1.Love letter 上
僕は恋をした。初恋である。その女性は、天使のような表情で微笑んだ。その姿に、僕は一目惚れしてしまった。それは、日常が非日常へと転じた瞬間であったー。
僕と彼女は何の関係もない、赤の他人であった。ただ一つ共通点と言える事といえば、通勤時、同じ時間に同じ電車に乗るという事。それしか接点はなかったが、きっと運命だったのだと勝手に認識していた。現実主義者の僕であったが、この時ばかりは「神」やら「運命」やらというモノを信じていた。
ここまで明かしてこなかったが、時は23時半頃、場所は自分の部屋の隅。一日が終わり、今日を振り返っているというところだ。名前は鈴木准一、歳は25、職業は極普通のサラリーマン。社会人にも慣れてきたというところだ。営業で色々な企業・事業所をまわるのも、今ではもう日常となっている。とまあ、僕の話はこれぐらいにして、彼女へと話題を戻そう。
前に言ったように、僕達はまだ互いの名も知らぬ仲である。もっと知りたいどころか、何も知らないのだ。彼女の瞳の中に僕が映っているのかさえも分からない…。溜息が止まらない。僕の勝手な片想いなど誰にとってもどうでも良い事なのだが、僕の貴重な初恋を片想いで終わらせたくはなかった。しかも僕はそれ以上にタチの悪いヤツで、自分にとっての運命の出逢いが結ばれなければおかしいとさえ考えてしまっている。それでもやっぱり、僕は彼女を見つけているが、彼女は僕を見つけていないのでは?と不安になってしまう。まあきっと彼女が僕に気付いていない事の方が普通であり、最も確率の高い状況なのだろう。そうは言っても諦めるという考えの無い僕は、ある一つの決断をした。
ー翌朝
「ふぁー…」
欠伸の止まらない朝、それの決行を決めた。まるで僕を応援しているかのような清々しい空だった。胃が痛い。キリキリ、ドクドクと煩いほどに僕の身体が鳴っている。緊張やら期待やらで思考回路が大渋滞だ。気付くともう駅に着いてしまっていた。心の準備はできていないが、時間的にも迷っている暇などない。腹を括って、5番ホームへと急いだ。
「あっ…」
驚いた事に彼女は既に到着し、ずらりと並んだ椅子に腰掛け電車を待っていた。彼女は静かに本を読んでいる。ページを捲るその指さえも美しいとは、彼女は一体何者なのだろうか…。もはや人間ではないのか?いや、そんなはずはない。さすがに未確認生物とかいう類のものは、全く信じていなかったため、そのケースは呆気無く拒否された。
ふと駅内のアナウンスが響き、下りの電車が到着する事を伝えた。僕達が乗車するのは上りの電車だったが、そのアナウンスは間もなく上りも到着するという事も暗示していた。
(やばいぞ…。時間が無い!!)
焦りが募り、気持ちの悪い汗をかかせる。
(話しかけるタイミングは今しかない!!…よしっ)
読書に耽っている彼女にそっと近づき声をかけた。
「…すいません。えっと…その…何の本を読んでいるのですか?」
「あの…どちら様でしょうか?」
「いや!あの!怪しい者ではありません!ただ少し興味があったもので…」
「はぁ…」
これは確実に不審者と思われたに違いない、と気付いた時には時既に遅しだっただろう。彼女はやはり声も美しかった。
「…ロミオとジュリエットです、シェイクスピアの」
「ロミジュリでしたか!僕も以前読んだ事があります。良いお話ですよね」
僕は話に乗ってくれるだろうと、良かれと思ってそれを言ったのだが、思いのほか彼女はバツの悪そうな表情をした。
「どうしました?」
「ごめんなさい。実は今日読み始めたばかりなもので、今はまだあなたとこの本について語ることはできないんです」
なんて人なんだ…!彼女にとって不審者であるはずの僕と語り合おうとしてくれていたとは。正直僕の言葉に対して返ってくるのは『そうですね』とか言う軽いものだと思っていたが…。
「そんなことでしたか。全然構いませんよ。僕の方こそ、読書中のところを中断させてしまって…申し訳ないです」
「大丈夫ですよ、気にしてませんし。むしろ、話せて良かったです」
おっと?脈アリか?これは僕にもチャンスが巡ってきたんじゃないかい?
彼女のその“話せて良かった”というさり気ない一言に期待してしまった自分がいた。
「では、またお話しませんか?僕達いつも同じ電車に乗るでしょう?話す機会もあることですし…」
「…そうですね、話しましょう」
「あ、でもそれなら名前知ってないとですよね。名も知らぬ誰かと話すっていうのもおかしな話ですから」
「確かに、そうですよね」
良い流れである。この流れに便乗して、僕は話を続ける。
「じゃあまず僕から。名前は鈴木准一、歳は25です。よろしくお願いします」
「私の名前は桜井麗、歳はもちろんヒミツです。さり気なく聞こうとしても無駄です。歳は女性に聞くものではないですよ、准一さん」
うおっ!これは心臓に悪い。僕がそう思った原因は他でもない、突然僕を下の名前で呼んだという事だ。僕のHPは大きなダメージを受けたが、残ったHPでなんとか次の言葉を発した。
「そ、そうですよね。すみませんでした。でもまあ、聞こうとしたが故の言葉ではなかったんですけどね。まあ聞けたら聞けたで良いですけど」
「あら、そうだったんですね。私にはどうもそのようにしか聞こえなかったもので。…そろそろ電車来ますね。また今度お話しましょう」
「あ、その前に一つ…。連絡先…聞いても良いですか?」
「…もちろんです。LEIN(最近流行っている無料通話/メールアプリの事)やってますか?」
「ええ、やってます。最近ではやっていない人の方が珍しいですよね、LEIN」
「そうですよね。これ、私のQRコードです。どうぞ」
彼女のスマートフォンの画面に映っているQRコードを読み取ると、僕の方の画面には『認証完了』の文字と『レイ』の文字が映った。
『僕はあなたの事を“麗さん”と呼んでもいいですか?』などと気の小さい僕が言えるはずもなく(そもそも普通(?)に彼女と話せている事自体、不思議であるくらいだ)、そうこうしているうちに上りの電車が到着した。
「では、また連絡します。まあ同じ電車なのでここでさよならというわけではないですけど」
彼女はふっと微笑んだ。
「はい。連絡待ってますね」
ウィーンー…
目の前で電車のドアがゆっくりと音を立てながら開く。
「では、また」
「はい」
僕達は別々に電車に乗り込んだ。
ー作戦は成功に終わった。
〜to be continued