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目玉焼き

 風呂上がりに真織がたどたどしい手付きで包帯を変えてくれている最中、居たたまれなくなった貴絋は突き放すように言った。

「いいから、さっさと仕事行けよ」

 すると真織は貴絋の右手を優しく握りしめて笑う。

「当分夜勤はなくしたから。今日は貴くんの部屋で一緒に寝ようかな?」

 一瞬、何を言われたのかわからなかった。

 突然何を言ってるんだ? 


 しばらく口を開けなかった貴絋に真織は言葉を続ける。

「いい?」

「ダメに決まってんだろ」

「即答しないでよ。お母さん傷付いちゃうな」


 貴絋は戸惑った。今まで彼女が自分のために勤務形態を変えることなどなかったからだ。自分が窓を破損したせいで、また同じことをされてはかなわないと思ったのかもしれない。よほど危機感を持ったのかと、貴絋は自分のしてしまったことの重大さを考えた。

 一応は謝った。だけど、もう二度としないとは誓えない。なぜなら自分の意思でしたことではないから。もう同じことをしないようにする対処法を貴絋は思い付けなかった。


 部屋の割れた窓には、取りあえずの処置として段ボールが不細工に貼り付けてある。真織は昔から不器用だった。料理も下手だ。どちらかというと要領のいい貴絋は、そんな真織の不器用さを時々見下しては苛立った。


 □



 今朝はちゃんとアラームの音で目覚めた。起きてすぐにベッドから降り、部屋と自分の身体を見た。何も異変はない。右手を握りしめてみる。もう昨日ほどの痛みはなかった。貴絋が着替えてすぐにリビングに向かうと、すでに真織は起きていてキッチンでせわしなく動いている。


「学校行ってくる」

「朝御飯食べていきなさい!」

 手を拭きながら小走りで寄ってくる真織の顔には、クマが浮かんでいる。寝ていないことが一目瞭然であった。自分のせいだ。食べない、などと言えるはずがない。

 渋々テーブルにつくと、真織も向かいの席に腰かける。

「貴くん、いつも一人にさせてごめんね」と真織が言った。

「別に不都合ないんだけど」

 即座に言い返したが、真織は黙って貴紘を見つめる。

「おいしい?」

 貴絋が裏側の若干焦げた目玉焼きを食べかけたとき、真織が問いかけた。

「白身焦げてんのに黄身が半熟なのが好みじゃない」

「ふふ、厳しいなぁ。明日は頑張るね」


 真織は何を言っても怒らない。これも、昔からだ。


 ――俺だったら絶対キレてる。まさかボケてんじゃねえだろうな。


「ごちそうさま」

 手早く食器をキッチンに下げると、貴絋は真織に聞いた。

「……食器、なんで無くなってんの?」

「お母さんね、割っちゃった」


 やっぱボケてんな。

 もう少しで口に出るところだったのを堪えて、貴絋はリビングを後にした。


 □


 教室のドアを開けてすぐに光一がこちらを向いた。貴絋はまず光一が居たことに驚き、次に、昨日学校へ行けなかったことへの後ろめたさをすぐに思い出す。

「辻くんおはよう! ねえ大丈夫なの?」

 貴絋は咄嗟に右手をパーカーのポケットに突っ込んだ。

「……何が?」

「何がって、ケガして病院いってたんでしょ? 昨日花枝先生が言ってたよ」

 俺にプライバシーはねーのか。貴絋はそう思った。

「なんでケガしたの?」

「……まあ、ちょっとな」


 ――寝ぼけてガラス割ったなんて言えっか。


 光一は貴絋の右手の包帯に気付くと、心配そうにそれを眺めた。

「それよりなんでお前またこんなに早くにきてんだよ」

 光一の視線が貴絋の右手から、貴絋の顔へと移動する。じっと見つめられた貴絋は思わず目を伏せた。

「よくぞ聞いてくれたね」

「……はぁ?」

 光一は自分の机にゆっくりと向き直ると、中から何かを取り出す。それは薄っぺらいベニヤ板のような物だった。その表面には何やら文字がたくさん書き連ねてある。


「こっくりさんって知ってる?」

 光一は真面目な顔で貴絋に問いかけた。

「誰それ」

「これはね、僕が独自に開発した物なんだ。まぁこっくりさんみたいな物だよ。二人じゃないと出来ないんだ。やるなら君とって決めてた」

 この台詞を僅か四秒で言い切る。


 ――だから、こっくりさんって何なんだよ。

 貴絋の目は点になった。


「初めて君を見たときから何か他の人とは違うなって思ったんだよね。そこから機をうかがっていたのさ。僕はね、常人に見えないオーラを感じとることが出来るんだ。これは僕の先祖代々から伝わる特殊能力なんだ。まあこの話はまた次の機会に……とにかく普通の人のオーラは大抵原色の赤、青、黄なんだよね。だけど君は違う。紫だよ。紫! 紫ってのはね……」


 コイツ患ってんな。貴絋はただそう思った。


「と、いうわけなんだよ。理解してくれた?」

「お前がイカれたオカルト野郎だったってことはよくわかったよ」


 なぜか嬉しそうな顔で満足げにしている光一が怖かった。違う、誉めてない。

「じゃあやろう、手をかして。簡単な儀式だから」

「やだよバカ! 気味悪いんだよお前」

 光一は貴絋の性格を緻密に分析し計算した上で、断られることはすでに予測済みであった。それをかわし貴紘を思い通りに動かすには、こう言うのである。


「辻くん、怖いんだ。案外子供なんだね」


 実際にはリスクがあった。貴絋がこの言葉に憤慨して機嫌を損ね、もう光一と距離を置くと考える可能性である。独自の計算によると確率は三分の一だ。しかし光一は貴絋の負けず嫌いな性格と、情の部分に賭けた。


「へえ、なかなか言うじゃん。……ほらよ」


 貴絋は余裕のある目付きで彼を一瞥すると、とうとう光一に右手を差し出す。光一はもちろん心からの笑みでその手を取った。


 ――計画通り。


 耳を塞ぎたくなるような呪文を、光一は唱え始めた。


 □



「おかしいな……何でだろ?」

 光一は、自分が開発したという怪しいベニヤ板の、上部にはめ込まれた赤い石を何度も撫でながら、左手では貴絋の右手を握りしめていた。貴絋からすれば狂気の沙汰である。

「おい、あんまり強く握んな!」

 傷口に響く。しかし貴絋の言葉は光一の耳に入ってない。もしくは、耳に入っても脳に入ってない。光一はますます貴絋の右手を握りしめる。

「おかしい……おかしいよ」

 おかしいのはお前の頭だ。その言葉がもう貴絋の喉まで出かかっている。

「こないだ地獄の闇分身を召喚してやったときはうまくいったのにな……」

「さらっと怖ぇこと言うな! ってか俺にもわかるように説明しろよっ」

 光一はベニヤ板を持ち上げると裏返したり角度を変えたりしながら何度も石を撫で続ける。

「ある一定の条件を満たすと儀式開始の合図としてこの赤い石が光るんだ。今僕たちは条件を満たしているのに合図が作動しない」

「電池切れてんじゃねーの? ミニ四駆(単3形)の電池なら俺、お道具箱に持ってるけど」

「それ本気で言ってる? 電池なんか使わない。動力源は魔力なんだからね。これだから素人は困るよ」

 言ってる意味がわからないが、貴絋を苛立たせるには充分だった。でも相手は末期の患者なので、自分が大人になろうと哀れむ瞳を向けるだけにしておく。

 あと五、六年くらいしたら、こいつは俺の記憶を消しに来るに違いない。まともに成長してればの話だけど。そんな風に貴絋は光一を気の毒に思った。

 しかしそれは間違いである。その頃には恐らくこの病はさらに深刻になっている可能性が高い。


 ――つーか俺、何やってんだろ。


「ちょっと条件を話すから、一応辻くんも確認してみてくれる?」


 光一があまりにしつこく懇願してくるので、貴絋はやむ無くこれを聞き入れた。その条件とはこうだ。


 1,密室であること

 2,本来なら人が集まる場所であること

 3,その部屋に二人だけしかいないこと

 4,手を繋ぎ、どちらか一方が石を撫で続けること


「全部満たしてると思うけど……ってかその板がぶっ壊れてんじゃねーの?」


 念のため教室のドアと窓も確認した。きっちりと閉まっている。貴絋は、こんなことをしている自分が恥ずかしくてしかたがない。

 しばらく考え込んだ光一が貴紘を見つめる。


「……誰か、いるね」


 いつもより1オクターブ下げた声で重苦しく呟いた。

 貴絋は呆れて返す言葉がない。

 ――もうやめてくれ。

 恥ずかしさのあまり顔が熱くなるのが自分でわかった。


 光一は先の言葉を言ってからすぐに、怪しい板をランドセルに厳重にしまった。

「今日はもう、やめだ」

 彼はそう吐き捨てると、教室のドアと窓を開けて、よどんだ空気を入れ替える。

 貴絋はまだホームルームすら終えていないというのに、マラソンを走った直後のようにくたびれていた。それを後で光一に話したのは間違いだった。

「当たり前さ。魔力がない人間は体力を奪われるのだから」

 真顔でそう言った光一を見て、初めて自分の中に揺らぐ攻撃的な炎を感じとることができた。


 □


「じゃ、体育係の人はボールを倉庫に片付けてから来てね」


 花枝がそう言ったあと、手を挙げて体育の授業は終わりとなった。まだ新しいバスケットボールが、いくつか生徒たちの足元に転がっている。


「辻くん、かっこよくなかった?」

「わかるー、やっぱ運動できる男の子っていいよね」

「利き手ハンデあるのに決めちゃうのがね~」


 貴絋はボールを片付けながら、遠くでヒソヒソと話す女子の声を耳にした。女は嫌いだけど、誉められて悪い気はしない。ボールを持っているとき、少しだけ生きてる感じがした。いつもは全然話しかけてこないクラスメイトも、スポーツのときだけは近くに感じる。たまには身体を動かすのもいいかもしれない。

 しかし、休んでいる間に勝手に決められてしまったクラス係は結構面倒なものだった。貴絋は体育係になっていた。体育の後は必ず花枝にこき使われる。月曜日は、光一が手伝ってくれた。しかし今回は彼は貧血で保健室だ。彼は貴紘と違って魔力があるはずだったがどうしたことだろう。


 体育館の倉庫にボールのワゴンをしまい終え、一息ついた瞬間、血圧が一気に下がる感覚を覚える。途端に目眩が貴紘を襲った。

 ――絶対朝の儀式のせいだ……。

 まだ体力は回復していなかった。つくねてあるマットに腰を掛けた瞬間、ドアが閉まってガチャリと音がする。とてつもなく嫌な予感が脳裏を掠めた。


 体育倉庫に閉じ込められる→次の授業で不在を不審がられる。普通の生徒なら。

 問題児辻貴絋の場合、「またサボってんな」と思われて、探してもらえない可能性がある。


「ふざけんな、まだ途中で帰ったことねーぞ!」

 ドアを開けようと試みるもやっぱり開かない。腹が立って思い切り蹴った。

 重い衝撃と緩やかな痛みが、足の骨に響くだけだった。

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