2.Love letter 下
ー夜
「ただいま」
もちろんそれに対する『おかえり』は聞こえるはずもないのだが、何故か毎日誰もいない家に自分の帰りを報告していた。
「桜井麗さん…か」
今思えば、今朝の流れはあり得ないほどスムーズだった。彼女が僕に“むしろ話せて良かったです”と言ったのはどういう訳なのか、ひたすら考えてみても解答は見つからない。う〜んと唸っていたその時、僕のスマートフォンから“ピコン”という音が鳴った。
「わっ…麗さん!?」
突然の出来事に驚きつつ、そのメッセージの内容を読んだ。
『こんばんは、麗です。早速連絡しちゃいました(*^-^*)准一さんのアイコン、なんか可愛いです(笑)』
確かに、僕のプロフィール画像は猫の写真であるから、彼女に“可愛い”と言われるのも別に大して可笑しい事ではないのだが、どうも女性に“可愛い”と言われるのは少し不思議な気分になる。
僕は普段あまり使わないような猫のスタンプを送信し、
『猫、好きなんです』
と急いで文字を打った。
『可愛いですもんね。私、猫飼ってるんです』
しばらくすると、彼女が飼っているという猫の写真が送られてきた。彼女の話によると、その猫はマンチカンで名前はサクラというようだ。愛くるしいその瞳は彼女にそっくりである。どうやら彼女は一人暮らしで、一人は寂しいと猫を飼っているようだ。可愛いな…。素直にそう思った。
『准一さんは一人暮らしですか?』
『はい。まあ、実家が割と近いので不便は特に無いって感じです』
『そうなんですね〜。私は実家の場所が全然違う所にあるもので…なかなか家に帰れなくて、最初は結構寂しくなっちゃったり(笑)今はもちろん大丈夫ですけど。准一さんはどんなお仕事されてるんですか?』
『極々普通のサラリーマンですよ。学生の頃に思い描いていた自分の将来像とは全く違う今に、色んな意味で笑いが止まらない状況です』
僕はショックを受けている猫のスタンプを送った。すると彼女は“Fight!!”と言っているあるアニメのキャラスタンプで僕を励ました。少し時間を置いてから彼女は、長く、そして驚くべきメッセージを伝えてきた。
『そんなもんですよ、世の中は。私も同じです。なんでこんな事やってるんだろう?とかしょっちゅうありますし。ただ一つ大事な事は、そんな世の中で自分がどれだけ頑張れるか、真剣になれるかって事です。たったそれだけで私達の価値はぐ〜んと高くなると思いませんか?人は努力した分だけ成長できる、それは本当の事だと思います。人生に無駄な事なんて一つも無いっていうのも本当だと思います。准一さんは“極々普通のサラリーマン”と言いましたよね?私はそれが極普通だろうがそうでなかろうがどれも大切な仕事だし、頑張れば頑張った分だけ意味のある事になると思うんです。だから…、どうかそんなふうに落ち込まないで下さい。あなたのやっている事はきっと大切な事です!それでも何か辛い事があれば、私、話聞きますから。一人じゃないって事だけ忘れないで下さい。』
「あなたは一体…」
何者なんですか?
僕は大きなショックを受けた。今までそんな事考えた事が無かった僕には衝撃的内容だったのである。自分は小さい人間だったんだと改めて思い知らされた。自分の存在価値など特に無いと考えてきた僕に、革命が起きた。
僕の価値を決めるのは、僕なんだ。
しばらくして彼女から謝罪のメッセージが送られてきた。
『…偉そうに長々とごめんなさい!!o(>_<)o熱くなりすぎてしまいました…』
がっくりと項垂れている先程同じアニメのキャラスタンプが続けて送られてきた。相当そのアニメが好きなんだろう。
『いいえ、ありがとうございます!桜井さんのおかげで世界が変わった気がします』
『そんな…大袈裟じゃないですか??それは良かったです。…あの、名前で…、呼んで頂けませんか…?』
え…?
見間違いだと思ったが、何度見ても同じ文面にヨロコビが溢れた。
『麗、さん。…何だか照れくさいです、直接じゃなくても』
『ありがとうございます、名前で呼んで下さって。では、明日も早いので…おやすみなさい』
『はい。おやすみなさい』
僕は自分の頬を思いきりつねってみた。痛い…。夢ではなかったようだ。これは夢だったんじゃないかと不安になる程に、今日という日は素晴らしいものだった。
それから数日、僕達は他愛もない話を繰り返し、疲れて帰って来てはお互いを励まし合ったりと、たくさん会話を重ねた。彼女はあれから何度もあの本を読んだらしく、駅で会うと嬉しそうに僕に本の話をしてきた。正直に言おう。この際あの本はどうでもいいのだ。僕の好奇の目は麗さんにしか向けられていない。本が嫌いだとか本の内容がどうとかいう問題ではなく、ただ、あの本はあくまで彼女と話すキッカケでしかなかったのだった。
一つ、気付いた事がある。彼女の文面やら言動が少し変わってきたのだ。今まではどことなく距離があったように感じた(まあ、それが当然ってとこではあるが)、だが最近僕の気のせいかもしれないが、彼女は少しずつ近づいてきている気がする。
もしかしたらー。…僕は二度目の決断をする。
ー翌朝
僕は右手にバッグ、左手には“手紙”を持っていた。察した人もいるとは思うが、“ラブレター”である。僕の二度目の決断とはこの事である。初めて彼女に話しかけたあの日も今日と同じ様な空と心理状態であった。今ではこんなに話せるようになって、自分でも驚いている。あんな事もあったなと考えているうちに駅に着いた。あの時は彼女が先に来ていたが、今日は僕の方が早かったようだ。ちなみに、何故ラブレターを渡そうと思ったのか、何故直接でないのか、という点について説明すると、僕の性格的に直接は厳しかった、というのが一つ。もう一つは…ラブレターを書いてみたい願望があったから。学生時代にそういう事が無かった為に、僕はそういう事に興味があったのだった。いい年した大人がやるものではないのかもしれないが、そんな事はこの際どうでもいい。
「准一さん、おはようございます。今日は早いですね」
「わっ、お、おはようございます。僕もさっき着いたばかりなので、そんなに変わりませんよ」
心臓が止まるかと思ったが、ギリギリの所で立て直した。今日の目的は、決して話す事ではない、手紙を渡すという事だ。目的を忘れてはならない。
「あ、あのっ、この手紙、読んでいただけますか?」
「どうしたんですか?改まって手紙を渡すなんて。もちろん読ませていただきます」
彼女はゆっくりと手紙に手をかけた。その時、
『〜下り、○○行き電車が到着します。白線の内側に…』
アナウンスが響いた。
「…そろそろ電車来そうですね。電車が来る前に手紙、読んじゃいますね」
「はい」
彼女は手紙を広げ、ゆっくりとその照れくさい文面を目で追っていった。すると、彼女は目を丸くして僕を振り返り、見つめた。
「怒り…ました?」
くすっ
どうやら僕は今、笑われているらしい。やはり、恋文なんて古風すぎたのか…?(問題はそこじゃないだろう)
「やっぱり、あなたは可愛らしい方ですね。恋文って事ですよね?」
「そう、です。麗さんに“可愛らしい”と言われるなんて、男として恥ずかしいです…」
「褒め言葉ですよ。決してからかってなどいません。でも、確かに“格好良い”と言われた方が良いですよね、准一さんも男性ですし。…あの、手紙ありがとうございました。でも…」
でも…。そう言葉を濁した彼女の表情はどこか不安げで、僕はひたすらその意味を考えた。
もしかして…既婚者に恋をしてしまったのか、僕は!今考えれば飛んだ早とちりだったのだ。そもそも彼女が独り身だなんて誰が言ったんだ?いや、誰も言いはしなかった。ここまで全く触れられていなかったからこんな事に…。
そう思っていると、彼女は静かに話し始めた。
「…こんな私で本当に良いんですか?後悔しても知りませんよ…?」
そんな理由でためらっていたのか。
そう思った。
「もちろんです。“こんな”じゃないですよ。麗さんはとても魅力的な女性です。ありがちなセリフを並べてあなたと結ばれようなんて思ってはいませんが、それでもついついそんな言葉になってしまうのは、あなたが好きだからです。…嘘くさいですか?やっぱり、信じられませんか?」
彼女は焦った様子で首を横に振った。
「私も嬉しいんです!私だって准一さんの事気になってましたし…。…でも私、隠し事とか色々、あるんです。いずれ気付く事になるとは思いますが…。それで、いざそういうふうに言われると、すんごく嬉しいんですけど、迷惑とかいっぱいかけちゃうんじゃないかって、心配になるんです…。それでも…本当に良いんですか?」
「はい。あなたが何を抱えているのか、気にならないと言ったら嘘になりますけど、そんな事を理由にあなたを嫌になる事はありません。だから…どうか、お願いします!」
彼女は少し考え、にこりと微笑み僕の待っていた言葉を返してくれた。
「…わかりました。私で良ければ是非。これからも、改めてよろしくお願いします」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
僕達の目の前には忙しない人の波と、着いたばかりの電車があった。あくまでそれはいつもと同じ景色だが、フィルターがかかったかのように見える。
「じゃあ、また連絡します」
「はい。待ってますね」
またいつも通りの別れを迎えて、僕達はまた会える事を願い今日を生きる。きっとこれからもそうなのだろう。
僕は単純に嬉しかった。まさか彼女が僕を気に留めてくれていたとは。絶対顔がニヤけていただろう。彼女が言った“隠し事”とは何なのか、そんな事もさも当然のように僕は、きっと大した事ではない、と何の違和感も持たずにスルーして、ただただ目の前に広がっている現実に舞い上がっていた。ーこれから明らかになる彼女の真実が、どんなモノかも知らずに…。
〜Fin.