第四話*奴隷の少年
「十のお誕生日おめでとうございます、陛下」
「うむ」
「わたくしからは、こちらを送らせていただきます」
「……うむ」
生誕祭当日、いつも以上に着飾り、化粧も香もばっちり仕上げられたリーニャが玉座に悠然と座り、祝いの言葉を述べていく者達の顔を見ながら賛辞を受けていた。その背後には山のような贈り物がいまにも崩れ落ちそうになりながら積まれている。
今まさに新たに差し出されようとしている贈り物に、リーニャの瞳がちりちり痛んだ。
(この贈り物の価値、全部で三千万カルド……)
もはや贈り物のすべてが数字に換算して見える。ラ・クランのせいだ。おかげでいつもならはしゃぎながら贈り物を受け取るのに今回はなんともいえない心境で受け取らざるを得なくなっていた。
リーニャがあまりに浮かない顔をするので贈り物を誤ったのかと不安そうな顔で官吏や貴族達が見送っていく。申し訳ない。
しかし精神的に苦痛な贈り物攻撃ももうすぐ終わる。式典が終われば、午後はゆっくりとクダラと一緒にお茶ができるのだ。それだけが唯一の楽しみであった。
早く終われ、早く終われと呪文を唱えながら次々列をなしてくる人々を眺めた。
そろそろお昼が近づき、陽気な気温に眠気が襲ってくる頃、最後の一人が壇上に立った。
リーニャの右腕にして宿敵となった紅の国の宰相、ロウ・リュウである。彼の刻まれた皺ですら気品高く整っている顔に自然と鋭い面差しになったリーニャは背筋をぴっとはって彼を出迎えた。
「お誕生日、まことにおめでとうございます」
「……うむ」
喉が渇いた気がした。優しいはずの顔がクダラと違って作為めいていて気分が悪くなる。この手の顔の見分けがつくようになったのも、ラ・クランのおかげだった。彼は勉学だけでなく人の観察の仕方も教えてくれたのだ。
『人のうわべを見るのは簡単ですが、裏の顔を見えるようにならなければすぐに足元をすくわれてしまいますよ。宰相と対峙するおつもりなら観察眼を身に着けることです』
そして宿題として女官の一人を対象にして観察し、書簡にまとめて提出したりもした。そうやっていくうちにその人物の癖や、口調、考え方などがなんとなく分かるようになったのだ。
「陛下は、今日沢山の高級なお祝い品を頂いておりますゆえ、わたくしめからは、少々変わり種の贈り物をさせていただきたく存じます」
ざわりと玉座の間がどよめいた。リーニャも玉座の間に入って来た大きな箱に動揺を隠せない。まるで人一人が入れそうなくらいの巨大な箱だった。
頭が、ずきりと痛む。
壇上の下までやってくると、荷台が止まり配置されていた武官達がその箱を一斉に開いた。すると中から檻の中に入れられた、一人の人間の姿が現れたのだ。
少年だった。
白銀の髪がさらりと揺れ、長い前髪の間から磨き抜かれた宝石のような翡翠がのぞく。肌はぞっとするほど白く、雪原を思わせる見事な容姿を持っていた。思わずため息が零れるほど美しいその姿に観衆の誰もが黙ってその少年を見詰めていた。
だが、リーニャだけはその感情とは別に激しい頭痛と、それに伴って溢れてくる映像にどうにかなってしまいそうだった。
(わらわは、この少年を知っている。いつか見た、わらわはこの少年を……)
痛むこめかみを抑えながら、こちらをじっと見上げてくる少年と視線を交わしていると宰相ロウ・リュウが微笑みを一層深くして頭を垂れた。
「この少年は奴隷商から買い付けた白影の少年です。どうです、美しいでしょう? しかしそれだけではなく彼は腕も立つのです。陛下には毒見役の孤毒もおりますし、護衛役、盾役としての奴隷も必要であろうと思ったのですよ。……いかがでしょう?」
問われて、はっと意識をとり戻したリーニャは、ちらりとロウ・リュウを見た。彼が一体何を考えて彼を送って来たのか、顔を見ただけでは計り知れない。もしかしたら十になって少し大人になった自分に綺麗な男をはべらせて今以上に遊ばせようという魂胆なのかもしれなかった。
だが、ここで彼の贈り物を拒むわけにもいかない。
「……うむ、白影か確かに美しいの。ありがたく……いただこう」
白影とは奴隷の中でも容姿に優れた一族で、主に観賞用に買われる奴隷であった。白銀の髪に白い肌が特徴的で、多くは体が弱く脆弱であるのだが腕がたつということはそれなりに一族の中でも頑丈なのを見繕ってきたのだろう。
彼の価値は…………目に見えないほど莫大であった。
「もう少し、近くで見てみませんか陛下」
ロウ・リュウに促され、リーニャは誘われるように痛む頭を押さえ、壇上を降りていった。彼が近づく度に痛みは増していく。思い出していく。彼に関する記憶を。知らないはずのできごとを。
壇上を下り終え、武官に荷台の上に乗せてもらってようやくリーニャは彼の目の前に立った。光に溶けて霞んでしまいそうなほどの儚く輝く美しさが緋色の瞳に映る。翡翠の瞳に吸い込まれそうになりながらリーニャは、はっきりと思い出していた。
(わらわは、この少年を殺す)
このままいけばそうなる。話しかけたら、すべてが終わると知っていた。少年がこれからリーニャに何をするのかも。
頭痛が引いて行く。頭が妙にすっきりしていた。
「そなた……名はなんという」
知っていて、話しかけた。記憶と同じように。少年はまた、目覚めた記憶と変わらぬ姿で答えた。
「名はありません」
高くも低くもない、丁度いい声音が胸に響く。彼は声まで美しかった。リーニャは記憶とは違う優しい微笑みで彼を見詰めた。
「では、そなたにわらわが名をつけてやろう。……そなたはわらわのものなのだから」
「…………」
その言葉が合図だった。
少年がリーニャにすっと近づいたかと思った瞬間、ぷっと彼女の顔に唾を吐いたのだ。
とろりと、彼女の頬から彼の唾が流れ落ちる。静寂が下りた。誰もがその光景に信じられないと言った風に絶句している。
ただ、リーニャだけは落ち着いていた。そうなると知っていたから。
「な、なんと陛下になんということを!!」
最初に怒鳴り声を上げたのは礼部尚書クバ・ラハだった。すると次々と怒号があがり、少年に向かってものまで投げる者もいた。彼を贈った張本人であるロウ・リュウは静かな眼差しでこの状況を見据えている。
リーニャは衣から布を取り出し、唾に汚れた頬を拭いた。
記憶の中では、リーニャもまた観衆達と共に怒り狂い彼の首を刎ねてしまうのだが、その記憶が残る今の彼女は、異様なほど冷静であった。
あの時は、感情のまま彼を殺してしまったが、よく考えればそれは自分が悪かったのだ。
『わらわのもの』
などと、個人をもののように扱った。奴隷である彼だって人間、それを不快に思うこともある。それでなくとも少年はリーニャと同じくらいの年ごろである、反発心も高いのだろう。
ラ・クランの厳しい言葉が蘇る。
『感情のまま人を殺すことはあってはなりません。王として殺めるべき人間は選びなさい。目の前にいるものが本当に殺すべき相手なのかどうか、見極めるのです』
それを怠ってはいけない。
記憶を確かめる為に、その通りに行動してしまったが、この場を収集させる為にはどうしたらよいか。リーニャは小さく息を吐く。
そしてすぅっと息を肺に送り、キッと緋色の瞳を開き、腹に力を込めた。
「静まれ!!」
響いた凛とした声に、玉座の間がシンと静まり返った。
じっとロウ・リュウが玉座からリーニャを見下ろす。
「よいではないか。この者の調教、やりがいがあるというもの! 気に入った、わらわの室へ連れてゆくがよい」
びりびりと響く声に誰もが口を塞ぎ、彼女に逆らおうとするものはいなかった。命を受けた武官だけが慌てて彼を玉座の間から連れてゆき、リーニャが玉座に戻った時、ようやく音が戻って来たかのようにざわざわと辺りがどよめいた。
「陛下、申し訳ありません。わたくしの不手際にございます」
「よいと言うておる。下がれ」
何か言いたげにこちらを見るロウ・リュウを強制的に下がらせると、リーニャは深く玉座に腰掛けて安堵の息をゆっくりと吐いた。
(未来の一つは……変えた。これで良かったのじゃろうか)
だがもう、すべては動いてしまっている。生かしたことをこれからどうするのか、ちゃんと考えなければならなかった。
すべての行事を終え、室に戻ってきたリーニャは一度深呼吸してから扉を開けた。室の隅に作られた檻の中に、少年は玉座の間で見たままの姿で胡坐をかいて座っていた。中に入って来たリーニャに一度だけ視線を交わして、ふいと明後日の方を見る。
どうやら嫌われたようだ。
ドクドクと脈打つ心臓を落ち着かせながら、少しだけ彼と距離をとって対峙した。また唾でもかけられたら面倒だ。
「そなたの名、何がよいかの」
「…………」
「なにか希望はあるか?」
「…………」
一言も発せず、こちらも見ようとしない少年に女官がいきり立った。
「奴隷の分際でなんですかその態度は!」
「よいのだ、そなたは下がっておれ」
「ですが陛下!」
「わらわはこのものと二人で話がしたい」
強い視線と口調で言えば、女官は顔を引き攣らせ不満そうにすごすごと室を出て行った。他の女官達もすべて下がらせ、室には二人だけになる。
「さて、これでようやく静かに話ができるの」
「…………」
「相変わらず黙っておるつもりか? まあ、よいが」
彼と目線を合わせるようにリーニャも膝をついて座った。豪奢な衣がふわりと床に広がる。
「さて、まずは名じゃな。どうするかのう……」
静かな空間の中、いくらか考えてリーニャは納得したように頷いた。
「うむ、そうじゃな。『カダ』というのはどうじゃ」
その名に一度だけ彼はこちらを向いた。リーニャは視線が合ったことに嬉しくなって穏やかに微笑む。
「知っておるか? 大陸ダーハの七英雄の一人の名じゃ。彼はなによりも美しく気高い、腕利きの剣士だったと伝わっておる」
にっこりと笑えば、彼はハッとして再び顔を背けた。
「気に入らぬか?」
「…………いいえ」
また黙ってしまうと思っていたが予想外にも返事があった。その答えに気に入ってくれたものととったリーニャは嬉しそうに手を打った。
「よし、では今日からそなたの名はカダじゃ。よろしくな、カダ」
「…………貴女は」
「ん?」
そろりとこちらに視線を投げかけてきた彼に、リーニャは首を傾げた。
「俺は貴女の奴隷として飼われたのではないのですか? なぜ一字名ではなく、一つ名を与えてくれたのです」
不思議そうに聞いてくる彼に、リーニャはそういえばそうだと思い出した。一字名とは奴隷を買った時にその奴隷に付ける名のことだ。イ、とか、シ、とかたった一字で表す。それが奴隷の名の証だった。奴隷には元々名はなく、名をつけられて初めて個を認められる。つまり飼われて初めて存在を認められるのだ。
そして一つ名とは、クダラのように奴隷とは一つ格が上になる名前で、奴隷でも重宝されているものにつけられるもので少年のようにすぐ与えられるような名前ではない。
だが、クダラの時もそうだが、リーニャは一字名を嫌っていた。自分のものにするなら綺麗な名を与えたかったのだ。それには一字では足りない。そんな安易な考えだったが、クダラには泣くほど喜ばれたのだ。だから彼にも綺麗な名を与えたかった。
「意味ある名をつけることになにを不思議がることがある。名にはそれぞれ意味がある、それが当たり前ではないのか?」
リーニャは素直に思った事を口にした。彼女は送られてきたぬいぐるみにも意味ある名をつける。そしてそれは大層大事にしてきていた。それらと同じにするのは違うかもしれないが、リーニャにとって名は昔から大事なものとして扱ってきていた。
「カダ…………本当にこの名でよいのですか?」
「よい、なんじゃ英雄の名は不満か」
「畏れ多いのは確かですね。俺は剣が扱えますが実力はまだまだだ」
ふっとその自信のなさそうな声音にリーニャは笑った。
「では、これから強くなればよい。わらわの護衛に相応しいほどの強い戦士に」
「…………ええ、俺は強くなりますよ。叶えたい夢がある」
「ほう? それがなにか聞いてもよいかの」
そう聞いた瞬間、彼の瞳が暗く陰った。聞いてはいけないことだったのかと思ったが、リーニャは言い直したりはしなかった。怖かったがやはり聞いてみたい、好奇心が勝る。
カダ、と名付けられた少年は、ぐっと檻の鉄格子を握り顔をリーニャに近づけてきた。
距離はとってあるから吐息がかかるほどではないが急に近づいた顔にドキリと心臓が跳ねた。
カダは冷たい眼差しをリーニャに向けたまま、低い声でこう言った。
「貴女を殺して、自由になること」
冷たい刃が突き刺さったような気がした。しかし、彼の言いたいことも分かる。こんな檻の中に入れられて、いいように思う人間などいないだろう。きっと、広い広い自由を誰もが望む。
リーニャは静かに瞳を閉じた。こんなとき、どうしたらいいかはラ・クランからまだ習っていない。自分で考えて答えを出す必要があった。
無知で無能だった数か月前の自分と、ラ・クランに勉学を教わった今、どれだけ自分に違いがあるのか、自覚はない。けれど、今までときっとどこか違っているはずだった。
緋色の瞳が美しき翡翠を映す。
「そなたはいつか、自由になるさ。わらわが保証してやろう」
静かに響いたその言葉にカダは驚いたように口を開いた。
「へえ、貴女は自ら死ぬおつもりですか? なら、楽でいいんですけど」
「まさか、わらわは死なぬ。今は無理じゃが、いつかはそなたの意志で広い場所に行けるようにしてやろうと言うておる」
カダは黙った。そしてじっとリーニャの緋色の瞳を見詰める。その腹の底を探ろうかという視線に彼女は笑った。
「わらわは隠し事が苦手じゃ。そんな目で見ても他にはなにも出てこぬよ」
「…………わからない」
「そうか、そうかもしれぬな。わらわもよく分からぬ」
「俺はいつか絶対に自由になります。それは必ずだ」
「うむ、好きにするがよい。そなたはわらわのものとなったが、心は自由じゃ」
そう言うと、リーニャは手に持っていた鍵で檻の入口を開けた。カチャリと音がなって扉が開く。カダはそれに少々驚きながらもゆっくりと扉を潜って外に出た。
「今ここで貴女の細い首を絞めることも可能ですが」
「ふふ、下手なことをするでない。宮中でそんなことをしては逃げ切れぬぞ」
面と向かった彼はリーニャより頭一つ分背が高かった。細身であるが、剣を扱えると言った通り、腕は見た目よりもしっかりしていそうだった。確かにこの手であればリーニャの首など容易くへし折れるだろうが、彼はそうしないだろうと分かっていた。
彼はそれほど安直でも馬鹿でもない。
「願いを叶えたいのなら好機を逃すでないぞ。それまでは大人しく、わらわの護衛であれ」
王の顔で力強くそう言うと、カダは一泊、緋色の瞳と交差させ、すっと膝をついて礼をとった。深々と頭を垂れる。
「今より、貴女様の護衛として傍につくことをお許しください」
心はどこか籠っていない。いつでも裏切りがちらつく。けれどリーニャは彼を罰しようとは思わなかった。
彼を生かそうと決めたのは自分だ。
「許す。カダよ、その命ある限り、わらわに尽くすがよい」
形だけの儀式を済ませ。二人は主従関係となったのだった。
彼を生かした事、吉と出るか、凶と出るか。今は誰にも分からない。