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第六話*贈り物



 生誕祭から数日後、リーニャはカダを伴って書庫を訪れていた。もちろんラ・クランとの勉強会の為だ。カダと初対面であるラ・クランは彼の姿を見ると訝しげに眉を顰めた。


「その姿、白影族の奴隷のようですが……」

「生誕祭の時、ロウ・リュウより贈られての。わらわの護衛、カダじゃよろしくしてやってくれ」


 リーニャより紹介されると後ろで控えていたカダがぺこりと頭を下げる。だがラ・クランの表情は晴れない。


「カダ……ずいぶんと大層なお名前を付けられましたね」

「わらわの護衛じゃからな、恰好よかろう」


 胸を張って答えるリーニャに頭痛がしたのかラ・クランはこめかみを抑えた。


「奴隷に大陸英雄の名ですか……」

「なんじゃ、不満か」

「……いいえ、わたくしはそのようなことを考えるような高貴な生まれではありませんので」


 どこか憂鬱そうに息を吐き出して、ラ・クランはリーニャを見詰める。


「わたくしが以前お教えしたように人の憎悪と侮蔑は容易く高まります。奴隷に対する扱い一つでも陛下へ対する意識は悪くなる。それでもよく考え、与えられたのならわたくしからは文句など上げようもありません」


 冷たい黄金の瞳は、しかしどこか心配するような色も見てとれてリーニャは少し嬉しくなった。


「わらわは昔から名には並々ならぬこだわりがあっての。これだけは譲れぬのじゃ。高貴な身であれ、奴隷の身であれ、名は一生を左右するものじゃからな」


 そうにっこり笑うリーニャの姿をカダはちらりと見て、ラ・クランはそんな二人の様子を静かに眺めた。それはどこか寂しそうで、なにかを羨むような……そんな表情にも見えてリーニャは不思議に思う。

 人間観察を経て、色々なものが見えるようになってきたと彼女は自負しているが細かな感情の機微の意図や意味を理解できるほど成熟した精神はまだ持っていない。未熟であるがゆえに、ラ・クランの感情の意味を彼女は知ることができなかった。


「まあ、陛下がそう仰られるのならばわたくしからはこれ以上は申しますまい。それで、カダ殿は部屋から出さなくてもよろしいのですか?」

「なぜじゃ?」

「授業を聞かれますと、多少なりとも知識を彼に与えることになります。奴隷に知識を与えるということは後に反逆や弑逆(しいぎゃく)を生む可能性が高まりますからね。彼は陛下の奴隷ですから陛下がお決めください」


 自然とカダがくっついてくるので一緒にいるのが当たり前になってきていたリーニャは思わぬ言葉にギクリとした。

 反逆、弑逆の可能性どころかカダは将来的にそうする気満々である。堂々とやります宣言しているのだから。ちらりとカダを見ると、彼は明後日の方を見て知らん顔していた。


(こやつ……まさかとは思うがラ・クランが言いだすまで授業を聞くつもりじゃったか?)


 リーニャは難しい顔をして腕を組んだ。

 『どうするべきか』、ラ・クランは≪出すべきだ≫とはっきり言わない。明確な答えがない時はいつもリーニャに自分で考えるよう促してくる。とても難題で、いつも綱渡りで、出した答えが正しいものなのか分からない。後にそれを後悔する時が来ても、責任を果たせるように自分自身で答えを決める必要があった。

 けれど今回は、リーニャだけで決めていいのか。彼女はふとそんなことを思った。だから自然と体はカダの方を向き、問いかけていた。


「のう、カダ。おぬし、知識に興味はあるかの?」


 問われたカダは、問われたこと自体に驚いたのか目を瞬いた。しかしそれは一瞬で、次には嘲笑うかのような歪んだ笑顔を見せる。


「≪ある≫と答えたら陛下は許してくれるんですかね?」

「ふむ、そうか。では、ラ・クラン……生徒が一人増えるがよいか」


 あっさりと言ってのけたリーニャにカダは唖然とした。


「……陛下って、やっぱり馬鹿なんですか?」

「やっぱりとはなんじゃ、やっぱりとは! カダが勉強したいと言ったのではないか!」

「言いましたけど、普通許可しますか!? 俺が言ったこともう忘れましたか、鳥ですかあなたの頭は」

「ば、馬鹿にするでない! 覚えとるわっ。ふふん、だがなカダ――わらわをなめるでないぞ」


 びしぃっとリーニャは胸を張り、右人差し指でカダを指した。


「わらわの方が上手であること、証明してみせようではないか! そして改めて我が前にひれ伏すがよいぞ!!」


 どやあぁぁ。


 あからさまな効果音の後に室内に静寂が訪れ。

 カダが十二年間生きてきた中で今までにないほどの憐みの表情を浮かべた。


「馬鹿って、勉強しても治らないんですよね」

「……陛下、お悔やみ申し上げます」

「なんでじゃああぁぁぁ!?」


 自分では恰好よく決めたはずだったのに、なぜか二人になんともいえない視線を投げられてリーニャは戦慄した。

 そういえば、と今更ながらに思う。

 このしょっぱい塩対応といい、冷たい双眸といい、丁寧な言葉遣いをしているが上っ面だけで罵詈雑言が服を着て歩いているようなところといい。


(に……似た者同士じゃ……)


 気が合うのも、道理だった。

 嫌なことに気付いてしまったリーニャが暗い面持ちでいると、ラ・クランはそういえばと棚から小箱を取り出し、リーニャに差し出した。


「なんじゃ?」

「わたくしが自ら陛下の元へ参じることはできませんので遅れてしまいましたが、お誕生日おめでとうございます。大したものではございませんが、よければ」


 思ってもみなかったことにリーニャは驚いて、そして大いに感動した。いつも扱きに扱く鬼のような教師で、自分のことなどちっとも好きじゃないだろうと思っていたからまさか贈り物がもらえるとは微塵も考えなかったのだ。


「……いりませんか」


 リーニャがしばらく固まっていたので、拒否されているのだと勘違いしたラ・クランが手を引っ込めようとすると彼女ははっとして彼の滑らかな手をがしっと握った。


「いる! いる!」


 とても必死に叫ぶリーニャにラ・クランは驚いた顔をして、次に苦笑を浮かべた。


「そんなに迫らなくても逃げませんよ。――どうぞ」


 小箱を受け取ったリーニャが満面の笑みを浮かべあまりにも幸せそうな顔をするのでラ・クランは念を押す。


「本当に大したものではございませんよ?」

「気にせぬ! のう、開けても良いか!?」


 予期せぬ贈り物に興奮して、待てができない犬状態になってしまったリーニャにラ・クランはやれやれと『いいですよ』と答えた。

 わくわくしながらリーニャは小箱の蓋を開ける。リーニャにとって式典以外で個人的に貰う贈り物ははじめてで新鮮だった。クダラからすら貰った事はない。それは彼が奴隷であるがゆえに個人的なお金を持つことが許されず、贈り物を買うことができないからだ。彼からはお祝いの言葉を貰うだけで十分リーニャは満たされていたが、クダラ以外の人間からこうやって貴重な給金を削って自分の為に選び買ってくれた贈り物が手の中にあることがたまらなく嬉しかった。


 小箱の中には黒い四角い塊が五つある。それらからはふわりと甘い香りが漂い、贈り物の正体に気が付いたリーニャは更に驚いた。


「『ちょこれいと』ではないか!」

「はい、西の大陸でよく食べられている菓子ですよ。陛下の大好物ですよね?」

「そ、そうじゃが良く知って……というか、どうやって手に入れたのじゃこれ!? わらわですらなかなか口にできるものではないぞ!?」


 渡来品は元々入手困難な高級品が多いが、特に食品は扱いが難しい。長い航海の中で悪くなってしまうから色々手が込んであることがありさらに入手難易度は上がる。若干十五歳の新人若手窓際官吏が間違っても手が出せるわけもない品なのだ。

 そんな当たり前の疑問にラ・クランは、とてつもない究極の笑顔を浮かべた。


「内緒です」


 あ、これ絶対口割らないやつだ。

 ちょっと彼の背後に闇を見た気がするが、リーニャは気にしてはいけないと頭を振った。というかなにが『大したことない』だ。度肝を抜かされた。


「ラ・クラン、良き贈り物嬉しいぞ。その……ありがとうなのじゃ」


 ちょっと恥ずかしくてもじもじしながら言うと、ラ・クランは先ほどの裏のある笑顔ではなく、心からの優しい笑顔を浮かべた。


「それでは授業をはじめましょうか。今日は国の商業の成り立ちについて、教本五冊分いきますので気合をいれてどうぞ」


 どさっと卓に乗せられた教本は辞書くらい分厚い。それが五冊。


「……先生、教本で向こう側が見えないのじゃが……」

「分厚ですからね。ここではわたくしが重要な部分を抜粋してお教えしますが残りは宿題です。三日以内に隅々まで読み込み、理解、吸収、応用編まで会得していただきますよ。もちろんわたくしはすでに丸暗記しておりますので陛下がどこか間違えればすぐに分かります。一問間違えるごとに課題が増えますのでご了承ください」


 にっこり。

 表情と言っていることが真逆である。


「お、鬼ぃーーーー!!」


 リーニャは真っ青になって叫んだが、宿題が増えるだけで減ることはないのであった。





 勉強会を終え、げっそりとしたリーニャは工作済みの重い教本をカダと数人の女官に持ってもらい部屋に戻った。女官をすべて下がらせた後、ほっと息を吐く。

 カダは隅っこで床に座り、壁にもたれかかりながら一冊の本を見ている。ラ・クランはリーニャの願い通り、カダに基礎的な読み書きから教えに入ったのだ。驚くことにカダはとても理解力が早く、簡単な文字の読みくらいはすぐに習得した。これにはさすがにラ・クランも驚いて。


『彼は非常に頭が良いのですね』


 と感心したくらいだった。

 知識欲も高く、質の良い問いするので教える側のラ・クランも一層熱が入っていたように思える。


(むぅ、わらわも負けておれんの)


 闘争心がメラッとしたリーニャはさっそく卓に教本を広げて、まずは今日の復習からはじめた。

 しんと静まり返った部屋にリーニャのすべらせる筆の音だけがかすかに響く中、ふいにカダが口を開いた。


「食べないんですか」

「ん? なにをじゃ?」

「ラ・クラン殿から贈られた『ちょこれいと』ですよ。大好物なんでしょう?」


 卓の真ん中に置かれた小箱。勉強中の間にもちらちらと見てはリーニャは嬉しそうにしていた。だからカダは不思議に思ったのである。


「今すぐ食べたいのは山々なのじゃが……もったいなくての」

「ふーん? その異常な喜びようを見るに、クダラ殿からも貰ったことなさそうですね」

「しょうがないじゃろ、あやつは奴隷ゆえ。それにクダラが気の利いたものを贈れるとは思えぬからのう。言葉は惜しみなくもらえるからそれで良いのじゃ」


 そう言うとなぜかカダが渋い顔をして視線を外した。そして考え込むように沈黙し、なんだろうとリーニャが首を傾げると、溜息と共にカダが口を開いた。


「一つだけ、あなたの願いを叶えます」

「え? なんじゃ?」

「誕生日の贈り物ですよ。お金がないので立派な品とかは無理ですが、俺に出来る範囲のことであなたの願いを一つ叶えます」


 渋々、といった風体だったがしっかりと言葉になって放たれた台詞にリーニャは目ん玉が飛び出るかと思ったほど仰天した。そしてガタガタと体が震える。


「なんじゃ……わらわ、死ぬのか?」


 普段から好かれてない感満載の二人から一日で同時に贈り物とか、青天の霹靂である。きっとなにか悪いことが起こるに違いないとリーニャに恐怖が走った。


「そんなわけないでしょう、まだ殺しませんよ。俺の気が変わらぬうちに願いをどうぞ」


 次の瞬間には気が変わりそうなカダに、リーニャは慌てて考えた。カダが出来ることで叶えて欲しい望みなどほんの一握りにしか過ぎない。すぐに答えは出たのだが、言うには若干勇気がいる。それにこの願いは却下されてしまう恐れも高かった。


「……ないなら止めますよ。後、三秒――いーち、にー」

「と、友達に! わらわと友達になって欲しいのじゃ!」


 待つのが面倒になったのか、カダが数を数えはじめたのでリーニャは心の準備ができる前にぽろりと言葉が出てしまった。

 ぽかんとしているカダに、リーニャは一気に恥ずかしくなる。


「友達? 誰と、誰がですか?」

「わ、わらわとカダに決まっておろう! クダラが心配しておるのじゃ、この機会じゃから少しは歩み寄ろうではないか」


 カダは難しい顔で黙り込み、じぃーっとリーニャの顔を見ると深い溜息を吐いた。


「なるほど、弑逆対策には有効かもしれませんね。俺もクダラ殿にあれそれやられるのは面倒なので……その願い、叶えます。しかし奴隷護衛としての範囲内でですよ、呼び捨てはしませんし、この言葉遣いも直しません。ただ、あなたを敵として見る習慣は控えます」


 ただ、それだけでリーニャにはありがたかった。普通の友達としているのは相手が奴隷という身分なだけに無理である。それでも敵視していたあの冷たい目が少しでも和らぐのならこれほど嬉しいこともない。カダの綺麗な顔に無表情と、負の感情どちらかしか浮かばないのは大変もったいないことである。いつか心からの笑顔を見て見たい。

 リーニャはそっとそう思った。


「ありがとう、カダ」

「なんですか、気持ち悪い。他にはなにも出ませんよ」


 歪む口元を両手で隠しても、にやけてしまっているのは相手には丸わかりのようでカダがいつものようにとげとげしく言う。

 そんな彼が今、絶対に自分と目を合わせないのは『照れているからだ』なんて浮かれたことを考えてしまうくらいには、リーニャの心は幸せに満ちていた。


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