第17話 禁じられた言葉
「なんと!? それは『魔界転生』の秘技ではないか!」
瑞山の話は途中で遮られた。山地三四郎の大声によってである。──しかしながら、話の腰を折られたと瑞山は肚を立てはせぬ。むしろ、三四郎の言葉に興味を抱いた様子。
「なんじゃ? お主、知っちゅうがか?──それなら話がはやい。その、なんとか転生について教えてくれちゃあ」
話はその、謎の老人の用いる秘術へと移っていった。他ならぬ瑞山によって。
「教えてくれと云われても、わしも詳しくは知らぬのだ。殿より聞き及んでおるのみ──その殿とても、先代の先代のそのまた先代より聞いたことであると云われるにとどまった」
三四郎の話によると、話の出処は伊豫松平家初代、定行公だという。つまりは慶安年間初頭の話──ちょうど由比正雪が丸橋忠弥などと組んで幕府を倒さんとしていた頃のことである。
「どうもその頃、伴天連の魔術と我らが忍術とを組み合わせた、まったく新しい忍法が用いられたとか。──それが、死人をふたたびよみがえらせるとか申す、『魔界転生』の忍法であると」
「伴天連の魔術じゃあ?──なるほど、あの爺が云うちゅうたと、辻褄は合うわ」
まこと、これぞ切支丹の秘術である。死したる者をふたたび現世へとよみがえらせる魔術!──瑞山も三四郎も知らぬことではあるが──かの開祖たる基督もこの術を用いて処刑後に復活したとされる。また、それを忍術と組み合わせた魔界転生の忍法をもって、かの切支丹の叛乱、島原の乱の首謀者がひとり森宗意軒が、数多の剣豪をよみがえらせ幕府を倒さんとしたは事実であった。
「これはまずい」
三四郎は云う。
「殿は仰せになられた──“もしそのような術をふたたび用いんとする者あらば、何が何でも斬れ” と。──“世がふたたび乱れるもとじゃからな” とな」
杖をふたたび構え、
「つまり、うぬの手の者じゃろうが、構わずわしは斬らねばならぬ。──邪魔立てすらば、うぬも斬らねばならん……」
そのように、瑞山に向けて云う。
「ふ……なんでわしがお主にこれを云うたがか。──あの爺を斬ってもらいたいがためよ」
瑞山の顔は苦りきったものであった。さらに、
「爺だけやなかが。鷹蔵、あんなも圧し斬ったれ! あれが要らんことしよってから、わしの目論見が全ェン部狂うてしもうたんやがか!」
口調も荒くなる。顔はもう朱に染まっている。──よほど、肚に据えかねる思いがあったのであろうと、三四郎はみた。
「なるほど。──じゃが、そう易々とはゆくまい」
「あん?」
三四郎の言葉に、瑞山は怪訝な顔をみせた。
「わしの眼ぇに狂いはなか。お主の腕なら、なんぼ切支丹の術じゃろうが世話ンなかろが」
「斬れと云われれば斬る──そもそも一揆の鎮圧に来たのだからな。首謀者を斬ればそれで終い。うぬがそう云うのだから間違いなかろう」
「そんなら、なんでしよいいかん云うたがか?」
三四郎、しばし眼を周囲に走らせた後、
「忍びがおろうが。うぬの手の忍びよ」
と、答えるに至る。
「わしの仲間どもを残さず捕らえおったほどの者どもを相手とするは、わしらふたりだけでは骨が折れるどころの話ではないぞ」
ふたりはすでに村の中へと侵入していた。あちらこちらに警備の者ら大多数。要所には鎧兜に身を固めたさむらい衆が詰めており、それらの周囲、物陰からは火繩の匂いが嗅ぎとれた。盤石の体勢。これではたとえ武田騎馬軍団が突撃を敢行したとて、そう易々とは押し通れまい。
或いは逆に返り討ちともなりかねぬ、鉄壁の布陣!
加え、迂回路からは忍びの気配! いづれも只者ならぬ。──正直なところ、三四郎には勝算がなかった。いかにしてこの鉄壁の陣の隙間を縫って、根拠地たる庄屋の屋敷へと侵入すればよいか、皆目見当もつかぬという有様にある。
「なんだ、そんなことか」
先ほどの興奮はどこへやら。瑞山、落ち着き払った様子にて、
「ちょう、待ていや──」
と、云った──次の瞬間であった。
「うぐぅっ!?」
三四郎の右腕は絡め取られた。後ろ手にまわされ、肩と肘、及び手首の関節を固められたのである。──この状況下でも金剛杖を取り落とさぬはさすが鍛え上げられた忍者と云うべきであるが、しかしこれでは、どうにもならぬ。
右腕はぴたりと背中に押し留められ、それがため左腕も死んで動かせぬとあらば、その杖を振るうことも仕込の刃を抜くことすら、できぬがため。
「む、なんだ!? 今のうめき声は!」
「曲者か!?」
三四郎の声に即座に反応したは、詰めているさむらい衆のみならず、潜んでいた忍者どももである。その反応はあまりにも速い。みるみる、ふたりは取り囲まれた。──勝算なしとみた三四郎の見立ては、見事に当たっていたのである。
「鉄砲隊、構えい!──もしわしが斬られたかどうぞすれば、構わん、即座にわしごと撃てい!」
先鋒のさむらいのそう告げたるや、
「待たんか! お前ら、わしを撃つ云うがか!?」
瑞山が声を上げた。
「ややっ!?──その声は」
「おうよ! わしよ!」
「瑞山殿──そんなところで何を」
──“なされているか” の言葉の発されるより先に、
「敵の忍びを捕らえたのよ!──これで敵は残らず終いじゃあ!」
との、声が発されたのである。
「──ぬ」
さむらい衆に囲まれた中、祝六郎は片眉を上げるとともにみじかくうめいた。
無理もないこと。敵の手を逃れたものと思っていた山地三四郎が、あろうことか敵方のさむらいに引っ立てられてきたを見てしまったのであるから。
「けっ、使えねぇ野郎じゃ」
三四郎の顔を見るなり、鵜久森五郎兵衛は悪態をつくに至る。──この丁重な出迎えには、さすがの三四郎も肚に据えかねるものあったとみえ、
「ほう?──どの口が云うか鵜久森。うぬの胴にかかっておるは、何じゃ?」
などと、揶揄う態度をみせるに至る。
「わしの眼には、繩にしか見えぬがのう?──おぬし、まさか己を棚に上げてこのわしを使えぬと申したか?」
「おうよ! おのりゃあ、わしはおどれだきゃあ頼りになる思うとったんじゃ。ほれが──なんじゃあ? まんまとおどれも取っ捕まりおってから。この阿呆三四! ほんま使えんわ!──こりゃあ、いよいよ頼れるお千代嬢を当てにするしかないわ!」
「莫迦め。お千代殿は捕まったわ」
その言葉に反応をみせたは、五郎兵衛ではなく六郎であった。
「──どう云うことだ? 答えろ三四」
「どうもこうもない。堂におったわしらは皆仲良く捕まったということよ。お千代殿だけでも助けたかったが──こやつにまんまと騙され、この始末よ」
顎にて背後の瑞山を指し示す。相変わらず右腕はねじ上げられ固められたままである。
「へっ、揃いも揃って捕まったか」
「三四やお嬢まで捕まったとあらば、これは皆捕まったな。次左も七も八も──おそらく文の字も」
六郎の見立ては当たっていた。残る4名は早々と、あっさり仲良く取っ捕まって土蔵の中へと転がされていたのである。
「忍びは厄介。わしが直々に取調べるとともに厳重に見張っておく」
瑞山はさむらい衆にそう告げたる後、
「辺天坊」
配下の忍者を呼んだ。
「辺天坊、ここにござる」
「午訶坊も一緒か。──そこなふたりを連れて行けい」
「はっ」
「承知」
辺天坊は六郎を、午訶坊は五郎兵衛をそれぞれ引っ立て、瑞山の後をついてゆく。
その後ろを、ふらりとやって来てついてくる者があった。小柄な法師姿。──おそらくこれも忍びであろう。
「角天坊、お主も来たか」
瑞山の問いに、
「あなた様が戻られたということは」
答えたる声は、高いものであった。
「おう、阿呆三四! おどれ好みの稚児が来たぞ? 相手したらんかい!──あ、これは済まなんだな! 後ろ手を絡め取られておっては自慢の金剛棒も振るえんわな!」
稚児──すなわち少年とみるや、五郎兵衛は下劣極まることを三四郎に向けて述べるに至った。揶揄いにしては度が過ぎる。烈火のごとく怒り散らした三四郎が、雷音のごとき声にて云い返してもおかしくはない状況にあった。
だが、
「阿呆はうぬが方よ、鵜久森」
三四郎は涼しい顔にて、静かに云い返したるのみ。
「あ? 誰が阿呆じゃあ?」
「耳が遠くなりおったか?──哀れじゃのう鵜久森。頭より先にうぬが隠居しそうな勢いじゃ」
「あ? なんじゃあこらあ?」
「ふ……そやつは、女よ」
これは五郎兵衛の見込み違い。角天坊は稚児に非ず、女性にあった。──齢は15か、或いは17か。お千代や次左衛門と同世代であろう。
「女で悪いことでもあるのか?」
角天坊、三四郎に喰ってかかるも、
「別に悪くも咎めてもおらぬわ。──だいいち、こちらの最も頼りとする者が女よ」
やはり涼しい顔にて三四郎はそう答えたるのみ。無理もないこと。此度の役目、事実上の頭領代理を務めたるは、他ならぬ頭領の娘たるお千代なのであるから。
その最も頼りとする者が囚われたは、つらい。役目の遂行を抜きにしても、皆が軒並み捕らえられたるこの状況を救える者は、今すこし前までお千代と三四郎しかいなかったわけであるがため。
そのお千代も三四郎も囚われたるは、伊豫忍軍壊滅の危機である。──いづれも次期頭領候補たり得る、組頭衆なのであるから。
「その女を救わねばならぬが、わしの役目であったのよ。──ふ……もはやそれも叶わぬがな。──こやつにまんまと騙されては」
首を背後に傾け、三四郎は云った。背後の瑞山は、それには答えず、
「ところで角天坊、屋敷には誰がおるで?」
配下の者らに今現在の様子を問いにかかった。
「鷹蔵と……あの糞若。──それと、ギ老」
「ほぉん……」
瑞山は気のなさそうな返事をしたが、しかし三四郎の腕の固めは離さぬ。
「あの老人ども、なにを考えているのか、この角天坊にはまるでわからぬ!──糞若が死にかけていると云うに、敵のくのいちと交わらせようなどとは!──あれは病気だ! 色欲の虜!」
その声に、伊豫忍者どもが反応す。
「あ? そのくのいち云うんはお千代嬢のことか?」
すぐ近くにいた五郎兵衛がはじめに反応した。
「やい、稚児──いや童女か。どちらでもええわ。こら、あれはわしら伊豫忍軍が頭領、石崎和右衛門の娘やぞ?──わしの云よる意味が、わかるけ?」
魚めいた五郎兵衛の額に縦皺が何本も入る。不気味な様相。──その語気は極めて荒いが顔は怒りに赤く染まってはおらず、むしろ青魚のように蒼褪めていた。
「こらぁ一大事やぞ? やいおどれ、頭の娘なんぞ手籠にしてみい、頭自ら乗り込んで来かねんで?──そうなったら、どうぜ!? こなぁ村根こそぎ殺られてまうど!?」
和右衛門への畏れが、五郎兵衛の言葉からも顔色からもありありと見てとれた。
「──あり得ん話ではないな」
次に口を開いたは、六郎。
「頭領はあれはあれで愛情深い。──それでいて腕が立つ。俺たちがたとえここで皆仲良く討死しようと、ものともせずに乗り込んで来かねんな」
「それも、ひとりでのう」
「いや、五郎、下手すれば伊豫忍軍総出で来るかもしれんな。──頭領ならやりかねん」
伊豫忍者らの言葉は大洲忍者らを驚かせたが、しかし彼らとて忍者。主を持たぬ土着忍者ながらも、つらく厳しき根来流忍法の訓練を積んだ者ら。
「ふん、ならばうぬらを人質とするまでのこと」
「うぬらが皆すべて組頭衆であるは調べがついておる。──忍軍主力たるうぬらの生命が賭かれば、いかに非情の頭とてそう無茶もできまい」
「そなたらはこの村を守るための盾となってもらう」
直ちに、人質作戦に打って出る動きをみせる。これは有効な手と云えた。伊豫忍軍は少数精鋭。主力たる組頭衆を軒並み失えば、その戦力は大きく落ちる。下手をすれば2度とふたたび立ち上がる力を失ってしまうまでに至りかねぬがため。
だが、その返答たるや。
「ふふふ……ふははは!」
山地三四郎の反応に対し、
「貴様、なにがおかしい?」
辺天坊は訝しむ態度をみせた。諦めの笑いでも、確定した死への絶望のなす精神の狂乱でもないとみたがためである。そこには明らかな嘲笑──或いは大洲忍者の策を笑い飛ばす色がありありと見てとれた。
「ふは……ふはは……こ、これは失礼した。笑うべきではなかったな。──我らの首なぞによくぞそこまでの値をつけてくれたかと、むしろ礼を述べるべきであったな」
「──なんやて?」
よくわからぬふうな顔をする辺天坊に向け、
「うぬらの策は、無意味ということよ」
と、祝六郎。
「無意味?──組頭たる貴様らの首が、無意味じゃと?」
「そうよ。──俺たちの代わりなど幾らでもいる」
「なにを莫迦な……」
「おう、ハゲ入道! おどれ、ひとつ忘れとらんか? 人質ってぇ言葉の意味をよ!」
鵜久森五郎兵衛が口を挟む。──ツルツル頭の彼にハゲ呼ばわりされては、さすがの辺天坊も冷静ではいられなかった。
「な……誰がハゲじゃ?──貴様、鏡を見たことありゃあせんのか?」
「うるせぇ!──ええか? 質ってぇのはそれだけの値打ちがあってはじめて質って云うのよ! 何ンの値打ちもない塵芥なんぞ御大層に持ち出したとて、質屋は銭は出さねぇわ!──質屋は質屋で、塵芥屋じゃねぇ」
五郎兵衛の言葉は大洲忍者どもを大いに混乱させた。──そこに。
「娘を思う親心。もし己の娘を信じて送り出した連中が何らの役にも立たず雁首並べて敵の虜となったを見れば、どうなるか?」
「俺なら──殺すな。役目も果たせず、それでいて己らは生きているともなれば」
「人質ごと揉み潰そうが、何ら心も痛まぬわ」
三四郎と六郎とが畳みかける。
「──それどころか、スッキリするじゃろうな。阿呆どもをぶちのめし、敵も一緒にぶちのめせるんじゃからねや」
魚眼をまばたきもせず、五郎兵衛は云った。その阿呆どもの中に己を果たして勘定に入れておるのやら極めて怪しい。──怪しいが、しかしいづれにせよ、大洲忍者どもが大いに怖気づいたは確かなこと。
「──こやつら、肉壁にもならんのか」
「人質として──無価値!」
人質肉盾作戦の根本的見直しが必要となった。
──かくなる上は。
「ず、瑞山殿ぉ」
角天坊は救いを求めた。──この状況を打破できるおそらく唯一の者、瑞山へと。
その頼りになるハズの瑞山といえば、
「──まあ、どうするにせよ庄屋に話をつけんとな」
などと、気のなさそうな声で云う。
「なにを悠長な! この者らの話を聞いていなかったのですか!」
「いや、聞いとった」
「ならば、いちいち庄屋に話などしている暇のないことは明白でしょう!──このままでは我ら、進もうと逃げようと待っているはいづれも破滅!」
瑞山の歩がはやくなる。
「だからこそよ。──その、頭領の娘とやら、今は庄屋の手の内におるんじゃろうが」
玄関を草鞋も脱がずに上がり抜け、畳を抜けて廊下を走る。──三四郎を盾にしたかたちにて、家の者らを撥ね飛ばし襖を打ち外し。
「こ、こらおぬし! わしをなんじゃと思うておるか」
三四郎は抗議するも、瑞山はそれどころではない。──ただ、奥の間を目指していた。ただならぬ様子。その気配は余人にも波及し、
「瑞山殿! いかがなされた!」
「その者らはいったい?」
屋敷とその周辺はにわかに、蜂の巣をつつき返したがごとき騒ぎとなった。──だが皆が皆、狂乱と狂熱の渦の中にて冷静さを欠いていたわけではない。
「ぬうっ? そやつらは敵忍者!」
などと、引っ立てられてゆく三四郎らの正体を見抜く者、
「辺天坊に角天坊、午訶坊までおる。──いよいよ忍者同士の決戦の時が来たか?」
忍者らが1箇所に集中しているを見てそのように推測した者、
「そうとあらばいよいよ戦も酣よ!──者ども、出合え! 手勢を集めよ!」
と、己なりに状況を分析し備える者らもあった。
そのようなさむらい衆を尻目に、瑞山らは屋敷の奥を目指し突き進んでゆく。奥の間はもうすこし。
そこで、辺天坊と午訶坊は本来の目的を思い出した。
「せや、瑞山殿」
「あの阿呆ふたり、何やらあやしいこと企んどるようですぜ」
阿呆ふたりとは、鷹蔵とギ老のこと。──忍者らはこのふたりをどうも好ましく思っておらぬ。
それは、
「なに? またよからぬことをしようと云うのか?」
との、角天坊の言からも明らかにあった。
「云えっ!──ちょうど瑞山殿もここにおられる。知っているすべてを話せっ」
角天坊の言はまこと、忍びの掟にも組織間の連絡報告の視点からも理に適ったものに相違なかったが、
「う、うむ……」
「そ、それはじゃな」
なんとも、齒切れのわるい返事。──妙なものである。己らから云い出しておいてこのような反応を示すとは。
まるで、角天坊には聞かせたくないがごとき。
「其方ら、どう云うつもり──」
だがその理由は、すぐに明らかとなった。奥の間へとついに達した時。襖の向こう側より漏れ響いてきた声によって。
「は、離せ狼藉者!」
若き女性の声。その響きからも彼女が今まさに窮地に立たされていることは明らかにある。
「この声は」
「お嬢」
五郎兵衛と六郎、それがお千代の声であると瞬時に察す。──三四郎は云わずもがな。先ほど瑞山の口より聞き及んでいたのであるから。
「ええい! こう見えても頭領の娘! 生きて辱めを受けるくらいなら──自ら死を選ぶ!」
凛とした態度なるも、その声より必死さは明らか。
「ぐふふ……口ではそう云うが──身体は正直よのう」
くぐもった声が答える。
「な……突櫂坊?」
それは大洲忍者の仲間の声。
「いかに忍びと云えど……やはり女よのう」
「宇昧坊めも!──ええい、恥を知れい!」
角天坊、居ても立ってもおられぬ様子を隠しもせず、顔を真っ赤に染めながら前へと進み出、渾身の力を込めて襖を蹴り飛ばすに至った。
「──うぬら、忍びの誇りを棄て、俗物の極みと邪宗門徒との手先となり果てたばかりか、丁重に扱わねばならぬ虜にあまつさえ手を出さんとするとは、許し難し!」
そのような口上を述べながら抜刀す。澱みなく歪みない流れるような動き。
その刀を構えた瞬間にあった。
「──は?」
角天坊の動きはそこで止まった。金縛りにでも遭ったような──影縛りの忍法を受けたようにでもあった。
だがその視線は正確に目指すものを捉えていた。──瑞山をはじめとする余の者らも皆含め。
「あっ」
「おっ」
「なっ」
「こ、こりゃあ……」
最後に声を上げた五郎兵衛が、なんともきまりの悪そうに毛のない頭を掻いた。無理もないこと。その眼の先にいた──守るべきお千代は、突櫂坊と宇昧坊とを見事に押さえ込んでいる最中にあったがためである。
「うぐぐぐ」
お千代の両脚が、突櫂坊の首を絞め上げていた。左膝の裏側にて下顎を固め、右脚がそれを抱え込んで逃れられぬように。
「はががが」
そして残る上半身もまた、宇昧坊の首を固めていた。左肘の裏側にて頬下あたりを抱え込み、手首のつけ根を左の頬骨に押し当てるとともに右腕にてひねり上げているのであるから、女の細腕によるとて、いかに宇昧坊が大の男とて、これはひとたまりもない。
「ぬうっ……さ、さすがは伊豫忍軍頭領が娘」
「己の身を守る術を身体が覚えておるとは」
「やはり己の貞操に危機が迫れば自害どころではないとみえる」
「そして逆に、わしらに生命の危機が訪れたのう」
ふたりの言のしめすに、どうやらふたりとも見事に反撃を受けた様子。──おそらくふたりがかりにて押さえつけんとし、そこを返され、固め込まれたとみえた。
「う、うぬら! いよいよもって大洲忍者の恥さらし!──虜を辱めんとしたばかりか、逆に反撃を許すなどとは!」
怒りと呆れの入り混じった角天坊の言にあるが、
「ば、莫迦を申すな! わしらとて誇りがある。捕らえた女子を手籠にするなど、そんな下劣な趣味はないわ」
と、突櫂坊。
「ではこの様はなにか!」
「それはのう、そこの阿呆どもの命によるものよ。いくら阿呆とて、雇主じゃからな。──銭をもらったからには、命令は聞かねばならん」
宇昧坊も申す通り、不本意ながら渋々嫌々、お千代を押さえつけにいった模様。──そのように乗り気では決してなかったことからも、反撃を許したのであろうか。
「ええい、貴様ら、阿呆とはなんだ阿呆とは!──俺を誰だと思っている?」
阿呆呼ばわりされ怒りを露わとする鷹蔵にあったが、
「阿呆でなければなんじゃ?──欲にまみれた俗物の極みとでも申そうか?」
「阿呆が嫌なら、莫迦者か? それともうつけか?──或いは、気違いか」
即座に、そのように返される。──どうやら突櫂坊も宇昧坊も、いよいよもって鷹蔵に愛想を尽かしたものとみえた。
仲間割れがはじまった。
「だ、誰が気違いじゃ?」
「うぬよ。うぬの他に誰がおる?──ああ、そこの邪宗のじじいもか」
そう答えた宇昧坊を、ギ老はじろりと睨む。
「哀れな異教徒よ。主の起こした奇蹟をふたたび我が今より起こそうというこの時になってもなお、それを信じられず我が教えを邪宗呼ばわりするか」
「ふふ……奇蹟じゃと?──わしらをこの戒めより解き放ってから云うてほしいものじゃな」
突櫂坊も宇昧坊も、お千代に絡め取られたままにて逃れられないでいる。見事に関節を固められているがため。もはや掛け手が自ら解く他は、外部より解き放ってもらうより逃れる術はなし。
「ぬ……」
ギ老はうめいた。だがうめくのみにて、その場より踏み出すはおろか退く動きすらみせぬ。中腰の姿勢のままに、立ち上がろとすらせぬ。──これは三四郎ら伊豫忍者の眼には些か奇異に映った。いかに貧弱にて非力なる老人とても、忍者ふたりを固め込むに精一杯なるお千代に、蹴りの一撃でも打ち込むことは充分に可能であったがためである。
なるほど、己に向けて暴言を吐き連ねる大洲忍者どもを助ける義理など老人にはないやもしれぬ。解き放つや己に牙を剥いて襲いかかってくるやもしれぬ。──だがそうした理由によるものとは、三四郎の眼にはみえなかった。もっと他の理由にて、老人は動かぬとみえていた。
その理由──
(お嬢を傷つけたくはないのか?)
六郎は、そのようにみた。老人は、お千代に対し手荒な真似を避けているとみえた。──無理矢理に手籠にしようとしておいて手荒な真似も糞もないが、あくまでも『それ』が目的にて、打撃を打ち込むなど手傷を負わせるを避けたそうに、六郎の眼には映ったのである。
(あの肉玉を、守ろう云うんか?)
五郎兵衛は、そのようにみた。老人の足元、曲げた膝の前には、巨漢の男が横たわっていた。顔色が相当に悪い。死が迫っているとみえる。五郎兵衛の見立てではおそらく半刻(約1時間)ほどしか保つまい。──その首筋を老人は、優しく慈しみの手つきにて押さえたまま動かぬのである。
「これ鷹蔵。あのふたりを助けよ。そしてふたりに加わり、お前もその女を動かぬよう押さえつけよ。さもなくば──若はこのまま死ぬ。復活の機会をすぐ眼の前にしてのう……」
『若の生命』と聞かされては仕方なしというのか、鷹蔵は大洲忍者らとの口喧嘩を止め、渋々嫌々ながらの態度を明らかとしながら歩み出した。──警戒は怠らぬ。無理もないこと。解き放つや襲いかかってくるとも限らぬ忍者がふたり、さらには己へと標的を変えて来かねぬお千代がひとり──計3名の忍者を同時に相手とせねばならぬのであるから。
しかし鷹蔵が間合いへと入る前に、
「その復活とやら……『魔界転生』の秘技か?」
三四郎が言葉を向けた。
「あ?」
鷹蔵の動きは止まり、
「──ぬ」
ギ老がこちらを向くに至った。
「伴天連の秘術……いや、魔術と云うが正しいか?──いづれにせよ、それを使わせるわけにはゆかぬな」
三四郎はそう云うが、
「けっ、その様でなにを偉そうに」
との、鷹蔵の言ももっともなこと。──依然として、左腕を瑞山に絡め取られたままなのであるから。
しかしギ老にとってそれはどうでもよいらしく、
「貴様、我が秘術を知っておるのか?」
と、三四郎に向けて問うに至る。
「実際に見たわけではないがのう。──ただ、死すべき運命にある者をふたたびよみがえらせるということくらいは聞いておる。それも五体満足の身でな。──病みたる者は病む前に、深傷を負った者は負う前の身にて」
「ほほう、ようく知ってなさる。──異教徒にしては骨があるな」
今の三四郎は頭巾と僧衣をまとった法師姿。なるほど異教徒以外の何者でもない。
「殿より聞き及んでおったのよ。こうも云うておったな──ふたたび用いんとする者あらば、『斬れ』と」
「瑞山! おい瑞山! その坊主をさっさと殺っちまえ!」
鷹蔵の言に対する瑞山の言葉は、
「嫌じゃ」
鷹蔵ばかりか、その場にいたすべての者を驚愕させるに至った。
「な、な、な……なんじゃあ?」
ここでようやく、三四郎の左腕が離された。同時に、瑞山の手が腰の刀にやられ、即座に抜刀されるに至る。──反射的にすばやく跳ね退いた三四郎にあるが、彼へと向けて斬撃は放たれなかった。
「む」
「お?」
その斬撃は六郎と五郎兵衛に向けて放たれた。──正確には彼らの身を縛り止めていた繩へと向けてである。
この一瞬にて伊豫忍者男衆の3名までが自由の身となった。これにはさすがの大洲忍者らも未だ反応をみせられておらぬ。それほどの早業であったと云うべきか、或いはあまりの状況の変化には根来流忍法の使い手とても意表を突かれすぎて思考能力が停止するに至ったのか。
「瑞山、お、おどれ、裏切ったか!?」
わなわなと震える鷹蔵に向け、
「じゃっかあしい!──こら、どの口で云っちゅうがか!? 先にわしを裏切りおったは、お主じゃろうが!」
切先を向けながら瑞山は雷鳴のごとき声にて返した。
「な、なにを……」
「わしが蜜右衛門に手を貸したは、御國のためぞ? 米國、英國、露西亞らの魔の手から日ノ本の國を救おうとの、すべては倒幕の大義あってのことじゃが!──それを、何な? お前、わしの手勢から何から、ここな忍者衆まで何もかンもお前の私物にしてから! こりゃあわしへの裏切りやのうて、なんじゃあ云ゅうが!」
そう、すべては『乗っ取り』であった。
瑞山がここ小窪村を訪れたは、もともとは寝所蜜右衛門の手引き──正確には『要請』によるもの。つまりはじめから策謀をもって國境を越えて入ったのではなく、請われてわざわざ訪れてのものであった。
「お前、わしが心打たれたは、蜜右衛門の心根によってじゃ! じゃから手を貸し知恵を貸し、手勢まで貸した、銭も貸した!──断じて、お前の私利私欲のためやなかがぞ!」
ふたりの問答の間に、忍者らは動いていた。伊豫忍者3名は、目指すお千代の救出へと走った。同時に、大洲忍者らもまた仲間の救出へと走っていた。
「ええい邪魔立てすると生命はもらうぞ!」
とは、角天坊の言にあったが、
「誰が邪魔なぞするかい! ええか小娘! おどれの仲間もこっちの仲間に捕らえられとること忘れんなよ!」
との、五郎兵衛の言のしめすよう、角天坊らの仲間──突櫂坊と宇昧坊の身体はお千代に絡め取られているは確かにあった。
「角天坊、ここは一時休戦が吉ぞ」
午訶坊がたしなめて云い、
「伊豫忍者衆、こういう事情じゃ。今は互いの仲間を助け出すまではそれぞれ手出しはせず矛を納めんか?」
辺天坊が改めて休戦を申し出る。
「よかろう」
「心得た」
これに三四郎と六郎とが応じ、一時的に不戦の約定が結ばれるに至る。
「しかしこれは、なかなか根が深いのう」
「これお千代。わしじゃ、山地三四郎が助けにきたぞ。早うその手と足を離さんか」
「離さないとこいつらが死に、俺たちは約定破りの咎でやはり死ぬ……」
しかしお千代の手足は、なかなか離れぬ。必死の力にて固め込んだためか、或いは花忍法の何ぞかを用いておるのか、男3人の力をもってしても、小揺るぎもみせぬ。
「ええい突櫂坊! 貴様もただ絞められておらず、自分でもなんとかせぬか!」
角天坊はそう云うが、
「む、無茶を云うな。わしにそのようなことを求めるのが間違いじゃ」
傷を縫い止める『壊れ亀』の忍法こそが突櫂坊の神髄にて、その他はからきし駄目というがこの男である。戦闘能力は限りなく零に近かった。
それを知っているがためか、
「手を貸すぞ六郎とやら」
午訶坊は自ら協力を買って出た。お千代の固めを解くに助力しようというのである。
「かたじけないねや。──じゃが、わしは五郎兵衛じゃ」
幾らかのすれ違いはあれども、敵対関係にあったハズの忍者同士による共同戦線がここに張られた。戦場に一輪の美しき花が咲いた。──その甲斐あってかついに、突櫂坊と宇昧坊とが助け出されるに至った。
「ぷはあ、死ぬかと思うたぞ」
「もうすこし遅ければわしらふたり死んでおったな」
ここにお互いの仲間を助け出すに成功した両陣営にあるが、これをもって不戦の約定が解かれるには至らなかった。
双方ともに、不穏な空気をありありと感じとってしたがためである。
瑞山と鷹蔵との、仲間割れという。
「だいたい、一揆という手を誰が取れぇ云うたがか? 百姓らを訓練したは一揆を起こさせるためやなかが! 兵として一人前に使えるようにするためじゃ!」
奇しくも長州藩が高杉晋作による奇兵隊構想と同じにあったが、瑞山の練り上げたこの構想を鷹蔵は台無しとしたばかりか、己の手勢として乗っ取ったのであった。
「結局が幕府に戦をしかけるんには変わりがなかろが! それなら早いほうがええに決まっとろうが!」
「闇雲に戦をやりゃあええちゅうもんやなかがぞ!──時っちゅうもんがある。いやそれ以前の問題じゃ! 狙うなら松山か、または高知じゃろが! 大洲狙うてどうするんじゃ!」
「まずは目先のことから、足場から固めるんがいろはのいやろが!」
「おまんがやったは固めちょるつもりで崩したっちゅうことじゃが!」
「何やあ?」
「何なあ?」
一触即発の事態である。鷹蔵は突櫂坊の落とした刀を拾っており、瑞山もそれを警戒し刀の柄に手をかけている。どちらかが抜いたが最後、仲間割れは死をかけた殺し合いへと変貌するのである。
そしてそのどちらもが今すぐにもこのまたたく瞬間にも抜きそうなほどに激昂しており冷静さを欠いていた。
この状況下にて忍者らは、
「さて、事ここに至ればもはや一揆どころではあるまい──わしらの役目は終わった、退くか」
との、山地三四郎の言がすべてを物語る。もはやここにいる要なしと、撤退を決めていた。
「では、さらばじゃ。──あとはこちらでなんとかしよう」
それに答える宇昧坊の言もまた、大洲忍者のすべてを物語っていた。事ここに至った以上、わざわざ伊豫と大洲とで忍者同士の死闘を行う理由なし。──無駄に戦力を消耗せず、事を収めようというのである。
「さあさあそうと決まれば長居は無用じゃ」
「帰るべ帰るべ」
五郎兵衛と突櫂坊なぞすでに皆に背を向け、屋敷を出ようとしていた。
その時である。
「──待て」
彼らを押しとどめたる声を発したは、ギ老にあった。
「なんだ?」
六郎が問いかけたに続け、
「まさか、無用な殺生をここでやれと云うつもりではあるまいな?──切支丹である、うぬが」
宇昧坊が被せるように云った。
「──生憎と、その気は毛頭ないのう。わしらはここの民ではあるが、貴様に雇われた覚えはないぞ、翁。たとえ雇われたとあろうと──いやそもそも翁なぞに雇われてやるということが有り得んのう」
そのように云う午訶坊の声には棘があった。──『坊』を名乗っておることからも、どうやら耶蘇嫌いとみえた。
「貴様らなどに用はない──そこの女どものうち、どちらかを置いて行け」
ギ老の目的はお千代か、或いは角天坊にあった。
「何を莫迦な……」
六郎の言葉は途中で遮られた。
「貴様なぞにはわからぬわ異教徒!──よいか、今ここに於いて我が教えの秘術を用いねば、若が死んでしまうのだぞ!」
との、雷鳴のごときギ老の声によって。──思わぬ剣幕にさすがの六郎も一瞬のたじろぎを見せたが、
「それが、俺たちに何の関わりがある?」
と、返したは、さすがは非情なる忍者と云ったところか。
「──翁」
突櫂坊が引き返して云う。
「よいか翁。わしの『壊れ亀』の忍法を用いてもなお助からぬとなれば、これはもう天命じゃ。若はここでこうなるが、運命じゃったと云うことよ。あきらめい。──それこそ、そちの云う『神』じゃったか『主』じゃったかの教えじゃろうが」
じつにもっともなことに聞こえたが、
「異教徒の分際で……天命とぬかすかァァ!」
忍者らにはよくわからぬ理にて、それはギ老に対する冒瀆かなにかとされるものであったとみえる。
「貴様にはわからぬであろうが、若は神の子なるぞ!」
いよいよもってわからぬ言葉がギ老の口より放たれた。
「この無垢なる子こそ、我らの正しき教えを受け継ぎこの國に広めし者!──見よこの純真無垢なる穢れなき瞳を!」
伊豫忍者にはまるで老の云うことが理解できなかったが、どうやら大洲忍者の何名かには理解できたとみえる。──とくに、角天坊に至っては。
「こ、こやつのどこが穢れがないと云うか!──これこそ穢れに満ちた欲のかたまり!」
「黙れェェ! 貴様にはわからぬかこの若の純真さが!」
「わかりたくもない!──女とみるや手当たり次第に襲う、色欲のかたまりが、一切の抑えのきかぬ淫獣が、穢れなきなどと!──むしろ穢れそのものではないか!」
(ああ……)
(そうか……)
(なるほど、ねや……)
ここに伊豫忍者らは、ここ小窪村に入ってよりの違和感の正体を知るに至った。──女衆が、どこにも見えぬのである。唯一出会った角天坊にして、稚児と見紛うがごとき男装にある。
これは、『若』の欲望の吐口とされるを避けての策──襲われぬよう家内に隠しておくか、或いは男装させて眼をごまかすというもの。
「残れ角天! 若の生命を救え!」
ここで鷹蔵が口を挟んだ。雇主権限をここで発動したのである。
「断る!──こんな穢れにこれ以上この身を穢されるは死しても御免被る!」
しかし角天坊はこれを突っ跳ねた。生理的嫌悪に起因する完全なる拒絶の意志がそこにあった。
「手前……雇主に刃向かうってのか!」
「待てい鷹蔵! 我らの雇主はあくまでも庄屋の蜜右衛門なるぞ!」
ここに宇昧坊が口を挟み、
「それとても名目上のこと! 実質的な雇主は瑞山殿にあるぞ!」
午訶坊もがこれに加わった。
「だいたい、貴様、そこまで兄思いであったのか?──いつも蜜右衛門に対し不満と妬みと嫉みとを募らせておるうぬが、その子なぞ守って何となる?──そんな、よくできた弟ではあるまいが」
「ふ……若はあのような異教徒の子なぞではない。──ここにおる我が信徒、鷹蔵……こと寝所フランチェスコの子なるぞ!」
「げえっ」
ギ老の言葉に、角天坊は驚きと嫌悪感の満ちた声を上げたが、
「ふん、そんなことじゃろうと思うておったわ」
午訶坊としては薄々勘づいていた様子であった。
「うぬのごとき狭量極まりない者が、やたらそやつにだけは甘かったは妙じゃと思うておったのよ。──庄屋である蜜右衛門へのへつらいじゃろうとも思うておったが」
「まさかそこまで道を踏みはずしていようとはのう」
鷹蔵寄りの態度が幾らか垣間見えていた辺天坊も、いよいよもって愛想を尽かしたようである。──ここに、根来忍者衆のすべてが鷹蔵より離叛するに至る。
根来衆でさえそうなのであったから、
「穢らわしい外道め……気分が悪い」
お千代に至っては嫌悪感を隠せぬ。三四郎と六郎も口には出さぬまでも似たようなもので、
「うええ、ぺっぺっ!」
と、五郎兵衛などは吐く真似までしてみせる始末。
「そんな穢らわしい不義の子など生かすが、切支丹の教えと云うのか翁」
お千代の問いに対し、
「穢らわしいは貴様らぞ、異教徒!」
と、ギ老答えたる後、
「貴様らなどと違い、フランチェスコは神の正しき教えを知っておる。そのフランチェスコの子たる若こそ、この國に正しき教えを広めし神の子となるのだ!──断じて貴様なぞにここで殺される運命などではないわ!」
と、杖を振りかざして立ち上がるに至った。
「ぬう……」
六郎、三四郎、そして五郎兵衛とがお千代の前に立ちふさがり、壁を作った。──同時に宇昧坊、突櫂坊、午訶坊、そして辺天坊が角天坊を中心に輪形陣を組んだ。
そこに──
「──お待ちなさい老翁。その話は本当なのですか?」
入って来たるは、蔵にいたハズの蜜右衛門であった。