そこの男の首を刎ねて差し上げますが……
今しがた上級魔法を打ち消したのは、城の中から現れた1人の女性官であった。
その手には装飾が施された重々しい杖が握られている。
あれ、見覚えがあるな。確かここの王様と会ったときに隣に居た気がする。
「クローディア様! これは大変失礼致しました。しかしそこの不埒な小娘が――」
騎兵は馬上からスルリと降りると、方膝を付き頭を下げた。
「言い訳なんてアナタらしくないですよスラム。それにこの方をどなたと心得ておりますか。アナタ如きが勝てる相手ではありませんよ。身の程を弁えなさい」
クローディアと呼ばれた女性はその騎兵にピシャリと言い放った。その騎兵は後は何も言わずに頭を下げて脇にそれていった。
「大変失礼致しました。なにとぞご慈悲を。大僧侶リリス様」
そう言って、妙齢の女官はリリスの前まできて頭を深く下げていた。
「……ん、ま。まぁ分かればいいのよ」
リリスの居心地はあまりいいものではなかった。
どちらかというと喧嘩を吹っかけたのはリリスの方である。それもただ機嫌が悪かったという理由だけでだ。
なのに一方的に謝られるというのは、どうも落ち着かない。
「恐縮ですが、私の土下座で許していただけませんでしょうか。それでもリリス様の気が晴れないというのであれば、そこの男の首を刎ねて差し上げますが……」
怖!
冗談かと思いきや、まぁ仕方がないですよね、みたいな割とマジな目をしている。
こっそりと話が聞こえていたのだろう、その騎兵も倒れた騎士に何か回復魔法を掛けつつ、目を見開いてクローディアの方を見ていた。
「いやいやいや! そこまでしなくても! 土下座もいいですって! 服が汚れちゃいますよ! というか私も私も悪かったですし……」
綺麗な身なりをしているにも関わらず、躊躇なくその膝に土をつけているあたり本気の度合いが見て取れる。
なんならこんな雑談の間に、頭を地面にこすりつけていそうである。
「そうですか? では今回の件はおあいこということで」
あ、はめられた。
土下座も処刑も全ては架空のこと。実現させる気なんて毛頭なかったことだろう。だがそれを口にすることで、うまい具合にリリスの口から譲歩の言葉を引き出させていた。
クローディアはどちらが悪いと分からないこの揉め事を、両膝に土をつけただけでうまく収めてしまったのである。
「っ……」
リリスにとってこれはこれで納得のいかない采配であった。
これで全て水に流されたとなったら、記録室に入れなくなってしまうではないか。
リリスとしての正解は、何か適当に理由をこじつけて、謁見者のリストを見せてもらうことで譲歩するべきであった。だがこの目の前の女官はその隙を見せずに、お互い様と片付けてしまった。
「それではあのトウヘンボクの代わりに、城主代理を務めますこの私、クローディアがご用件をお承りますよ。リリス様」
そんなリリスの何ともいえないモヤモヤもお見通しだったのだろう。
まるで城主代理なんて大層な役を任されて居なさそうな、いたずらっ子のように舌を出してクローディアは笑って見せた。
城内は今立て込んでいると言っていた割りに、慌しい雰囲気はまるでなかった。
むしろ静かである。城内にいるはずの兵士の姿がどこにも見当たらない。だからこそ感じる違和感。長い廊下を歩きながらリリスはそんなことを思っていた。
「あの男をどうか許してやってください。根は真面目で普段は頼りになる騎兵隊長なのです」
前を歩くクローディアがリリスを振り返りながら、さっきの男のフォローをしていた。
「もう少しクローディアさんみたいに不真面目な要素を分けてあげるべきですね」
リリスは皮肉を言って見せると、クローディアは困ったように笑っていた。
にしても普段は、ね。
やっぱり今は普段といえるような状況ではないということなんだろうか。
街の入り口にわざわざ騎士がいたことも。城門前に騎士だけでなく、騎兵も常駐していたたことも。
何かを警戒しているのか。どこか神経質に感じる。
……いやだなぁ。城の内部がこんな雰囲気の時は近々必ずいやなことが起こるものである。
一番有り得そうなのが戦争。というかそれしかない。兵士がぴりぴりする時期というのは大規模な戦闘が控えているときなのである。
色々な街や城をめぐって来たリリスだからこそ分かる。
「ここが記録室となっております」
だがそんなきな臭さも今の私には関係がない。
通されたのは、一室の書庫であった。
本と巻物がずらりと並んでいる。その部屋を勝手知ったる足取りでクローディアはひょいひょいと歩き、一冊の本を手にしてリリスに差し出した。
「ここ最近の王様の謁見者です。その時の内容も記されております」
確かに見てみると、年号、日付、訪問者、内容がまとめてあった。
丁度目に入ったのは、魔王の討伐を終えた日の数日後にリリス達が来た記録であった。
訪問者は勇者一行の5人。それぞれに報酬を分け与え、その金額すらも懇切に記されていた。
ならば勇者が個人で呼び出された時の記録も残っているはずである。
勇者だけが知る、その秘密を暴くときがきた。そしてこれこそが、勇者を探し出す鍵となりうるはずだ。
リリスは自然と胸が高鳴っていた。本を繰る手が震える。
勇者に一体何があったというのか。それが分かる。また会える。
「……え?」
だが……その先に何もなかった。
最後の記録が残っているのは、1年前、隣国サザンドリアの大使が赴いてきた時である。以降のページは白紙であった。
おかしい。
勇者は確かにこの国からも呼び出されていたはずである。その記録が残っていないなんて。
いや、そもそもここ1年間訪問者がいないということになる。そんなおかしなことがあるのか。
「…………、そういえばクローディアさんは城主代理でしたっけ」
「はい。僭越ながら今の私は城主と同等の地位を任されております」
「では、その城主はどこに?」
クローディアはリリスの質問を聞いてなお、そのニコニコとした様相を崩すことはなかった。
「それはお答えすることができませんねぇ」




