思惑の坩堝
この世に生きる森羅万象のことごとくは、仏の面と獣の面との双方を併せ持つ。──たとえば普段はおとなしい昼行燈殿がある日突然、匕首を振り廻し兇行に及ぶことが稀によくあるが、そのような折、「あのおとなしい人があんなことをするなんて」との、声ぞ聞かれるものにある。
一見すると不思議なことではあるが、これはその者の獣の面がただ表に出た、それだけのことと云える。
逆に、飲む打つ買うの碌でなしの鼻つまみ者、まかり間違っても友人はおろか御同輩や御近所ですらあってほしくないような者が、橋の下で冷雨に打たれし棄て犬の世話をやさしく甲斐甲斐しくやっているようなことも、稀によくある。──これも、普段は心の奥底に眠り高鼾をかきながら屁をこいておる仏の面が、ただ表に出ただけのことと云えよう。
普段より悪行を積み重ねておるものがそうした偶々の善行にて蜘蛛をたすけたところで即座に罪業帳消しとなるわけではない。カンダタは所詮カンダタなのである。
さて戦ともなれば、普段おとなしく蟲一匹殺せぬような者とても、槍を振るい刀を抜いて弾雨の中へ真っ先駆けて突進するものにあるが、これは普段抑え込んでいる、或いは屁こきの高鼾を決め込んでいた獣心を全開としているがためのものにある。──むしろ、普段威勢のよい者に限ってこんなところで臆病な仏心がにょきりと顔を出し、役立たずの腑抜けと化してしまいがちなほどにもある。
このような、獣心全開の状況であるがため、得てして戦場に居合わせた者は降って湧いた不幸に遭遇することとなりがちである。──男ならば敵と誤認されその生命を落とし、そして女ならば、生命の危機に瀕した状況下に於いて子孫を残さんとする生物学的本能により──望まぬ馬の骨の仔を孕まされることと、なりかねぬ次第にある。
なるほど、この小窪村はまさに戦場となりつつある。そうした獣心のなせる狂気に包まれていても、何らの不思議はないと云えた。
だが祝六郎は、それとは異なる別の異質な狂気を、感じとっていた。
「ともかくも、充分に気をつける必要があるな。お嬢自身も、そして俺たちも」
これはお千代の身辺を警護するとの意味が込められている。
「まったくだ。千代殿に万一のことあらば、我ら3名はおろか、残る3名の腹も切らねばなるまい」
山地三四郎はそう云ったが、
「腹で済むかねや?──いきなり首が飛ぶんやないか?」
と、鵜久森五郎兵衛。これはさむらいとしての名誉ある死を与えられず、任務も碌に務めることもできぬ役立たずの咎人、つまりは藩の面汚しとして、斬首刑に処されるのではないかとのことである。
「伊豫忍軍組頭の首が一斉に城下に並ぶか。──壮観だな」
「しかも6つも。──いち度は見てみたいのう」
「だが──それを我が眼で見ることは叶わぬ」
「それは、おもしろうないねや」
覚悟は、決まった。
「ようし、お嬢、安心せい」
「其方の貞操は我らこの生命に代えてもお守り致す」
「どうせ、失敗れば生命が無うなるんじゃ」
「我らに任されよ」
荒廃した御堂の中にて、そのような声ぞひびく。3名の坊主が固まるようにして座り、その向かい側に──先ほど『お嬢』と呼ばれた者がひとり座っていた。その者、寺小姓の姿をしている。
寺小姓とは坊主の身の周りの世話をするを役目とする者にあり、云うなれば雑用係である。──今現在このように、本来ならば上座に座るような立場にはあらぬ。
しかしながらこの寺小姓の正体は、男に扮したくのいちお千代。──立場としては同輩なるも、しかしこの者、頭領たる石崎和右衛門が娘にある。
本人がそう望まずとも、同輩らは自然と、一段格上の扱いをするが今までの流れにあった。
それ故にか、今この時、六郎も三四郎も五郎兵衛も、皆すべて己の生命をも投げ出してお千代に差し出す覚悟を本心より述べていた。
「ちょ、ちょいと待てっ!」
しかしながらお千代としては、
「皆が私の身を案じてくれるのはうれしいが、私は姫君などではない。──それを、間違えないでほしい!」
あくまでも自分は一介の、組頭の同輩であるつもり。互いに互いを守り合うならばともかく、一方的に守られるは申し訳がなく──また、忍びとしての誇りが許さぬ。
「なるほど、私の父は頭領には違いない。だからと云って特別ではなく──否、頭領を父に持つからこそ、より一層奮励努力し──決して皆に遅れをとるようなことがあってはならない!」
これこそがまさにいつわらざる本心にあった。
三坊主どももその言葉、しかと受け止め、
「うむ、其方の云うことももっともである」
と、述べたるも、
「だが先ほどの我らの覚悟も、もっともなこと」
「ああ。俺たちは全力で──あんたを守る」
「じゃから決して──無茶はせんでくれよ?」
との、云い分を述べる。
決して功を焦るとかそうした欲にまみれたものではなく、双方ともに高潔なる信念に基づくもの。
故に──
「わかった。──だが無理をするな。私も、無茶な真似はせぬ」
と、お千代、述べるに至るのであった。
さて寺小姓ならぬ尻小姓に化けたる田中次左衛門は、供を務めたる設定のさむらいらとともに、庄屋の屋敷にいた。
庄屋を務めしは、苗字帯刀を許されたる、その姓を寝所と申す者で、なるほど寝所の名のしめす通り、その屋敷、かつては旅籠であったらしき広さを持つ建物にあった。どうやらその折の屋号を、そのまま引き継ぎ姓としたものとみえる。名は、蜜右衛門と申した。
その広い屋敷にて、使者をもてなす宴の開かれし最中に、次左衛門、八九郎、七郎、及び菊地文之進らはあった。
「なにぶん山深き田舎でありますため、碌なものもありませんが、どうか……」
寝所はそのように云うが、どこが、どこが。ひと晩に皆が飲むに充分な量の酒、肴、白米──ともかくも大量に、飯が出されていた。
「なに、これだけあれば充分じゃ!」
検分役の八九郎そのように云い、水がごとくに酒を呑み、吸うがごとくに飯をかき込みにかかる。
「おかわりも、ございます……」
寝所の横にはお櫃一杯の飯がうなっていた。
「はぐはぐ……し、しかし、なんじゃな。これだけ飯がうなっており、酒も余るほどあるに、ぴちゃぴちゃ……何故、うぬらは一揆など企だてたか?」
酒の雫と飯粒をいく滴か口より飛ばしながら、八九郎は訊いた。
「うむ。わしもそれが不思議で叶わん。──“年貢の取り立てが厳しい、御上は我らを飢え殺しにする気か” なぞと云いながら──その実、なんだ? 米は酒を作るに足るほどあり余っており、うぬらの顔を見たところ色艶どころか脂が乗っておる。果ては、米も刈らず、戦の支度ときたもの」
八九郎とは対照的に、静かにちびりちびりと酒をやっていた文之進、やはり静かで穏やかなる口調にて訊く。
しかしながらその眼光鋭く、凄みと深みとが同居した重たいもの。有無を云わせぬものがあった。
さすがは、ひと癖もふた癖も三癖もある大洲藩の忍者どもを一手にまとめる者だけのことはあると云ったところか。
「じつは、そのことなのですが……じつのところ、わたしも頭をひどく痛めておることでありまして……はい」
月代より一気に汗を滲ませ、寝所は切り出した。みるみる、鬢が汗により湿り気を帯び、濡れそぼる。
(かなり、白髪がみえるのう)
(齢からみてもかなり老けておるわ)
(もともとそうであったようでは無さそうですね)
忍者どもが他には聞こえぬ声にて会話する。
(うむ、ここ最近で一気に老けた様子)
(何ぞ、困り事が出たか?)
(おそらくは、それが──)
七郎が何ぞ云い出す前に、
「はい、そうなのです。一揆は、私どもの本心ではないのでございます」
と、寝所蜜右衛門が答えを述べた。──本心ならぬ心労が、彼を一気に老け込ませたのであろう。
「本心では、ない?──ではこの莫迦騒ぎは、庄屋たるうぬの差金ではないと、そう申すのか」
文之進の顔色が、そして口調が変わる。心より驚いている、そのようなものであった。上手下手を問わず、芝居などでは断じてない。──まったく予想だにしておらぬ事態に直面したとき、人がみせる表情にある。
「莫迦な……うぬを於いて他に誰が村人に云うことを聞かせられると申すか。──いかに忍びとて、表向き……否、実質本業は百姓や町人たるあやつらが、うぬを差し置いて村人を動かすことなど、できようものか!」
村によって多少の違いはあるが、基本的に庄屋の力、権限というは大きなもの。村のまとめ役、或いは元締のようなもの、またはそれらを兼ね備えたるものである。通常──村に生きるなら庄屋に背いては生きてはゆけぬ。村八分──もっとひどくすると墓に葬ることすら許されぬ村十分ともなりかねぬが故に。
しかしながら今現在この小窪村にては、庄屋に背き事を起こしているが知れたのである。
これは、『異常事態』である!
「これ、根来とやら、いかなることか説明せい」
検分役のさむらいに扮した八九郎、そのように訊くが、
「誰が根来じゃ! わしの姓は『寝所』じゃ!」
と、庄屋、顔を真っ赤にして叱りつける。
「ええい! それは今どうでもよい! 仔細を述べい!」
文之進が怒鳴りつける。
「答えい寝所! うぬを差し置き、この莫迦げた一揆を企だて皆の衆を煽動し事を起こした身の程知らずの糞莫迦者は、いったい誰じゃ!」
蜜右衛門は答えぬ。どうやらその名を告げるは、彼にとって相当にまずいこととみえる。──じつに奇怪なこと。村をまとめる庄屋、云うなればここ小窪の最高権力者にも等しい彼が何故ここまでに追い詰められ恐れ慄くのか、まるでわからぬ。
「よもや──藩の重臣がうぬの背後におるのではなかろうな?」
文之進、そのように訊くも、
「い、いやいや! だ、断じてそのようなことは!」
と、即座に蜜右衛門は否定する。──その眼の色顔色からして、嘘は云っておらぬ様子。
「まさか、殿が関わっておるなどと云うことはなかろう」
八九郎の問いに対しても、
「け、検分役! 滅多なことを云うでないわ! そのようなこと、万一にも誰ぞに聞かれでもすれば、わしどころかそなたの首までも飛びかねぬぞ!」
と、逆に咎め立てる始末。
「ならば、誰か!?」
「いいかげんに答えてはどうか!」
「早う吐いて、楽になれい」
「今ならばまだ、御上にも御慈悲がござろう!」
ここぞとばかりに責め立てる忍者衆、それも頭衆を前にしてはさすがの庄屋も耐えかねた。──糸の切れた人形のごとくにその場に力なく崩れ落ちたる後、とうとう、
「──御家の恥を晒すこと故に、決して洩らさぬつもりであったが……事、ここに至れば已むを得ん」
と、仔細を述べるに至った。
寝所蜜右衛門の話は、奇妙なものであった。さすがの忍び頭衆も、すぐには理解のできぬこと──それほどの、ものにあった。
「事は、半年ほど前に遡る。──ある日のことじゃ。弟が、村の若い衆を集めたが、そもそものきっかけであった……」
若い衆の中には、忍者も含まれていたと云う。はじめはその数2、3といったところであったが、日を追う毎にその数は増えていったとも。
「ほほう?──しからば、そなたが弟は忍びどもをまとめ上げたと、そう申されるか」
次左衛門はそう云ったが、
「しかし、そんなことが果たして為し得ましょうか?──いかに庄屋の縁者とは申せ、ただの百姓。そのような者に、誇り高き忍びがつき従うなどとは、それがしには納得しがたい」
と、七郎は懐疑的である。
「わしもそう思う。──のう、文之進殿?」
八九郎が云えば、
「左様。──いかに本業は百姓なれど、別にその者ら、ここ寝所の家に睾丸を握られているわけではありませぬ」
と、文之進答えると、
「何ぞ、わしの知らぬこと、隠してはおらぬか?」
とぞ、蜜右衛門に向けて訊く。
「へえ……」
蜜右衛門、汗を垂らしそれを拭き拭き、言葉を選んで答える。
「弟がいかにして忍びらを手懐けたかは、わしにもわかりませぬ。──ですが、弟を芯として忍びらがまとまった、これは動かしようもない、事実にありまする」
蜜右衛門の話は、まだまだ続く──
「その、忍びらでございますが、あれらはそれ以上増えることはありませんでした。──ですがそこに、今度は別なる者らが加わってきたのでございます」
「別なる者ら?」
「へえ、わしもくわしくはわかりませんが──しかしあれはどう見ても、さむらい衆にありました」
大きく、文之進の眼が開かれた。
「なにっ!──藩士が加わったと、そう申すか!?」
今にも飛びかかりそうな剣幕にある。無理もないこと。藩を揺るがす一揆に、よもや藩士が嚙んでいたなどと云うことがあれば──藩主の首が飛ぶはおろか、この大洲藩そのものがお取り潰しとなって滅びかねぬ一大事なのであるから。
「わわわ、わしにはそれはわかりませぬと、先に申したではありませんか!──そのさむらい衆がどこの誰で何者であるかは、わたしは一切合切伐採獺祭喝采、存じ上げぬことでございますゥゥ!」
話が暗礁に乗り上げて進むも退くもならぬになるを悟ったか、
「さむらい衆の他、誰がおる? ただの百姓らも加わっておるのか? その他、誰でもよい、述べられい」
と、七郎が続けて訊いた。
「ただの百姓らも当然加わっておりまする。──あれらこそ、弟には頭が上がらぬが故。腐っても、庄屋の縁者にありますからな」
「その百姓ら、調練を受けたと云うことは?」
次左衛門の問いに対し、
「な、何故それを!」
驚いたように蜜右衛門答えるも、
「じつはここへ来る道中、供の者が襲われ手傷を負った。──その者によると素人衆の動きにて、それ故に不覚をとったとのこと」
と、七郎。
「な、なんと!?──あ、あれほど事を起こす前に騒ぎを起こすなと申したに……」
蜜右衛門の知らぬところで事態は大きく動いていたとみえた。
「ときに、根来。この一揆にはわからんところが多すぎる。──あやつらの狙いはなんじゃ? 云うてみい」
立ち上がり、八九郎が訊く。「ひょい」と、次左衛門の手より太刀を取る。
刀を抜くつもりであった。斬るつもりはなかろうが──すくなくともその刃にて、脅しをかけるつもりであったは明白なること。
「稲も刈らん、飯はある。酒も余るほどにのう。それで──一揆なぞ起こそうとするが、そもそもおかしいことじゃわい。おぬしが知るすべてを──わしに話せい」
鯉口が切られ、鞘より覗いた刃が一瞬ぎらりと輝いた、その刹那。
「うおっ!?」
「な、なんじゃあ!?」
「くおっ!?」
「ふおおーーっ!?」
忍者どもの口より珍奇な声ぞ上がる。──見れば、さむらい姿の頭衆の身体には、小指ほどの太さの繩が幾重にも絡みついていた。
さながら、真っ黒な蛇のごとくに巻きつき絡みつく繩。それより忍者らは逃れることができなかった。
無理もないこと。その繩は女の黒髪にて編まれたるもの。かの奈良の大仏殿を構成する太く重い柱を持ち上げるに用いられた太綱と、同じ素材なのであるから。
刀であろうが手裏剣であろうが、錣を使おうが、これを切り逃れるは容易ならぬ──否、極めて限りなく不可能に近いこと。
忍者らはたちまちのうちに捕縛された。ひとりにつき3名が、黒繩を投げており、それらがさながら車懸の陣形のごとくに巴を描いて廻られれば、いかに忍び頭とてなす術もなかったのである。
「ぬうう……不覚」
「よもや繩目の恥辱を受けようとは、末代までの恥」
「ええい無礼なるぞ! この繩を解けい!」
「これが、小窪流のもてなしか! 大層変わったものじゃのう!」
この奇怪なる術を用いたるは──
「だまれ、松山忍者ども!」
「うぬらの正体なぞ、すでに見切っておったわ!」
「それに気づかず、悠長なこと。──ふはは! 松山忍者、相手にとって不足ありあり!」
大洲忍者であった。その面々の中には、同じ大洲忍者たる文之進の知ったる顔も幾らかあった。
「菊地殿ともあろうものが、よもや松山忍者の手先となられるとは」
「大洲忍者も地に堕ちたるや」
そのように云う彼らを睨み、
「地に堕ちたるは、わしではなくうぬらよ!──いち百姓の口車に乗り、藩に叛旗を翻そうなどとはのう!」
と、口上を述べるは、さすがは御庭番衆三番隊隊長たる者。
「大恩ある御殿に叛き、藩に叛くは大罪! 死罪は免れぬであろう!──だがこの菊地文之進、同輩のよしみにて、その罪一等を減じるよう動こう。今ならばな!」
捕縛されたる此の期に及びなお交渉を持ちかけ死中に活路を見い出しにかかるは、見事なるものであったと云えよう。
しかしながら、
「ふははは! 大洲藩何するものぞ!」
「罪一等を減じる?──我らがそのようなもの、なんで恐れようか!」
「菊地殿は我らの首の心配より先に己の首の心配をなされい!」
と、聞く耳もたぬ。
「ぬうぅ……わからぬ。なにがうぬらをそうさせたか! うぬら、狐狸にでも誑かされたか!」
「──誰ァれが、狐狸じゃあ……?」
玄関口より声ぞする。──その声に文之進は聞き覚えがなかった。
「むうっ!? 新手の忍びか?」
「否! このような声の忍び、我が藩にはおらぬ!」
忍者の声でもなければ、大洲藩士の誰ひとりとしてのものでも断じてないものにあった。
「何者か!」
「名を名乗られい!」
「何奴か!」
縛られたままに叫ぶ伊豫忍軍組頭に向けて、その声の主は名乗った。
「わしか?──ふふ、わしの名は、寝所鷹蔵。──そこにおる、蜜右衛門の弟様よ」
寝所鷹蔵! この者が一揆の首謀者!──なるほど兄弟だけあって、その顔は兄蜜右衛門によく似ていた。双児であるかと一見、見紛うほどに。だが白髪まみれで脂の抜け返した兄に対し弟たる鷹蔵は、墨を塗ったように黒々とてらてら輝く髪と、松脂油を塗り込んだようにぎらぎらと輝く肌色。
5歳から10歳は、若くみえた。
さながら、兄より精気を吸い取ったかのごとし。
「なにぃ……」
「うぬが!」
「百姓風情が無礼じゃぞ! 早うこの繩を解けい!
八九郎に向けて鷹蔵、
「いやだね」
と、ただひと言告げると、彼らのほうを見もせずにそのまますたすたと、草鞋のままにて畳に上がり──
「兄者、ご苦労。──厄介者どもを未然に捕らえることができたも、すべて兄者のはたらきじゃ。──礼を云っておくぞ」
衝撃の言葉が、鷹蔵の口より語られた。
「何ィィィ!? こ、こらァ蜜右衛門! うぬは蟲も殺さぬような面をしながらその実、肚の中ではちろちろと蛇舌を出しおって、この菊地文之進良勝を謀り、罠に落としおったかーーっ!」
文之進の血が沸騰した。無理もないこと。ここまでの愚弄をやってのけられて、冷静さを失わぬ者がどこにいようものか。
「お、お待ちくだされ菊地殿! こ、これには!」
何やら蜜右衛門が申しておったが、その言葉は文之進の耳にも、伊豫忍軍組頭衆の耳に届いたかどうかはわからぬ。
蜜右衛門がお待ちの『お』を述べたかどうかのところにて、
「連れてゆけい」
と、鷹蔵より指令が下り、
「はっ!」
と、総勢12名の忍者どもが一斉に声を揃えて返事をしたがためにある。
しかしもうひとつ──
「お、おのれ口惜しや……許さぬぞ寝所兄弟! そして裏切者の忍びども! この菊地文之進良勝、この生命に替えても必ずやうぬらひとりとして残さず、厳罰に処すよう殿に申し上げる! ひとり! 誰ひとりとして!──墓など残さず、骨も残さず! 灰も残らぬほどに燃やし尽くし、うぬらの名も後世に残さぬようにしてやるわーーっ! 寝所の家、滅したり! 否! この小窪の村の名も、すべて今年今月が人別帳にしるされる最後の時ぞ! あの世で見ておれ、来年の今月今日今宵のこの月を、うぬらの腐血で曇らせてみせ────」
などと、外へ引っ立てられる最中に文之進が大声を張り上げていたがためかもしれぬ。
いとも容易く呆気なくあっさりと流れるような見事さにて、伊豫忍軍が誇る頭衆の半数が敵に囚われの身となってしまった! 情けなや!
この未曾有の危機を、残る半数の知るところか、否か!?
敵陣真っ只中に取り残された三四郎、五郎兵衛、六郎、そしてお千代は無事にここを生きて出られるのか!?
次回、『滅されるべき村』