丁度MPを切らしていて!
森の中の小さな山小屋の小さな机。
その机にはホットミルクが2つ並んでいる。
「そういえば昨日は大ホールでの講演会があったそうですね。お疲れ様です」
「……あぁ、そう、知ってたんだ。うん、ありがと……」
「いやはや、流石リリス先輩です。平和の時代のありがたみを一番深く知る人物ならではの思いが詰まった一言一言。自分は深く感動致しておりました」
「ふ、ふぅーん。聞いてたんだ」
「はい! そこのテレビで!」
テレビね。
まさか堅物のベズリーシアが現代魔法を生活に取り入れているとは夢にも思っていなかった。
「しかし……何かあったのですか? 早朝の森の中で大声で泣いていたのには……何か相当に深い訳が?」
その視線が痛い。
本気で心配してくれている視線である。
まさか酔った勢いでミッドベジリアからイスカルまで跳んできて、挙句杖を無くしたなんて言えるはずもない。
この姿勢から分かるように、リリスは何故かベズリーシアから陶酔されているのである。
いや、リリスだけではなくて、サンダラも勇者もこういう扱いを受けているのだが。
そんないい格好を見せたい相手に恥ずかしいところを見せてしまったのである。否、見られたというべきか。
「もしかして……誰かに襲われたのですか」
「あー……、いやぁ……。……!! そう! そうなのよ! 襲われたのよ!!」
決して自分の馬鹿さ具合に呆れたとか、勇者がいなくなった寂しさのあてつけに泣いていたわけではないのよ!
「な、なんと卑劣な! しかしリリス様なら追い返す呪文くらいは持っていたのでは……?」
「ちょ、つ、丁度MPを切らしていて!」
「そんな! 悪漢のくせに運だけはあるなんて!」
くっ、と本気で悔しそうに歯軋りをしているベズリーシア。
私のことを全力で疑わない彼女を騙すのはひどく気が引けるなぁ。本当はMP切れなんてここ2、3年起こしてないんだけど。
リリスはしかし全てを素知らぬフリをして目の前のホットミルクをずずっと啜った。
「しかしその悪漢も運の尽きですね。ひとつ山狩りをしてきます」
「いやいやいやいや」
がた、と席を立ち上がるベズリーシアを急いで引き止める。
この生真面目の塊である彼女に、そんないるはずのない空想上の男を探し回らせてみろ。彼女はこの世界を踏破してしまうことになるぞ。
実際に冒険していた頃、何かの冗談を真に受けて、壮大なことをやらかしていた気がする。なんだっけかな。
いや、それはおいておいて。
「どうしたのですか。僧侶のトップである偉大なリリス先輩をコケにされているんですよ! そうやすやす見逃せるわけがないじゃないですか!」
「いや、違う、そうじゃない。落ち着いて聞いて欲しいんだけど。実際は襲われかけただけで、襲われていないんだよ」
ホラ、私ってば普通の格好してるじゃん?
別に乱暴された訳でもないんだよ?
全然無事でーす、いえーい、と無傷をアピールするリリス。
「……なるほど。その悪漢は致命的な早漏というやつでしたか」
ゴン!
リリスが机に頭を叩き付けた音だ。
「は? そ、そう……?」
一体全体、どうしてこんな小娘からそんな言葉が出てくるというのか?
「未遂であるのであれば、酌量の余地ありですか。しかしよいのですか。今後とも同じような輩がいないとも限りませんよ?」
「あぁ、うん、それはまぁおいといてだね。私的にはどうしてベズリーシアがそんな言葉を知っているのか疑問だなぁって?」
笑顔で問い詰めている。
誰がこの無垢な少女を汚してしまったというのか。
「え、何か意味を間違えていたでしょうか……」
「別に間違ってはないんだけど、逆にそれが問題かなぁーって」
少なくとも冒険していた頃はそんなことをいう子ではなかった。
平和な時代がもたらした副産物だというのか?
「う、いや、……、じ、じつは……」
え? 何この反応。
ベズリーシアがこんな恥ずかしそうにしているところなんて、冒険してる最中でも一度も見たことないよ?
「最近性に関することに興味が出てきておりまして……」
あぁ。はいはい?
思春期ってヤツね? 分かるよ。何年か前も私はそんな感じだったもん。若いなぁ。今14歳くらいだっけ? 確か。
なに、オナニーでもしてんの? んん?
……いやいや、いかんいかん。こんな親父みたいなことを言ってどうする。私が汚すことになりかねんぞ。
「それで時々色々なお話をして頂いて教わっている最中なのです」
「ふぅーん。そうなんだねぇ、ちなみに誰から教わっているの?」
「サンダラ先輩です」
…………ふーん。
アイツか。
なんなんだ。あの悪影響しか与えない盗賊女は。
かつての仲間から純粋な心まで奪っていかねば気が済まないのか?
「で、でも自分が無理やりに聞きだしているのでサンダラ先輩が悪いわけではないのです!」
何故かサンダラの肩を持つベズリーシア。
そんな怒っている風に見えたのだろうか。まぁ実際怒っているけど。
イタズラ半分で若い子を弄んだサンダラを許せるわけがない。
「天才武道家を捕まえてあの馬鹿は何を吹き込んで――」
……いや、そうか。
間違えているのは私の方かもしれない。
魔王との討伐を考えていた時代はそんな恋だとか愛だとかの甘酸っぱいものとは無縁の生活を送っていた。
そんなことをしてる暇があるならば技を磨いて、魔物から殺される確率を低めることに専念するしかなかった。
だからこそ私の恋も秘めておくしかなかった訳で。
しかし今はもうそんな無理に戦う必要もない。
年頃の女の子が当たり前のように抱く悩みに対してたっぷりと自分で悩むだけの時間がある。
それが趣味であり、学問であり、また異性に関するもの、自分の身体に関するものであったり。
それも平和というものじゃなかろうか。
「あの、リリス先輩?」
少し冷めつつあったホットミルクをぐいっと飲み干し、リリスは席を立った。
「そうね。ちょっとシャワー借りてもいい?」
「あ、はい、どうぞ」
部屋を出て直ぐ右手です、と丁寧に教えてくれた。
その部屋を出る前に、あとそれから、とリリスは付け加える。
「後で女だけのトークしましょ? 好きな人とかいるんじゃないの?」
「なっ、べ、ち、ちが!」
ベズリーシアの慌てた顔を、フフンと鼻で笑いながら横目でみる。
魔王がいなくなった3年前。
それはあまりに突然で、リリス達自身も全く実感が湧かなかった。
世界も同じことを思っただろう。即座に魔王のいない世界に順応するなんてできなかったはずだ。
でもそれももう3年の話だ。
時代がやっと平和というものを受け入れ始めているのかもしれない。
目の前で慌てふためく女の子を見て、リリスはそんなことを思っていた。