19××年 ○月×日
19××年 ○月×日
カーン カーン カーン
鐘が鳴っている。
教会に深く響き渡るソレは、もうすでにBGMと化してしまっている。
私は暗鬱なため息をついて、気合を入れるために両頬を思いっきりひっぱたいた。
「痛……ッ」
予想以上に強く叩きすぎてしまった。頬がじんじんと痛みを訴える。(真っ赤になった頬は絶対きっちりばっちりばっきりがっつり手形であろう。あ、なんだか自分がすごく間抜けだ…)
若干涙目になりつつ、私は吹き抜けの天井を仰いだ。
鐘が、揺れている。
規則的にどこまでも規則的に、鐘は終わりを告げる。
ある少年の生命の終わりを。
「“ありがとう”のあとが“さよなら”とはね。笑えないわ」
口ではそういっておきながら、私はあはっと小さく笑った。
本当に笑いたくなるくらいに笑えない。
暴走しているのは自分の思考回路か、はたまた感情か。
なんにせよ、頭も心もぐちゃぐちゃである。
とりあえず、私はペンを持って書きかけの報告書に向かった。
(以下報告書の内容を一部抜粋)
同年代の少年が、一度自分の運命にかかわってしまった少年が、笑いかけてくれた少年が、治療してあげた少年が、「ありがとう」と回らない舌で言ってくれた少年が、再びこの場所に帰ってきたのは再開するためではなかった。
(まぁ、再開できるなんて夢にも思わなかったけどね。……しかも、こんな形で)
あまりにも残酷。あまりにも冷酷。あまりにも無常。あまりにも冷徹。あまりにも無慈悲。あまりにも暴戻。あまりにも非道。あまりにも残虐。あまりにも無惨。あまりにも残忍。
あまりにも惨憺。あまりにも……。
苦笑。
何を書いてるんだろうなと思う。
あぁ、もうこんなの報告書じゃねぇわ…。愚痴じゃないのよさ。
いいや、愚痴でいこう。どうせ誰にも見せる気はない。ってか、はなっから愚痴だったし…。もうすでに文語じゃなくて口語で書いてるし。
報告書なんていまさらそんなばかげたもん書かされるこっちの身にもなってみろっつぅの。お堅い司祭様に私ごときの鄙びたシスターが書いた報告書なんて麗しい御眼を汚すだけですわよーだ。
くぁー、なにこの無性に腹の底からわいてくる理不尽などす黒いドロドロとした煙のように実体のない腹立ちは!
大体ちょっと気取って小説風味に書き始めたのがそもそもの間違いだったのよ。
なぁにが、私だ。なぁにが何とかだと思うだ。読み返して馬鹿馬鹿しくなって赤面したわ。報告書以前に日記ですらなく、摂理とか宇宙の法則とかそんなの関係なくこれって文章ですらなくなってきてるわ。
(以下報告書には記載されず)
……………。よし、落ち着こう。まずは深呼吸。
ヒッヒッフー。ヒッヒッフー。
って、あれ、これ違う?
えーっと、そうそう。
スーハー。スーハー。
よし。オーケィ。完璧。私は大丈夫。うん。今はもう腹立ちもないしまともだわ。
ってか、こんなことしてる場合じゃないし。
私は紙に丸く大きなしみを作った羽ペンをペンたてに放り込み、立ち上がった。
そのままインクまみれの手も洗わずに、手近にあったバケツと包帯を引っつかみ扉を開ける。
むわっと襲ってくるのは熱気と血の匂い。耳を劈くような悲鳴に
――鼻が曲がりそうなほどの腐臭。
元修道院はどうやら野戦病院から方向を転換して葬儀屋でもするつもりらしい。
何百という死体が外に並んで待っているのだ。
埋葬されるのを。
気持ち悪いだなんて思っていられない。
いちいちそんなことを思っていたら発狂してしまう。
(あれはただの人形。このにおいは生ごみ!)
最低限の呼吸だけを口でしながら、うめき声のする部屋の扉を開け放つ。
比べ物にならないほどの熱気と血の匂いと悲鳴と腐臭。
それにプラスされて聞こえてくるのは
(相変わらずむかつく音。こんなの子守唄にしたいなんて思ってた私がいたとはね)
「シ、シス、ター…手当てを……腕、腕が、腕がぁあぁぁぁっ」
「っるさい。言われなくてもわかっとるわ!少しは黙って早く楽になるように神様にお祈りなさっては如何?そんな野太い声で祈られても神様どころか天使様にすら届かないかもしれませんけれどね!」
外聞も何もなく泣き叫ぶ大の男の腕を乱暴に取りながら、ふと思う。
親が聞いたら悲しむだろうな、こんな台詞。
もともとは私をたおやかな淑女にするために、強制的に親にここに放り込まれたようなもんだし。
まぁ、野戦病院でたおやかもお淑やかも何もあったもんではないが。
ホント、何やってんだか。
うめく男の手に貪欲に喰らいついている無数の太った蛆虫どもを取り払いながら少女は遠い地に思いを馳せる。
父様、母様、兄様。私は結局あなたたちが望むような良家のお嬢様には到底なれませんでした。
寧ろ、こんな大の男に向かって素敵に罵倒できるほどのボキャブラリーと度胸を身につけてしまいました。
これも試練なのでしょうか、神様…!




