徳川幕府健在なりや
かつて徳川幕府健在なりし頃、特に元禄期を越えて以降にては、忍者はすでに過去の者となっていた──と云うのが、現在に於ける定説となっている。
その理由とは、泰平の世が現実のものとなり、もはや戦国の世と云うものが過去のものとなったが故、その活躍の場を失った忍者どもはもはや無用の長物となったから──と、云うものである。
なるほどそれはまことのことで、かつては華の都江戸に於いて絶対にして盤石なる基盤を誇っていた伊賀衆たちですら、その地位を紀州より後から江戸へとやってきた御庭番衆に奪われて、元禄期の終わりにはすでに喰うや喰わざるやの冷や飯喰いの生活を余儀なくされていたのは、有名な話である。
かつて江戸城はおろか、江戸八百八町を警備した伊賀衆ですら、その頃にはすでにその警備のお役目の管轄すら自らの屋敷に毛が生えたような狭い範囲となっていたと云うのであるから、なんとも泣ける話ではないか。これでは、まるで自宅警備員である。
──俸禄がもらえるだけマシではあると云えるが、しかしながらそれとてかつてのような、お役目一件につき10両も50両も、ある時には千両も万両ももらっていたような頃とは遠く及ばず、三一……つまり年に三両一分と云った、武士の最低賃金にも等しい額であったのであるから、まあなんと申すか……かつての栄華は過去のもの。強者どもが夢のあと。戦国は遠くなりにけり──と、形容せざるを得ぬ。
しかしながら、例え無用の長物となったとは云え、そう軽々と首を切るような、安易極まる政策に出ることをしなかったのは、さすがは徳川幕府であると云えた。これはお抱え忍者らをただ座して滅びを待つ運命より救う結果となった、たいへん慈悲深いものであると云える。──首の皮一枚でつながったのだ。彼らはその俸禄こそかつてとは比べ物にならぬすくないものとなったが、それでもなお喰い扶持は保証されていたのであるから。主を持たぬ忍者集団に比べれば、遥かにその身の安定は盤石なものであった。
主を持たぬ忍者らと、主持ちの忍者集団、『忍軍』との差は、ここに大きなものとなった。かつて主持ちの忍者は身の安定と引き換えに自由を失った腑抜け者と呼ばれていたが、今やその安定が彼らを奈落への落下より守る網となった。主を持たぬ忍者らはやがてことごとく路頭に迷い、浪人となって四散した。盗人となる者、物乞いとなる者、やくざ者の用心棒となる者、或いはやくざそのものとなった者──いづれにせよ、碌な暮らしではない。主を持つ者と持たざる者との地位は、今ここに逆転したのであった。まさに一寸先は闇。何が起こるかは、誰にもわからぬのである。
だが、忍軍とて必ずしもよい暮らしであったかと申せば、それは一概にそうとも云えぬ。例えば先ほどの伊賀衆などは自宅警備員生活を余儀なくされており、それと対照的に御庭番衆などは将軍のお側に仕えると云ったたいへん名誉ある地位にあったのであるから、これはもう天と地ほどの差が両者の間にあった。──そう、彼らの地位には、それぞれに大きな差があったのである。
大きな差があったのは、何も江戸表に限ったことではない。諸国にてもまた同じ。例えば会津藩などは、親藩でありながら忍者らを軒並み解雇するに至ったし、対照的に長州藩などは、その領地たる長門・周防二ヶ国合わせて29万8480石2斗3合しかない貧乏藩にもかかわらず、200万石相当の忍軍を保有していた。──もっとも、そのような大規模な忍軍をとても藩の財政で養いきることは不可能であったが故に、忍者らの暮らしはまさに困窮を極めており、副業にて口を糊していたのであったが。
さて、この日ノ本の國に於いて、もっともよい暮らしを送っていたのは、どこの忍者であろうか? なるほど、それは御庭番衆であろう。これがもっとも裕福な暮らしをしていたことには疑いの余地はない。何しろ将軍様お抱えである。
次点は、加賀忍軍であろう。100万石と謳われたその豊富な石高は、充分に忍者らを養う余裕があった。
その次は──と訊かれると、これがむずかしい。薩摩忍者は暮らしは厳しいが、しかしながら喰うに困るほどでもなく、甲賀衆は相も変わらぬ暮らしを送ることができていたし、根来衆とてまた同様。雑賀衆は百姓暮らしが板について幾久しいし、奥羽衆など風魔の残党と合流し、自給自足の悠々自適生活を送っていたのであるから、これはもうどれがよいのかわからぬ。
そのような、比較的安定した忍者集団のひとつが、伊豫忍軍である。伊豫松山藩に仕え、15万石と云う比較的小規模な主家なれど、その暮らし向きは決して貧しいものではなく、かと云って盤石とも云い難い。──そのような集団であった。
これよりはじまるは、そのような忍者たちの物語。
平安期に端を発し、河野家、加藤家、蒲生家、そして徳川の一族たる久松松平家と主家を変えながらもその忠誠を尽くして代々仕え、伊豫松山のご城下の治安と平和を守るために日々努力精進し、そして働き戦った忍者たち──
そのような彼らの生きた様を、今ここにしるすものとする。
伊豫國は松山に、奇怪な事件が頻発す! その中には町方の手には負えぬものも多々あった。
それらを、密かに闇のうちに解決するは、我らが忍者、伊豫忍軍の面々であった!
かつての戦いが、今ここによみがえる!『忍法血風録』これより開幕!