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9/11

19××年 ○月Ф日

私は初めて雑魚寝というものをした。

寒かったりノミやらがいたりしたけれど、疲れていたので結構眠れた。

私が目覚めると、少年はもう起きていて、彼の母親の遺体の傍にいた。

人が1人何とか埋まるくらいの穴は、昨日のうちに掘り終えているので最後の会話をしているのだろう。

私は邪魔をしないようにその場を立ち去ると、外に出た。

朝の空気は冷たく、まだ東のほう地平線あたりに見える太陽は、相変わらず直視できないほどに眩しい。

まだ眠気のモヤがぼんやりとかかっていた頭がすっきりする。

そろそろ、次の街を探さねば。あの少年も連れて。

きっと、この村にはろくな食べ物も残っていないだろうから。

私はあてもなく散策してある程度時間をつぶしてから、少年の下へ戻った。

母親との会話を終えたらしい少年は、けなげにも台所に立って料理をしていた。

なにやら香ばしいスープの香りがする。


「何を作っているの?少年」


母親のことには触れずに、台座に立って鍋をかき混ぜている少年の隣から鍋の中を覗き込む。

豆のコンソメスープだ。

よくもまあ、コンソメなんてものがあったものだと感心する。

鍋の横には小さいながらもパンまであった。

豪華である。戦時にしては。

開戦して、戦いが激化してから食料や一部の娯楽品などは配給制になった。

私がいた教会なんかにはそれなりの配給があったが、

貧困層や田舎のほうの農村部はそれすらも満足ではないと伝え聞いている。

母親への弔いもかねているのだろう。


「美味しそうだね」


砕けた口調なのは、多分きっとこの少年には素をさらけ出せそうだから。

少年は、こくりと頷いて火を止めた。

それから、私に器を2つとってこさせてスープをよそおう。

「食べ終わったら、埋めるの、手伝ってくれるか?シスター」

食べながら、少年はそんなことを言った。

いわれるまでもなく手伝うつもりではいたので、頷く。

まさか、ここまでしてもらって逃げるわけにも行くまい。

私はそこまで冷酷非道な人間じゃない、と思う。うん。

それにどこで誰が見てるかわからないし。一応シスターだし。

尼服なんて着るもんじゃないな…。


「料理上手だね、少年。お母さんに教えてもらったの?」


沈黙が重くて、私は口を開く。

少年はパンをちぎってはスープに投げ入れながら、うんと頷いた。

「俺の母さんすっごい料理上手だったんだ。父さんも母さんの料理が好きだから結婚したって言ってた。

よく親戚とか知り合いとか呼んでパーティーとかしたんだぜ?」

「へぇ。いいですね。私は……そういうことしたことないから、憧れます」

「へへ、いいだろ?シスターも今度呼んでやるよ。母さん直伝の料理を食べさせてあげる」

「うん、楽しみにしてるよ、少年」


中身のない空っぽの会話。

他愛のないことだから、私たちは喋れる。

口約束だってできる。

実現しないからこその、この会話だけれど。

こういった希望でも持ってないと、きっと私たちは立っていられない。

食べ終わった私たちは、早速少年の母親の埋葬に取り掛かった。

彼女の身体をシーツに来るんで、2人がかりで運ぶ。

戦争のせいで食料が配給制になり、がりがりにやせこけていた彼女は、それでもとても重かった。

まったく支える力のない人間の体重というのは想像以上に重い。

思えば教会を追い出されてから肉体労働が続いている気がする。

いや、教会にいた頃も後半は結構肉体労働があったな……。

あーあー。こんなにたくましい二の腕になってしまって。ボディービルダーでもやれそう。

ちょっと誇張しすぎだけれど。

墓穴に少年の母親を横たえたときには、私たちはものすごい汗をかいていた。

ついでに、憎らしい太陽は嘲笑うかのように真南にいる。

くそっ、腹立つ。太陽なんて嫌いだ。

憎憎しい。なのに、目が潰れるので睨みつけることすらできない。

むかつく。

そんなところで全部見て、なのに私たちが見ることができないなんてすごく不愉快だ。

子供の理論だけど。

いかんいかん。今は埋葬に集中しよう。さすがに、失礼だ。

軽く頭を振って思考を切り替える。

私と少年は柔らかい土を丁寧に手で遺体にかけてやった。

本当はシャベルでやったほうが早いけれど、ちょっとでもお別れの時間を長くするため。

ただの感傷でしかないけれど。

それも、私の自己満足の。少年がどう思ってるかなんて知ったこっちゃない。

やがて、埋葬が終わって、簡単にそこらへんに落ちていた枯れ木で作った墓標に少年は言葉を刻む。

彼の隣で、私は見よう見真似で覚えていた司祭様が語っていらっしゃった聖句を唱えた。

所々間違っているかもしれないが、これで勘弁して欲しいと思う。

戦争が終わって、私が生きていたら、ちゃんと聖句を覚えて墓参りに来るから。たぶん。

いけない、どうも昨夜から自分は感傷的になりすぎだ。

しかも少年に対してむしょう甘い。きっと彼の前でおお泣きしてしまったから。


「さて、少年。これからどうする?」


一通りのことを終えて、私は立ち上がりざまに少年に聞いた。

私に背を向け、母親の墓標の前で膝を抱える少年は答えない。


「少年」


答えを促すように呼びかける。

私自身、ここに長居するつもりはなかった。

この村の有様と、少年との出遭いの際の少年の追いはぎまがいの行為を鑑みるに、

おそらく食料はほとんど残ってはいまい。

ジープから食べ物を漁ってこればよかった、と今更ながらに後悔。

まあ、燃えてしまっていただろうけど…。脱出するときは食料どころじゃなかったし。

あぁ、あの干し肉と乾パンが懐かしい…。

あまり好きじゃないけど。


「出て行くんだろ?シスター」


ちょっと過去に浸っていた私は、危うく少年の言葉を聞き逃すところだった。

マッハで現実軸に駆け帰る。


「え、あ、はい。そうですね。出て行きますよ」

「俺は、残るよ。だって、こっから隣の街まで結構距離あるし。たぶん俺はたどり着けない。

それに、ここには母さんがいるし、戦争が終わったら父さんもみんなも帰ってくるから……」

「…………」


一緒に行こうと無理にでも誘うべきなのだろうか。

少年の丸まった背中はとても拒絶的で、何も聞きうけてくれそうにないけれど。

それでも、ソレがシスターとしての正しい在り方だと思うから。


「少年、一緒に行こうよ」


私は誘ってみる。

少年は振り向きさえしない。

達観して、悲観的になっているな、この少年。

悲劇の主人公など十分だ。

戦争が起これば誰もが悲劇の主人公で、ほんのほんの一握りの人間だけが英雄になる。

馬鹿みたいだ。悲劇がなんだというのだ。

悲劇に陶酔するなど、現実逃避でしかなくて……自己満足でしかない。

あぁ、そう考えたら自己満足ってのも他人様に迷惑をかけるものじゃないか。

はっ、と苦笑する。

それから、私は深呼吸して心をなるたけ穏やかにして少年の隣にしゃがみこんだ。


「行こうよ、少年。戦争が終わってから戻ってくればいいでしょ?」

「……ダメだよ。戦争が終わるまでここを守る奴がいない。戻る場所がなかったら

父さんだってみんなだって困るだろ?だから俺が守るんだよ」


10にも満たない子供の癖に。

でも、確かにこの少年の瞳は本物で。

だから私はそれ以上何も言わない。

無駄な努力はしない主義。

何より、何より面倒じゃないか。

こうして、ちゃんと覚悟した人間を説得するなんて面倒なこと、私はしたくない。

金をくれるとかいうのなら考えるけど。

こう考えてしまう私はすっかり庶民。貧乏臭い。

何が悲しくて名家のお嬢様をやってた私が、こんな性格になりゃならぬ。

世の中間違っている。

べつにこの思考が他人にどう思われようが知ったこっちゃないが。

そもそもこの村には私たち2人以外にいないのだし。

少年の母親はもう死んでいるのから除外。死人にくちなし、だ。

しばらく、2人で墓標を眺めてから、私は立ち上がった。

すでに太陽は傾きかけている。


「じゃあね、私はそろそろ行くよ。隣街って、どっちに向かって歩けばいい?」

「西」

「太陽が沈むほう、か。何日くらいかかる?」

「女の足だと3日とちょっとほど。なあ、無謀だよ、シスター。水も食料も持ってないんだろ?」

「んー……そうなんだよねぇ。まあ、水はそこの井戸から拝借するとして、

食料は……適当にサバイバルでもするよ」


幸いなことに、昔取った杵柄とやらでサバイバルには慣れている。

淑女の身にはいつ何が起こるかわからないからソレくらいの知識はつけておかねば。

そこ、絶対に要らないとか突っ込まない。現に今必要になってるだろうが。

少年は呆れたように私の顔を見上げた。

一桁の歳の少年に呆れられる18の私ってどうよ。

しばし、考えるように視線を彷徨わせた後、少年は立ち上がった。


「シスター。ちょっとだけど、食料分けてやるよ。どうせ、俺はそんなに食べないし。

豆の種とかもちょっと残ってるからここで育てられるしさ」


育ち盛りが何を言うか。というか、今から種を植えて実がなるまでに何日かかると思ってるんだ。

大体、ここの土地はどう贔屓目に見ても肥沃には見えないぞ?

変な気を回しすぎだ、この少年。

どうして、そうも私に親身になる。

もしかして惚れられ!?

…………………。

…………………………。

…………………………………。

寒すぎる。冗談でも寒い。心の中だけ氷河期が到来した気分だ。

馬鹿なことを考えるのはよそう。うん。ふざけてても心が寒くなるだけだ。

すでに懐は極寒を通り越して、虚無感しか感じないというのに。


「どうしたんだ?とっとと行かないと、日がくれるぜ?」

「え、あぁ、はいはいはい。そーですね。日が暮れます。日が暮れたら魔物が」


どこの世界だ。く、本格的に私の頭おかしいぞ!?何だ、これは。

何が起こっている私の頭。いつからおかしくなった……っ。ついでに思考時の口調もおかしい!

地雷で吹っ飛ばされたときにネジを何本かなくしてきたようだ。

なんて馬鹿なことを思考しているうちに、少年がいくつかの保存食料を持ってきてくれた。


「シスター、これ少ないけどお礼。ありがとな、母さんを弔ってくれて」


そんな真摯なお礼をされると、私の良心がものすごく疼くのですが。

適当にやらなきゃよかった。後でもう一度墓参りくらいには来ようと決心する。

私の家から遠くなければ、だけど。

私はありがたく少年から保存食料と、私の唯一の持ち物であり

この少年と出会うきっかけとなった救急箱を受取る。

それから、最後に、本当に最期に同じ質問を繰り返した。


「少年、一緒に行こう?」


結果は言わずもがな。


「じゃあな、シスター。また会えるといいな!」


村の出口まで私を見送ってくれた少年は、そう言って笑いながら手を振ってくれた。

私も答えて笑顔で手を振り返す。

それから、私は歩き出した。

西へ。

直視することのできない太陽の沈むほうへ。

何回か少年のほうを振り返ると、少年はまだ手を振り続けていた。

だから、私も手を振りかえす。

それから、少年のことは心から振り切って私は大股に歩く。

荒涼とした大地は、まばらにしか草が生えていなくて、私は生きていけるか微妙に不安になった。

瓢と風が大地の上を踊る。

夜は冷えるから今夜は寝ずに歩かなくちゃな、と覚悟を決める。

深とした静寂は、生き物の気配をほとんど感じさせない。

まるで世界に置いてきぼりにされたよう。

しばらく歩いて、不意に私は立ち止まった。

背後、鳥たちの羽ばたきが騒がしい。

まるで何かに怯えて逃げてきたかのように、私の背後から近づいてくる。

振り返ると、トーンと変な音が聞こえた。

微かに響くソレは、私が聞き慣れた、そして覚悟していた、音。



「――馬鹿だ」



どんな思いであの少年は己に銃口を向けたのだろう。


「パーティーに誘ってくれるんじゃなかったのかな?少年」


溢れる思いは、言葉にしないと心が崩壊してしまいそう。


「馬鹿だな。私。最低だ、ホント、最低の大馬鹿」


溢れる涙が止まらない。

誰もいないから気兼ねなく大声で泣けるのは嬉しい。

涙は拭わず、流れるままにしておく。

止めていた足を動かす。西へ。


あの少年が死ぬ気であることくらい、すでにわかっていた。

だから、私になけなしの食料をくれたのであろう。

ちゃんと、私は誘った。自分と一緒に来ないかと。

少年は自ら拒絶したのだ。私は悪くない。

たとえ、彼が自ら命を絶とうとしていたとわかっていても、彼がその道を選んだのだから…。

だのに。


「なんなんだろうね、この罪悪感」


まるで足枷のようだ。

わかっている。

本当に少年を思っているのならば、無理に引っ張ってでも連れてこればよかった。

でもそうすれば、共倒れになるのは目に見えていたから、私はあえて少年に尋ねたのだ。

卑怯だと思う。

彼が拒否するのを見越した上で、答えを承知した上で尋ねた私はこの上もなく卑怯で、

生きる価値なんて見出せないほどに最低だ。

わかっているけれど、私は私が大事だ。

自分に素直に生きているだけだ。

……あー、開き直り。んでも、どうしろというのだ。

護身用に、なんてもっともらしい理由をつけて銃を奪ってこればよかった?

否、命を絶つ方法などいくらでもある。

それでも、それでも、銃を奪ってこなかった自分はなんだというのだろうか。

あぁ、もう思考がぐちゃぐちゃだ。

今自分が考えていることが、まるで違う自分が考えているように希薄に感じられる。

これ以上思考を続けたら、加速しすぎてどこかで事故を起こす。

だから、私は思考を止める。

都合のいい、保身的な理由だけれど。

もう、あの少年はいないのだ。


そう――



 

                  今更の話。


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