オムライス(焦)
「すっごく楽しかったね!」
頬を紅潮させて満面の笑顔を見せる光一は、本来の歳よりずいぶん幼く見えた。
「俺も」
「辻くん餌やるとき叫んだの面白かったよ……あ、思い出したらまた笑けてきた……ハハッ!」
「……笑いすぎだろ」
化石発掘体験に、どこかの外国から持ってこられたという珍しい模型、標本。展示物全てが二人の心を掴んで離さなかった。建物から出てしばらく経つも、興奮がまだおさまらない。貴絋は久しぶりに心から楽しんだ。
やっぱり来て良かった。一人よりずっと楽しい。そもそも一人だと、こんなイベントがあることすら知らなかったわけだけど。貴絋はそう思いながら、まだ思い出し笑いをしている光一の横顔を眺めた。
「そーいえば、お前姉ちゃんいるって言ってなかった? 今日家で見なかったけど」
「ああ姉ちゃんね。一緒に暮らしてないんだ」
「なんで? もう就職してんの?」
「父さんと暮らしてるから。僕が幼稚園の頃、両親が別れたんだよね」
貴絋は、即座に昨日の自分の言った言葉を思い出した。
――『皆が皆お前んちみたいに仲良し家族ってワケじゃねーんだよ』
勘違い決めつけも甚だしい。冷静に考えてみれば、いかに自分が子供じみた恥ずかしい暴言を吐いたのかがよく分かる。誰しも何かを抱えて生きているのだ。それを見せていないだけだ。そんなことに気付くことすら出来ず感情に任せて見当外れな事を言った自分を愚かだと思った。
「……ごめん」
「なんで謝るの? 嫌だよ僕そーいう哀れまれ系は」
「じゃなくて、俺昨日無神経なこと言ったから」
光一はよくわかってない、腑に落ちないような表情を見せた。
「俺んちも母親しかいない、去年から」
「そっか。でも母子家庭だと家事スキル上がらない? 僕最近ドリア作れるようになった」
「……マジ? シェフかよお前。俺、料理しない。洗濯はするけど……」
「洗濯僕も好きだよ、奥が深いよね」
なぜそんなに楽しそうに語れるのか不思議だった。貴絋は家事を楽しいと考えた事はない。ましてや好きだなどとは到底思えなかった。
「あのさ、お前のお母さんって……どんなとき怒る?」
「あんまり怒られないな、僕基本いい子だし」
「自分で言うな」
光一は自分で言ったことに笑いをこらえきれず貴絋のツッコミを待つ前からすでに吹き出している。
「でも最近怒られたのは……変な通販勝手にした時だったかな、ファラオのミイラ買ったとき」
それは誰でも怒るだろうと思う反面、もし自分が同じことをしたら真織は怒るだろうかと考えてしまう。
今日光一の母親を見て、よく似た親子だと思った。顔が似ているのはもちろんのこと、穏和な雰囲気や笑い方などそっくりで少し驚いたほどだ。それに、全然ひねくれていない光一を見ていると、大切に育ててこられたのがわかる。もちろん、自分が大切にされていないと感じたことはなかったが、自分と似た環境でも、光一はこうも違うのかと目から鱗が落ちた気分だった。
「あーそうだ、これやる」
貴絋のポケットから出されたものは、もう包装がシワシワになっている細長い包みだった。さも今思い出したかのように振る舞ったが、実はいつ渡そうかとずっとやきもきしていた。ポケットの中で握りしめすぎたせいで、包みにはもうハリがない。
「なにこれ? くれるの? あけていいの?」
「いらなきゃ捨てろよ」
光一が包みを開けると、中からはプテラノドンのモチーフの付いたシャープペンシルが出てきた。
「わぁかっこいい! さっきこれ買ってたの? えっでも僕これもらっていいの? どうして? 辻くんのは?」
「俺は勉強しないからいらねーし」
「しなよ!」
「今日の昼御飯のお礼……お母さんによろしく」
「えーっ そんなのいいのに……でもありがとう」
光一は大切そうにそれをポケットにしまった。
昼御飯のお礼。本当はそれだけではなかったが、説明するのが気恥ずかしくて言わなかった。できれば光一に気づかれませんようにと心の中で祈る。
駅から出るとき少しだけ名残惜しさを感じた。
「じゃあ俺、こっちだから」
「うん、バイバイ」
歩き出そうと踏み出したとき、光一が貴紘の名前を叫んだのが聞こえ、振り返る。
「また遊ぼうね!」
笑顔で手を振る光一が見えた。
ここに来る前とまるで違う気分で家に帰れることを、とても幸せだと感じる。まあまあ悪くない一日だった。
□
「おい! いるんなら出てこいよ」
自分の部屋に入るなり、貴絋は叫んだ。しかし辺りは静まり返るばかりで何の反応もない。
「貴くん帰ったの? お母さんここだよ」
うしろから声がして貴絋はすぐに振り返った。開け放したドアから、真織が不思議そうな顔でこちらを見ている。
「母さ……あ、アンタのことじゃねーよ!」
あまりに驚いて声が裏返る。
――見られた……!!
「えっ? 誰かいるの? お友だち?」
真織はますます不思議そうに、赤くなった貴絋とその部屋を見比べる。
「違う! いいから出てけって!」
「えっ? そうなの? あ、もうすぐご飯だからね~今日はオムライスよ」
真織がリビングに行くのを見届けたあと、貴絋は小さくため息を付いた。
時折頭に響くあの女の声は好きなときに現れて勝手に消えていく。そのくせ自分が呼び掛けても何の反応もない。
せっかく礼を言ってやろうと思ったのに。
貴絋は舌打ちした後、上着を脱いでリビングへ向かった。
「今日はどこにいってたの? お昼ちゃんと食べた?」
「学校のやつと博物館いった。昼もそいつと食べた」
真織は貴絋の話を聞いて安心した。ちゃんと友達がいることを知れた。それも、休日に約束して遊びに行く程仲がいいことにも。
貴絋の目の前にはお世辞にも綺麗だと言えないオムライス(のようなもの)が用意されていた。昼に食べたものとまるで違う食べ物に見える。
「どんなお友達なの?」
「まあ……割と変なやつ」
「そっかぁ、面白い子なのね」
真織はますます喜んだ。今日はなぜか貴絋の機嫌が良い。話を振っても嫌がらずにちゃんと答えてくれる。こんなことは滅多にないのだ。しかし調子に乗って深く追求していけば鬱陶しがられるし、見極めが肝心なところ。
「お友だちと博物館で何を見たの?」
「恐竜の化石とか色々……」
貴絋は貴絋で、今日はやけに饒舌な真織を不思議に思うも、光一との事を聞かれるのはまんざらでもなかった。
「ああ! 貴くん昔から恐竜好きだよねぇ。でも最近やってるゲームでは恐竜をバッサバッサとやっつけてるよね! 恐竜を愛する者としてそれはどうなの?」
「違う……あれは保護してんだ。暴れるから弱らせてるだけだ」
「そうなの!? その割には執拗に尻尾とか斬ったりしてなかった!?」
「だって尻尾からはレアな素材が……てゆーか見てんじゃねーよ」
……終了。
オムライスはすごく不味かった。貴絋はいつも本当に不味い真織の料理を食べていて耐性はそれなりに持っていたが、同じ日にあんなにおいしいオムライスを食べていては、その差に愕然とする。これはもはやオムライスとも……食べ物とすら言えないかもしれない。
一度料理がマズ過ぎて辛辣な文句を言ったことがあった。さあ言い返せ、怒ってみろと貴絋は期待した。しかし真織の反応は、貴絋の予想とは全く違うものだった。
涙。謝りながらそれを溢した。
貴絋が真織の泣くのを見たのは、離婚を告げられた日と、その時だけだった。
それ以来、貴絋は料理に関しては自発的に文句を言うのを止めた上、どんなに不味くても残さず食べることを誓った。ただし聞かれれば素直に不味いと答えるが。
母親の涙ほど不憫ものはないと知ったのだ。
寝る前、もう一度頭のなかで声をかけてみる。
返事はない。まだ聞きたいことがたくさんあったのに。
貴絋は不服に思ったが、今日一日の楽しかった出来事を思い返すと、自然とそんな気持ちは消えていった。稀にない良き一日の終わり、ベッドに入るとすぐに眠りに落ちた。