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19××年 某月某日

私は噂好きのおかみさんから、驚天動地な噂を聞いた。

私を追放しやがりくさった教会の噂だ。

曰く、あの教会は邪教集団の集まりである

曰く、あの教会は信者の肉を食べる

曰く、死者の肉体はすべて葬り去られることなく、司祭たちの血肉と成り果てている

とてもじゃないが信じられないものばかり。

人の肉を喰うだなんて、笑えるほどに滑稽なお話じゃないか。

そう正直に言うと、おかみさんは真剣顔で本当のことだよ、と私に囁いた。

なんでも、彼女の知り合いが負傷兵として教会に世話になった際に、人間の肉が食事として振舞われたらしい。

ということは、何か。

あのジープの中でこんがりと焼けた干し肉は人間のものだとでも?

ジョーダンきついぜ、神様。

よかった。ホンッットによかった。干し肉なんて持ってこなくて。役にも立たないと思ってた救急箱抱えて出てきて。

っと、そういえば…。

「負傷兵の方、帰ってきてるんですか?」

「あぁ、そうだよ?何を言っているんだい、あんたは。戦争はおとつい終結したじゃないか」

「なん――ッ!?」

ソレこそ驚愕の事実だ。

戦争の終結、だと。

こんなにも早くあっさりと、終結だと?

ではあの少年は、命を散らしたあの少年はなんだというのだ?

1年にも及ぶ戦争は、丁度教会が私を追い出したあたりで激化したらしい。

そこから、一気に押し込まれ勝敗が決まったとか。

なんというか、本当に滑稽であっけない終わり方。

誰か、誰かあの村に1人でも大人がいれば、何らかの通信手段があれば、あの少年は命を散らす必要はなかったんじゃないだろうか…。

ああ、これも今更な話だ。

後悔では、遅い。

だから打ち切る。この思考はここでお仕舞い。どうせ、答えなどないのだし。

今考えるべきは、私のことなんだから。

「って、え?」

まだ続くおかみさんの言葉に私は耳を疑った。

彼女が口にしたこの町の名前。

ソレはまさしく私の屋敷の管轄ではないか。

ということは、私の屋敷は歩いていけばすぐ近くに……。

私は手早くおかみさんにお礼をいい、足早に町の出口を目指す。

私の家はかなり身分が高いということになっているから、おそらく戦火は免れていると思う。

だから、戦場に行っている父様はともかく、母様と私付の侍女たちは生きている可能性があった。

そして、私が生きることができる可能性も。

戦争に投資していたため、財産がそんなにあるとは思えないが、前のような暮らしなんてしたいとは思わない。

ただ、会いたい。

だから、私は足早に屋敷を目指す。

会って、どうしよう。

ついたときに、再開できたときに考えればいいことだ。

もはや、早足というよりは走るような勢いで私は一直線に屋敷があるほうへと向かった。


―――


やがて、太陽が長い影を作り出す時間帯。

私はようやく屋敷を視界の範囲内におさめていた。

もうすぐ、会えるのだ。

この2年間会えなかった家族に。

走ったせいだけではないだろう。心臓の動悸が激しいのは。

完全に日が暮れ、夜と呼べる時間帯。

人工的な森を抜け、私は屋敷の門の直前まで来ていた。

そこに、人影を見つける。

最初は誰だかわからなかった。

わからなかったけれど、近づくに連れてはっきりしてくる顔を見てすぐさまわかった。

相手も私のことに気づいたようでこちらにかけてくる。

私とほぼ同年代。でも私より少し大人っぽい顔立ちをした彼女は、懐かしい私の呼称を口にした。


「お嬢様……ッ!」


侍女服を蹴散らし、彼女は私に抱きついた。

いつも、淑女が走るなんてはしたないだなんて叱っていたくせに。

そんなことを思い出してしまう私は、多分どこまでも素直じゃない。

私は抱きついてきた彼女に手を回し、抱き返す。

あの人が私にしてくれたように優しく、抱き返す。


「ご無事、だったんですね……お嬢様……」

「うん、無事だったよ。ううん、無事でしたよ。心配をかけたわね」


彼女がお嬢様と呼ぶから、私はお嬢様の口調に戻る。

私たちは抱擁をとくと、お互いに微笑みあった。


「貴女も無事でよかったわ。本当に……わたくし、もうこれ以上何かを、誰かを失くすのは嫌だもの…」


最初に私の前から消えたのは、私の一番大切な人だった。

涙が溢れる。

失くしていなくてよかった、と。

人前で泣かないなんて、無理だ。

一度壊れた涙腺は壊れたままで、溢れた涙はとどまることを知らない。

崩れるように私は地面に座り込んでしまう。


「お嬢様……」


私が泣いたところなんて見たことないだろうから、

彼女はとてもビックリしているようだった。

私を支えるようにして、一緒に座り込む。

それから、私の涙を拭ってくれた。

あの人のように、そっと柔らかい手つきで。

それからふふっと彼女可笑しそうに笑う。


「お嬢様がお泣きになるのは、若旦那様の前でだけだと思ってました」

「なっ、どういうこと?」

「私、一度見たことがあるんですよ。ほら、お嬢様が婚約なされてから1ヶ月ほどした頃に、若旦那様を詰ったことがありますでしょう?政略結婚なんて絶対にいやだって」

「………」


確かにそう思った覚えはある。

しかし、ソレを面と向かっていっ……………うああああああああああああああ!

思い出したッ!思い出したらやばっ、顔が紅潮して、ちょ、うわわっ!

って、なんでこいつが知って、おま、もしかしてあれも覗かれてた!?


「すみません、悪いとは思ったのですが実は覗いてました」


心を見透かしたように、コンチクショウ。なんでだ、どうしてだ。

私の顔はそんなに素直なのかっ?!

こんな感動の再会の場面でそんな話を持ち出されると、叱りにくいじゃないか畜生ッ。

謀ってるのか!?これは計略なのか?

怒るべきだろうか。怒るべきだな。過去のこととはいえ、怒るべきだな。

なんていってやろうかと思案しながらとりあえず口を開く。

と、こつりと何かが胸に当たった。

硬い感触。

え?と見下ろすと見えたのは黒光りする不吉な鉄塊。

鉄塊には私のすぐ傍にいる彼女の手が絡まっている。

黒光りするソレは、忌まわしい名で呼ばれる鉄塊は……


「銃……?」

「申し訳…、いえ、ごめんなさい。お嬢様………。お嬢様は、こうして帰ってこられた貴女様は、きっとお知りにならないのでしょう。私たちが所属する側は、戦争に負けたのでございます。そして、貴女様の一族は戦争に大きく加担した罪として、皆、終結後に処刑が執行なされました。現在、このお屋敷は敵国の占領下にある状況なのです」


意味が、わからない。

何を言っているのか。

言葉が言葉として脳に入ってくるだけで、まったく意味を成さない。

もしかしたら、私はとても馬鹿になってしまったのではないだろうか。

だから、問う。

笑いながら。


「何を、言っているのかしら?」

「錯乱なさるのはわかります。ですが、今お嬢様が屋敷に帰られましたら………。貴女様は、お嬢様はどんな辱めを受けるか……ッ!――帰って、こないで欲しかった。帰ってこないほうがよかった。ですが、もう逃げ出すことはできません。監視の方々が森の中にいる貴女様のことを発見しましたから。逃げようとすれば、すぐに兵士たちが駆けつけることでしょう」


ほとんど脳ミソが機能していない私に向かって、訥々と真実を告げていく侍女。

何も言葉が出てこない。

涙を流し真実を語る彼女を慰めることもできず、反論することも質問することもできず、

呆然と見守るしかできない。

やがて、落ち着いたのか彼女は私のほうを真っ直ぐに見た。

毅然とした彼女の顔は、とても大人っぽくて。

でも、私が知っている彼女の顔ではなかった。


「お嬢様……。お嬢様…。私をお恨みになって、かまいません。ですけれど、贖罪にも免罪符にもなりませんけれど、言いますね。若旦那様の言を借りるわけではありませんが……、私は私のために言いますね。きっと私が言う言葉はいってはならない言葉。貴女様を苦しめるだけしかないのでしょうけれど」


フラッシュバックするのは記憶。

あの人が始めて本音を語ってくれた、幼い私が素直になれなかった、

でも少しだけ素直になれた小さな記憶。


「お嬢様…。私を拾ってくれてありがとう。貴女様と若旦那様と、ご子息様。侍女で……孤児ごときの私では到底身分が及ばないのに、まるで友人であるかのように接してくださった。私は決して忘れません。貴女様方の温もりを。そして、――ごめんなさい。この世で一番大切な方を手にかけてしまう私を……」


聞き返す暇なんてなかった。



パンッ



乾いた音共に、私の中で何かが弾けた。

きっと、物理的なものも精神的なものも。

瞬間的な痛み。

熱い、と思う。

反動で後ろへ倒れてしまう身体を、私は起こすことができなかった。

悲痛な彼女の顔の代わりに目の前に広がったのは、どこまでも黒い夜空。

まるで、世界を飲み込んでしまいそうな、鬱々とした遠くて狭い空。

そして、宝石箱をひっくり返したような星星。

ああ、戦争が終わったのに、またあの星は瞬いている。

赤く、紅く、命の炎を燃やすように。

穴が開いた胸から、命が流れていくのを感じながら、私は彼女が紡ぐ言葉に耳を傾ける。

もう思考するのはやめる。

面倒だから。

嘘、いや、半分は本当だけれど。面倒というよりも、思考したって悲しくなるだけだから、かもしれない。


「ごめんなさいごめんなさい……。大切な貴女様を、大好きな貴女様を手にかけることしかできなくて……ッ。許してくださいなんて祈りません。ですが、私には大切な貴女様が、あんな野蛮な兵士どもに穢されるなど許せませんから…。――お嬢様、私は貴女様と同じ場所にはいけないかもしれませんが、罪は償います。私の命と等価だなんてお怒りになるかもしれませんけれど…私の中で貴女様は私の命と同じくらい大切でしたから…」


コツン、と彼女がコメカミに銃口を向ける音。

ダメだといおうとしたけれど、喉を逆流してきた血を吐いただけで言葉が出ない。



パンッ



2度目の乾いた音と、彼女が崩れ落ちる音。

目の前が真っ暗になった気がした。

あぁ、自分は死んだかな、と思った。

でも、目を開ければやっぱり夜空が広がっていた。

赤い星が瞬いている。

私の腰あたりには、私のことを思って私を殺そうとして、自分も殺してしまった私つきの侍女。

違う。私のお友達。

貴族間のお付き合いといった表面上だけじゃない、唯一無二のお友達。

私を、私たちを絶対に忘れないって言ったくせに、舌の根も乾かぬうちに私の前からいなくなってしまった卑怯で、大嫌いで、私のことを想ってくれていた、とても愛おしいお友達。

私とあの人と兄様と彼女とで一緒に遊んだ記憶が、

映画のフィルムの断片のように頭の中に繰り広げられる。

これが俗に言う走馬灯なのだろう。

あぁ、視界が狭い。空も狭い。足が重くて、指なんて動きやしない。

もうすぐ死ぬな。

甘んじて死を受け入れるほど自分は人生諦めているつもりはないけれど、この出血量はどうしようもない。

体中の感覚だってほとんどないんだし。

きっと意識のほうも朦朧としてて、思考だってまともじゃない。

霞む視界に広がる星空のなかでも、いやにはっきりと見えるのは螢惑。

きっと、彼女の魂もそこで私が行くのを待っている。

天国なんて、地獄なんてそんなものは関係なくて。

一緒になれる。そう思っておく。

いいじゃない、自己満足で。

あぁ、そういえばあの人との年齢差もかなり縮まったんじゃなかろうか。

ほら、だってもう3つしか違わないんだもの。

兄様とはいくつ違いかな………。5つかな…。あの人と兄様は同年だったってのに。

きっと兄様はあの人のことをからかってるんだろうな。

それであの人は、ちょっと拗ねたように、でも捻くれた遠まわしな嫌味を返すのだろう。

あの人は、私のことわかってくれるかしら。

4年近くあってないんだもの。

最後に見たあなたは写真の中で、一方的に見ただけだな…。

それも写真を見ている私と同じくらいの歳だったじゃない。

ああ、でもそうか。あなたはそこから見ていてくれたものね。

だから、わかってくれる。

うあー、頭重いな。

だのに、思考が止まらない。さっき止めようとしたはずなんだけどな。

んでも、他にすることないしなあ。

まだ私の脳裏を流れ続けるのは過去の断片。

止まらないのは血だけじゃない。

後悔も涙も記憶も想いも止められなんてしない。

そして、流れ行く時間も。

ああ、本格的にダメだわ。もう無理。目が開いてるのかすら、もうわかんない。

それにしても、綺麗だな。あの星・・・・・・。魂の輝きだからだろうか。

もういいかな。もういいよね。だって、全部失った。

私の中に会ったものは、全部消えちゃった。

私の一番大切な人に始まって、私の一番大切なお友達までみんな失ってしまった。

こんな従順な性格だったか自分。

苦笑。

抵抗する気力なんてない。

まあ、でも最後だし、神様でも罵っておこうかな。

――私を助けやがったら天の果までも追いかけて、奇跡を起こした奴を殴ってやる。

それで、どうしてあんたはそんなにも理不尽で嫌味な性格をしてるのかって拷問してでも問いただしてやる。それでもってついでに半殺しくらいにしてやる。

それからそれから、不愉快極まりない性格をこの手で矯正してやる。



私の最後の鼓動と同時に瞬いた紅い星。

はあー、と肺の中の空気を一気に押し出す。

あの瞬きは、みんなが私にこっちへおいでよって手招きしてくれた輝きだと思うことにした。



ねぇ、最後くらい、いいじゃない。またあの頃へ帰れるって願ったって



ばいばい。またあいましょう

終わり、です。

ずいぶんと前に書きあがってはいたものの、色々と忙しさも相まってあげられず(滝汗

ここまでお付き合いくださった方、ありがとうございました。

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