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忍法血風録  作者: 瑞鶴寺鉄心斎
忍者武中八九郎
16/19

邪界天生

来た道を戻り、ふたたび地上へと山地三四郎が出てきた時にはすでに、時刻は昼を過ぎて夕刻へと向かおうしていた。


「あわわわ……え、えらいことじゃ!」


幽霊か、或いは妖怪のっぺら坊にでも出くわした町人のごとき有様にて、腰をまろびつ足はがに股、よたよたと忍者にあるまじき走りをみせた三四郎にあったが、


「お? おおおおおーーっ!?」


と、突如、足を止め叫ぶに至る。


ここは敵地真っ只中。そのようなところにて、忍者がすべきではない行いをふたつもみっつもそれ以上同時に重ね、もし忍びの恥さらし王者決定戦などというものがこの世にあればおそらく七冠王となるはほぼ確実な行いにあった。──が、それも無理もないこと。


三四郎の前には、本来あるべきものがなかったがため。そこにあるべき御堂は、すべて漆黒の消し炭となり果てていた次第にあった。もはや煙ひとつ上がっておらず、熱気すらもそこになく、ただ、若干の冷たさを帯びた秋風の吹くのみ。


()は、如何(いか)に!?」


まるで竜宮城より陸に戻りし浦島太郎のような言葉にあるが、今の三四郎の心中はまさにそのもの。地下にいた間に、何百年も経過したのではないかと、そう思った次第にあった。


だが、そうではなかった。


「そこな法師。お(んし)、忍びじゃな?」


そう、背後より声をかけし者、散切(ざんぎ)り頭に洋服を着て革靴を履いているなどという百年後の服装などはしておらず、ちゃんと月代(さかやき)剃って(マゲ)を結い、着物に袴をつけ、白足袋(しろたび)草鞋(わらじ)を履いた、2本差しのさむらいにあった。


「おお、わしは竜宮に行っていたわけではなかったな」


そうつぶやきつつも、金剛杖を構えし三四郎。──さむらいの言葉はしっかりと、その耳に届いていたがためにある。


「しかし、一難去ってまた一難。まさか地に出るなり、わしの正体を知る者に出会(でく)わそうとは」


さむらいは、刀を抜いた。両手にて握り、右八双に構えるが──しかしそれより動かぬ。


「どうした、攻めぬか?」


「それはこちらの言葉」


云い終わるや、双方ともに動く。一足跳びに踏み込むや、杖と刀とが振り下ろされるに至る。


「ぬうっ」


「くあっ」


奇しくも同じ軌道を描き、同じ点にてぶつかり合った杖と刀。鍔迫り合いのかたちにて、両者は至近距離にて向かい合うに至る。


(ぐう……いかぬな。針を呑んでおくべきであった)


三四郎の覆面は伊達に非ず。隠しておる口中より仕込針を吹きつける『含み針』の忍法を得意としていたがためにあった。これは吹きつける瞬間の、口をすぼめし動きを気取られぬためのものにあったが──しかしあらかじめ針を口中に含んでおらぬ今現在にては、何らの意味もなし。


「見事なもんじゃあ……ただの杖にて、わしの剣を防ぐとはのう。──しかも、鍔迫り合いでも互角。こりゃあ、わしの見込んだ通りじゃあ」


さむらい、金剛杖に足をかけると、「やっ」とひと声の気合とともに、杖を蹴り、刀をはずしそのまま後方へと跳び退(すさ)った。三四郎ほどの者が反応できぬほどの、見事なるすばやき動き。


「うぬは──わしを愚弄するか?」


くるりと杖を廻し、逆手に持ち替えし三四郎に向け、


「いや、そのつもりはないわ」


と、さむらい、刀をふたたび鞘に納めながら答えるに至る。──まるで、意図の読めぬ動き。


「ならば、どう云うつもりか。──先ほどおぬし、“見込んだ通り” なぞと申したな? それも含めてわからぬ。──答えい。わしのわかるようにな」


石突付近に左手を添え、刺突か或いは投擲の構えをみせつつ、三四郎は訊いた。


「まあ、待てい。その前にひとつ、わしから訊かせてもらう」


疑問文に疑問文で返すはさむらいの、そして忍者の作法に背く無礼な行いなるも、


「なんじゃ。問うてみよ」


と、三四郎、これを許す。


「お(んし)、あれを見たんじゃろ?」


「いかにも。わしはこの眼でしかと見た!」


口にするも、憚られる、『あれ』とは──


「そもそもが、はじめに気づくべきであったのだ。あの御堂に足を踏み入れた際に感じたおかしさの正体を。──それに気づいてさえおれば、あのような邪宗のしるしを、眼にすることもなかったのだ」


十字の、しるし。


「おいおい、邪宗とは云い過ぎてはおらんか?」


「おぬし、何を云うか。十字のしるしは、邪宗門たる『切支丹(キリシタン)』の証そのものではないか!」


切支丹──すなわち基督(キリスト)教徒、或いは基督教そのものを指して云う言葉。徳川幕府健在なるこの時にては、禁じられた邪宗門にあった。


「その云いよう──さては、おぬしも切支丹か!?」


忍者とてさむらいの端くれ。幕府の命に従い、邪宗切支丹を取り締まるが役目のひとつ。ましてや、さむらいの身にて切支丹なれば、これはもう、許してはならぬ存在。──しかしそれのみならず、これには三四郎個人が、かなりの耶蘇(ヤソ)嫌いであったも、理由のひとつ。


「待て待てい。わしは切支丹ではない」


しかしさむらいは両手を振り、そのように云うではないか。


「ならば、何故あやつらの肩を持つようなことを云ったか!」


「まあ、落ち着けい。そのような剣幕で杖を振りかぶられては、落ち着いて話もできん」


さむらいに促され、三四郎は杖を下ろした。


「じつはの、わしは他所者(よそもの)。ここ大洲藩の者ではなく、となりの──土佐藩の者じゃ」


さむらいは自分からその身分を明かした。


「まあ──訛りからそれは薄々気づいておった。──して、土佐藩の者が、何故に隣の一揆に首を突っ込みに参ったか」


「うん──何から話せばよいかのう……」


しばし、さむらいは考えた後、


「まあ、こんなところで立ち話もなんだ。──仔細は、歩きながら話そうか」


と、ふたり連れ立って、歩くを決めるのであった。



さむらいの故郷、土佐藩にては、上級のさむらいたる上士と、下級のさむらい郷士とがあった。──この者、もともとは郷士の身分なれども、そのはたらき認められ、『格別なるお取り立てあって』特別に、上士の身分になったのだと云う。


「じつは、わしには多少──ほんの多少であるが、忍びの心得があってな。それをうまく用い、手柄を立てたと云うわけじゃ」


「しかし、土佐忍軍は狭き門だと聞く。数がすくないはその人選を厳しく絞っておるがためとも」


「まあ──それはそうなのじゃがな。しかしそれは建前よ」


「建前と?」


「考えてもみい。あの広い土佐藩を、そんな小人数(こにんず)ですべて賄い切れるハズもない。──故に本音では、ひとりでも多くの忍びがほしいのよ」


「それはわかるが──しかし見たところ、おぬし、そこまでの忍びとは思えぬが」


「じゃから先に、“ほんの多少” と申したではないか」


この、ほんの多少の心得が、さむらいの武器であった。──それは、相手の懐深くに敢えて飛び込み、そこから相手の心を鷲摑みに握って離さず、懐柔してしまうというもの。


その腕の見事さたるや、特別に上級武士に取り立てられたことのみならず、はじめは敵対していた三四郎といつしかこのように、みじかい間にて打ち解けた話をしていることからも、明らかにあった。


しかしこれは忍法と云うよりは、むしろ巧みな話術──及び、この者の卓越した頭脳のなせる技と云うが正しいか。


「まあともかく、わしは土佐藩のみならず、この日ノ本の國そのものを、よくしようとの考えで動いたわけじゃ。──断じて、己の私利私欲のために動いたのではないがじゃ」


その眼の色に、嘘いつわりはみられぬ。


「しかし、それを何故わしに話すか?」


「それはのう、はじめに云うた。──見どころありとみたからよ」


三四郎、軽く頭を振り、


「ふ……それは買いかぶりよ。素人相手に遅れをとった、伊豫忍軍の恥さらしの、どこを買うか」


と、答えるのであったが、


「それよ。それを知ってもらうがための行いよ」


との、言葉に、思わずその足が止まる。


「なに……? あれは、うぬの差金であったか!?」


さむらいは答える。


「あれは、わしが特別に仕込んだ者。剣術のほか、多少の忍術をの。──まあ、日用品を武器に使う程度のものじゃったが──どうじゃ? なかなかの手並じゃったろうが」


三四郎うつむき、


「ふ……そこまで手の込んだことをやってまで、わしに何をさせようと云うか?」


と、問いにかかる。──はじめから仕組まれたを知り、己がそれをまるで見抜けず、さむらいの手の中で踊らされていたを悟り──敗北を、認めたのである。


「そうじゃな──まずは、囚われたお(んし)らの仲間、あれを、助けにゆくぞ」


三四郎の眼が大きく見開かれた。


「な、なんじゃと?──やいおぬし、気は確かか? おぬしは一揆の一味。にもかかわらず、散々苦労して捕らえた、敵たるわしらの仲間を助けるとは、いかなることぞ!」


まるで読めぬ展開に、三四郎の脳髄は混迷を極めた。


「まあ、それは追って話そうぞ」



そもそもが、ここは隠れ切支丹の村であった。それを知ったこの若さむらいは、ここを、拠点のひとつとして用いんと考えたのだと云う。


「郷士の扱いはかなり悪うての、中には切支丹の教えに救いを求めようとした者がおった。──そこでわしは、それをうまく使うを考えた」


切支丹同士のつながりは、ときに国境(くにざかい)をまたぐかたちにて越える。土佐藩と大洲藩とが、基督の教えを通じてつながったのである。


「これはじつにうまくいった。わしの手の者──切支丹のさむらいをひそかに送り込み、村の仲間として送り込む策は見事に当たったと云うわけよ。──大洲の切支丹さむらいを、取り込むかたちでな」


じわじわと、その勢力は拡大していった。それが村の元締たる、寝所(ねどころ)の家と結びつきを得てからは、みるみるうちに急拡大したという次第。


「じゃが、そこからじゃ。わしの目論見(もくろみ)が狂ったのは」


「狂った?」


「うむ。せっかく育て上げた、わしの蒔いた種──それはああもみにくき、毒花を咲かせおったのよ」


遠い眼をするさむらいに向け、


「どう云うことじゃ? 説明せい。わしにわかるように」


と、三四郎は訊くのであった。


「寝所の、弟。あれが──すべてを狂わせ、台無しにしおったのよ」


寝所鷹蔵(ねどころようぞう)が音頭を取りはじめてより、さむらいの手の者らはおろか、小窪の村そのものの雰囲気がおかしくなったのだと、さむらいは云う。


「今にして思えば、そもそもはわしの見込み違いであったやもしれん。──しかしまさか、ここがあのような教えに従ったものだとは、この瑞山(ずいざん)の眼をもってしても見抜けぬことであったわ」


号か、名か、それはわからぬが、この若きさむらいは瑞山と名乗った。


「山地とやら。──まこと、お(んし)の云う通りよ。ここは、まこと邪宗門……いや、邪教徒の巣喰う、おそるべきところじゃったわ」


話が飛び過ぎて、もはや三四郎の脳髄はついて行けておらぬ。


「わからん! 瑞山とやら、わしにはおぬしの云うことがまるでわからん!」


三四郎の様子に気づき、


「まあ、見ればわかる。──百聞は一見に如かずじゃ」


と、云うや、瑞山は走り出すのであった。慌て、三四郎もその後を追う。


「ま、待てい! いよいよ気のはやいヤツよのおぬしは!」


──さすがに、多少の心得はあると云うだけのことはあり、瑞山も三四郎と同じく、『忍び足』の忍法を用いて走った。──目指すは、村の中央部、寝所の屋敷にあった。


「じつを云うと、わしがいよいよこやつらどもに見切りをつけたは、ついぞ前、昼前のことよ。──そこで急ぎ、お(んし)を探しに来たと云うわけじゃ」


「それはわかったが、何故、うぬが手塩にかけた軍勢に自ら見切りをつけたかがわからぬ」


話があちこちに飛び過ぎて、三四郎はまるでそのあたりを理解しておらぬ。


「む、そう云えば話してなかったか」


「う、うぬは〜〜〜〜っ」


瑞山は、その様子を話して聞かせはじめた。




御堂にて捕らえられた五郎兵衛、六郎、そしてお千代の3名は、寝所の屋敷まで連れてゆかれた。この護送を仰せつかった一行に、瑞山も加わっていたのだという。


「さて、何の目的でここに来たかを、その身体に訊いてやろうぞ」


寝所鷹蔵はそう云ったが、


「待たれい、寝所殿。こやつらの目的はすでにわかっていよう。何故、そのような無益なことをするか」


と、瑞山は意見した。──邪魔となる敵忍者さえ捕縛し、無力化すれば、もはや目的の半ばは達したも同然にある。あとは、当初の予定通り、粛々と一揆を進めるのみである。


しかし鷹蔵、


「いや、なにか喰らわしてやらんとこちらの気が収まらん。こちらは何名も手勢をやられ、『若』までも痛めつけられた。──それに見せしめの意味もある。こやつらのうち主だった者何名か、足腰も立たぬほど痛めつけてやれば、いかに忍者とて、もはや逆らう気も起こすまいよ」


と、答えるのであった。


「なにを……」


瑞山とて多少なれど忍びの心得のある者。そのようなことで忍者があきらめぬを、ようく知っていた。──むしろそれを怨みに思い、それより起因する怒りを力に変え、何が何でも反撃を喰らわしにくることも。


忍者を配下に加え、かなりの刻が経つ。それにもかかわらずそのことをまるで理解しておらぬ鷹蔵の知恵の浅さに、大きく落胆した。──それ故にすぐには、後の言葉が出てこなかったのであった。


しかし鷹蔵、これを云い負かされたが故のことと取り、


「ふ、わかったら準備をせい」


などと、命じる始末。


「お(んし)ゃあ……」


これは、さすがに瑞山も頭に来た。いかにこの村の元締なれど、所詮は百姓。それも庄屋ならばともかく、その弟にしかすぎぬ鷹蔵に、まるで家来かなにかのように扱われては、上級さむらいとしては我慢がならぬ。


「こら、鷹蔵。お(んし)、己の立場をわかっちゅうがか? それだけじゃないがや、お(んし)、わしが育て上げた連中を煽り動かし、一揆じゃなんじゃ息巻いとるが、誰がそんなもん許可したか? わしか?──わしはほなもん許可した覚えないがぞ!」


怒りの声を上げる瑞山。無理もないこと。そもそもが、彼の目的はあくまでも頼りとなる手勢を育て上げることにて、一揆の兵隊とすることに非ず。──いや最終的には、一揆の名目にて兵を挙げることとなったであろうが、それはすくなくとも今ではない。


この一揆は、瑞山の企だてによるものでは断じてなかった。すべて、この鷹蔵の独断!──村の名士故に今まで黙認してきたが、今この時ついに、瑞山の我慢の限界を迎えたのであった。


「はっ、誰もおどれの許可なぞ要らんわい」


しかしここまで増長した鷹蔵、瑞山など何するものぞと云った具合にて、何ら()じた様子もみせぬ。──ばかりか、


辺天坊(へんてんぼう)突櫂坊(つっかいぼう)! 武市殿はお疲れのようじゃ。そちらが代わりに、尋問せいっ!」


などと、配下の忍者どもに命じる始末。──瑞山などその場におらぬがごとくに。


「待てやっ、お(まん)ら!」


忍者らに向けて云う瑞山にあったが、


「武市殿、こらえてつかぁさい。わしらも、本業ある身なんで」


「瑞山殿も、ここはおとなしく」


辺天坊も突櫂坊も、そのように云いなだめる始末。


もはや、事態は瑞山の手を離れ制御不能となっていた。──しかし、だからと申してここで「わしは知らん」と放り出すは、あまりに無責任。それはさむらいの誇りが許さぬがため、瑞山はおとなしく、忍者らとともに寝所の屋敷に向かったのである。


しかしながら、まこと気のはやいことで、


「こりゃあっ! 吐けいっ! うぬらの目的は何かっ!」


「仲間の居所はどこじゃっ! 答えいっ!」


拷問はすでにはじまっていた。瑞山らが屋敷に入ったときにはすでに、天井にかかる(はり)に結いとめられた黒繩に縛られ、お千代は逆さ吊りとなっていた。


袴をつけておらぬがため、着物の裾は重力に従ってめくれ落ち、横縞の下帯が丸出しの状態。しかしそれを手で隠すは叶わぬ。その両手もまた、髪を編んでつくられた黒繩に縛られていたがためにある。


その、下帯に包まれた尻にめがけ、竹扇子や太鼓の(バチ)による打擲(ちょうちゃく)が行われていたと云う次第。


「仲間はどこにおる! 云えいっ! 云うて、楽になられいっ!」


「わしらも、(はよ)う楽になりたいんじゃっ!」


拷問役を務めるは忍者。誇り高き忍びとみえ、このようなか弱き乙女に拷問を加えるはなかなかに心にくるとみえた。


「云われいっ! そなたの仲間の居所をっ!」


「知らぬっ! 知らぬものは、答えようがないっ!」


まこと、お千代は残る仲間山地三四郎の居所など知らぬのであるから。──いやそればかりか、武中八九郎をはじめとする別働隊の居場所すら知らぬのであるから。


「ええい強情な! これでもかっ! これでもかっ!」


ものすごい打擲音が鳴る。破裂音と呼ぶべき領域に達していたほどに。思わず耳を塞ぎたくなるほどの音量。──それよりやや遅れ、打たれたお千代の尻の肌が朱色(あけいろ)に染まってゆく。眼を覆いたくなるような、無体な行い。


「おほほっ! ええのう、ええのう! よい眺めよ!」


しかし鷹蔵はなにやらよい見せ物を観ておるかのような反応。──拷問役も辺天坊も突櫂坊も、そして瑞山も、冷ややかな軽蔑の眼を向けるに至った。


これは、鷹蔵の態度に向けられたものでもあったが、しかしその眼の曇りを見透かされたことによるものでもあった。


拷問役は、本気にて打擲しておるわけではなかった。かなりの手加減を加えており、それは──お千代が鍛えられた忍者であることを加味しても──いかに打たれようともその肌はただ打たれた箇所を紅く染めるのみにて、紫色の内出血の痕も、それによる鬱血のつくりだす血膨れも、及びそれがやがて肌を裂き生じる出血、流血をまるで生じておらぬことからも明らか。


全力で竹や棒を振りなぐっておるようにみえて、その実、ただ衝撃のみを伝え決して致命的な損傷を与えぬという、いつわりの打撃。


辺天坊も突櫂坊もそして瑞山も、拷問役が打擲の瞬間に己の腿を平手にてたたいているをその眼で見ていた。強烈な打擲音の正体はこれである。──この、単純なるまやかしを、この至近距離におりながら一向に気づく様子もない鷹蔵、若、そして老人といった村のまとめ役の愚かさに、心底より落胆したのである。


(だめだ、これは)


(このような者らが頭では)


(もう、わしは降りるぞ)


忍者同士にしか聞こえぬ会話を3名が交わした、その後である。


事態が、大きく動いたは。


「うぐ……ぐうう……」


それまで、鷹蔵らと同じく歓喜の声を上げてこの悪趣味な見せ物を観ていた『若』が、突如としてうめき声を上げてその場に倒れ伏したのである。


「うおっ、『若』! どうした!」


慌て、鷹蔵と老人が駆け寄る。ふたりにては『若』の巨体は起こせず、拷問役2名の他、屋敷の奥より蜜右衛門とその護衛役の忍者数名が走り出で、ようやく仰向けに起こすに至った。


「うむう……いかんな、これは。もはや数刻も保たぬぞ」


医学の心得があるのか、脈をとり胸や腹をさすっていた老人が、そのように結論を出した」


「な、なんでや? き、傷はもうすっかり塞いだろうが!──まさか、手当てに不備があったんか?」


鷹蔵の言葉は聞き捨てならぬ。


「莫迦を申すな! わしの『壊れ亀』の忍法、未だかつていち度も仕損じたことなどないわ!」


施術者突櫂坊は抗議する。


「いや、首の傷ではない……」


老人は答えた。


「臓腑を、やられておる。肺腑がやぶれ、肝の臓が潰されており、腎の臓もすり潰れ……いや、圧し潰れておると云ったほうが正しいか。──ともかく、首ではなく身体が、中からやられておるわ」


お千代必殺の『胴絞め』による損傷はやはり、『若』に致命的な損傷を与えていたのである。


「突櫂坊! なんとかならんのか!」


鷹蔵は云うが、


「無理じゃ。我が『壊れ亀』の忍法、外より受けた傷はたちまち繋ぎ塞ぎ止めるも、中よりの傷はどうにもできぬ。──これは、そうした術にござる故」


との、無慈悲な答え。──これに嘘いつわりはない。忍法には使いどころと云うものがあり、刀で斬られただの槍で突かれただのといった傷には『壊れ亀』の忍法は猛威を振るうが、たとえば銃撃を受けた際、弾が身体を突き抜けたならばともかく、身体の中に弾が残れば、そこより腐ってどうにもならぬ。


あくまでも傷を塞ぎ止めるが『壊れ亀』の忍法の使いどころにあり、弾を取り出すだの、腐った箇所を切開し取り除くなどと云うは、蘭方医術の領域なのである。


「我が根来忍法に敵なしとは申せ、内よりの死には抗えぬ」


「それはもはや忍法の領域に非ず、蘭方医術のそれにござる」


「生憎と我ら、蘭方医術はおろか、蘭学を学んだこともなし」


「おあきらめなされい。これも運命じゃ」


つまり、手の施しようのないと云うこと。


「ええい! 役立たずの腐れ忍者どもめ! なんのためにお前たちを飼っていたというのか!」


この、八つ当たりに等しい侮辱とも云うべき言葉を受けては、突櫂坊と辺天坊のみならず、拷問役2名、宇昧坊(うまいぼう)午訶坊(うまかぼう)も、その動きを止めるに至る。皆ひとり残さず、怒りと怨みの色を湛えた双眼。


「──いや、まだ手はある」


そのようなことを老人が云ったのであるから、


「ほ、ほんとうか? それは本当なのか! ギ!」


(ギ?)


『ギ』とは、老人の名であるらしい。果たしてそれがいかなる字を充てるものか、瑞山にはわからないでいた。


儀、嶬──はたまた、『李』、或いは『魏』か。なるほどこの老人、よくよくその顔をみればどこか日ノ本の國の者とは顔立ちがやや異なる。清國か、朝鮮か、或いは今や滅びて久しき明國の民か、それはわからぬ。


密入國をはたらいたか、或いは鎖國令の敷かれるより以前より棲み着いていた者の末裔か。──この瑞山の推測は、その後のギ老の言葉によって裏づけられる。


「うむ。わしの故郷──外國(とつくに)じゃがな。そこは、ここ日ノ本の國と違い、切支丹が大手を振って暮らしておる。──その、切支丹の秘術を用い、若を死の魔の手より救って進ぜようぞ」


にわかには信じられぬ言葉。しかしながら溺れる者の藁をも摑みし心に囚われた鷹蔵、


「頼む! 是非頼む!」


と、疑いもせず受け入れるに至る。


だがそのような荒唐無稽な話、現実を厳しく見つめし忍者には到底信じ難きこと。


「鷹蔵殿! お気はたしかか!?」


「得体の知れぬ老人、外國(とつくに)の邪宗門徒の戯言なぞ、真に受けなさるな!」


「こやつ、以前より何を考えておるかわからぬ者! 何ぞよからぬ考えを企んでおるに違いないにござる!」


「誑かされめさるな! どうかお考え直しを!」


だが鷹蔵、忍者らの諫言を聞き入れるどころか、


「黙れ役立たずども! うぬらは今より、ギ老人の手伝いをせいっ!」


と、怒鳴り返す始末。


「ぐう──」


忍者ら、これはもう上はないほどにおもしろくない顔をしたものの──しかしながら表稼業の兼ね合いもあり、それ以上庄屋に逆らうこともできず、


「しょ、承知」


「我らに、なんなりと」


と、これを承服するに、至らざるを得ぬ。


「ギ老。我らは何をすればよい?」


午訶坊の問いにギ老人、


「そうじゃな……まず、そこなくのいちを降ろせい。その後は、追って指示する。それと──術の最中は、誰もここへは入れるな。手勢を集め、ここを固めい」


と、命じるのであった。



突櫂坊と宇昧坊により、庄屋屋敷の周りに手勢が集められたが、しかしながらそれらの人選には、作為的なものが込められていた。


それら手勢、いづれも百戦錬磨の剛の者。壮観なつわもの揃いにはあったが、これらの者には幾らかの共通する点があった。


ひとつは、庄屋たる寝所家に幾らかの反感を抱いているというもの。


ひとつは、ギ老人を快く思っておらぬ者というもの。


そしてもうひとつ、これが重要なことであるが──必ずしも生粋の切支丹に非ず、むしろ耶蘇(ヤソ)嫌いに属する者というものであった。


「ふん、邪教に魂を売り渡した阿呆(アホ)どもめ。すこしは思い知るがよいわ」


これは、意趣返しにあった。


なんとか坊を名乗っていることからもわかる通り、根来忍法の使い手は──多少の差異はあれども基本的に──仏門への信仰の厚き者。それも理由にはあったが、かねてからの、誇り高き根来忍者の末裔たる己らに対して、大上段から物申すがごとき寝所家、特に鷹蔵への反感もまた、大きな理由にあった。


「ええんか? もしバレれば只事では済まされぬぞ」


午訶坊、心配そうに云うも、


「構いやせん。わしはもういよいよ愛想が尽きたわ」


と、辺天坊。──よほど、(はら)に据えかねたとみえた。


「まあ、御坊の云うことももっとも。じつのところわしも、何もかも嫌になってきたところ」


午訶坊、そのように云い、


「瑞山殿が音頭をとっていた頃は、まさかこうなるとは思いもしやせなんだが──」


と、遠い眼にて虚空を見上げた。


「ほうや、瑞山殿や」


辺天坊、不意に手を打つ。


「なんじゃな、いきなり?」


「瑞山殿に知恵を仰ぐんや!──あの御仁ならばきっと、なんとかしてくれるわ」


午訶坊もこれにうなづき、ふたり、屋敷へと走るのであった。



さて屋敷の中は、奇妙な雰囲気に満ち満ちていた。門も雨戸も閉ざされ、屋内は暗き闇の中。──それを、燭台に灯された蝋燭の明かりがぼんやりと照らす。


南蛮式の、三股にも七股にも枝分かれした燭台。そこに灯されるは、紅と黒の蝋燭。


その光に照らされしは、室内に張られた幕に描かれし十字のしるし。


「これは、なんじゃ」


そのように訊く瑞山にあったが、じつのところ薄々、彼には見当がついていた。──これは忍法に非ず。おそらくは切支丹の秘儀秘術の類にあろうと。


しかしながら、老人がなにを企み、何をしでかそうとしておるのかは、瑞山の眼をもってしても見抜けぬ。


それが不気味でおそろしい──それ故の言葉にあった。


「これは、わしらに代々伝わりし黒の魔術書(グリモワール)にしるされし、切支丹の秘儀。──とは申せ、別段あやしきものにはない……」


ギ老はそう答えたが、とてもそうとは思えぬ不気味な気配。何ぞ、禁じられた呪法のごとき匂いが、瑞山の心の鼻にぷんぷんと刺激を与えていた。


「あやしきものではない? 何を云うがじゃ。この蒲団はなにか? 死人を包むか?──よもや、反魂の法でも使おうと云うやなかろうな!」


反魂の法──死者の魂を冥府より無理矢理に引き戻し、生き返らせると云われる秘術にある。しかしこれは、未だかつて成功した者は絶無とされる。かの西行法師すら、成功の手前までたどり着きながらあと1歩のところで失敗に至ったと伝えられているほどに。


否、正確にはただひとり、源中納言のみがその術を会得していたとされる。しかしながら、西行法師ほどの高僧にすら、決してその真の秘術を漏らさなかった中納言である。何故、邪宗門徒になどそれを教えようものか。


「莫迦め。そうしたものとは根本より異なるわ」


ギ老、些か気分を害したとみえ、


「若造。すこしばかり頭切れると思い、図に乗るな。この世には貴様ごときが知らぬことが山ほどあるを──教えてやろう。若輩者に教えを授けてやるも、年長者の務めのひとつ故」


と、己が今よりやらんとする行いの何たるかを、話すのであった。


「若は死するであろう。これは避けられぬ運命。人は死ぬ。必ず死ぬ。絶対死ぬ。我が宗門が開祖たる基督(キリスト)もまた、この運命からは逃れることはできなかった」


掛け蒲団が敷かれた。


「だが──皆も知っての通り、主は、基督は死したる後に復活なされた。生前と同じ姿にて──否、死する前よりも遙かに強大な力を得てな」


蒲団の皺をとったのち、ギ老は顔を上げて一同に向けて訊いた。


「手前にはわかりませぬ」


とは、鷹蔵の言。


「そもそもが、死していなかったのではないか?──死したとみせて、影武者と入れ替わるは、古来より幾らでも聞く話」


とは、宇昧坊の言。


「もしや、基督の弟子の十三使徒。あれは我らと同じ忍びであったやもしれん。──いや有り得る。槍で心の臓をひと突きに貫かれたとて、『壊れ亀』の忍法ならばふたたび傷を縫い止め、3日もあれば元通り」


とは、さすが壊れ亀の使い手、突櫂坊の言にあった。


「瑞山殿。おぬしはどう考えるね?」


ギ老の問いに対し瑞山、しばしの後、


「そうじゃな……」


と、前置きしたる後、


「わしが思うに、基督とやら、死して地獄に堕ち、そこにて──悪鬼羅刹か獄卒か、はたまた閻魔大王と直談判してか何やら取引し、冥府の強大なる力を得て、ふたたびこの世に舞い戻ってきたのではないか?」


とぞ、挑発的な答えを返すに至る。


「なっ──!」


これには鷹蔵、思わず腰を浮かす。今にもなぐりかからんばかりの剣幕。無理もないこと。瑞山の言葉は、切支丹の教えに真っ向より喧嘩を売るものにあったがためにある。──畏れ多くも主基督が地獄に堕ち、ましてやそこにて悪魔と取引を交わしたなどとは。


もし瑞山が切支丹であったならば、背教者或いは異端者として、問答無用で死罪とされていたほどの、口にしてはならぬ禁じられた言葉にあった。


だがギ老、いち度は眼を見開きはしたものの、すぐに、翁面のごとき笑みとなり、


「ほっほ、おもしろや。──瑞山とやら、そちの申すこと、案外と的はずれにはないやもしれんぞ」


と、云うのであった。


「老、なにを申されるか」


鷹蔵、そのように云うも、


「いやいや、わしの今より行おうと云う術、切支丹の本場欧州にては、異端派の業として禁じられたと聞く。その点では、こやつの申すも当たっておるやもしれん。──じゃが、主基督がこの術にて、3日の後に復活を遂げたるも、また事実」


などと、驚くべきことを述べた。


「その奇蹟を、今よりご覧に入れて進ぜよう。主基督のなされた奇蹟がふたたびこの世によみがえる。──そのとき、復活を遂げし若は、基督に続く唯一無二の聖者、神の子となろう」


にわかには信じられぬ。切支丹たる鷹蔵はともかく、突櫂坊も宇昧坊もそして瑞山も、うさんくささのほうが勝っており、とても心から信じられるものではなかった。


その心を見透かしたか、


「ほほう、まだ信じぬか」


と、ギ老、立ち上がり、


「では御覧なれ。我が秘術を」


そのように云うや、襖が開かれた。


「は、離せ狼藉者! これ以上わたしに何をする気かっ!」


入ってきたは、お千代。その身は未だ黒髪の繩に縛られており、その端は控えの忍者の手に握られたまま。


その傍に立つは、今や息も絶え絶えとなった『若』。その身を、寝所蜜右衛門が老骨に鞭打って支えてようやく立っていられる始末にある。


「息子よ、今しばらく辛抱せよ。必ずや、老翁がお前を助けてくれるぞ」


励ましの言葉を、蜜右衛門はかけていた。──『若』とは、寝所蜜右衛門の息子にあった。


「がんばれ! 死ぬな若!」


鷹蔵もまた、ゆるゆると死の道に進みつつある若を励ましにかかった。──兄の息子故に、父親代わりな面があったのであろうか。


「やい、ギ! いつまでかかる!?」


鷹蔵の問いに対しギ老、


「焦るなかれ。儀式とは時間がかかるもの。今しばらく辛抱なされい。──ましてこの術、今まさに死さんとするその瞬間となるまでは成らぬもの。心配めさるな」


と、落ち着いた様子にて答えるに至った。


「な、術──? そなたも忍びか、老」


お千代、そのように問うと、


「否。わしは忍びに非ず。ただ密かにこの山奥にて、主基督の教えを守ってきた、老人にすぎぬ」


と、答える。


「基督?──ここは邪宗門の村か!」


この時代にては至極当然の反応をお千代は示す。ギ老、慣れたものかそれには答えず、


「まあ、そう邪険にされるな。──そちも、切支丹の一員となるのであるから」


と、やさしく云うのみにとどまった。


「切支丹に?──なぜわたしが?」


「そちはこれより、神の子の妻となり、そして聖母となるのじゃ」


理解不能な言葉。すくなくともお千代にとっては。


「聖……母? 妻とはどう云うこと!?」


静かに、ごく当然のように、ギ老は答える。


「そちはこれより、若と夫婦の契りを交わし──そしてその後、新たなる仔として若を産む。若はこの世にふたたび転生しよみがえると云う次第よ。これぞ、かつて遠き各々他(ゴルゴダ)の丘にて──主基督が復活したる術のすべてよ」

恐ろしきは切支丹の秘術! 死すべき運命にありし者をその運命の理に干渉し、ふたたびこの世によみがえらせようとは!


果たして嘘かまことか?──しかしいづれにせよ、くのいちお千代の身に危機が迫っておることには変わりなし。


果たして伊豫忍軍は、この状況をなんとかし得るか?


これ、もう無理じゃろ。


次回、『禁じられた言葉』

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