食パン
「何!? 」
そこにいる全員が自分の目を疑った。ダイアナはゴール前まで凄まじい勢いで駆け抜けると、その場でボールを上空に蹴りあげ、自分も高く飛び上がった。
「シャイニング・エターナルラブシュートッ!!」
彼女は空中で半回転すると、頭を下にした状態でそのボールを思い切り蹴った。
「オーバーヘッドだと!?」
明吉は度肝を抜かれた。サッカー歴4年の自分でさえまだ成功したことがないのに。
さてボールは勢いを無くすどころか、ダイアナの恐るべきキック力により時空を歪ませるほどのパワーを得た。あまりの衝撃にボールの両脇にはハリケーンが生まれる。向かって右がジェニファーで左がスーザンである。
目も満足に開けられぬほどの風圧の中、貴絋の野生の勘が告げる。これヤバイやつだと。
しかし、これから逃げるという選択肢はなかった。女のシュートを止められないとなれば男の沽券に関わる。
俺はどうなってもいい、だから必ずこのボールを止める。もし止められなければ、そのときは俺の社会的な死だ。
貴絋の覚悟が両腕に宿る。ボールは凄まじい勢いで光を放ち始め、触れれば無事で済まない事を物語っている。貴紘は唇をきつく結んだ。その自らの両腕を捨てる覚悟は、ある女神に愛された。
耳を澄ませるだけでボールの位置がわかる。風が歌うように教えてくれる、進むべき道を、取るべき最良の構えを。
「来る!」
獰猛な獣に体当たりをされたら、きっとこんな感じだと思った。両手に手応えを感じた貴絋は風が止んだのに気付くと、ゆっくりと目を開けた。
その腕にはしかとボールが収まっている。ブスブスと黒い煙がグローブから立ち上っていた。貴絋を愛した女神の名はヴィクトリア。勝利の女神であった。
しばし呆然と立ちすくむ貴絋の元へダイアナが駆け寄ってくると、彼女は貴絋に向かって言った。
「私のシュートを止めたのは貴方が初めてよ。タカヒロ……そのボールに込めた私の気持ち、わかったでしょ?」
「わかんねーよ……てかお前何者だよ」
ダイアナは悲しそうな顔で肩をすくめ、話し続けた。
「……タカヒロ、浮気したよね?」
ダイアナは泣いた。
「は!? 何だよソレ……」
凄まじいダイアナのシュートと、それを受け止める貴絋の怒濤の展開の一部始終を見守っていたクラスメイト達は、すぐにでも二人に駆け寄り称賛の声を浴びせたかった。だが、二人のただならぬ雰囲気に近付けないでいる。なんかモメてんぞ……。気になるけど誰もが一歩を踏み出せないでいた、その時。
遠くで明吉が手を振る。
「おーい貴絋ボール回せよー!」
チカにカッコいいところを見せたいだけの明吉が空気を読まずに声を上げた。
まだ試合中であった。貴絋は回りを見た。とりあえず一番最初に目についたのが同じチームの直也で、彼にボールを投げる。すると直也はうまくパスを受けとることができず、なぜか膝裏でボールをうけるとそこへうつ伏せに倒れてしまった。
「あ、やっちまった。タイム」
貴絋は咄嗟に直也に駆け寄る。
「何やってんだよどんくせーな、大丈夫か?」
「うん、ごめん……」
ずれた眼鏡を直しながら顔を上げた直也の鼻からは、鮮血がたらりと滴っていた。
「……立てるか?」
うん、と頷きながら直也はゆっくりと立ち上がる。そこへ光一が駆け寄って来た。
「直也、大丈夫?」
「保健室つれてくから。光一、キーパー頼む」
貴絋は光一にそう告げると、直也をフィールドの外へ連れ出そうとして振り返る。
「……お前も来い」
まだ泣き続けているダイアナの腕を取ると、貴絋は複雑な気持ちを抱えながらグラウンドを後にした。
三人はほとんど無言で保健室までたどり着く。その間貴絋は自分の不可解な行動を振り返るがどうにも腑に落ちない。
――俺は何故こんなことを……。
どうして自分がダイアナをも連れ出したのか、よくわからなかったのだ。
いまだ泣き止まぬダイアナを横目に、悪くもないのに罪悪感のようなものが込み上げてくる。俺が泣かせた? いやいや心当たりねーぞ。
右隣には、自分がパスをしたせいで鼻血を垂れ流す結果になってしまった少年。こちらは泣いてはいないものの、何も語らず気まずいこと受け合い。
何この状況。やっとの思いで保健室のドアを開けた貴絋は、即座に直也を丸いイスへ座らせた。
「先生、こいつ鼻血出た。診てやって」
保健師の先生が優しい手つきで手当てをしてくれる。貴絋は思い出した。思いっきり前のめりに倒れたのだから、他にも怪我しているところがあるかもしれない。その時初めて気が付く、直也はジーンズを履いていたというのに、めちゃくちゃ長いハイソックスを履いているという事実。食パン柄のTシャツといい、独特なファッションセンスを持っている。
「ソックス脱げよ、足もケガしてんだろ」
その言葉を聞いた途端、直也の顔色が変わった。
「してない! 大丈夫。おれもう行くよ。辻くん、ありがとう」
そう言うと、慌てて保健室を出ていってしまった。あまりに素早く去ってしまったので、声を掛ける隙もなかった。
まだ謝ってない。そう思った。
だけどちらりと右隣を見ると、そこにはまだ涙を静かに流し続けているダイアナがいる。
「そっちの子は? どこが痛いの?」
先生が穏やかに問い掛けた。ダイアナはただ首を横に振るばかりであった。
「ここで休んでいけば。俺も戻る」
貴紘がそう言ったとき、ダイアナはやっと口を開く。
「まだ……話、終わってないっ」
その手は貴絋を引き留めるべく、彼の上着の裾を握って離さない。
「おい離せよ……ってか泣くな」
これじゃまるで俺が泣かせたみたいじゃねーか。
先生はなるべく二人を見ないように気遣ってくれてはいるが、笑いを必死に堪えているようにも見える。
……何これクソ恥ずい。
貴絋が途方にくれていると、先生が突如立ち上がり二人に言った。
「先生ちょっとお手洗いに行ってくるね。少しの間留守番を頼んでも良い?」
貴絋は静かに頷く。先生は二人の髪をポンポンと軽く叩いてから出ていった。彼女の気遣いを無駄に終わらせないためにも、とっとと話とやらを終わらせねばなるまい。
「なんだよ話って」
ダイアナがうつむいたまま、静かに話し始める。貴絋からは彼女の髪の毛しか見えない。
「……タカヒロ、私というものがありながら……昨日一緒にいた綺麗なお姉さんは誰なの」
貴絋は一生懸命考えた。まず、「私というものがありながら」と言う点だ。この女は何か勘違いをしている。前々からどこか話の噛み合わない女だとは思っていたが、この際はっきりさせておかなくては後々面倒なことになっても困る。
次に「綺麗なお姉さん」
誰だよそれ。
昨日は帰ってから出掛けてない。ましてや綺麗なお姉さんに該当するような知り合いが貴絋には居なかった。
「見間違いじゃねーの。それに俺がどうしようとお前にはカンケーないだろ」
「私がタカヒロを見間違うはずがない。そうでしょ? 私見たの。あなたが女の人とピンクのカフェに入っていくところを。関係ないってどういうこと? タカヒロは私の彼氏でしょ? 他の女の人と仲良くされたら悲しい」
ピンクのカフェ。忘れもしない悪夢。
それ俺の母さんや。
貴絋はことの顛末を瞬時に理解した。あと彼氏じゃない。どこでどうなってそうなった。一瞬ララを疑ったが、なんとなく違うとも思った。ララが無意味にそんなことをするはずもないだろうと考えて、ゾッとする。何故俺はあんな得体の知れない幽霊に信頼を置いているんだと。
「俺、お前と付き合った覚えないんだけど」
貴絋は、とりあえず自分の最たる意見を主張した。意見と言うか、事実だ。
その言葉を聞くや否や、ダイアナはさらに大粒の涙をこぼしながら訴える。
「忘れたの? タカヒロ、社会見学の日が二人の記念日だよ。どうしてそんなこと言うの」
「悪いけど勘違いじゃねーの?」
「白紙に戻そうってこと?」
噛み合わねーな……。きっとこいつと俺とでは脳の作りが違うんだ。
貴絋は、つくづくそう思った。
「……あー。じゃあそれでいいや。別れてくれよな」
そこまで言うとやっとダイアナは、貴絋の服の裾を離した。
「私のこと嫌いになったの?」
「えっ。別に嫌いじゃねーけど……、好きでもねーし。てかこんな面倒な話をしなけりゃならねーんなら誰とも付き合いたくない」
ダイアナは涙を手で拭うと、貴絋を強い眼差しで睨み付けて言った。
「じゃあ、あの綺麗なお姉さんともそういう関係じゃないのね?」
貴紘は一時だんまりを決め込んだ。ダイアナは心配になって彼を見つめるが、恥ずかしそうに視線を合わせない貴紘の顔は、耳まで赤く染まっている。
「なに、そのReaction……!? まさかあなたッ!」
「……んだよ」
「えっ!? やはり年上の女性が……!?」
「母さんだよッ!!」
貴紘は機嫌悪そうにダイアナを睨み付けた。笑うなら笑え。からかうならからかえ。
「なんてこった。ごめんなさい……。母上だったなんて……あまりにもお若くお綺麗でしたから。ご挨拶もせず私ったら……でもよかった、これで安心してあなたにアタックできる。タカヒロ、あなたの初婚をリザーブするわ!」
ダイアナはその綺麗な指を、貴紘の鼻先につきつけた。貴紘は思わず一歩、後ずさる。
「……何言ってんのお前!」
「年齢による魅力なんてものは軽く凌駕してみせるわ。私は欧米の血を受け継いでいますもの。純粋なアジア人よりは成長が早いのよ! そうそれはハーフの特性であり宿命」
……の割にはチビなんだよな。との言葉は飲み込んでおこう。それにしても一人でよく喋る奴だな。貴絋は感心した。
「……じゃあそう言うことで。俺戻るからお前先生が帰ってくるまで留守番してろよ」
「OK!Google」
こうして二人はあっさりと破局の道を歩んだのであった。しかし、ダイアナに言わせるとこれは前向きな別れだ。彼女は当然諦めてはいなかった。
□
「えーっ!! 央子ちゃん辻くんと別れちゃったの!?」
まだ一ヶ月も経ってないよと驚きを隠せないチカに、神森ダイアナ央子は思いの丈を打ち明けた。
「yes.でも考えてみればそうなのよね……だってタカヒロみたいなCOOLな男が女子供と恋愛ごっこなんてするはずなかったのよ。だがそのつれなさがいい。それでね、聞いて! タカヒロにね、私のことが嫌いか聞いたのよ。彼なんて言ったと思う? 別に嫌いじゃない……って言ったのよ! これ脈アリだとおもわないか?」
「それは脈アリだ」
「だよね。私諦めないわ。チカ、あなたはどうなの? アキヨシって坊やがあなたに一生懸命アピールしているようだけど」
「チカは中学生以上の大人の人でないとムリ……明吉くんか……まだコドモだよね」
「学級を納めてる感出してイキってる内はまだまだ坊やだわ」
楽しそうに笑う可憐な少女たちは、麗しくも残酷であった。




