忍者になんか、なりたくない
伊豫國は、八つに分かれている。松山藩、今治藩、宇和島藩、大洲藩、西条藩、吉田藩、小松藩、新谷藩が、それである。これに加え、紀州藩の飛び領地や、幕府直轄領たる天領が、複雑に入り乱れて存在しているのであった。
これはかつて戦国の世にて、様々な勢力が入り乱れて存在していた名残であり、そのような諸領が増えたり減ったりをくり返し、今の今まで残ったと云う次第であった。
武中八九郎は、そのような諸藩のひとつ、伊豫松山藩に仕える藩士であった。
天保15年の産まれであるから、安政7年の今現在に於いて、18歳である。この時代に於いては14歳で成人していたわけであるから、もはや立派に一人前の若衆であると云えた。
顔も月代もしっかりと剃刀があてられており、艶のある肌が陽の光を浴びて輝いている。なにしろ身の丈6尺(約180糎)にもなる偉丈夫。背丈があるぶん、陽光もよく当たると云うものである。
このようなじつに頼り甲斐のありそうな若衆ともなれば、さぞや女子衆の憧れの的──では、あったであるが、どうも彼は素人衆には受けが悪いらしく、もっぱらその声をかける者は、遊女連中などの玄人衆に限られた。
さて本日も、玄人衆に声をかけられた八九郎は、「断るは失礼にあたる」とでも云うつもりか、朝のはじめよりそのような女子らを相手とし、一戦も二戦も交えた後、肌を艶々とてからせ、白粉の匂いを漂わせながら、ご城下の色街を歩いていたのであった。
時刻はとうに、昼を過ぎていた。登城の刻限など、過ぎて幾久しい。しかしながら八九郎からは急ぐ様子など微塵もみられず、まるで散歩でもしておるかのような、悠々とした足取りにて城を目指して歩いているのであった。
このようなことが許される身分ではない。断じてない。彼は断じて藩の重臣などではなく、ただの三一ざむらい──すなわち最下級の平ざむらいにすぎぬ身分なのである。
故に、登城すれば上役の叱責を受けるは必至。しかし八九郎の顔からはそれを憂う様子はまるで見られぬ。いかなることをその脳髄の中にて考えておるのやら──
(むふう……じつによき女子であったのう)
まこと、齢18の男子に相応しいことであった。頭の中はそればかり。それにしてもこの厳つき男のどこに、玄人の女子衆を惹きつけるものがあるのやら、とんとわからぬ。まこと、この世は不思議なことで満ちている。
「こらあーーっ! 八九郎ーーっ!」
しかしながら、世の理はそれが潤滑にその本来あるべき姿にて廻るようにできている。従って、遅参の限りを尽くしておる今現在の八九郎が、上役の叱責を受けるは、当然のことであると云えた。
「そなた、今は何刻であると思うておるでござるか! そなたの眼にはあそこにおわす日輪が未だ東の空の下に見えるのでござるか!」
突然の背後よりの声に振り返った八九郎に向けて、上役はよく通る声にてそのように云うのであった。
さて本来ならば、八九郎は頭を下げて許しを乞わねばならぬ立場である。責は八九郎にあることは明白。登城の刻限を大きく過ぎているばかりか、その理由と云うのが女子衆らと交わっておったと云うは、まことに弁解の余地などない。膝をつき、手をついて頭を深々と下げて許しを乞うが、さむらいとして本来あるべき姿であった。
しかしながら八九郎は、
「む? なんじゃ? これは異なこと! まことに奇怪千万! 声はすれども姿は見えぬ! あら不思議や!」
などと、立ったままにて辺りを見廻して云うのであった。顎は上を向いており、その双眼は天を向いていた。
──これは、上役を揶揄っての行いである。上役の背丈はわずか5尺(約150糎)に満たぬ。そのような小男であったから、身の丈6尺にもなる八九郎からすれば、子供同然にしか見えぬ。侮られるのも仕方のないことと云えた。
「むむむ……こら八九郎! 拙者はそのようなところにはおらぬ! そなたの眼の前におるわーーっ! 下を向けいっ! ここじゃ! ここにおるわーーっ!」
上役は八九郎の足元にて、必死に何度も飛び跳ねながら云う。しかしながら、それでもなお彼の顔は、八九郎の顎の下にも届かぬのであった。
この小男の名を、田中次左衛門と云う。弘化3年の産まれであるから、若干15歳。成人して幾らも経たぬこの若衆は、しかしながらその若さにて、多数の忍者をその配下に置く、まとめ役の任を務めていたのである。
伊豫忍軍忍頭──それが、次左衛門の役職であった。
いち平忍者たる八九郎も、この者の配下である。つまりは決して頭上がらぬ上役に他ならぬ。しかしながらそのようなお人を前にしてもこの八九郎は、
「んあ? おお、頭! そこにおられたか! ふはは! いや、すまぬ、すまぬ! あまりに頭がちいさき故に、見えなんだわ!」
などと、不遜極まることを云うのであった。
このようなことをする所以は何か? それは、八九郎がこの次左衛門と云う男のことを嫌っていたからに他ならぬ。いや、次左衛門個人を嫌っていると云うよりはむしろ、忍者と云う自らのお役目自体を、八九郎は嫌っていた節があった。
──わしは、忍者などにはならぬ。
──わしは断じて、忍者などにはなりとうない。
──わしは嫌じゃぞ! わしは忍者などと云う日陰の道を行くは御免被る! わしは剣の道を行くのじゃ!
以前の八九郎の言である。彼は元来、剣士たる者としての道を歩んでいたのである。直新陰流を用い、その剣先にぶれはなく、太刀筋は剛健にして繊細、速さと力強さと美しさを併せ持つ、それでいて実戦に直した剣術を、彼は身につけているのであった。
故に、剣の道を志した。それ一本で喰っていける腕はあった。剣術のみならず、先祖代々受け継がれてきた『武中流小具足術』の腕前たるや、充分に道場主としてやっていけるだけのものが、確かにあったのである。
だが、その道は閉ざされた。それは、別に彼の性格や素行の悪さには起因しておらぬ。彼よりももっとひどい者は、天下に掃いて捨てるほどいた。にも関わらず、それらは道場主として充分にやっていけている。果たして、その要因とは何であったのか?
それは、ひとえに八九郎が、『左利き』であったからである。大多数の者が右利きである以上、剣術は右利きを前提として構築されていた。そのような計算され構築された動きと、左利き剣術──左剣はまるで逆の動きをとるため、通常の剣術を極めれば極めるほど、左剣に対して不利となるのであった。
故に、左剣は嫌われた。『邪法剣』として忌み嫌われたのである。そのようなものを、わざわざ銭を払って習いに来る者がどれほどいよう。相手をするのも嫌なのである。たちまち、八九郎は稽古相手にも困るようになった。このままでは、喰い詰め者の仲間入りをするは必定であったのだ。
そこに、救いの手が差し伸べられた。伊豫忍軍よりその腕前を買われ、引き抜きの話が出たのである。発案者は、伊豫忍者の頂点に立つ者──『頭領』を務める石崎和右衛門であった。
石崎和右衛門は、細かいことにこだわらぬ。左剣だろうが邪法剣だろうが何だろうが、お役目の助けとなるならば何でも問わず用いた。故に、この魔性の天才剣士の窮状を聞くや、すぐさま声をかけに動いたのであった。
この申し出を、八九郎の父は受けた。彼もまた細かなことにこだわらぬ者であったが故に、話はとんとん拍子に進んだ。何しろ忌み嫌われる左利きを矯正しようとすらせぬような者。そのような者であったから、父は愛しき息子の窮地を救うため、伊豫忍軍の要請をふたつ返事で快諾したのであった。
しかしながら、八九郎はそうはいかぬ。あくまでも日の当たる道、剣術の道にこだわった。断じて日陰者たる忍者になるつもりなど、なかったのであった。
だが、すでに話は決まったこと。今更「この話はなかったことに」などと云い出すことは許されぬ。そうなれば武中家は断絶の処置を取らざるを得ぬ。そのような事態は、八九郎も、その父も、伊豫忍軍も、そして伊豫松山藩も、望むところではなかったのであった。
かくして伊豫忍軍の一員となった八九郎であったが、その意欲は地に落ちていた。かつての修練熱心であった剣士の姿はどこへやら。忍術、忍法の修行など碌すっぽやらず、まともに登城すらせぬ碌でなし忍者がひとり、ここに出来上がった次第であったのだ。
だが、それはまことにもったいないことである。もし万一彼が右利きであったなら、もし彼が会津藩士として産まれていたならば、間違いなく歴史を変えていたであろうこの天才剣士を、みすみす野に埋めて腐らせるなどと。
故に次左衛門は、毎日毎日懲りもせず、八九郎のもとを訪れていたのであった。
「八九郎! 拙者と異なり、身体にも腕にも恵まれたそなたは、必ずやひとかどの人物となろう! 故に頭領たる石崎殿はそなたに声をかけたのではござらぬか!──拙者は未だ未熟者なるが、それでもなお日々精進しておる! 拙者でさえそうなのであるから、そなたほどの腕の者ならばもっと強くなろう! 行くぞ八九郎! いざ行かん我らが修行場へ!」
『忍頭』次左衛門は、そのように云って八九郎の袖を摑む。瞬間、八九郎は眼を見開いた。この、己の胸下ほどもない小男の力が、予想外に大きかったからである。24貫(約90瓩)にもなる八九郎の巨体が、いとも容易く引かれたのであった。
「くおっ!」
八九郎は足首を内側へと廻し、踏み留まった。しかしながらすでに、1丈(約3米)は引きずられていた。すさまじい力である。
八九郎は、些か腹を立てた。この次左衛門のことを以前より気に入らぬところがあったのが直接の要因であったが、それはこの小男を、侮っていたところにある。
──次左衛門が八九郎に勝っているところなど、皆無であると云える。体格は云わずもがな。年齢にしては3つも齢下にて、おまけに元来は陽の当たる道を進んでいた八九郎に対し、次左衛門は生粋の忍者である。それも世襲ではなく、いち藩士たる家よりの入隊組である。いかに忍頭を務めておるとは云え、さむらいの位としては下層も下層、最下層の者と云ってよい。
そのような位卑しき者の下につくなど真っ平御免。しかも八九郎は、このように考えていた。
──このような身体ちいさき者が、ただ年功序列に従って頭にくり上がってきたにすぎぬ──
と、こうであったがため、いよいよ八九郎は次左衛門を軽んじていた。そこに、今こうして不意を突かれ、そのような者の前にてうろたえの色を見せてしまったことが、八九郎の全身の血を沸騰させた。
「ぬうっ! この豆チビめ! 身分卑しき忍びごときが、剣士たるわしに対して無礼なるぞ!」
八九郎は刀を抜いた。左腰に差したる刀を左手にて逆手に摑み、抜き放つやくるりと順手に持ち替える。この間、並みかそれ以上の腕の者が右手にて順手に抜くに、引けを取らぬ疾さである。
まこと、普段より豪語するにいつわりなき剣の腕であった。
「くおあーーっ!」
順手に持ち替えるや、即座に振り下ろしの一撃を放つ。一刀のもとに斬り捨てる狙いであった。──無論、上役を斬るは大罪なれど、しかしながらここは色街、すなわち歓楽街であったが故、ここでの喧嘩、刃傷沙汰は慣例として不問とされていた。そこまで計算しての行いであった。
と──
「ぬうっ!? どこへ消え失せたか!?」
八九郎の刀は、正確に次左衛門を斜めに両断したハズであった。だがそこには血の一滴もこぼれ散っておらず、ただその代わり、備蓄されていた防火用水が、それを湛える桶ごと両断されて地面に飛び散っているのみであった。
赤い水溜まりではなく、空の色を映す澄んだ水溜まりが、そこにあった。
「──!?」
八九郎は右を向く。そこには、突然の喧嘩騒ぎに怯え恐れる町人どもの姿しかなかった。
「──!?」
左を向く。そこにはただ今しがた斬られた防火用水の桶が、滝のごとく水を流しておるだけであった。
「──!?」
今度は上を向く。そこには、日輪を頂く空がどこまでも蒼く広がっているのみであった。
「どこじゃ? どこへ消え失せおった?」
八九郎がそのように云った、その瞬間であった。
「ここじゃあ!」
「むおっ!?」
突如として、八九郎の足元が沈んだ。視界が縦に流れた次の瞬間には、彼の身体は腰までが地面に深々と埋まっていた。腰に差した鞘がなければ、首までも埋まっておったであろう勢いであった。
「こ、これは? むおっ! う、動けぬ!」
周囲よりの土の圧力により、八九郎の両足はぴくりとも動かず、その常人離れした両腕の力をもってしても、その両足を地面より抜くことは叶わなかった。地面に、文字通り釘付けにされたのである。もっとも、その身に釘を打たれたと云うよりは、八九郎そのものが釘とされ地面に打ちつけられたと云ったほうが正しいか。
「ふはははーーっ! 見たか! これぞ忍法『釘縫い』でござるーーっ!」
そこに、ふたたび次左衛門が現れた。両足を揃え、腕を組んで立っているそこは、八九郎の眼の前であった。いったいどのようにしてその姿を消し、どのようにしてふたたび現れたのか。
煙玉を用いた様子はない。煙玉独特の硝煙の匂いは皆無である。眼くらましを用いてわけではないようで、八九郎の頭はしばし混乱の渦に飲み込まれた。
そのような様子を見知ってか、次左衛門は八九郎に向けて云う。
「これはのう八九郎。『土忍』が技のひとつ、『土遁の術』の一種にござる。そなたも知っての通り──あ、いやすまぬ。そなたは修行をしておらぬのであったな。うむ……まあ、土中にその身を沈め、そこを掘り進み潜航するが、『土遁の術』にござる」
「……!?」
眼をしばたく八九郎。脳髄はようやく混乱より醒めつつあったが、未だ言葉を発せぬ。そこに、次左衛門はさらに云う。
「しかしのう八九郎。『土遁の術』は便利なのじゃが、ここにひとつ落とし穴があってのう。土と水とは相性が悪く、濡れた土にては潜航が利かぬ。濡れた土は粘つくが故、固まりて身体が止まってしもうてのう……じゃがそれを逆に利用し、敵を捕らえ固めるが、この『釘縫い』の術と云うことよ!」
いつの間にやら腰に手を当て、仁王立ちの次左衛門は、八九郎を見下ろすかたちとなっていた。いかに八九郎が長身とは申せ、下半身をすっかり土中に埋めてしまっては、さすがに両足を地につけた次左衛門よりもその視点は低くなってしまったのであった。
「ええい! 豆チビに見下ろされるとは! 気分が悪いわい! こらあ頭あ! 早うわしをここから出さぬか!」
ようやく言葉を発せるようになったかと思えば、この云い草である。まこと、上役に対する当たり方とはとても申せぬ。そこで、次左衛門はこの跳ねっ返りも甚だしき配下の頭をすこしばかり冷やしてやろうかと考え、
「いやでござる」
と、八九郎の顔の前に自らの顔を近づけて云うのであった。
「こっ……」
眼を見開く八九郎に向けて次左衛門は、
「そなたが今に至るまでまじめに修行を続けておれば、このような術は容易く破れたハズ。抜け出すのに5秒も要らぬ……2秒で終わりじゃ! じゃがそなたは修行を怠った。その罰じゃ。誰ぞが助け出すか、或いはそなた自身の手で抜け出すまで、そこでおとなしく地に突き刺さり反省せい!」
と、云うと、右手にて八九郎の髷をわしゃわしゃと撫で摩るのであった。
「ぬがあっ!」
この無礼な行いに、顔を真っ赤にして両腕を伸ばす八九郎であったが、しかしながら次左衛門のほうが一瞬早かった。後方へとすばやく跳び退さるや、そのまま着地の勢いを利用して前方回転してふたたび跳び、八九郎から見て後方へと着地するのであった。
「ぐおおーーっ!」
と、八九郎が吼えたところで、もう遅い。
「八九郎! 悔しければ本日より性根を入れ替え、明日からはまじめに登城し、修行に励むのじゃぞ! ふはははーーっ! では拙者はこれにて務めに戻るが故、御免!」
と、云い残して走り去る次左衛門に対し、すでに取るべき手段は八九郎には残られておらぬのであった。
後にはただ、八九郎ひとりが残された。助けに来る者は皆無。街を行く町人、遊び人、はたまた藩士たるさむらいまでも、彼を遠巻きに見つめ、足早に通り過ぎて行くのみであった。
「ぐぐぐぐぐ……おのれぇ〜〜……おのれ田中次左衛門んんん……覚えておれよ……おぬしが首は、いつかこの武中八九郎がもらい受けるからのう……首を洗うて、待っておれえええい!」
そのように云いながら両腕に力を込める八九郎。しかしながら、彼自身の身体は小揺るぎもせぬ。
長い長い時が過ぎた。
──ようやく、大地の戒めより八九郎がその身体を逃れさせることができたその時、すでに陽は落ちた後の、逢魔刻となっていた。
志した道を閉ざされ、新たなる道を行くこととなった剣士、武中八九郎。しかしながらそれは断じて、彼の望んだ道ではなかった。
やる気を失い、自堕落な日々を送る彼の前に現れたは、何かと彼と反りの合わぬ上役、田中次左衛門であった。
完全にしてやられ、敗北の屈辱を晴らすがための仇を討つことを誓う八九郎。
だがその時、彼の心の中にはすでにある変化が生まれつつあった──
次回、忍法血風録!「霞色の夜桜」乞う御期待!