19××年。○月▽日
19××年。○月▽日
私は力尽きていた。
というか、死ぬ。これは死んだほうがマシ。真剣にやってらんねー。
私はシャベルを柔らかくなった地面につきたて、柄に寄りかかり大きく息を吐いた。
すでに周りは闇に沈んでしまい、ぼんやりと浮かび上がる泥まみれの自分の手くらいしか見えない。
ちなみに目の前には、私の周りにあるよりも深く濃い闇を擁した深い穴。
穴掘りがこんなにも大変とは……。
教会が地盤沈下を起こさんくらいの勢いで、墓穴を掘り続けていた人たちはつくづく偉大だと痛感した。
まあ、男と女の体力と筋力の差とかもあるんだろうけど。
だいたい私のような、箸より重い者を持ったことがないような淑女向きの仕事じゃないしコレ。
あー、それにしてもやってられない。
思わず私は空を仰いで、大きく息を吐いた。
光がないせいか、夜空に浮かぶ星の数はいつもより格段に多い気がする。
遠くのほうで赤い星が瞬いた。
なんて星だっけかと、半ば逃避気味に思考を巡らせてみたが、脳のほうは相当にガタが来ているようでなかなか名前が出てこない。
うんうんと空を見上げたまま唸っていると、スイっと光が夜空を横切った。
一瞬UFOかと期待してしまった私は、なんと言うか色々と救いようがない気がする。
考えるまでもなく流星だろうに。
「シスター」
「うぉう!はいはい、なんでしょう?」
振り向けば、ランプを手に持った少年が立っていた。
薄汚れたボロ布を纏った彼の姿が、茫とランプに浮かびあがっている様はまるで幽霊。
ハッキリ言って怖い。怖すぎて失禁する。いや、さすがにそこまでは…。だいたい、女として人類として哺乳類として霊長類として知的生命体としてそれはかなりものすごく恥ずかしいし・・・。
少年は疲れた顔に、穏やか過ぎる笑顔を浮かべて言った。
「ん、いや……疲れただろ?今日はもういいよ」
小さな子供の癖に、なにを達観した笑みを浮かべていやがるんだか。
思わず私は少年の頭に手を伸ばしぐしゃぐしゃとかき回してしまった。
なぜかって?
人間そんな細かいことにまで理由付けしてちゃ生きていけねぇぜ。
ただなんとなく、それだけの理由だと思う。
大体生きていること自体がなんとなくなんだし、私。
それをやれ意義のある人生にしろだの、後悔のないように生きろだの、笑って死ねるように頑張れだの鬱陶しい。
一通り少年の髪をかき混ぜて満足した後、口を開く。
「いえいえ、そんな。早く安らかに眠らせて差し上げたいですし。ちょっと休憩してただけですよ、休憩」
言って、シャベルを振り上げざっくりと穴の中に突きつける。
ぶっちゃけると、この少年の母親をとっとと埋葬したいのは、単に腐敗臭がいやなだけで、さっき言った言葉に本心はほとんど入っていない。
まぁ、でも、うん。嘘は言ってないし、いいよね。本当のことを言ってないだけで。
沈黙を紛らわすためにザクザクと必要以上に音を立てながら穴を掘る。
ランプに照らされた穴は、私が思った以上に浅かった。
かれこれ数時間も掘っているというのに。そんなに私を過労死させたいのか。
明日は筋肉痛決定じゃないか。
ザクザクザクザク。
だんだん腹が立ってきたので、にっくき敵を八つ裂きにするつもりで土を抉る。
私の殺気を感じたのか、たじろいだように少年が一歩後退した。
沈黙が降りる。
ザクザクザクザクザクザクザクザクガキッザクザクザクガッガッガッガッザクザクザッ。
だんだん土を抉る以外の音が混じってきている気がするが、疲労から来る空耳ということにしておこう。
あ、少年がまた一歩後退した。とっとと、母親のところに戻ればいいものの。臭いだろうけど。
さすがに勢いよく掘りすぎたようで、腕が上がらなくなってきた。
逆に息のほうが完全に上がっている。忌々しい。
ザックリと墓標のようにしゃべるをつきたて、しんど、とシャベルに寄りかかるようにして座り込む。
「うわ、シスター大丈夫か?」
「あー、だいじょう…ぶじゃないかもしれない」
まあ、喋れるだけマシだろうが。
恐る恐るという風に少年がやってきて、隣に座り込んだ。
べつにいきなりシャベルで襲い掛かって喰いやしないのに、ちょっと私と彼の間には距離がある。
誰のために穴掘ってると思っていらっしゃりやがるんでしょうかこの臆病者は。
どちらにも他人の顔を観察する趣味はないので、2人して逃げるように夜空を見上げる。
赤い星がまた瞬いた。
本当に、あれはなんと言う星だったのであろうか。
「戦争が始まってからだよ、あの熒惑が瞬きだしたの」
私の心を読んだかのように少年は答えをくれた。
「不吉だよな」
「不吉ですね」
「なあ、あれがさ、瞬かなくなったら戦争終わるかな」
んな馬鹿なと思ったが、頷いておいた。
蛍惑。戦乱などの不吉の前兆となる星。そんなふうに言われているけれど、そんなこと誰も信じてはいない。
だって、それは神様と同じくらいに不確かで不透明なものだから。
ただ偶然が重なって出てきた、偶像にすぎないものだから。
なんつって、かっこつけていっても誰も聞きゃしねぇ。ただの自己満足。
でも、もしも、本当にあの星が瞬かなくなって戦争が終わったりしたら、あの星は本当に不吉な星となるのだろうか。
否、そんなことなりはしない。
この大戦が終結しようと、争いがなくなることなんてないのだから。
「少年、キミはあの星が嫌い?」
「うん。俺の母さんが死んだのも、父さんが母さんの傍にいてやれなかったのも、この街のみんなが出てったのも全部戦争のせいだから」
「そっか。うん、そうだね、戦争のせい」
「俺、わかってるよ。あの星が悪いんじゃないって」
「うん」
「わかってる、わかってるけどさ、嫌いだ。あの色」
血色緋色赤色。
不吉に瞬く赤い星は、周りの星より一際明るく感じられる。
まるで、誰かの眼のよう。
世界を覗き込んでいる誰かの。
今日の夜はなんだか変だ。
思考がいつもの自分じゃない。
たぶん、死を内包するモノが傍にあるせい。
どうしようもなく感傷的で、どうしようもなく涙もろくなっている。
「少年」
「……なんだよ、説教かよ」
「違いますよ、私はそんな立派じゃないですし」
ってか、教会追い出されたし。自殺しろっていわれたもんな、うん。
あの虫唾が走る笑顔を思い出したら、拳を握ってしまう。やっぱりあの笑顔は最強兵器だ。
きっと調停にでも入れば戦争はなくなるんじゃないだろうか。あの人の性格+笑顔+その場の空気をまったく読まないマイペースでいけそうな気がする。
もしも感動の再開なんてした日には、速攻で逃走してやる。
もちろん一発殴ってから。
っと、思考が脱線してた。
少年が訝しげにこっちを見上げている。
私は「はは」と愛想笑いを浮かべ、言葉を紡ぐ。
一応シスターらしくなるように。
「違う考え方をしましょうか、少年。あの星が戦争が起きてから瞬くようになった理由」
「違う、考え方………」
「そうですよ。あの星が何故赤い光を放っているのか、とかね。私はね、こう思うんです。
あの星が瞬くのは、誰かが瞬きしているからじゃないかって。あの星は赤い目で、瞬く光はこの星の光が眩しくて汚くて見ていられなくて、それでも見たいから……」
だんだん何を言っているのかわからなくなってきた。
寧ろ今喋っているのは私か!?口だけ誰かに乗っ取られているんじゃなかろうな。
ありえないけれどありえそうな気がする。
なんか色々と不安だ。
時折、まともじゃない人が最後の最期にまともなことを言って死ぬような物語とかあるし。
もしかして、私は明日死ぬんじゃ……ッ!え、いや、そうしたら私は自身がまともじゃないってことを認めることになるんだけれど、いやいやいやいや、私は極々普通のまともな淑女だって。波乱万丈の人生だったけれど。
じゃあ、大丈夫?うん、大丈夫。大丈夫大丈夫。とりあえず、少年が珍獣でも見るような目で私を見つめているので、思考を中断して話を再開する。
予断だけれど、人間、喋っている間の思考は停止しているらしい。
「つまりですね、私は思うんですよ。あの星には死者たちが宿っているんじゃないかって。だって、ほら、戦争が始まったらたくさんの人が死、じゃなくて亡くなるでしょう。それに、あの星の光が赤いのももしかしたら、死者たちの魂の色なのかもしれないですよ。私たちの中に流れるものと同じ色をしてますし。 ――だから、私はこう思うことにしてるんです。あの星に宿って死者たちはこの星に残っている人たちのことを見ているんじゃないかって」
見ているだけでなんもしてくれないけど。
それでも、多分そう思うだけで少しでも悲しみは和らぐと思う。
いや、和らぎはしないか。ただの自己満足の産物なんだし。
まあ、それでもいいと思う。私なんて自己満足で生きてるんだし。
「そう思ったら、少年、悲しくなんて、憎くなんて、嫌いにだなんて、ならないでしょ?」
「………うん。おれさ、なんかシスターのこと見直した。シスターらしいよその考え」
「あはは、ありがとうございます」
どう見てやがったんだ、少年!
ちょっと拷問でもして問いつめたかったけれど、それでは私の株が一気に下落する。
ってか、人間としてやばいのね、それは。
「うん、俺、好きにはなれないけどさ、嫌いにもならないよ。あの星には母さんがいるんだもんな」
「ですね」
単純ながk じゃない、子供だ。
単純な少年は好きだ。扱いが楽で。
それになにより、自分の考えに賛同してくれて嬉しいし。
あの人の訃報を受けたのは、いつだったか。
お偉いさんとして戦場に出向いて、手紙の1つを寄越すことなく勝手に私の許可なくさっさと死にやがった
損傷の激しい遺体との対面もなく、ただ唯一再開できたのは彼が持っていた写真と指環とだけ。
あの人と一緒に写真を撮るのが恥ずかしくて、素直になれたことが一度もなくて、だから彼が持っていたのは、本当に幼い、婚約なんて夢にも思っていなかった私を彼が抱いて写っている写真だけ。
その写真を見たとき、私は死ぬほど後悔して、写真を渡してくださった両親の前で大泣きしてしまった。
人前で泣くなんて、絶対にしたくなかったのに。
あの人の訃報を受けたときも、部屋に戻ってから泣こうって決めてたのに。
本当に馬鹿だな。うん。自分は途方もなく馬鹿で素直じゃなくて天邪鬼で捻くれてて、だから後悔ばかりした。
もう今更なお話。振り返ったって何の得にもならない。
「シスター?」
「へひゃいっ!なんすか、少年?!」
「泣いてんの?」
「へぁ」
うわ、マジだ。マジで泣いてる。
くっ、だから夜は嫌いだ。
感傷的になる。
人前で泣かないって決めただろうに。馬鹿だろ、私。
乾いた土がこびりついたてで、目から溢れる水を拭う。
ざらりとした土の感触。
不意にランプが消えた。
少年が吹き消したらしい。
「あのさ、あのさ。俺、なんも見てないから」
「………」
ふき出してしまう。
こんな餓鬼に気を使わせてしまった。
まだ10にも満たないくせに何を生意気なことを言っているんだか。
でも、ありがたい。
だから私は甘えることにして、好きなだけ涙を流す。
嗚咽が止まらないけれど、少年はきっと耳を塞いでくれていると思うから。
――蛍惑がひときわ明るく瞬いた。まるで、泣かないでと、あの人が困った笑顔で頭を撫でてくれたように優しく。
きっとこれはただの自己満足な思い。そんなことあるわけない。
けれど、そう思ってもいいじゃない。




