうそうあってたまるか。しかしながら五郎兵衛は、


「われぇの眼ぇは節穴か何かか? その節穴に嵌っとるんは硝子(ギヤマン)の球かなにかか? よう見いっ! わしのような麗しの美男子と、この魚人面のどこが同じ(つい)に見えるんやあ?」


などと、八九郎の見込みを否定して云う。──八九郎の眼が硝子(ギヤマン)球ならば、五郎兵衛の眼はさしずめ魚眼とでも云うべきか。どうもこの御仁も、ものが濁り歪んで見えておるものとみえる。


「同じやないかい」


阿呆茄子(アホナス)! まるで違うわいな!」


五郎兵衛は(つまみ)として出させた細切り大根をひと摑みにすると、そのまま口の中に放り込み、


「しゃごしゃご……ええか武中の! わしの兄者ら、一兵衛から四郎兵衛までは皆、労咳で位牌になってわしの家におる。弟ども、六郎兵衛から九兵衛までは江戸表の藩邸務めじゃ。とてもそんな、廓務めをする暇も気もないわさ! しゃもしゃも……」


と、八九郎の見込みを一蹴して云うのであった。


「むう……左様か」


そうだ(ほうよ)! わしの兄弟にも親族一族郎党の中にも、んなヤツあおらん!」


なるほどそう云われてみれば、そうかもしれぬ。五郎兵衛は確かに魚人面の鱗魚人なれど、どちらかと云うとその面は、(なまず)(あなぎ)に似ておる。しかしながらこの弥平と云う雇い人、この人相書が確かならば、その面は岩魚(いわな)のような系統のご面相であった。


同じ魚面であっても、その系統は大きく異なるものであった。


「して、その弥平じゃあ云う(もん)の手がかりはぁ、その下ッ手くそな人相書だけかいな? 何や、他にないんけな?」


五郎兵衛は、そのように訊く。すると八九郎は、


「いや、他にもあるわい。なにやら知らんが、その弥平とやらの残した書きつけを貰うておるわい」


と、云うや、懐より何やら折り畳んだ紙片を出して、卓の上に置く。五郎兵衛はそれを受け取り、広げて見るや──


「ふぁーー!? なんやこれ? 何書いとるんやら全然読まれへんぞ?」


と、魚眼を見開いて云うのであった。


──書きつけには、このように書かれていた。


“噴狂無狂 莫不九刀 流流家有 我殴双郡”


なるほど、まるでわからぬ。


漢詩であろうかと、はじめ八九郎は踏んだ。だがそれにしては文字列がおかしい。たいていの場合漢詩と云うものは、五字ないし七字にて区切る。しかしながらこれはただ四字にて区切られていた。


しかも、詩にしては韻の踏み方がおかしい。──いや、それを云うならばそもそも文法がおかしい。八九郎と五郎兵衛、それぞれの知る漢文の書き方とはまるで異なる、意味不明な文章であった。


だいいち、これはそもそも文章であるのか? 八九郎と五郎兵衛、それぞれの知る漢文の読み方を用いてもなお、その意味は理解できぬ。


「〽︎噴き狂い、狂うこと無く、九刀莫から不んば、流れに流れたる家有るを、我を殴り双に群れ?」


いや、群ではなく、郡である。地名であろうか? いや、このような郡など、日ノ本の國のどこを探しても存在せぬ。


「〽︎噴いて狂う、いや狂わず、九刀莫かれ不……莫迦があ! そもそもどうして莫と不とが続いとるんじゃあ? 誰ぞこんな詩を書きおった莫迦はあ! 頭がどうかしとるんと(ちゃ)うかあ?」


五郎兵衛は読み下しの途上にて腹を立てたと見え、顔を赤くして叫ぶのであった。


「五郎兵衛。わしに怒られても困るわいな。これを書いたのはわしではなく、その弥平とやらじゃ。──だいたい、こんなへたくそな字をわしが書くものか。こんなへたくそな字を書くものは、こやつの他にはあの次左衛門しか知らぬぞ?」


八九郎は、そのように云う。さりげなく、次左衛門の悪口を乗せて。


「おお、そうじゃのう。なるほどこれは(かしら)の字といい勝負じゃわいな」


五郎兵衛も次左衛門の悪筆には思うところあったか、賛同の意を示して云う。


「まあともかく、これは何らの手がかりにはならんわいな。他になんかないんけな?──例えば、そやつの棲家とか」


五郎兵衛の言葉に、八九郎は答えて云う。


「うむ。なんでも、三津浜の産まれとか」


三津浜とは、ここ番町より北西に行ったところにある、港町である。


「むう……そうやな。ほたら、そこ行ってみるかいの?」


五郎兵衛はそのように云うと、注いでおった酒を一度に(あお)った。一気に咽喉(ノド)へと染み渡る冷たさの後に肚より込み上げてくる酒の熱さに、きゅうと五郎兵衛は眼を閉じた。


そしてひと息に、


「ぷはああぁぁぁぁぁ……」


と、気持ちのよさげな声を吐くと、


「よっしゃ、よっしゃ! ほたら行くぞ武中の!」


と、立ち上がり、肴をひと手に摑むとそのまま口の中へと放り込んだ。


「なぬっ? 今からか? 今先ほど飲みはじめたばかりではないか」


そのように云う八九郎に向けて、


「何を云うんじゃあ。昔から云うやないかい。“善は急げ、悪も急げ” とのう!」


と、五郎兵衛は云う。完全にそのつもりであった。


──こうなれば、もはや従うより他に仕方なし。すべてを諦めた八九郎は、


「はあ〜〜……」


と、ため息をつくや、五郎兵衛に倣って肴をひと口にて平らげると、酒を一気に(あお)って立ち上がるのであった。

玄人娘、夕霧より突如として持ち込まれた依頼を受ける羽目に陥った八九郎は、まったくの偶然にて同輩たる忍者、鵜久森五郎兵衛とともに捜査にあたることと相成った。


突如、失踪したる雇い人弥平を探し、彼の棲家たる三津浜の地を訪れたふたりを待ち受けているものとは?


夕闇包む町。陽は暮れかかる。怪しき気配が辺りに満ちつつあった──


次回、忍法血風録!「續・二番町夕霧楼」乞う御期待!

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