007 デブ、知らぬところで
キャンプの夜は、既に更けた。
初めて入る女子の部屋、鉄平は眠れぬ夜を過ごす事になるけれど。
他にも一つ、暗闇で思考するもの。
――鉄平にスライムと呼ばれた、黒いモノ。
(さて、此れからどうするか……)
これまで、本能のままに生きることしか、知らなかった。
そんな存在が、人に触れて、知能を持って。其処で人との共生を望む、そんな事はない。
(世界の滅び、か。正直、予想外だったな……)
あの山で、獣を食らって生きるだけの日々。そんなこと、知る機会もなかった。
(だが、ただ手を拱いて、見てるだけなんて許せねえ)
生きる。それが、本能。知能を得ても、それだけは変わらぬ。
そのためには、出来る全ての手を打たなければならない。
(鉄平。コイツがヒントだ。生きたまま、他の世界からやって来た人間。詰まりは、逆方向も可能かもしれねえってことだ)
この世界から、他の世界へ。どういう方法かなんて、思いつきやしないが。
(ちっ、頭さえ乗っ取れりゃあ、もっと直接動けたのによお)
心中、悪態を付く。
こんな頭のハッピーな、脳筋馬鹿野郎と仲良し小好しするなんて、反吐が出る。
(だが、まあ。乗っ取る算段も、思い浮かびはしたしな)
あとはどうにか、そう仕向けられりゃあ完璧だ。
にちゃあ。鉄平の右手が、口しかない顔で、笑みを浮かべて。
(それと。ひとつ確かめることがあるな――)
――スライムは、鉄平の隣で眠る女に、意識を巡らせた。
夜が明ける。光を減らしたという太陽も、未だ清々しい朝を届けてくれる。
目に隈取作った鉄平も、同じ布団で目覚めたキコと言葉を交わす。
「おはよう」
「――――」
キコに返されるけれど。スライムの翻訳がない。だがまあ、今のは朝の挨拶だろう。頭の隅に入れておく。
「……」
じっと、キコが此方を見てくる。
恥ずかしくて、顔を逸らす。マズイ、間が持たん。というか、もう限界だ。
一晩同じ毛布で寝るとか、それだけでももう堪らなかったのに。キコが寝返りとか、うつ度に。もう、否応なしに、肌が触れて、匂いがして――
「おい、起きろ糞スライム」
だから、スライムを起こすことにした。
ばんっ、と。地面に右手を叩きつけて。
まあ、自分もじんわり痛いけれど。これくらいはさしたことでは無い。
『あら、お早う。朝から激しいですわぁ、ご主人様』
「起きたか、仕事しろ」
いちいちコイツに突っ込んでたら身が持たん。適当に流すに限る。
なんとなく、悶々とした気持ちが晴れてきたので。毛布から出て、キコに聞く。
「其れでキコ、今日の予定は?」
『ご飯食べて、訓練して。ご飯食べて、ぶらぶらして、訓練』
「ああ、了解……」
どっかしらとの話も無いってことは、俺は基本放置なんだろうな。まあ、キコと一緒なら楽しいし。当面は強くなることが目標だ。何も問題は無い。
「あ、そうだ。キコ、やりたいことが有るんだけど」
『ん、何?』
「ええと……」
俺は、必要なものの説明をして――
『――変わった訓練……』
「まあっ、俺も、丸太でやるのはっ、初めてだけどねっ!」
昼間。訓練場。剣の振り方は、午前中ということにして。
やりたいことってのは、トレーニングだ。2メートルと幾つか、60キロぐらいの丸太に溝切って。鷲掴んだそれを、左右に振りながらのスクワット。上体、下半身。浅部、深部。多くの筋肉に高負荷を、対称的に掛けられて。その上、同時に扱う神経系の訓練にもなる。
「剣振るだけじゃ、負荷小さいしっ、物足らなかったからな!」
喋りながらするのも、意図的だ。高負荷、高回数のトレーニング。呼吸と発声の意識は、安定した成果に繋がる。
二十二、二十三、キコは数え役。手持ち無沙汰では有るけれど、退屈そうでは無さそうだ。
『二十八、二十九、――三十』
「は、しゃあっ! 次ドラゴンフラッグッ!!」
休みはしない、サーキットトレーニングだから。丸太の上、仰向けに寝そべって。
頭の後ろで丸太を抱えて、体を持ち上げる。
「バランスわりぃ! コイツは体幹にも効くな!」
『いち、にぃ……』
鉄平は、楽しげだった。いや、楽しいのだ。
見知らぬ世界、不安はつきまとうもの。だからこそ、自分のルーティーンをこなすことで、自分を落ち着けていた。
そうやって、二時間ほど。たっぷりトレーニングをやりきって、鉄平はへたり込む。
「ああ……疲れた……もう、動けん」
『お疲れ。何でそんなに動いてるのに、太ってるの?』
「皮下脂肪が乗ってるだけだ……! でも、まあ、こういうのは毎日はやらないし……。持久トレーニングはしてないから、基本的な消費量はそうでも無いんだよ……」
『ふうん。じゃあ、これ』
それで、キコに革袋を渡される。中身は水だった。
そいつを一息に飲み干して、鉄平は寝そべった。
「ごめん。昨日寝れなかったから眠い。ちょっとだけ休みます……」
そうやって、すぐに微睡みに落ちる。
まだ三日目だけれど。鉄平は安心しきっていた。周りの人間も優しいし、何とかやっていける気がしていた。
眠りに落ちた鉄平を、見つめるキコだって。ほら、何とも無害な顔をして――
『――で、キコちゃん。アンタは何が目的なんだい?』
なのに、このスライムは何を言うのか。
右の手のひら蠢かせて。気色悪い声を出して。
「何のこと?」
返すキコは、顔を変えずに。
いつも通りの無表情。
『いやあ、とぼけなくて良いよぉ。あんた、ウチのご主人様のこと、誘惑してんだろぉ? 何も知らないおぼこみたいな顔してさあ。とんだ女狐だねえ』
「……」
キコが、押し黙る。
図星、突かれたように。
『いやあ、それにしても上手いねえ。あからさまに誘惑されちゃあ乗ってこないだろうけれど。気がない振りして無防備なところ見せつければ、ご主人様みたいのはすぐにその気になっちゃうもの』
「――ちっ、煩い」
キコの口調が、変わる。
いや、口調じゃないか。言葉が、声が、強いものになる。
「別に、騙してるワケじゃない」
『へえぇ、じゃ何さ?』
「味方。味方が欲しい。それだけ」
『味方ぁ?』
スライムが、無い首を捻る。
どうにも、此処は人間側のテント。何処に敵が居るっていうんだろうか。
「キャンプが三つの理由、解らないの。全部、大本の国が違う。世界の危機でも、団結出来なかった。――このキャンプの中も」
『ああ、なるほどねえ……』
考えれば、当然のこと。
元いた都市も、町も、村も、全部滅びて。こんなキャンプで、さあ生活しろ。それじゃあ、鬱憤でたっぷりに決まってる。
『しかもこんな状態なのに、明らかに待遇に差が有るからなあ……』
リアリのテントも、キコのテントも、一人で使っていた。でも、一般人は其処に十何人だ。
其れに、多少の調度品に毛布もあった。それらは、優先的に回されたものだろう。
『ん? ってことは、お前ただの一兵卒じゃないのか。幾ら兵士で女だからって、そうそう高待遇にはならないものな』
「そう。使い走りは間違い無いけど。やるのは、使者とか、ゴミ掃除とか、そういうの」
『うわっ、ゴミ掃除って……救われないくらいに真っ黒じゃん。それにまあ――いつかキコちゃんも、切られるな』
「だから――味方がいる」
『自分の言うことなら、何でも聞く。命だって喜んで捨てる。キコちゃんの言う味方ってそういうことでしょ? そりゃ味方じゃなくて傀儡か何かでしょうよ』
「別に何でも良い」
『あら、開き直っちゃう。まあねえ、俺としちゃあ邪魔する気は無いから良いんだけどぉ――』
ご主人様も、まんざらでも無いだろうし。
こっちも、俺自身が消えなければ問題ない。けれど――
『――あの、陰気臭えリアリって奴。アレだけは敵に回さないでくれ。アイツは、やばい』
「分かってる」
鉄平だけが知らない、共通認識。
リアリは、イケメンとか、凄腕の剣士とか。そういうレベルの器じゃない。
「リアリは、それこそ傀儡。上に言われるがままに、剣を執って、殺す。もう、そこに自分の意思は無い。でも――」
つまりは、容易に敵に成りうる。キコが嫌気をさした、上の奴らの意思そのモノだから。なのに、敵にしてはならない。
リアリという存在は、無視してはいけない。
「――リアリを敵にしたら、死ぬ。絶対」
リアリ。輝く剣に選ばれたもの。孤高にして誰より強いもの。
――救えなかったもの。諦めたもの。