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忍法血風録  作者: 瑞鶴寺鉄心斎
忍者武中八九郎
15/19

魔界村

「ぐう……無念」


そう云ったは、忍者祝六郎(ほうりろくろう)。彼の身には漆黒の繩が打たれており、その手には金剛杖も雷火銃も、短筒すらも握られていなかった。


激戦の末に、ついに捕らえられたのである。


「こやつ、おそるべきヤツであった。──敵ながらあっぱれ」


「できればこのまま殺さず無事に生かしておき、是非とも手勢に加えてやりたい」


敵方から、そのような声ぞ聞かれる。銃撃戦の相手にあったさむらい衆のみならず、忍者らの姿もあった。炎の中にての戦長引き、ついに忍者衆の増援を必要としたほどの大激戦はここに終わりを迎えたのである。


「ふ……()えある大洲鉄砲隊の一員としてならば、考えてやらんこともない。──いやむしろ、身に余る光榮。是非ともこちらから願い出たいところ」


六郎の言葉は、半ば本心に近いものにあった。──それほどに、大洲鉄砲隊は彼のあこがれの存在であった。


しかしながら、


「ふ、冗談のうまいヤツよ」


「此の期に及んで口の減らぬか。──たいしたものよ」


さすがに敵も本心とは思わず、さらりと流すに至る。


「しかし、わからんな。──何故、うぬら、先手をとったか。なにも俺たちと真っ向から敵対することもなかったろうに」


疑問をそのまま、六郎はぶつけた。


「なにを云う? おぬし、我らと一戦交える覚悟にてここへ来たであろうに」


「いや、それはそうだが──それにしては、些か拙速が過ぎはせぬか」


同じ、忍者であるが故の問い。


「もし、俺がうぬならば、こうした手はとらぬ。──なるほど一揆を起こすは明らかとなっていようが、うぬら忍者がそれに(くみ)しておるか否か明らかでもないうちに、わざわざこちらから、しかもひと眼にて忍びとわかる手法にて、攻めてかかりはせぬ」


「──ならば問いを返す。うぬならば、なんとする?」


「そうだな──ひとまず、敵対の意志なしとしておくだろうな。そのままやり過ごすか、騙し討ちをしかけるかはともかくとして。──仮にしかけるとしても、ひと眼にて忍びの仕業とわかる手は使わん。よほど、切羽詰まった時はその限りではないが」


「──まあ、妥当なところであるな……わしでも、そうする」


これに、六郎、片眉をわずかに上げ、


「わからぬことを云うな、うぬは。うぬらがやったことではないか」


と、云うに至る。そのような疑問が出るほどに、おかしな答えにあった。


敵も、それは重々承知であったとみえ、


「ふ……わしらとて、このような手は好まん。策として、下の下であるからな。──まるで素人策。いや、さすがは、素人様が御立てになられた策と云うことか」


などと、必ずしも上策でなかったとの答え。


ここに六郎、小声にて、


「なんだ?──うぬら、さむらい衆と不仲であるのか?」


と、問えば、敵忍者、


「莫迦を申せ。あれら、なるほど身分はひくき足軽衆なれど、もとをたどればわしらの御先祖様らとともに戦国の世を戦ったつわものども。それほどのつき合いのある仲ぞ。──不仲なハズなど、あろうものか」


と、やや気分を害したように答えるに至る。


(──ふ)


こうなればしめたもの。敵はまんまと、六郎の話術に釣り出されたかたち。


「では、その素人様とやら、さむらい衆にも嫌われていそうだな」


と、六郎云えば、


「ああ、我らは本業に差し障りあるがため幾らか仕方なくのところがあるが、あやつらもまた別な、仕方なくの理由がある。──互いに事情も立場も異なるとは申せ、やはりさむらいの端くれ。本来ならばあやつらの云いなりになる筋合いなど、絶無。そこは、変わらぬな」


よほど(はら)に据えかねることあったか、忍者としてあるまじき行いたる、秘めるべき秘密をべらべらとしゃべるに至った。


「俺はうぬらのことはよく知らぬが、しかし藩に飼われるをよしとせず、独自に生きる昔ながらのやりかたを守るに徹した、誇り高き連中だとは聞いていた。──その、うぬらとしては、到底我慢ならんと云うことはよくわかった。礼を云う」


これは六郎の本心には違いなかったが、さらなる釣り出しのための寄せ餌たる言葉でもあった。


「礼など要らん。むしろ聞いてもらい、こちらが礼を云いたいくらいじゃ。なにせ──普段は誰まわりに云えんこと故」


「誰まわりに、云えん……だと?」


(おう)よ。何せここでは誰かしら、誰ぞを介して繋がっておるからな。滅多なことは云えん。どこで誰が誰に告げ口致すか、わからぬからのう」


「なるほど──他所者(よそもの)の、しかも敵対する俺ならば、何を云っても構わぬと云うわけか」


「左様。──仮に其方(そち)が、“わしがこんなことを云うておった” と申したとて、誰も信じはせぬ。──虚言を用いて我らを離間させようと企んだとしか、とらぬ」


さすがは忍者。そこは重々承知である。──だが同じ忍者であるが故、六郎もそこは理解していた。


それがための寄せ餌。──そして敵はまんまとそれに喰らいついた。六郎の狙いは、敵の内情を知ることにあった。──そうとも、知らず、


「まあ、わしらの──忍者びしてのわしらじゃが、ともかくも、必ずしも此度の件では本心から一揆なぞ起こそうとしておるのではないわけじゃ。──いや、どうじゃろう……わしは副業として商いをやっておるが故、上客たる庄屋には逆らえんわけじゃが、副業が百姓である者らは、どうじゃろ? 案外と忍びとしてのみならず、百姓としても、庄屋のやりかたには嫌々なところがあるんじゃなかろうか?」


などと、自分から内情を話してゆく始末。


「ん? 何故だ? 百姓なら一揆には諸手を挙げて賛成ではないのか? 年貢が減るなら、それに越したことはないだろう」


「はっ、普通ならな」


「普通なら、とは?」


其方(そち)も、ここへ来る時に見たであろう? 金色(こんじき)に実った稲の数々を」


五郎兵衛も、同じことを云っていた。


「ああ──そう云えばそうだった」


「そこに眼がゆかぬとは、其方、生粋の忍びじゃな。──ああ、松山は藩お抱えの忍びをもっておったか」


しばし、間を置き、


「まあ、つまりはそこじゃ。本来ならば、今は稲刈りの真っ最中。1年の成果が実りとなってあらわれる歓喜の時。百姓にとってのな。よりにもよってその時を邪魔されたのじゃから、なにが一揆か」


と、答えるに至った。


「じつは俺の仲間にも百姓をやっておる者がいてな。──そやつも、同じことを云っていた」


「そりゃあ、そうじゃ。口には出さぬとも、百姓は皆そう思っておるわ」


六郎もすこし間を置き、


「ならば、ますますわからん。それなら何故、庄屋は一揆など起こしたか。──そもそも庄屋とは一揆を鎮める立場にあろう。年貢を集め納めるが役目だからな。──それを、鎮めるどころか逆に煽動するなど……下手すれば、己の首が飛ぶ」


と、率直に疑問を口にした。


「じつのところ、わしにもわからぬ。──まあ、あらかたの想像はついておるのだがな……」


「ほう、それは?」


敵は口を開き、何か云おうとしたが──しかし途中にて言葉を呑み込み、かわりに「にやり」と笑みを浮かべ、


「危ない、危ない。──いや、わしも本当ならば答えてやりたいのじゃが……さすがに、これは口にはできぬことよ」


と、答えるにとどまったのである。


話は、そこで終わった。


「おうい、またもうひとり捕らえたぞ!」


さむらい衆が鵜久森五郎兵衛を、引っ立ててきたがためにある。



さて、仲良く捕らえられた六郎と五郎兵衛にあるが、彼らはおとなしく囚われの身となっていたわけではなかった。──かと申して、必死の抵抗をなしたわけに非ず。あくまでも身は動かさず、眼を動かし、敵の様子を探っていたのである。


五郎兵衛の見立てでは、敵忍者は何名かひと組にて動いているとのもの。おそらくひとりに対し3から4名が、ひとつの組となりかかっている。──これは、己が捕らえられた際より割り出されたものにあった。


対し、六郎の見立ては、さむらい衆はすくなくともふた手に分かれているとのものにあった。──なるほど先ほどの、御堂に於ける一戦にて、六郎はかなりの数を銃撃しこれらを撃ち倒したるも、それを数えてもなお勘定が合わぬ。ここにいるさむらいの数がすくなすぎると云うこと。弾が当たった者すべてが死に至ったとしても、なおである。──故に、ここにおるがさむらいのすべてではないと、云う次第。


残るさむらい衆は、どこへ行ったか?──それは今のところ、ふたりの知るところに非ず。


故に次に勘定すべきは、敵忍者の数であったが──


「よい、六郎。これはやはり数が合わんねや」


やはり、さむらい衆と同じく、隊を分けておるとみてよいであろう。


「菊地とやらの申すには、ここには40ほど忍びが詰めておるとのこと。──それが、どうだ? 見たところせいぜいが15、6。どう多くみても、20に満たん」


「お千代殿や阿呆三四(アホサンシ)を追っているとしても、やはり足りやせん。──こりゃあ、田中や武中も危ないねや」


「危ないどころか、すでに俺たちと同じく捕らえられたかもしれん」


それは考えつく中でおそらく最悪の事態。──だが六郎の申す通り、田中次左衛門も武中八九郎もそして忽那七郎も皆すべて、菊地文之進とともにすでに囚われの身となっていた。


絵に描いたような、最悪の事態そのものであった。


「まあ、そう考えたほうがええねや。なにせわしらでさえこの通り捕まってしもうとるんや。──あの糞莫迦(くそばか)どもなら、云うまでもないわしゃ」


最高の信頼度である。


「さて、そうなると──お嬢も当てにはできんな。いよいよ俺たちも──覚悟を決めねばならんかもしれんな」


「まあ、その時はその時じゃ。せいぜい大暴れしてやろうわいな。最期の」


しかしながら、今はまだその時ではない。


「頼みの綱はお千代殿か、それとも阿呆三四か」


故に五郎兵衛は、そのように云うにとどまった。




今や伊豫忍者にとって頼みの綱はわずかに2本。その1本は、森の中にあった。


(もうすぐ陽が昇る。その前にはなんとしても村に入りたいが──)


花忍お千代の身は、未だ山深き樹々の中。めざす目的地までへは、まだまだ遠い。


否、それどころかたどり着けるかどうかすら、果たしてあやしい。いかに忍者、手練の者とて、やはり天敵とでも云うべき鉄砲隊を相手とし、その銃撃に晒されながらに敵弾の雨をくぐり抜けかわしつつ、樹々に身を潜めながらに距離を取るべく移動するを続けていては──


ついに方角を、見失うに至ったのである。


幸いにして、夜風に乗って敵の主力武器たる種子島銃の起こす火繩の匂いが流れてくるがため、敵の位置を見失うことはなかったが、だがそれとても己と同じく移動しており、固定の目印としては使えぬ。


しかし敵地の真っ只中にて方角を見失うはほぼ死も同然。いかに頼りにならぬ目印とて、それを基準に動かざるを得ぬ。


お千代は、詰みかけていた。──そもそも、さむらい衆を迂回して村へと向かう算段にあったが、その廻り込みが、うまくゆかなかったのである。


六郎が読んでいた通り、さむらい衆は大きくふたつに隊を分けており、そのうち1隊が、今お千代が目印としており、かつ向こうもこちらを全力にて探しにきている者らにある。──これらも大問題であるが、しかしもっと大きな問題となったが、もう1隊にあった。


それらの隊は、御堂廻りに詰めており、またそれらが5名ひと組の支隊に分かれ、横1列のかたちとなって前進をかけていた。──いわゆる滑子(ローラー)作戦である。個々の眼に頼るは同じとても、点に非ず面にて当たり、転圧するがごとくに進軍し、何が何でも見つけ出さんとする構えにあった。


そんなものに行き当たったが最後、お千代が捕らわれるは確実にある。故にこれを避けねばならぬ次第にあるが、なにせ広い面。迂回するは至難の業にあり。それが云うなれば村の境界線を推し進めるがごとき広さなのであるから──お千代は後退せざるを得なかった。未だ山の中に潜んでいるは、これが理由であった。


(さて──どうしたものか?)


迂回は不可能。かと申して押し通るは、これまた不可能。単身にて敵陣の真っ只中に飛び込むは、なるほど勇ましいがしかし今この時にては自決に等しい。──それには今は待ち、機会を狙う必要があった。


すなわち、敵陣のほころびを突き、そこを突くというもの。それならば、この絶対的な包囲網を突破することができる。──ほぼ唯一と云ってよい策にあろう。


「……」


実際のところ、お千代の心は九分九厘そちらに傾いていた。己の力と敵の力を見定め、しっかりと勘定した末に導き出された結論にあった。──断じて、一か八かの博打に出たのではない。


故に努めて冷静に──お千代は機会を窺っていた。


敵の陣に乱れ生じ、包囲網の薄い1点が現れるを待っていたのである。


故に、つかず離れずの距離を保っていた。──しかしこれはあくまでも、槍や刀、或いは弓矢の射程に於いてのみの話にある。どうしても、鉄砲の射程圏内には身を置かねばならなかった。


これは、相当に神経を使う行い。ただ隠れているのみなるも、しかしその間も1秒毎に神経が摩耗する。──集中力が切れたが最後、たちまち、己の所在は敵の知るところとなろう。


「──ええい! まだか! まだ見つからぬか!」


「こうしておる間にも敵はいづこかへと消え失せておるやもしれぬと云うに!」


「いや、或いはそこらで、我らの首を取らんと舌舐め擦りしながら狙っておるやもしれん!」


「気を抜くな! 油断すれば死ぞ!」


だがそれは敵も同じ。神経は刻一刻と摩耗してゆく最中にあった。──お千代にとっては脅威の種子島も、今現在の彼らにとっては頼もしいものでは決してなかった。先刻の御堂にて、銃撃戦にて何名もが討ち取られ、また、先ほどの銃撃に至ってはただの1発も命中弾がなかったは、彼らの心より自信と、種子島の信頼度を大きく失わせていたのである。


「警戒を怠るなっ!」


「考えつく限りのあらゆるすべてに備えよ!」


「いつでも、刀を抜けるようにしておけい!」


それらの声の中には乾きや、上擦りがみられた。相当に、集中力が切れかけている。


「……」


飛び込むべきか、お千代は考えた。──だがその寸前にてとどまり、ふたたび敵と歩調を合わせて移動する。


今すこし時を待つべきと、判断したがため。



どれほどの刻が経ったか。それはわからぬ。お千代にも、おそらくさむらい衆にも。──ひとつ確かなることは、夜が明けはじめたということ。樹々の輪郭がおぼろ気ながらもはっきりと見えはじめ、空が白みはじめたのである。──そちらが、東か。ようやく、彼我ともに方角を知ることができたという次第。


(思ったより奥へと進んでしまった)


双方、ともに同じことを思う。──ここは小窪村の最奥地。先ほどまでいた御堂すらも、麓と云ってよいほどの山深き森の中にあった。


「どうする? 引き返すか?」


さむらい衆の中よりそのような声ぞ聞かれた。


「莫迦な。ここまで来てそれはなかろう」


「しかしここより奥は、足を踏み入れるべきではなかろう」


「何を云う。あれらとて我らの味方ぞ、すくなくとも此度は」


(──あれら?)


奇妙な言葉。お千代はしばし考える。


その間も、さむらいどもの会話は続く。


「なるほど、あれらと関わりたくはないとの、おぬしの言葉ももっともである。拙者とて、同じ気持ち。──なにせ、我らとは異なる理に生きておる者」


そこに、


「なにを申すかうぬら。あれらも、我らと同じ教えのもとに生きる民ではないか」


との、声ぞする。──先ほどまでとは異なるさむらいの声にあった。


(同じ教え?)


なにがなにやら、お千代にはわからぬ。──だが、


「いかに、異なる立場にあるとて、同じ教えに生きる者ならば、あれらとて同じさむらい。──それが、教えではなかったのか?」


との、言葉より導き出されたは──


(なるほど。忍びの隠れ里)


忍者らのことを指しているのだと、お千代はとった。──なるほど確かに、この方角より先ほど忍者らは現れた。それが、お千代の推測を裏づけたのである。


(と、するならば──これ以上進むは悪手)


お千代は、1点突破の時はまさにこの今またたく瞬間にあるとみた。──さむらい衆のみならず忍者までもを相手とすれば、もはやその機会は2度とないとみたがためにある。


「やっ」


と、軽くひと声気合を入れると、そのまま全力にて疾走し──敵陣めがけ突撃を敢行したのである。


「ええい、うぬはそうであるかもしれぬが、わしは違うぞ」


「何を今更に! 教えに背くはゆるさぬ!」


「莫迦、そもそもがもとより違うと、わしはそうではないと申しておるのだ──」


さむらいらは未だ気づいておらぬ様子。──これならば、或いは無傷にて気取られることなく逃れることができるやもしれぬ。


そう、お千代が考えた時である。


「ひゅう」


と、風の音。


「むっ!?」


声を上げたは、お千代とともにさむらい衆もであった。音はお千代のすぐ後方より聞こえていた。──必然、さむらい衆の視線はお千代に集まった。


「ややっ!?」


「あれは──」


さむらいどもが腰の刀に手をかけるがみえた。対し、お千代はなにも持たぬ無手。万事休すとみえたが、しかしそれは織り込み済のこと。


「つぇえい!」


気合の声、お千代の口より走る。気迫に打たれ、さむらいらの動きが一瞬止まる。──視線を走らせ、獲物を狙う獣の眼となるお千代。


刀か、または脇差か、或いは種子島か。短刀や、小柄(こづか)でもよい。さむらいどもの得物をどれかひとつでも、掏摸(スリ)取ろうというのである。


(今!)


まさにその時であった。さむらいのひとりの腰より、下げ緒をはずし脇差のひとつを鞘ごと抜き取った、その時であった。


「ひゃんっ!」


お千代はうつ伏せに倒れた。掏摸(スリ)の瞬間見つかり、反撃を受けたのではない。未だ、持ち主は脇差を盗み窃られたことにすら気づいておらぬ。


では何故か? 足首を摑まれたのである。倒れる拍子に裾がめくれ、袴をつけておらぬが故に丸出しとなった、横縞の下帯に包まれた尻を隠す余裕すらなかった。それほどの強い力にて、足首を摑まれていたのである。


「うぐぐ……っ!」


反射的に振り返るお千代。その眼は大きく見開かれ、顔からはみるみる血の気が引いていった。


まるで、亡霊でも見たような顔。


それもそのハズ、視線の先にあったは──


「あいえええ!? なんで!? なんであなたが生きて!?」


先ほど己が手にかけた、あの大男であったが故に。


「──なんで、生きて──と。ほほう、つまり『若』をこんな目に遭わせたは、貴様か、娘」


『若』と呼ばれた大男の後ろより、新手が現れた。大洲忍者である。──だがどうも、様子がおかしい。


見れば、その者ら、顔を腫らしており、皮下内出血の症状独特の、紫色となった痕が朝陽に照らされはっきりとみえた。


(む……?)


お千代は訝しんだ。大洲忍者ともあろう者が、急所たる顔面を容易くなぐらせようものか。忍者同士の戦いならば別であるが、余人なれば、それがいかな剛の者とて、狙い定めて拳を打ち出そうとも、そうそう、当たるものではない。


しかしながらその者ら、蕃茄(トマト)のごとく腫れ上がった顔を見るに、何発も殴打を受けた様子。これは、いかなることか。当然、お千代にはなぐりつけた覚えなど微塵もない。


(五郎兵衛か六郎か、または次左衛門様とでも戦ったか?──或いは、闇の中にて同士討ちをやらかしたか)


いづれも有り得る話にある。しかしながら幾つかの選択肢はすぐ消えた。彼らの後ろには捕縛された伊豫松山忍者は、誰ひとりとしていなかったがためにある。


代わりに、別なる者らがいた。──ひとりは、幽鬼のごとく痩せた、しょぼくれた老人。そしてもうひとりは──


「その衣服から見るに──そなた、庄屋か?」


「おうよ。俺が、ここを預かる寝所(ねどころ)の家の者、その名も、鷹蔵(ようぞう)様よ!」


そのような立場にいる者が何故ここに? これのみにてもお千代を驚かせるに充分にあったが、その後眼に飛び込んできた事実は、さらにお千代を驚かせた。


「これは……」


先ほどお千代を襲い、今現在足首を摑み離さぬ『若』の首、そこには、(あな)はなかった。代わりに、孔が開いていたその箇所には、ちいさな傷──否、傷を塞いだ縫い痕ひとつ。


根来(ねごろ)忍法、『壊れ(がめ)』の秘術!」


壊れ割れて孔の開いた(かめ)(にかわ)にて繋ぎ合わせたことからとも、或いは割れた亀の甲羅をふたたび貼り合わせたことからこの名がつけられたとも云われる根来忍法が秘術。これは、斬られた傷口を特殊な針と糸とを用いふたたびつなぎ合わせる術にあった。──熟練者ならばひと度斬り飛ばされた首をも、別なる者の身体につなぎ止め生き返らせることすらできたとも。


「ほう? この術を知っておるとな?──そち、ただの忍びではないな? 何者か、名を名乗れ」


この秘術を、お千代は父和右衛門より聞き及んでいた。蘭方医術を真似たとも、後漢の時代を生きた名医、華佗の医術が海を渡り伝わったものやもしれぬとも。──そして、根来忍者とても誰まわり用いることのできぬ秘術であるとも。


「訊かれたからには答えてやるが、忍びの、そして世の情け。──伊豫忍軍が頭領、石崎和右衛門が娘。『花忍』千代とは、わたしのことよ」


名乗りはしたが、しかしもはや絶体絶命の危機にあるをお千代は悟っていた。ここはさむらい衆の真っ只中。周囲はすでに十重二十重(とえはたえ)に取り囲まれており、種子島の銃口は正確に、お千代に向けて狙い定められていた。──及び、前には老人と鷹蔵率いる大洲忍者どもが12名ほど控えている。


ましてやその足首を、『若』に摑まれた今現在──もはや、逃れる術はどこにもなかった。


「──して、これからわたしをどうなさるつもりか? 煮るか? 焼くか? それともひと太刀にて首を刎ねるか?──或いは銃弾の雨を受け、蜂の巣となるか」


故にお千代、そのように問う。


「ふ……安心せい。未だ、殺さぬ。──そちには訊きたいことが、いろいろあるでのう」


鷹蔵、そう答えると、


「繩を打ち、屋敷まで連れて行けい!」


と、忍者どもに命じるのであった。




さて、伊豫忍軍精鋭7名のうちすでに6名が囚われの身となった今現在。残るひとり、山地三四郎はいづこに居りしや。


彼は、妙なところにいた。朝陽も届かぬ闇の中。暗く湿った、土の中にいた。


『土遁の術』にて、地中を潜航しているのではない。そもそも、『風忍』たる彼と『土忍』の技である土遁の術とは相性がわるい。──彼は人の手によって掘られた通路を通り、その最深部にいたのである。


「おお……これは……」


三四郎の声は震えていた。──しかしそれは、隠された金銀財宝を前に、歓喜の声を上げ震えていたのではない。


その眼は大きく見開かれ、覆面より覗く顔は蒼白にて、汗が滲んでいた。まるで亡霊でも見たような──否。亡霊などまだ生やさしい。それよりももっと恐ろしきもの……さながら、『禁忌』に触れた者のような様子。


「何故……何故このようなものが、ここにあるのだ!」


彼の眼に映るは石像にあった。それは、闇の中にやさしき笑みを浮かべた観音像。──別段、不思議とも思えぬ。ここは仏閣たる御堂より続く、通路の果て。御本尊たる観音像があろうと、おかしなことに非ず。


母のごとくやさしき笑みを浮かべる観音様の手に抱かれしは、赤児。そして、それらの首に彫られしは──


十字の、しるし。


六郎に続き、あっさりと五郎兵衛が、そしてついにお千代までもが捕らえられるに至った!


敵は強大。伊豫忍軍の予想を遙かに超えたほどに。


だが何故たかが一揆勢ごときが、こうも容易く忍者を捕らえるができるほどの大軍勢を築き上げるに至ったか?──その謎が、果たして三四郎の見つけたものに起因するものか?


次回、『邪界天生』

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