2 帰還
そびえ立つ塔と風になびく赤い旗は、三年前までの記憶と変わらない姿でリュシアンを出迎えてくれた。
馬を下りて門番に挨拶し、城門をくぐると、前方に誰かが立っている。
「リュシアン」
泣き笑いのような表情を浮かべてこちらを見ているのは、王子エミールだった。
「エミール様」
「おかえりなさい」
駆け下りて来たエミールは、まるで子供のように飛びついて来た。
「おかえりなさい……待ってたんだよ、ずっと」
リュシアンはよろめき、馬の横腹にぶつかった。
エミールの体は、もう子供の重さではなかった。
「あ、ごめんなさい」
気付いたエミールが赤くなりながら、慌てて離れる。
「お元気そうで何よりです」
リュシアンは笑いながら言った。
「だいぶ背が伸びたのですね」
エミールは「何年会ってないと思ってるの」と呟きながら苦笑いした。
呆れたような口調に、以前と変わらぬ王子の様子を見て、リュシアンはほっと胸をなで下ろした。
改めて見るエミールの姿は、三年前よりも体付きがしっかりし、顔の輪郭もすっきりと大人びて来たように思える。
成長途中の少年にしては少し大きめの瞳が、まわりのあらゆる光を映して煌めいていた。
ほんの少し翳りのある顔付きが、彼がいずれ国王になる者としての道のりを着実に歩み進めているのだということを窺わせた。
「エミール様。国王陛下やアデル様は……」
リュシアンがそう言いかけると、昼下がりの陽光を遮って誰かの影が地面に落ちた。
「エミール様、こちらにおいででしたか」
見上げると、エミールが最初に立っていた場所に、いつの間にかすらりとした長身の男の姿があった。
男は、身なりはいいが切れ長の目を鋭く光らせ、氷のような固い表情をしている。
「ドミニク……」
リュシアンは呟くように言った。
「久しいな、リュシアン」
男は抑揚のない声でリュシアンの名を呼んだ。
その男――ドミニクの顔には、この真夏の陽気の中にあっても汗のひと粒も見当たらない。
両手を覆う白い手袋が、その姿を異様なものに見せているようだった。
優雅な身のこなしには一切の無駄がなく、ドミニクはほとんど足音を立てずに歩み寄って来きた。
そして、流れる水のように自然な動きでエミールの隣に立った。
ドミニクはリュシアンを一瞥すると、冷淡な言葉を投げかけて来た。
「傭兵風情が何の用だ」
リュシアンは返事に詰まった。
歓迎されていないのはわかっている。
三年前、騎士団長という地位にありながら、誰にも相談せずに突然この城を出て行くと決めたことは事実なのだ。
そして、騎士団の中でただ一人、ドミニクだけは最初からリュシアンを認めていなかった。
貴族出身の彼は、生まれも育ちもまったく異なるリュシアンが騎士団の長であることを、快く思っていない。
それは、彼のあからさまな言動を見ていれば誰でもわかることだった。
切れ長の目から向けられる敵意の眼差しは、以前と何も変わってはいなかった。
「お前など必要ない」
ドミニクは腰に差した美麗な装飾の剣の柄に手をやった。
「ここにはお前の居場所など、とうにないのだ」
リュシアンは何も言い返さなかった。彼の言うことが正しいと思った。
ドミニクの武術の腕前は群を抜いて優れている。
だが貴族としての気位が高く傲慢な態度で、荒くれ者も多数いる騎士団の面々とぶつかることがよくあった。
その度にリュシアンが仲裁に入っていたのも、もう懐かしい思い出だった。
「そんな言い方しなくても……」
「いいんですエミール様。ドミニク、すまなかったな。俺がいない間、お前ならしっかりやってくれると思っていた」
ドミニクは一瞬燃えるような目でリュシアンを睨んだが、すぐにふい、と顔を逸らした。
「さ、さあリュシアン、父上と姉上もお待ちかねだよ。行こう」
エミールに促され、リュシアンは王宮へ向かった。
ドミニクは少し間隔を空けてついて来る。
広大な敷地内は、夏の緑に溢れていた。
細くまっすぐに伸びる木々の間に、石畳の道が続く。
礼拝堂を過ぎ、綺麗に整えられた花壇と噴水のある中庭に入ると、その向こうに王族や貴族達の住まう王宮が見えた。
リュシアンは歩きながら目を細め、遠くからでもわかるほど壮麗なその宮殿を見つめた。
理性とは裏腹に、この日を何度も夢に見た。
王女アデルの姿は三年前のまま、リュシアンの心に焼き付いていたはずだった。
だが今は、いくら思い浮かべようとしてもできない。
期待と不安は徐々に増している。
リュシアンは気を引き締めて宮殿を見上げた。